独立行政法人 魔導総合研究所
その日、独立行政法人 魔導総合研究所は朝から一際慌ただしくなっていた。
バレリーも父親と共に早朝から特別招集を掛けられて、彼女も一人で研究棟の隣にあるラウンジで待機をしていた。
一際外が騒がしくなり、様子を見に出てみると上空からVTOL(垂直離着陸機)が下りてくる処だった。
何人か見知った研究者たちが、それを出迎えているのが判る。
「バレリー、中に入っていなさい」
聞き覚えのある父親の声に振り返ると、父アイザックが疲れた顔で建物の入り口に立っていた。
「父さんどうしたの? 凄く疲れた顔してるわよ」
バレリーにそう言われた父親は、はっとしたように薄っすらと髭の浮いた顔に手を当てて、自分では見えない自らの顔を撫でてながら言った。
「今朝早くストックホルムが落ちたそうだ、我がノルウェーもそう長くは持たないだろう」
吐き出すような苦い口調で母国の危機を伝える父アイザックの言葉に、バレリーは小さく口を開けたまま両手で側頭部を包み込むようにして絶句する。
南欧は既に落ちて久しく、先日ベルリンが落ちたとの報を聞いて、半ばそれは予想していた事ではあったが、実際に耳にするとショックは大きかった。
帰るべき母国が存在しなくなるかもしれない恐怖は、いま此処に居る日本人にも迫っている現実でもあるのだが、彼らは最後まで諦めずに自分が出来る方法で戦おうとしていた。
きっと、母国の人達も最後まで諦めずに戦っているのだろう……
「父さん…… 」
暮らし慣れた母国に帰りたいという想いと、最も多感な3年間を過ごした日本という国を見捨てるような事は出来ないという、相反する想いが交互に押し寄せてくる。
圧倒的な力を持つ竜族と正面切って戦うには、どうしても父親の研究と技術が必要なのだという事は、バレリーにも解っている。
「心配無いよ、もう研究は完成しているんだ」
アイザックは、バレリーの葛藤を見通しているかのように、そう応えた。
「じゃあ、あとは実験体が手に入れば…… 」
そこまで言って、ハッと自らの浅ましい言葉の意味に気付き、黙り込むバレリー。
実験体という言葉は、自分自身の事をも表現する忌むべき言葉であった筈なのに、それを祖国に帰りたいからといって他人事のように口にしてしまう自分のエゴの醜さに、次の言葉を失ってしまったのだ。
魔素が溢れるこの世界であれば、特別に異形の姿を取らずに生きて行ける自分は魔族と呼ばれる存在とも異なり、そして勿論人間ですらない生き物なのだ。
それを敢えて表現するのなら、実験体という言葉が相応しい。
幸いにも自分を娘と呼んでくれるアイザックは、自分を本当の娘のように愛してくれているが、それは死んだ娘の身代わりでしかない事を、バレリーの優れた頭脳は幼い頃から知っていた。
アイザックは実の娘と言いながらも、強靱な生命力を持つバレリーに最新型の魔素転換器官や魔素生成器官を常に移植して量産前のテストをしてきていた。
今もまた、バレリーの体内には最新型の魔素生成器官が移植されたばかりで、まだその設計性能を発揮出来ていない。
様々な最新型の器官を植え付けられ調整を経て、今や不死身に近い生命力を持つバレリーだが、移植手術の際にはその強靱な生命力が徒となって切開すらも出来ないのだ。
そのために数日掛けて薬物投与を行い、強力な再生能力を一時的に落として手術は行われるのだが、一時的とは言え、人間並みの快復力に落とされ強い苦痛をも感じるようになっているバレリーにとっては、これが実に辛い時間であった。
現在体内に埋め込まれている新型の魔素生成器官は、ドラゴンスレイヤー計画で使われる予定の物のプロトタイプと言えるのだが、性能的には劣っている訳では無く、生体との適合を考えて手厚い生体保護機能が備わっている事が異なっている。
ドラゴンスレイヤー計画に使われる器官は、生身の体に埋め込むことを考慮していないために、更にシンプルで最大出力も出しやすい構造になっているのだ。
ドラゴンを倒すために存在させられる勇者とは、言わば自己修復能力を持った機械の体を持つ、強力なサイボーグ戦士の事なのだった。
魔族をも軽く凌駕する超人的な身体能力と、竜族にも匹敵するような強力な魔力機能をも備えた超人戦士を生み出す計画こそが、ドラゴンスレイヤー計画の本質であった。
人類そのものを地球の自然に仇なす寄生虫と評する、その人類によって造り出された筈の竜族に連敗続きの人類には、既にもう後が無い。
竜族が反乱を起こして、真っ先に襲撃したのが各国に点在する核関連施設と核を搭載した艦船であった。
既に人類には、第二次竜魔大戦を制した核の切り札は存在していなかった。
竜族にのみ選択的に効果を発揮するウィルスの製造は、研究者諸共各国の施設を軒並み破壊されて、完璧に頓挫している。
人類に残されている手段は、ドラゴンスレイヤー計画の他に2つあった。
一つは、どうせ人類が黙っていても竜族に滅ぼされるのならば、人類の絶滅をも覚悟で衛星軌道上に待機している火星帰りの宇宙船から、テラフォーミング弾を全弾打ち込んで竜族諸共死滅するという自殺プラン。
二つ目は第二のドラゴンスレイヤー計画とも言えるもので、現時点での勝利は諦める代わりに、将来の生き残った人類に賭けて遺伝子改造ウィルスを散布し、復讐のためにスーパーウィザードを人類の中から生み出す可能性に賭けるプランだ。
事実、それくらいしか選択肢が存在して程に人類は追い込まれているのだった。
つまり、このドラゴンスレイヤー計画が失敗に終われば、どのみち人類は竜族に負けて滅びるという事でもあるのだ。
「どちらにせよ人類は終わりだろう…… 祖国へ戻る特別便があると日本国臨時政府から連絡があったよ。 最後は故郷で過ごすことにしないか?」
そう問いかけて、バレリーに微笑みかけながら手を差し伸べるアイザック。
逡巡した後、その手を受け取り研究所の中へ戻って行く二人の後ろ姿が、人類の行く末を暗示しているようだった。
研究室へ通じるドアを閉める時に、アイザックがバレリーに言った。
「これから最後の大仕事を無事に終わらせないとね、荷造りはそれからでも間に合うだろう」
「父さん、私が必要なときは何時でも呼んでね」
先に荷造りを進めておくと暗に仄めかして、バレリーがアイザックの言葉に応えて言うと、彼女は別棟にある自分たちの部屋へと戻っていった。
自然を大切にする竜族は森を破壊しないという前提で、密かに造られたこの深い森の中にある研究所にも、ヒシヒシと竜族による包囲が迫ってきている事が感じられる昨今である。
それだけに故郷へ帰ろうというアイザックの言葉は、バレリーを素直に頷かせるに足りるものであった。
ただ一つだけ日本を去ることに心残りがあるのは、ようやく仲良く言葉を交わすようになった、幾嶋という若い警備兵が配置換えによって突然居なくなった事であった。
「ジョーに、さよならくらいは言いたかったな…… 」
両手を腰の後ろに回して組み、上向き加減に少し広い歩幅でゆっくりと歩きながら、バレリーが幾嶋の顔を思い浮かべてそう思った事は、誰も知らない。
バレリーとアイザックにあてがわれた部屋の中で、静寂を突き破るように、壁面に設置されたモニターからヒステリックな呼び出し音が繰り返し鳴りだした。
既に、大部分の荷物は大きな旅行鞄に整理されて部屋は綺麗に片付いていた。
窓の外を見れば、もう夕暮れが近い事が判る。
荷造りに追われて昼食を抜いていた事を思い出しながら、バレリーは手元のコントローラーを手に取り、通話スイッチを押した。
「父さん? うん… 荷造りは進んでるよ、うん… 判った、すぐ行くね」
頭の後ろで束ねていた長いプラチナブロンドの髪の毛を解くと、鏡に向かって少しだけ身だしなみを整えてドアへと向かうバレリー。
このタイミングで自分が呼ばれるというのは、魔力注入の必要があると言う事なのだろう。
そう考えたバレリーは、下腹部の仙骨神経叢に意識を集中させて周囲より取り込んだ濃密な魔素を練り込みながら、研究棟へと小走りに急いだ。
バレリーが生活棟から研究棟へと専用ゲートを抜けて入ると、見知った若手研究員が待っていた。
「石倉さん、わざわざお出迎えしてくれるなんて… どうしたの?」
バレリーが、そう問いかけるのも無理は無い。
父親の居る研究棟には、毎日通っているし案内が必要な理由も無いのだ。
「今日は、研究棟じゃなくて地下にある実験棟に来て欲しいんだ」
石倉という若手研究員は、いつものような軽口を叩くこともせずにバレリーを先導して、通路の奥にあるエレベーターに向かって歩き出した。
遅れまいと慌ててその後姿を追うバレリー、石倉の真剣な顔つきと普段立ち入ることの出来ない場所へと向かう事から、何かいつもと違うことが起きている事だけは理解が出来た。
石倉がエレベーター前を警護する兵士に首から提げたパスを見せると、エレベータ前のゲートに設置された識別装置にそれを翳す。
ピッという軽い音声が聞こえて、ゲート横の壁からのぞき窓のような物が飛び出してくる。
その窓を石倉が覗くと虹彩認証が行われて、漸くエレベータへと通じるゲートが開いた。
バレリーもそれに続いて同様のチェックを通過し、エレベータ前で待っている石倉に追いつくと、既に地下へと向かうエレベータは到着していた。
その開いたままの自動ドアの奥で、石倉が固い顔で彼女を待っていた。
普段は能弁で軽口の多い石倉という若い研究員が、ここまで押し黙っている事に違和感を感じたバレリーは、チラリと窺うように少し首を傾げながら石倉の顔を横から覗いてみた。
しかし、それに気付いた石倉はバレリーの視線から顔を少し逸らして、エレベータの階層表示を見ている振りをしていた。
「石倉さん、いったい何が…… 」
バレリーが石倉にそう問いかけ時にエレベータが目的の階層へと到着した加重の変化を感じて、つい次の言葉を飲み込んでしまう。
良い事では無いであろう事が充分に予想される話というものは、知りたいと思う好奇心の反面で、嫌なことは避けて通りたいという防御本能も働いてしまうものなのだ。
エレベータのドアが開き、先に通路へと出た石倉はバレリーが続いて出てくるのを確認すると、前を向いたまま彼女の顔を見ずに漸く重い口を開いた。
しかし、それはバレリーが一番聞きたかった、自分を地下の実験棟へと連れてきた理由では無かった。
「ここは、最地下にある動力炉の真上に設置された実験棟で、コールドスリープ装置の試作実験なども極秘で行われているエリアなんだ」
突然始まった石倉の実験棟に関する説明に、どうにも気持ちがついて行けず、前を歩いて行く石倉の後を追いかけて歩くだけのバレリー。
その説明の後に、自分が聞きたかった事を話してくれるのかと期待しながら、バレリーは石倉の後に続いて歩いて行く。
「第1から第16迄の各研究室で行われている研究成果を統合した最終調整と起動試験が、ここで朝から行われているんだ」
なるほど、それで父親がいつもの研究室ではなく地下の実験棟に居る理由がバレリーにも解った。
だが、それだけでは石倉の固い顔と寡黙な態度の理由を説明するには足りな過ぎる。
彼は、いったい何を自分に隠しているのだろう……
バレリーは、そう想った。