機神降誕
「他の人達も起こしてあげないと… 」
バレリーが父親の腕から抜け出そうとしていると、父親から厳しい現実を突きつけられた。
「その体で、バルに何が出来るんだ? 残っている魔素は多くあるまい」
「そうだよ、早く我々も逃げないと… 」
石倉が脱出を促すが、バレリーは眠ったままの幾嶋から目を離すことが出来ない。
「彼は、まだ起きられないんだよ」
父親のアイザックが、腕の中に居る幼い姿のバレリーに向かって言葉少なに告げた。
「どういう事、セルフチェックってまだ時間が掛かるの?」
「セルフチェックが終わると、彼に睡眠学習で自分の能力や武器の使い方を教えるプロセスに入るんだ。 あの計器の表示からすると既に学習プロセスに入っているはずだから、あとしばらくは起きられないはずなんだ」
石倉が、再び言葉少ないアイザックの発言をフォローして教えてくれた。
彼の視線の先には、幾嶋の身の丈ほどもありそうな巨大な剣の形をしたものや大型の銃のような物や防具のような物が3セット置かれていた。
あんな物の為に、危機が迫っていると言うのに幾嶋は目覚めることもできずに居るのかと思うと、腹立たしくなってくる。
もし、何か異常があれば自動的にコールドスリープに移行して後日の救助を待つことになっていると教えてくれた石倉の言葉に、少しだけ安心して脱出に同意するバレリーだった。
後は神に祈るしか無いと告げて、二人はバレリーを連れて部屋を脱出した。
人間をここまで追い込んで何もしてくれない神なんてクソ食らえだと、バレリーが内心で神に毒づいた事は、バレリーに天使のようなイメージを抱いている石倉が聞いたら腰を抜かす事だろう。
エレベータ前に来る迄にも大きな揺れは断続的に続いていたが、幸いにもエレベーターはまだ稼働していた。
「ちょっと、静かになってないか?」
地上階に着いて、エレベータを出た石倉が不審そうにそう言って半分瓦礫に埋もれかけた周囲を見渡す。
不思議なことに魔素が濃いはずの地上に戻っても、バレリーの魔力は回復が遅かった。
「父さん、この辺りは魔素が極端に薄いわ… 」
不審に思ったバレリーがアイザックに周囲から感じる魔素の薄さを告げた。
「恐らく、この壊れ方を見る限りではブレスを喰らった直後なんだろうな」
アイザックに言われて周囲の瓦礫を見てみれば、表面が溶けたように滑らかな断面を見せている。
竜族のブレスは、広範囲に渡って周囲の魔素を大量に吸い上げて一気に発生させる拡散魔力砲とでも言うものであるから、発射直後は周囲の魔素は一気に希薄になってしまう。
そのために、自前で魔素を補えないこの時代の魔力使いは、肝心なタイミングで魔力を使ってブレスを防ぐことも攻撃することも出来なくなってしまうのだった。
その気になって周囲を見返してみれば、研究所の周囲を鬱蒼と覆っていた森林の木々は焼け落ちて消し炭一つも落ちていない荒野が眼前に広がっていた。
「植物や森を愛しているって竜族の触れ込みは、嘘っぱちだったって事じゃないかよ」
石倉が、竜族を罵倒するかのように大声で叫ぶ。
「勝者の理論とは、いつの世もそうしたものだよ」
アイザックが、激高する石倉を宥めるように静かにそう言った。
確かに、平和のため、これ以上犠牲を出さないためという大義名分の為に、多くの虐殺行為が勝者によって正当化されてきた人類の歴史が在る。
此処に到る経緯すらも、竜族や魔族から見れば人類から押しつけられた理不尽な扱いや不当な差別への反抗であると、そう言い張るのかもしれない。
だからと言って、敗者に全ての責任を押しつけて生きる権利すら奪ってしまう必要があるのかと言う問いかけは、アイザックが今この場で竜族に言っておきたい事であった。
「ブレスにも余裕で耐えられる設計だって、聞いたんだけどなぁ… 」
ようやく落ち着きを取り戻した石倉が、魔総研の建物の惨状を見てそう呟く。
「これだけ原型を保っていられればたいした物だよ」
石倉のぼやきにアイザックが、そう応える。
「とにかく脱出しましょう、西海岸へ出れば新港市の宇宙空港があるはずです」
石倉の提案にアイザックが頷いて、まだ一部原形を保っていた研究所の建物から外へ出ようとしたその時、太陽が遮られて地表を大きな影が覆い隠した。
「しまった、まだ居たのか!」
石倉が空を見上げると、虚空から大きな翼を広げて巨大な赤色の竜が三体揃って降下してくるのが見えた。
彼ら三人には、急速に接近してくるそれに対抗する術はないだろう事は、見るからに明らかに思える。
激しい地響きと土煙を上げて地上に降り立った赤い竜は、攻撃的で炎の属性魔法を使う厄介な赤竜だった。
『愚かな人間よ、まだ生き残りがいたか… 』
正面に降り立った赤い竜から直接脳に話しかけてくるようなメッセージが、瓦礫の前で立ち竦む三人に向かって投げかけられる。
三体の竜族は、バレリーたちの正面と右側、そして左側の逃げ道を塞ぐように立っていた。
アイザックは地面に降ろしたバレリーを庇うように、自らの後ろに隠す。
後ろは瓦礫の山とエレベータの出口があるのみで、逃げ道は無い。
石倉がゴクリと唾液を飲み込んだ音が、妙に大きくバレリーの耳に聞こえた。
バレリーは万一の場合に備えて、ありったけの魔力を両の手に集中させようとしていた。
『すでに、お前達の政府組織が存在する地点に我々の主力が向かっている。 お前達もここで灰になるが良い』
自らが傷つく事など絶対に無いと確信している、圧倒的優位に立ったものだけが言える傲慢な言葉が、非力で矮小なバレリーたち三人に向けて無慈悲にも投げかけらる。
正面の赤い竜はその凶悪な牙の生えそろった顎門を大きく開け放ち、目の前の三人に向けてブレスでは無く大きな火炎の球を発射した。
「みんな伏せて!」
アイザックと石倉の前に飛び出した幼体のバレリーが、小さな両手を前に突き出して、その体に残っている全身の魔力を振り絞る。
バレリーは、三人に迫り来る火炎の塊を遮って、最後まで耐えて見せた。
『ほぉ… 』
右側面と左側面に居る別の火竜がそれを見て感嘆の声を漏らしたが、バレリーたちが圧倒的不利な体勢である事に何ら違いは無い。
既に魔力を使い果たしたバレリーは、蹌踉けて倒れると薄い金毛の子猫に変化してしまった。
しかし、そのまま眼前の火竜に向かって小さな小さな牙を剥き出して、覚束無い足取りながらも火竜を威嚇して見せた。
「バレリー君は…… 」
それを見ていた石倉が、バレリーを火竜から庇うように胸に抱き寄せる。
『小賢しい真似を… 』
絶対的強者のプライドを少しばかりバレリーに傷つけられた正面の火竜が、再び顎門を大きく開いた時には、全員がその場での死を覚悟した。
正にそのタイミングで、その緊迫した場面には似つかわしくない場違いなポーン!と言う電子音が、沈黙が包み込む空間に鳴り響く。
その音に反応して、そちらに目をやった正面に居る火竜の首が次の瞬間には断ち切れて地面に落ち、その断面からは噴水のように緑色の体液が吹き出していた。
僅かに遅れてその巨体が地響きを上げて地面に倒れ伏すのが、アイザックの目には見えた。
何か一陣の風が高速で自分の脇を通り過ぎたような気がした、そんな一瞬の出来事であった。
そこには、地に倒れ伏した巨大な火竜の背中を踏みつけるように、一人の戦士が自らの身長程もある大きな剣を軽々と構えて立っていた。
「幾嶋さん!」
石倉が振り向いてその戦士の顔を認めると、悲鳴にも似た感嘆の声を上げる
魔力切れで子猫の姿になったバルが、石倉の胸から顔を出して嬉しそうに鳴いた。
其処に立っていたのは、サイボーグ戦士のスマートな全身防具に身を包み、大剣を軽々と構えた幾嶋 謙の姿であった。
「しかし、まだフル稼働するには各器官の立ち上げが追いつかないはずだぞ」
アイザックが、こんな奇跡的な状況でも、科学者として冷静な分析を口にする。
『おのれ、矮小な人間族風情が』
『灰になって死ぬが良い』
両脇に立っていた二体の竜族の言葉と同時に、元々低かった辺りの魔素密度が急速に低下してゆく。
それを感知して知らせようと暴れるバレリーを抑える石倉だが、彼にも状況の変化は予想が付いていた。
「ブレスが来ますね」
「うむ、設計上は充分に耐えられる筈だが… 」
こればかりは、実際にやってみなければ判らないというのがアイザックの正直な感想だった。
不意に、幾嶋の体がブレたように見えた次の瞬間、彼の体は左の火竜の頭の上に居た。
彼は大剣を左手だけに持ち直すと、空いた右の拳を振り上げて火竜の大きな頭に振り下ろした。
ゴキン!と重いものが激突するような鈍い音と、何かが潰れるような湿った柔らかい音が重なり合って響き渡り、その衝撃波で崩れずに残っていた瓦礫に亀裂が走る。
幾嶋はその打撃で地面に大きな窪地を穿ち、火竜の巨大な頭を地面に叩きつけていた。
「重力効果の応用による超加重打撃による攻撃も、設計通りの性能を発揮しているようだな」
アイザックは、飄々として幾嶋の攻撃を分析している。
石倉は、自分たちが開発に参画していたドラゴンスレイヤー計画の成果を目の当たりにして、感動の余り声も出せない様子に見えた。
彼は幾嶋の余りに一方的な戦いを、ただただ黙って見つめていた。
地面に火竜を叩きつけて絶命させた幾嶋は、その攻撃に費やした僅かの時間で右側に居た火竜のブレスをまともに喰らう事になった。
ブレスによる強烈な光が消えた後、ブスブスと溶けて燻る地面に比べれば火属性攻撃には耐性のある体を持つ火竜の死体がむくりと持ち上がった。
なんと、その巨体を軽々と持ち上げて幾嶋が出てきたのである。
「賢明な判断だ、まだフルパワーで魔素転換炉を使うには慣らし運転が足らな過ぎるからな」
アイザックの冷静な解説は、こんな状況でも途切れることなく続く…
ブレス攻撃が失敗に終わったと判断した火竜最後の一体は、翼を広げて空に逃れようとするが幾嶋の姿が再びブレて見えたかと思った次の瞬間には、火竜の右の翼が根元から断ち切られて飛び立つことができなかった。
『人間族などに…… 認めんぞ!絶対に認めんぞ!』
逃げられないと悟った最後の火竜は翼を断ち切られたまま後ろを振り向くと、頭を真正面から縦に断ち割られて、その場で絶命した。
「アイザックさんと石倉さんですよね、バレリーちゃんは無事なんですか?」
少しふらつきながらも、二人と一匹に笑顔で近付いてくる幾嶋は、真っ先にそれを問い掛けてきた。
「バレリーちゃんなら、こ… 痛てっ!」
腕の中に居る子猫のバレリーを指し示そうとした石倉の腕を、バレリーが軽く噛んで威嚇した。
「えっ?!…… 」
バレリーの威嚇に、訳が判らず戸惑う石倉であるが、アイザックはバレリーの気持ちを読んでいた。
「バレリーは無事で居るよ、君に逢いたがっていたよ」
「えっ、あっ、そうそう、無事ですよ元気すぎて困るくらいに、痛ててっ!」
デリカシーの無い石倉の腕に爪を立てて、抗議の意を示す子猫のバレリーだった。
子猫の姿になったバレリーは、石倉の腕から飛び出すと幾嶋の足下に駆け寄り、小さな頭を幾嶋の逞しい脚に擦り寄せて自分の好意を示していた。
その子猫を抱き上げると幾嶋は、癒やされるなあと言って子猫のお腹に顔を擦りつけてフルフルと顔を動かした。
子猫は、何やら恥ずかしそうに余所を向いている。
「あれっ、この子は良い匂いがすると思ったらメスなんですね… あっ、こら!」
子猫は、突然暴れ出すと幾嶋の手を引っ掻いて地面に飛び降り、威嚇するように低い声で幾嶋に唸っていた。
「あれあれ、何で?」
突然の子猫の反抗に訳も判らず戸惑っている幾嶋に、石倉が揶揄するように声を掛けた。
「幾嶋さん、駄目ですよデリカシーの無い事を言っちゃ」
「ふむ、デリカシーが無いな君も」
追い打ちを掛けるように、アイザックも幾嶋に向かって、そう言った。
子猫の姿がバレリーの正体だと明かしたくない彼女の気持ちを考えると、これ以上の突っ込みも出来ず、話を変えるアイザックだった。
「ところで君は、まだ魔素と各器官を体に馴染ませるために起動後は48時間以上の安静が必要な筈なんだが、特に体に不調とか異常は感じないのかな?」
「そう言われてみれば、さっきから軽い目眩が…… 」
そこまで言って、唐突に幾嶋は地面に倒れ伏してしまった。
「幾嶋君!」
「幾嶋さん!」
心配そうに、アイザックを見上げて泣き叫ぶ子猫。
「一旦、彼を地下の実験室で安静にさせておく必要があるようだね」
地下まで二人で運ぼうと提案したアイザックの言葉に応えた若い石倉が、幾嶋を背負ってふらつく足取りでエレベーターへと運んでゆく。
先程まで幾嶋が寝ていたカプセルに再び彼を横たえると、装置をセットしてカプセルの蓋を閉じる。
その後二人と一匹は、脱出の為に新港市の空港へと急ぐことにした。