お屋敷ガイダンス
クルルがあてがわれた部屋でのんびりできずくつろぐ事、およそ二時間。
体感でそう判断したクルルは、初めて時計が無い事に気付いた。
__時間の概念が薄いのか……?
そんな事を思っていると、ドアがノックされ、
「クルル君、夕食の準備ができました」
ミリの声が響く。
「あ、はい。今行きます」
クルルがドアを開けると、案の定ミリが立っていた。
「案内しますね」
「すいません、お願いします」
少しうなだれたクルルに、ミリは小さく笑う。
「夕食が終わったら、お屋敷内を案内しますね」
「……迷惑かけます」
今度は頭を下げたクルルに、
「そ、そんな事はないです! さっきも言いましたけど、賑やかなのは大好きなんです! クルル君がいてくれて、私は凄く嬉しいです!」
ミリはストレートにぶつけた。
__お、おぅ……。
思わず言葉を失ったクルルに、
「クルル君?」
頭半分低いミリが、不思議そうに顔を覗き込んだ。
超至近距離に美少女の顔が現れ、
「あああああいやいやいやいや、何でもないです!」
免疫の無い男子では、のけぞるしかなかった。
その反応に、ミリは一瞬驚いて不安そうな表情を見せたが、すぐに吹き出す。
「ストロさんの言う通り、クルル君は面白いです……。ニホン人は、皆そんな感じなんですか?」
「この世界がどうかは知りませんけど……色んなヤツがいますからね。あっちの世界には」
ミリに案内され食堂に到着すると、すでに料理は並んでおり、ストロも着席していた。
「遅かったね」
「道順覚えてました」
余談だが、クルルの部屋からここまで、三分弱かかっている。
「まあ造りは単純だから、覚えるのは難しくないよ」
「だといいんですけどね……」
不安を呟きつつクルルは着席する。ミリも、ストロの横に腰を下ろした。
ストロとミリは、先が二つに分かれたフォークらしき物を手に取り、
「いただきます」
合掌したクルルに手を止めた。
「何だい、それは」
ミリも不思議そうにクルルを見ている。
「え? ああ、食べる前の決まり文句みたいなヤツです。自分が食べる食材の命に感謝する、みたいな意味合いがあります」
「ほう……何とも素晴らしい考え方だね」
__食べ物に感謝するのは万国共通のハズだけどな……。
「……ノグリスは、違うんですか?」
「人によるだろうけど、僕はしている。__ただ、それを声に出す事はしないね」
__まあ実際、『いただきます』をやらない人も多いからなぁ。
「とにかく素晴らしい心がけだ。僕たちも取り入れよう」
「賛成です!」
ミリも顔を輝かせて挙手。
「では」
ストロとミリは手を合わせる。クルルも一応それに倣う。
「「いただきます」」
__何か不思議な光景だなぁ……。
声は出さなかったクルルは、そんな事を思う。
そうして食事が始まったのだが、
「……うまい」
食材がいいのかミリの腕がいいのか、料理はどれも絶品だった。
「これ、なんて料理なんですか?」
クルルは、焦げ茶色の大豆のような豆を口に運びながら訊く。素材の甘みが広がり、僅かな酸味が鼻を抜ける。
「それはスクワの実を焼いたものです」
「……はい?」
「スクワの実ですよ」
__いやそう返されてもなぁ……。
と、ふと可能性に思い至ったのか、
「お口に合いませんか……?」
ミリが恐る恐る訊いてくる。
「いやそうじゃないんです。初めて食べたんで……」
「ニホンには、存在しないのかい?」
「そうですね。こんなに味が強くて美味しい食べ物は、めったに無いです。あったとしても、高級食材になりそうな気がします」
そのクルルの言葉に、ミリが小さく笑う。
「ふふっ、それはとても安価な食べ物ですよ」
「え、そうなんですか?」
__意外だな……。てっきり貴族だから食べられるのかと。科学が発達しなかった世界だと、農業が盛んになるのかな……。
そんな事を思いながら、もう一つスクワの実を咀嚼する。
「……うまい」
「__ここがお風呂場です」
楽しい食事会の後、クルルは約束通りミリに屋敷を案内してもらっていた。
「今このお屋敷には私とストロさんしかいませんから、大体は空き部屋なんです」
多くの部屋をスルーするミリに、クルルがぶつけた質問の返答である。
「……掃除とか、大変そうですね」
「そんな事ないですよ? 掃除、好きですから」
__尊敬するセリフだ……。
心の中で敬礼したクルルは、
「……あの、さっきから思っていたんですけど……」
「__あ、はい。何ですか?」
ミリの言葉に反応が遅れた。
ミリは少しうつむくと、
「私はその、使用人ですし……ご客人であるクルル君が敬語を使う必要は無いと思います」
「あー……」
クルルは一瞬、言葉に迷う。
「ミリさんって、十七なんですよね?」
いきなりのデリカシーゼロ発言だが、クルルは気づかない。
「は、はい。そうですけど……」
「おれ、十四ですよ? 年上相手に、タメ口はあんまりいいとは言えないじゃないですか」
「…………」
途端に、ミリは固まってしまう。
「あ、あれ? ……何か変な事言いました?」
立ち止まったミリを、数歩進んでしまったクルルは振り返る。
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
ミリは慌てて首を横に振ると、少し寂しい顔を見せる。
「__私は、身分が違いますから……」
「身分……」
__使用人の立場って、そんなにも低いものなのか……? いくら客人とはいえ、よく分からない冴えない輩に?
「…………」
自分で若干傷心する。
__というより、身分以外にも、何か壁を感じるな……。
拒絶__とも違う、周囲にだけは寄せ付けない殻のような何かを、クルルは感じた。
「__この先は、ストロさんの研究室です」
クルルがそんな事を考えていると、ミリは特別重厚な扉の前に立つ。漫画に出てきそうな、細かな細工のされた両開きの扉だった。
「……何か、凄い雰囲気を感じますね……」
「私も入った事は無いので、中がどうなっているのかは分かりませんが……」
ミリも、少しだけ複雑な表情を作る。
「てか、ストロさんって何する人なんですか?」
「ストロさんは魔導学士の称号を持っています」
「魔導学士?」
「ええと……簡単に言えば、魔法を研究して、改良したり開発したりする人の事です」
__ノーベル賞を目指す科学者みたいな感じかな?
「クルル君にかかっているワード・イリュージョンも、ストロさんオリジナルの魔法なんですよ。多分……他に使える人はいないと思います」
「マジっすか……」
__思った以上に、凄い人なんだな……。
「__これで、大体のオリジナル案内は終わりました。分からない事があれば、いつでも訊いて下さい」
クルルの部屋の前まで戻り、ミリは頭を下げた。
「ありがとうございました」
「私は基本的に、キッチンか洗濯場、もしくは自室にいるので」
「あー……。ミリさんの部屋って、どこでしたっけ」
同じような空き部屋を沢山見たせいで、クルルの記憶はまだ曖昧である。
「ふふっ、こっちです」
ミリは小さく笑うと、再び先導して歩き出す。
「__ここが私の部屋です。玄関奥の階段を登って、右の二つ目です。クルル君の部屋からは、左に五つですね」
「分かりました」
「では、私はこれで」
ミリは笑顔で一礼すると、部屋の中へ入っていった。
開いたドアから、一瞬中身が見えたクルルは、
「……ふーん」
__おれの部屋と、そこまで変わらないんだな。
そんな感想を抱いた。