幾嶋曹長
「今日はジョーさんを見かけなかったけど…」
バレリーが若い研究員に問いかける。
幾嶋謙という、独立行政法人・魔導総合研究所の警護を担当している若い陸軍下士官の事を、何気ない振りをしながら訊ねているのだ。
バレリーはこの幾嶋と言う若い陸軍から派遣されてきた警護担当の下士官の、譲という名前を別の読み方をして、ジョーと外国人風に呼んでいた。
「幾嶋さんの部隊は、今日全員呼び出しを喰らったらしいね」
「今日は別の部隊の人達が、警護を担当しているみたいだよ」
何処にでも情報通という者はいるもので、彼の行方を知っている研究員が、バレリーに答えた。
そんな噂話を切っ掛けに、ザワザワと雑談が始まってしまう。
みんなの関心事は、竜族に追い詰められている人類の行く末なのだ。
「人類も劣勢だからなぁ、知ってるか?壊滅寸前の某国が衛星軌道上からのテラフォーミング弾発射計画を発案して各国から止められているって噂」
「テラフォーミング弾って、威力がありすぎて3年前に火星を死の星にしたばかりじゃ無いかよ」
「そんなもん、撃たれたら大規模な地殻変動が起きて人類だって全滅しちゃうだろ」
「死なば諸共ってやつじゃないか?」
「あの国も、条約を無視して竜族を溜め込んでたから、自業自得じゃないか」
「違いない」
一人がテラフォーミング弾の話を持ち出したところで、それまで雑談に加わっていなかった者も次々と仕事の手を止めて、その雑談に参加してきた。
テラフォーミングとは通常、惑星改造に使われる技術であり、惑星の地殻変動をコントロールしながら誘発して、人が住める水や空気を産み出す技術の総称である。 しかし、まだこの時代では実験段階に過ぎない。
「そんな事をさせない為にも、俺たちの『ドラゴンスレイヤー計画』を一刻も早く実現させないとな!」
眼鏡の主任研究員がそう発言して、皆の雑談を終わらせた。
「我々の研究も、後は人体実験を残すのみなんですが、ここが一番の問題ですよね」
そう言って、厚い壁の向こう側を何か言いたそうに見つめる若い研究員。
その壁の向こう側には、何があると言うのだろう。
「なんだ、人類置換計画の進行が気になるか?」
主任研究員は、その視線に気付いて若手研究員に声を掛ける。
「はあ、即効性のある計画ではありませんが、人類全てに変異因子を直接植え付けるというのは、どうにも感情的に許せない部分がありまして……」
「あのチームはあそこなりに、今の竜族に対抗できない非力な人類側の戦況を打開したいと頑張っているんだ。 あれも一種のドラゴンスレイヤー計画ではあるのだよ」
主任研究員が諭すように、隣の部署の研究内容に反感を持つ若手研究員に言い聞かせている。
ドラゴンスレイヤー計画とは、ドラゴンを倒す不死身の勇者を、最新の魔導器官と生体工学を駆使して造り出そうという計画の総称である。
バレリーの居る第16研究室が担当しているのは、その中核を担う高効率な魔素転換器官と、高出力な魔素生成器官の開発であるのだ。
既にバレリーをプロトタイプとして開発された、新型ナノマシンによる高速な自己修復能力を持った強化人工筋肉や、損傷や薬物毒物などに侵されない内臓器官などの身体組織は出来上がっていた。
後は、上物に人の脳や生殖機能などの機械で置き換えられない部分を乗せて、実地テストを行うだけの段階まで来ているのだ。
しかし、その生きた献体の入手こそが、最大の難問となっていた。
魔族による第一次竜魔大戦を歴史として経験しているだけに、献体に魔族を使用して人体実験をすると言う事には反対も多い。
それは、魔族に強大な力を与える事になる事でもあるのだ。
かといって、生身の人間を実験材料とするには誰でも良い訳では無い。
死刑になるような重篤な犯罪者に、ドラゴンにも匹敵するような強大な力を与える事がどういう事なのかを考えれば、それが難しい事は誰にでも解る。
かと言って、正義感の強いまっとうな、ある意味では為政者にとって都合の良い一般人が、実験に進んで参加してくれかと言えば、そうそう居るわけが無いのである。
実験に参加すると言う事は、自分の体を捨てるという事に等しいのであるから、それは当然の事なのだ。
自分の存在を証明する物が、自分では見えない脳と、生殖器官を含む内蔵の一部だけであるということは、自己のアイデンティティを大きく損なう事になる。
つまり人体実験そのものが、被験者の精神崩壊にも繋がりかねない大きな事故要因ともなりかねないのだ。
類似の計画は世界各地で行われている。
魔素生成器官研究の第一人者であるアイザック・ハミルトンも、その共同研究のために欧州連合から派遣され、日本に来ているのであった。
隣の研究室で行われている、もう一つのドラゴンスレイヤー計画とは何か?
それは、常に勇者と対になる強力な魔法使いを産み出そうという研究である。
未だ体系化もされていない未分化な魔法と呼ばれる現象ではあるが、ドラゴンを相手にする場合は、相手の魔素転換器官によって周囲に存在する大量の魔素を吸収されてしまう事になる。
魔素を自己生成する力の弱い従来の魔法使いにとって、周囲の魔素濃度が下がる事は、使える魔力が極端に低下してしまう事を意味する。
それは対竜族の究極兵器としての魔法使いにとっては、致命的な弱点となり得る欠陥であるのだ。
魔素が薄い環境でも、自立して魔法を自在に打てる強力な魔素生成器官と、膨大な魔力を一定量溜め込める魔素蓄積器官を持つ事が出来れば、勇者と協力して必ずやドラゴンを倒してくれるだろう。
そんな期待を背負って研究を進めているのが、第17研究室である。
それが、別名を人類置換計画とも呼ばれる第二のドラゴンスレイヤー計画である。
そして、それは人類がドラゴンに破れた後の世に対する保険として進められていた。
その計画を判りやすく言えば、ドラゴンにも負けない究極の魔法使いを産み出す為の、強制的遺伝子書き換えウィルスの作成と、その散布計画の事である。
「確かに、うちがドラゴンに対抗できる勇者を造っていると言えるなら、向こうは勇者では無く、いつでも自在に強力な魔法が使える超強力な魔法使いを産み出そうとしていると言えますね」
「バル! 早速新しい魔力生成器官を起動させるために、ここへ魔力を注ぎ込んでくれるか?」
アイザックが、そんな研究員たちの戯れ言に耳を傾けているバレリーに向かって、合図を送る。
「うん、判った任せて」
バレリーは笑顔を見せると白衣の袖を腕をまくり、両手に魔力を集中させ始めた。
確かにバレリーは強力な魔力を使えるのだが、それは周囲に濃密な魔素があればこそである。
体内にある新型の魔素転換器官の効率はすこぶる良く、魔力の蓄積量も大きい。
しかし、最近彼女の胎内に埋め込まれた最新型の『魔素生成器官』は、まだ開発中のプロトタイプである為か、本来のスペックを発揮していない。
それは、魔素の濃い環境で暮らす内に設計スペックを満たすだろうと、そうアイザックに言われてはいるのだが、まだその気配は見えていなかった。
その頃、幾嶋は国防軍司令部に呼び出されていた。
「人型機甲部隊への編入ですか?」
唐突に呼び出され渡された命令書には、彼の部隊を新設されて間もない人型機甲部隊へ編入させる旨が書かれていた。
「君が以前から希望していた対ドラゴンの最前線に立てるのは、魔族か人型機甲部隊だけなんだよ」
中央に座っている司令官が、幾嶋にそう告げる。
「幾嶋曹長、家族を竜族に殺された君と、君と同様の恨みを竜族に抱いている君たちに復讐の機会を与えようというのだ、感謝して貰っても良いと思うがね」
司令官の右隣に座っている細身の士官が、命令書を受け取って素直に引き下がらない幾嶋に少しばかり苛立ったような表情で、そう告げた。
「君の意見は必要ない、これは命令書である。」
司令官の左隣に座っている、気の短そうな士官が幾嶋曹長に命令受諾の返事を促す。
軍に所属している以上、命令は絶対であり断ることは出来ない。
にも関わらず、幾嶋が命令を素直に受諾して帰れなかったのには理由があった。
「我々の部隊が、家族を竜族に殺された者達で構成されていたのは、そういう意味があったのでしょうか?」
自分は、もとより竜族と戦えるのであれば異論は無いし、その為の上申書も毎年提出をしていたのだから、この配属は喜ぶべき事である。
だが、上官として部下達を最前線に連れて行くことには、些か引っかかりがあった。
そして、本来は幾嶋の立場で考えてはいけない事ではあるが、この1年間の警護部隊としての配備で知り合い話すようになった、バレリー・ハミルトンという美しいプラチナブロンドの少女ともう会えなくなることも、実は本音で寂しいと思い心に引っかかっていたのだが、そんな事は言える訳も無い。
幾嶋の部隊は、本来は士官であるべき隊長が居ない状態が長く続いていて、前線に立たない警護部隊である事を理由に、曹長である下士官の幾嶋が小隊長を代行していた。
彼の部隊には、確かに竜族に強い恨みを抱く者が集められていた。
それは、多くの人が被害を受けて人類滅亡が真しやかに囁かれている戦況では、珍しくも無い事であると思っていた。
そかし、どうやら士官の話を聞く限りではそうでは無いようだ。
部下には戦闘経験の浅い者も多く、人型機甲部隊へ編入と言っても、それは悪戯に未熟な者が最前線に出て死にに行くようなものでもあるのだ。
幾嶋は司令部の突然の命令に戸惑いを覚えていたが、軍に所属する以上命令は絶対である。
それだけに、本来であれば躊躇すること自体が処罰の対象となってしまう事も承知していた。
「申し訳ありません、本日をもちまして幾嶋謙始め12名は、第72・人型機甲化部隊への編入を拝命致します」
先程口から出かけた、司令部への疑問を引っ込めて深く頭を下げる。
そのまま命令書を脇に抱えて司令官室から退室しようとする幾嶋へ向かって、副司令から声が掛けられた。
「幾嶋曹長、明後日付けで君と君の部下達には特別に二階級の特進が為されることに決定している、指令書は別途部隊に届けさせよう」
参謀が、幾嶋にそう告げた。
「光栄です、ありがとうございます!」
(戦士でもないのに二階級特進とは、うちも追い詰められているんだろうな)
幾嶋は敬礼をして、司令官室から出て行った。
「確かに、彼は実直そうな男だな」
司令官がテーブルに肘をつき両手を顎の下で組みながら、そう言った。
「彼は身体能力も高く、今回の作戦に適役かと思われます」
参謀が、そう補足すると副司令が目で参謀に合図をして黙って頷いた。
そこへ、突然ドアが激しくノックされる。
「入れ!」
副司令官が応えると同時にドアが開けられ、伝令が飛び込んでくる。
「緊急連絡であります。1437時、東京が陥落しました」
思わず、顔を見合わせる司令官と副司令そして参謀の三名。
最大兵力を投入していた東京が落ちたとあれば、あとは一気に戦線が崩壊する事も予想されるだけに、東の守りである東京が落ちたのは痛かった。
「ロンギヌスの槍は、効果があったと聞いたが?」
副司令が、頭に浮かんだ疑問を口にする。
「あれは、衛星に搭載されている数にも限りがありますから……」
つまりは、数で押されたという事に他ならない。
本当に、この100年余りの期間で軍拡競争のように竜族の数を各国で競って増やし過ぎた事が今となっては実に悔やまれる。
まさか竜族が、突然変異で精神感応を使えるようになっていたとは、人類の側では誰も予想をしていなかったのだ。
そして、それを使って世界中の竜種と示し合わせて反乱の機会を窺っていたなどとは、造物主の座に胡座を掻いていた人類の誰もが思っても居なかった事であった。
富士の樹海に設置されたこの司令部から、壊滅したという東京都心までは、約170kmである。
東の前線は多摩川まで下がったという報告を聞いて、いずれ来る竜族の襲来を予想したのか、重苦しい沈黙に耐えかねたのか、焦ったように参謀が口を開いた。
「いよいよもって、ドラゴンスレイヤー計画の発動は待ったなしの状況に追い込まれたと言わざるを得ません」
「司令、もう、一刻の猶予もありません」
副司令が、総司令官の決断を促すようにそう言って口を閉じた。