知的人造生物
幾嶋率いる小隊が、魔総研に初めてやってきた日。
中庭のチェックをしていた幾嶋に、声を掛けてきた少女が居た。
「こんにちは、お兄さんが今日から私たちを守ってくれる兵隊さんなの?」
その、見るからに日本人では無いと判る美少女は、輝くばかりに見事なプラチナブロンドの髪の毛を、爽やかな初夏の風に靡かせて立っていた。
両の手を後ろに回し、やや上体を前に倒すようにして幾嶋の顔を下から覗き込みながら、そう問いかけてきたのだ。
反射的に声を掛けられた方へ顔を向けた瞬間、迂闊にも幾嶋は少女の美しさに見とれてしまい、その涼やかな声の問いかけに返事をすることも忘れてしまう。
まだ、刺すような真夏のそれとは違い、柔らかな初夏の気持ちよい日の光を浴びて輝くプラチナの如き白く淡い金色の髪の毛。
それは、左右で色の異なる少女の大きな瞳と、やや薄い唇の赤い色を一際引き立てる小道具のようであった。
細いながらも力強いラインを描く金色の眉毛と、化粧をしているのかと思わせるほどにクッキリとして長いその睫は、髪の毛よりも少しだけ濃い金色だ。
その僅かな色の違いが、顔全体の印象を引き締める絶大な効果を発揮している。
北欧系の女性なのか、過度に深過ぎず高すぎない整った目鼻の陰影は物語に出てくる妖精のような印象を、ようやく23歳になったばかりの幾嶋に与えるのだった。
視線を少女の細く小さな顎に向けた時に、再び少女から声を掛けられて幾嶋は夢から覚めたように我に返った。
「ちょっと、人の顔を凝視しすぎなんじゃない?」
その少女の問い詰めるような言葉に、自分が今この瞬間に任務を忘れて何を考えていたのかを思いだし、恥ずかしさでカッと頬が火照るのを感じて更に狼狽える幾嶋であった。
「あ、いや、そのゴメン……」
とっさに言い訳の言葉も出ないほど、その少女は可憐で美しかった。
「あんまり綺麗なんで、つい見とれちゃって…本当に申し訳ない!」
つい、プライベートであれば何の問題無いが、任務中であれば隠しておくべき本音が口から出てしまい、先ほどよりも余計に自分の顔が真っ赤になっている事が自覚できてしまう。
「あ、いや、その違……」
益々、このバツの悪い状況から自分が抜け出せなくなっている事に今更ながら気づく、若き幾嶋曹長であった。
顔から火が出る思いで、つい反射的に逸らしていた視線をチラリと少女に戻せば、目の前の少女も透き通るように白い肌に朱が差すように赤い顔をしている。
彼女も、幾嶋の口から出た予想外の言葉が、いつも研究者たちから掛けられる冗談混じりの「かわいい」と言う、保護者視点のお世辞にも似た挨拶代わりの形容では無い事に戸惑っていた。
やがてそれが、目の前に居る初対面の若い男の口から唐突に出た本音である事を悟り、それに何と返してよいのか判らずに動揺していたのだった。
幾嶋はそんな彼女の初心な反応を見て、ようやく気を取り直すことが出来た。
初手は彼女のからかいにも似た言葉が図星だっただけに、意表を突かれて見事にやられてしまった。
しかし、無我夢中で振ったバットが偶然にもボールの真芯を捉えてしまったのにも似て、一気に彼我の形勢は逆転している事を幾嶋は悟っていた。
恐らくそんな、どストレートな答えがいきなり返ってくるとは彼女も思っていなかったのだろう。
それは、まだまだ彼女がこうした男女の言葉の遣り取りには場慣れしていない事を表している、微笑ましい反応だった。
実は、幾嶋は彼女のスペックを知っていた。
赴任するに当たり、研究所に居る全員についての報告書には当然目を通しているし、前任者からの引き継ぎでも書かれていた補足事項をも全て頭に入れている。
しかしながら自らの目で見た生身の彼女、バレリー・ハミルトンは想像以上に天使の如く美しい少女だったのだ。
詳細な写真データを含めた全ての事前情報を頭に入れていながらも、幾嶋はバレリー・ハミルトンと言う少女に見とれてしまったのである……
こんな娘が人造生命体だと言うのか……
幾嶋の頭を、そんな理不尽な現実を認めたくないという強い想いが過ぎってゆく。
彼女が人間では無いというだけで、これまでどれだけの差別を受けてきたのかを、生身の人間である幾嶋が想像する事は出来ない。
しかし、自分たちが魔族などに向ける視線を考えれば、大きく外してはいないであろう予想と言うものは出来る。
「初対面でそんな事言われたの、お兄さんが初めてだから驚いちゃったわ」
プラチナブロンドの細く長い髪の毛が似合う可憐な少女は、両の手を火照って赤くなった自分の左右の頬に押し当てて、その美しい顔を歪ませながらそう言った。
その、少し歪んでバランスが崩れているはずなのに、彼女から受ける美しいと言う印象は以前とまったく変わっていない。
むしろ、少しばかり完璧さが崩れる事によって愛嬌のある雰囲気すら醸し出しているのだから、少女の持つ美しさは造形の完璧さだけでは無く、まだ女性特有の狡さと言う物を身に付けていない性格の良さというものも後押しをしているのだろう。
そして自らが持つその最強の武器に対してまったく無自覚なその若さと無邪気さが、家族を全て竜族に殺され、その復讐への想いに身を焦がしてきた幾嶋にとっては、とても眩しくもあった。
「またまた~、いつも言われ慣れてるんじゃないの、そんだけ可愛いんだから」
自ら柄にも無いと思う程に、自分自身の晒した醜態に幾分開き直った幾嶋にとって、もうこの場に守るべき安物のプライドは無いのかもしれない。
何故か、普段なら初対面の女性に対して言えるはずもない、そんな軽口がすらすらと出てくる自分に内心驚きながらも、目の前の少女に関する報告書の内容を思い返していた。
目の前の彼女には、人型のクリーチャーに特有の一目で判る人間との違いと言う国際ルールで決められている特徴が、オッドアイである瞳の色以外には存在しないように見える。
これは例外的としても、有り得ない事であった。
彼女、バレリー・ハミルトンと言う少女型クリーチャーは量産品ではなく1点物の実験体として父親の居る研究室から出ない事を条件に、その人類型形態が特例として許可されていた特別な存在だったのだ。
彼女の姿は、父親であるアイザック・ハミルトン博士の愛娘であったバレリー・ハミルトンの肉体を元に造られていると報告書には書いてあった。
既に人間であるバレリー・ハミルトンは、この世に存在していない事も報告書に詳しく書いてある。
アイザック・ハミルトン博士もまた、家族を竜族による人間への攻撃によって失った幾嶋と同じ復讐者の一人であったのだ。
幾嶋は志願して国防軍に入り、自らの手で竜族に一矢報いようと足掻きながらもその願いを叶えられずに、魔総研の警護部隊に配属されていた。
アイザック・ハミルトン博士は『生体型魔素転換器官』の第一人者として、自らが開発した『自立型魔素生成器官』の改良によって竜族を倒す戦士を造り出す計画を聞きつけ、それに参画する事で竜族への復讐を遂げようとしていたのだった。
彼は、そのために人工筋肉や人工臓器の研究で先端を走る日本に3年前から、欧州連合から派遣される形でバレリーを伴って来日していたのだ。
バレリーの詳細なスペックについては欧州連合からアイザック・ハミルトン博士を派遣する条件としてその詳細が伏せられている為に判らないが、公開されている諸元から身長と体重、そして年齢以外には、強い魔力の持ち主であることは判明している。
生体への後付けとなる魔素生成器官は、その起動に一定量の魔力を必要とする生体器官である。
井戸の水を出すために、最初『呼び水』と呼ばれる少量の水が必要なように、器官の起動にも魔力が必要らしいと幾嶋はそれを解釈していた。
しかし、それが正しいのかどうかは門外漢の彼には解りようが無かったし、事実それだけがバレリーをこの研究に必要とする理由では無い。
魔素生成器官は、元々は人間の体に生まれつき備わっていた小さな器官であったらしい。
未分化で小さなそれが発見されたのは、魔力を僅かながらも発現した人間の微細な解剖結果からであった。
それは臍の下辺りに位置する仙骨神経叢から発見され、そこから発生した魔素が体を循環しながら肝臓付近に蓄積されることが判るまでに、多くの年月を要したのには理由がある。
それは魔素そのものの研究が進むのを待つ必要があった事とは別に、あまりに判別できるような魔素生成組織を持つ人体サンプルが少なかったからであった。
植物による大量の魔素生成から機械による魔素転換炉の開発と魔素に関する研究は進んで、世界は魔素で溢れるようになった。
しかし、人体と魔素の関係性は未だ未知の部分が多く、研究はあまり進んでいなかったのだ。
それは突然変異であるのか、元々人類が生まれ持って居たが退化した器官であるのかは不明だが、それを持っているだけで無条件に魔法が使えるようになる訳では無かった。
僅かでも確認できるサイズの魔素生成組織を生まれ持っていたとしても、それが自立的に魔素を継続して発生させる訳では無かったのである。
なんからの外的要因、心理的なショックによる特殊な体内物質の分泌であったり、外的な衝撃による体内物質の分泌であったりと、魔素生成組織を起動させるための外的要因となる物は様々であった。
唯一コントロールされた魔素と魔力を外部から与えることが、高確率で魔素生成器官を目覚めさせる事が出来ることが判るまでには、相当の時間が必要だった。
それが生体器官による魔素生成の仕組み解明が遅れた、大きな理由であった。
それらの問題が解明された現在では、ウィルス型ナノマシンの散布によって強制的に遺伝子を改造させる事により、高効率で高出力な魔素生成器官を持った人類を産み出す事も計画されていた。
その方法によって竜族に対抗しようとする研究も独立行政法人・魔導総合研究所では大詰めを迎えていたのだが、幾嶋はそれを知る立場にも無く、それを理解する専門知識も無かった。
しかしながら、彼が配属された独立行政法人・魔導総合研究所、通称「魔総研」とは、そういう施設なのだ。