人喰い狩りのファルマ
カウンターとなるタイミングでカグラにクリーンヒットした幾嶋の膝蹴りだったが、その感触に僅かな違和感を感じていた。
感じていた違和感の正体は、膝蹴りの衝撃が突き抜ける前に後ろへ跳ばれたからだろう。
案の定、壁に激突して大きな窪みを造った黒影の男は、むくりと上半身を起こして、自分の胸当てを確認していた。
人間相手だからとフルパワー全開の蹴りでは無かったが、それでも充分に人を殺せるだけの蹴りだっただけに、起き上がってくる相手の素性が気になる。
「お前がA2ランクの、元冒険者って奴の1人か?」
ゆっくりと男に歩み寄りながらも、静かな口調でそう問いかける。
大剣を右手だけで握り、床に引きずったまま、黒影の男に近付いた。
決して狭い廊下では無いが、それでも大剣を振り回すには、いささか狭い。
「カグラ! 引いてろ!」
彼我の距離を三分の一程に詰めたところで、フルプレートを身に付けた男が地下室への入り口から、そんな事を叫びながら飛び出して来た。
その男は、五角形を少し縦に引き延ばして逆さにしたような形状の盾を前に構えて、黒影の男の前に立ち塞がった。
フルプレートの男から僅かに遅れて、全身黒マントで長身の男が飛び出してくる。
その男がロッドを振るうと、中空から突如出現した1本の大きな氷の槍が幾嶋へと射出された。
大剣を構えて、氷の槍への迎撃姿勢をとる。
その隙に、盾の男が一瞬で5m程の間合いを詰めて来た。
その動きは氷の槍の移動速度よりも数段速く、人間業とは思えない速さだった。
しかし幾嶋は、むしろ氷の槍の射出速度をわざと遅くしているのだと気付く。
盾を構えたままの強烈な体当たりを喰らわせ、幾嶋が姿勢を崩した処へ氷の槍を直撃させようという腹づもりなのだろう。
とっさに体を低くして前傾姿勢になり、盾に肩からぶち当たる体勢を作った。
こうすれば盾の死角に入り込んで、氷の槍を躱すことが出来る。
その上、突っ込んでくる盾の男を逆に吹っ飛ばす事だって可能だ。
ところが、盾の下にある死角から、黒い陰が飛び出してくるのが見えた。
先ほどと同じように、鎧の隙間を狙って差し込まれてくる小剣の切っ先が、姿勢を低くした幾嶋の胸部装甲に迫る。
「くっ!」
咄嗟に体を右に捻って、それをかわした。
間髪入れずに、崩れた体勢に向かって盾が直撃する。
前傾姿勢を崩された処への直撃だっただけに、肉体的なダメージは無いに等しいが、バランスを崩された。
思わず足を踏ん張って耐えようとするが、その足元が頼りなくズルリと滑る。
いつの間にか氷の槍は消えていて、幾嶋の足下には大きな水たまりが出来ていた。
その大量の水が、幾嶋の左足にまるで大蛇のように絡みつく。
それとほぼ同時に、大量の水は瞬間凍結して大きな氷の塊になり、幾嶋の左足を床に張り付けた。
幾嶋は強引に脚力だけで氷をバラバラに破壊する。
そして、すぐさま後ろに跳び下がった。
幾嶋が床に固定されて居たはずの空間に、僅かに遅れて黒影の男の双剣が突き抜ける。
「まさか、あれを避けるのか!」
「あり得ん、俺の氷結を脚力だけで砕くなどと…… あり得ん」
「なんだ、こいつは?」
黒影のカグラは双剣を胸の前で交差させた姿勢のまま、呆然と幾嶋を見ていた。
サイマンも、得意の決まり手を簡単に破壊された事が信じられないような、なんとも間抜けな顔をしている。
独りイカヅチだけは、油断無く右手の剣に周囲の魔素を集中させていた。
魔素の空間密度が僅かに下がっているのが、幾嶋の目にはハッキリと見えている。
次の攻撃の起点は、おそらく盾の男なのだろう。
「見事な連携だな」
幾嶋は素直に、感じた事を言葉にした。
「くっ! ずいぶんと余裕だな」
それを上から目線の侮辱と勘違いしたイカヅチが、瞬時に距離を詰める。
今度は先ほどのように盾からではなく、放電を纏わせた片手剣を上からブン!と振り下ろした。
それを一歩も引かず、大剣の腹で真っ向から受け止める幾嶋。
硬い金属同士がぶつかり合う、高い音が廊下に響き渡る。
続けてイカヅチはそれを予想していたかのように、左手に持った盾の角を使った強烈な一撃を、幾嶋の頭に向けて振るった。
それを冷静に大剣の柄で受け止める。
幾嶋の体勢は、微動だにしない。
しかし、幾嶋の視界を盾が塞ぐ形になった。
次の攻撃は、魔法か、双剣か?
そう思った時、イカヅチの背後に渦を巻いた水流がチラリと見えた。
幾嶋の前で視界を塞いでいる盾は、サイマンに魔法を完成させるための目くらましだったのか?!。
盾の上から垣間見えた渦を巻く水流は、あたかも大蛇のようにうねうねと身をよじっている。
だが、それも目くらましだと幾嶋は判断した。
本当にそれが切り札ならば、この盾の男がそれを幾嶋に見せる訳が無い。
ギン!と金属同士が擦れ合う嫌な音を立てて、突如イカヅチの剣圧が幾嶋の左に受け流された。
そのまま体を右に捻ってイカヅチと体を入れ換える。
支えを失い半歩バランスを崩したイカヅチの左脇腹に、体を捻った動きに連動させて右の前蹴りを突き出すように放った。
それは突き抜くというよりも、一旦敵との距離を取るための押し返す蹴り。
それでも幾嶋が放てば、出会い頭に自動車事故に遭ったかのような激しい衝撃になる。
ドシャッ!という湿った音と共に、イカヅチが後方へと吹っ飛ぶ。
その体は、廊下への入り口付近の壁に激突した。
ドン!という激しい衝撃音を伴って、壁が割れて大きな窪みが出来る。
バラバラと、崩れかけた天井から構造材が落ちてきた。
(不味いな、屋敷が壊れそうで威力のある攻撃がしづらい)
この状態で威力のある攻撃を仕掛けてしまえば、屋敷が崩壊しそうだった。
すでに屋敷は、その構造体の大半を幾嶋の初撃によって失っている。
2階から上の全重量を支えている壁が1つでも壊れてしまえば、辛うじてきわどいバランスで耐えている建物が、それを切っ掛けに全壊しかねないだろう。
そうなれば地下にいるはずのエステルたちも、無事では済まない。
一撃で敵を葬ることが出来る大剣を振り回せば、さして広くない廊下の壁を壊さないという保障は無い。
自身の破壊力が高すぎるが故に、幾嶋は選択出来る攻撃手段が限られてしまっていた。
イカヅチを蹴り飛ばした幾嶋に、天井から渦を巻いた水流が落下してくる。
(何故双剣の男が仕掛けてこない!?)
そう考えながらも、左手を振り上げて手の平を水流に向けた。
何にしても、この水流の直撃を、まともに建物に伝える訳には行かないのだ。
幾嶋は竜族のブレスをも防いだ防御フィールドを左手に発動させる。
そして、それを超高速で微細振動させた。
僅かに遅れて、水流が防御フィールドを直撃する。
しかしその大量の水は、防御フィールドに当たるそばから大量の濃霧と化して床へと流れ落ちた。
「貴様! 俺の水流弾に何をした?」
本来であれば幾嶋を巻き込んで押し流すはずの水流が、瞬時に濃霧と化したのだから、サイマンとしても信じられないのだろう。
「貴様、Sランクの刺客か? SとA上位の間には、それほどの力量差は無いと思っていたが、流石に選ばれし者は違うな」
サイマンが、それなら納得も出来ると言いたいのか、そう決めつけてきた。
幾嶋が今日初めてC1ランクになったばかりの初級冒険者でしか無いと知ったら、サイマンはどんな顔をするのだろうか。
幾嶋に話しかけながらも、チラリと地下室の方へ目をやるサイマンの顔に違和感を感じる。
その顔が、勝ちを確信したかのようにニヤリと笑ったように見えた。
元から、サイマンは幾嶋の返事を期待していた訳では無いようだ。
「これで、俺たちの勝ちだ。 カグラ! 出て来い」
サイマンが地下室へと向かって呼び掛けた。
(しまった!)
双剣使いが仕掛けて来なかった理由を思い当たり、幾嶋が歯噛みをする番だった。
地下室へと繋がる扉から出てきたのは、小柄なエステルを人質に取ったカグラと、ルーベルを引きずるようにして人質にしたマーテルだった。
3人ともが、勝ち誇ったような顔をしている。
「貴様ら、エステルに何をした!」
ぐったりとして意識の無いエステルを目の当たりにして、幾嶋が叫んだ。
特に怪我をしてはいないようだが、地下で何があったのかを、幾嶋は音声でしか知らない。
ルーベルは、マーテルに触られたくないのか、しきりに抵抗をしていた。
「おっと、下手に動くとこの娘が死ぬぞ」
エステルの喉元に小剣を突きつけて、カグラが言う。
ルーベルはマーテルにナイフを突きつけられて、先程よりも大人しくなっていた。
「その子たちに手を出すな!」
幾嶋が返す言葉を聞いて、カグラとサイマンが顔を見合わせてニヤリと笑う。
人質の有効性を確信した笑いだった。
マーテルも己の優位を確信したのか、カグラとサイマンに下卑た笑いを見せる。
「イカヅチ、今だ! 今ならこいつは手を出せない!」
サイマンが幾嶋に向けた目を油断無く逸らさず、その後方へと声を掛ける。
しかし、期待した返事は帰って来なかった。
訝しげに、幾嶋の後ろへと視線を動かした三人の表情が、信じられないものを見たと言う驚きに変わる。
しかし、そんな罠に引っかかるものかと、幾嶋はサイマンたちから視線を外さないでいた。
本気になれば、一瞬でこいつらを3人まとめて肉塊に変える自信はある。
それでも、絶対にエステルとルーベルが巻き添えにならないという保障は無いのだ。
相手は並の人間では無く、人の枠を超えた能力を持つ元A2ランクの冒険者なのだから……
「甘いな!」
突然、後ろから聞き覚えのある声がした。
視線をサイマンたちから外さずに、後方をサーチする。
イカヅチが激突したと思われた場所の対人反応が、一人だけにしては大きかった。
つまり、そこに居るのは1人では無いという事になる。
「その声は、ファルマ!?」
後ろに居る人物の正体を思い当たり、何故ここに?と言う訝しい想いのまま、廊下の中央部から右横に摺り足で移動する。
幾嶋は右奥に居るサイマンたちと、左後方にいるファルマが同時に視界に入るように、廊下の壁を背にして立った。
ファルマは見覚えのある無骨な太刀を右手に握り、イカヅチの喉元に切っ先を突きつけていた。
イカヅチは蹴られた腹に右手を当てたままで、眼前に突きつけられた太刀の切っ先から目が離せないようだ。
ファルマの視線はイカヅチでは無く、幾嶋とサイマンたちに向けられている。
しかし、イカヅチはファルマの威圧に当てられたのか、切っ先を見つめたまま瞬きすら出来ないようだった。
「だ、誰だお前は! この人質が見えないのか!」
小柄なエステルを抱き上げて、喉元に小剣を突きつけるカグラ。
それを見て、真似をするようにルーベルにナイフを突きつけたのはマーテルだった。
サイマンは必死で状況分析をしようとしているのか、油断無く幾嶋とファルマ、そしてイカヅチに視線を動かしている。
カグラの脅しに、ファルマが馬鹿にしたような口調で応えた。
「俺は、人喰い狩りのファルマ!」
お前は誰だと問われてファルマは、短くその呼び名だけを口にした。
「ひっ! 人喰い狩り!?」
尻餅をついていたイカヅチが、反射的に後ろへ逃れようと動く。
視線はカグラの方を向いていると言うのに、ファルマの太刀が正確にイカヅチ喉元を追って動いた。
流石にイカヅチも、それ以上は動けない。
スッと、ファルマが後ろ足を寄せてイカヅチの方へと寄った。
すぐに先ほど迄の間合いに戻るが、その間ファルマには一寸の隙も無い。
「ひ、人喰い狩りだと?!」
「まさか、本当に居たとは…… 」
カグラとサイマンが同時に口を開いた。
二人の表情には、恐ろしい獣と山中で突然遭遇した旅人のように、恐怖と困惑と焦りが入り交じっている。
「お、おい、あいつの言ってる『人喰い狩り』ってのは、どういう意味なんだ?
突然の闖入者に優位を崩されて、マーテルは戸惑いを隠せないままサイマンに訊ねる。
しかし、サイマンもカグラも黙って答えない。
マーテルにしてみれば、人質をとっている自分たちの方が、圧倒的に有利なはずなのだ。
しかも、相手が二人になったとしても、こちらはA2ランクの元冒険者が3人である。
当然マーテルが数える戦闘員の数に、自分は入っていない。
「おぬしら!ギルドの記録を見ると、短期間にレベルを大きく上げているが、ずいぶんと同胞を喰ったようだな」
そう言われても、サイマンたちは誰一人としてファルマの言葉を否定しようとしなかった。
重苦しい沈黙が、狭い空間を支配する。
ファルマの発言に着いて行けないマーテルが、再びサイマンとカグラに訊ねた。
「こいつは、いったい何を言ってるんだ? それにお前たち、さっきから何を黙って居るんだ!」
幾嶋は突如現れたファルマと、そして一気に変化した戦況の推移を黙って見守っている。
一瞬でも隙が出来たら、エステルとルーベルを救出に動こうとしていたのだ。
しかし、ファルマが自分の味方である保障は、まだ何も無い。
それだけに先ほどまでの状況よりも、ファルマが現れてからの方が迂闊に動けなくなっていた。
それに、ファルマが言っていた『人喰い』とか『同胞を喰った』とは、どういう意味なのか、それについての興味が無かった訳でもない。
マーテルの問いかけに答えた訳では無いだろうが、ファルマが重苦しい沈黙を破るように口を開いた。
「自分より強い敵を倒し続ければ、人はやがて人の枠を超えるほどに強くもなれる。 それをこいつらは、自分よりも強い同胞を騙し討ちにしてレベルアップの糧にしていたのだ」
驚愕の表情でカグラとサイマンを見上げるマーテル。
無意識に、半歩距離を開けた。
マーテルだとて、違う意味で人の生き血を吸って肥え太ってきたのであろうに、身勝手なものである。
更に、ファルマは続ける。
「そういう奴らを冒険者ギルドの隠語では、古代語を使って『ピーケー』と呼び蔑む。 そして、それを始末する者を同じく『ピーケーケー』と呼ぶのだ」
『ピーケー』と口語で聞いても、幾嶋には何の事かわからなかった。
しかし、『ピーケーケー』と組み合わせることで、1つのネットワークゲーム用語が頭に浮かぶ。
恐らく、『ピーケー』とはPKの事でプレイヤーキラーを指し、冒険者を殺して楽に経験値や財産を稼ごうとする奴らの事。
そして、『ピーケーケー』とはPKKであり、それはプレイヤーキラー・キラー、つまりPKをする者を狙って殺す冒険者の事では無いだろうかと、そう思いついたのだ。
「その行為は『同胞殺し』『共食い』と呼ばれ、それを行う者は仲間内から『人喰い』と呼ばれ忌み嫌われる。 そして、その行為が発覚した者は冒険者ギルドに名前を赤文字で書き出されて、その首に賞金が掛けられる」
「赤文字…… なるほど『レッドネーム』か」
思った以上に幾嶋の知っているネットワークRPGとファルマの言葉に類似性がある事に驚く。
幾嶋の知っているネットワークRPG、その中でもPKを行う者はシステムによって名前が赤く表示される。
それが、PKの別名をレッドネームと呼ぶ理由だった。
「故に、人喰いを狩る指名クエストを受任した俺は、Sランクのファルマ! 同胞喰らい共め、覚悟するが良い」
「まさか、本当に『人喰い狩り』が居るなんて…… 」
カグラはファルマから視線を外して、思わずサイマンの方を見た。
それはまるで、どうしたものかとサイマンに判断を仰いでいるかのようだった。
マーテルも、予想外のトラブルに巻き込まれたことが解ったのか、サイマンの方へ視線を移動させる。
その瞬間を逃さず幾嶋の体がぶれて見えた。
幾嶋の姿は残像を残して、その場から消える。
次の瞬間に幾嶋は、エステルとルーベルの前に立っていた。
同時に、彼女達に突きつけられていた小剣とナイフを持つ腕を、その右手と左手で掴み、グシャッと筋肉ごと骨を粉々に握りつぶす。
マーテルとカグラが悲鳴をあげる前に、サイマンに右の横蹴りを喰らわした。
腹にめり込む蹴りの反動を利用して、左手でマーテルをファルマの方へと投げ飛ばし、次に右手でカグラも同じように引き抜いて投げ飛ばす。
あまりの早業に、2人が激痛に耐えかねて絶叫を口にしたのは、宙を飛んでいる時だった。
2人の右腕が、肩の付け根から折れ曲がっているのが見えたが、そんな事は気する事では無い。
支えを失って、その場に崩れ落ちるエステルとルーベル。
すぐに、2人を左右の腕で抱き留めた。
廊下の突き当たりの右角で、蹴られた横腹を庇って血反吐を吐き、のたうち回っているサイマンを一瞥する幾嶋の目は冷たい。
100%の本気では無いにしても、常人であれば内臓破裂で即死級の蹴りをもらっているのだ。
それでもまだ生きて苦しんでいると言う事が、掟破りの人喰いで人の枠を超えてしまった事への、当然の報いでもあるのだろう。
「良いって言うまで、目を瞑って耳を塞いでくれるかな?」
幾嶋は、エステルとルーベルに優しい声でそう話しかけながら、2人を床に降ろした。
そして2人を縛っていたロープを、ティッシュペーパーを引き裂くように、軽々と引き千切る。
2人は理由も判らずに、言われたままギュッと目を閉じる。
そして、自由になった両手で耳を塞いだ。
ゴキリ!という音がして、のたうち回っているサイマンの頸椎が砕けて折れる。
幾嶋が右足を踏み降ろして、止めを刺したのだった。
ファルマはどうしたのかと、あらためて視線を廊下の入り口へと移す。
ちょうど太刀をブン!と振って、ファルマは仏頂面で血糊を払っていた。
その足下に転がる死体は3つ。
床一面に広がる血だまりが、すべてが終わったことを物語っていた。
幾嶋がニーリーの家を飛び立ってから、まだ15分も経過していない。
ルシアが隊を率いてやってきたのは、それからすぐの事だった。




