Cランク冒険者のイクシマ
幾嶋の持つ大剣の威圧感に気圧されて、無意識に半歩下がる五人の男達。
しかし、すぐに彼我の人数差に気付くと、それぞれが自分の武器を抜いて身構えた。
彼らは人数の差を戦力の差だと勘違いしているが、ドラゴンスレイヤーの能力を持つ幾嶋を相手にするのであれば、それは単なる人数差でしかないし、何人いたとしても誤差に過ぎない。
その力を振るう相手が雑魚というのは、何とも無駄な力の浪費でしかないが、放っておけば奴らに人知れず葬られる初心者が、今後も出る事は間違いが無い。
奴らを裁く者が居ないような不幸な世界であるのなら、明確な記憶が戻った訳では無いが、かつての自分が何としても守ろうと誓った世界と人々の代わりに、この世界で誠実に暮らす人々を守れる存在になろうと幾嶋は思っていた。
目覚めた時にかつての大敵であった竜族は、既に世界を脅かす脅威ではなくなっていた。
人々が低い文明レベルながら必死で暮らしている世界を見て、幾嶋は自分に与えられた力を、何のために生かしたら良いのかと悩んでいたのだ。
自分に与えられた力は何のためにあるのか、その力で何をしたら良いのか、その理由を幾嶋はずっと探していた。
ラミレスに請われるまま護衛を引き受けたのも、それが理由だった。
クレイワームを撃ち殺したのは咄嗟の判断だったが、畑のモールを大量殲滅したのは同じ理由である。
ジーナに誘われるまま冒険者になる事を決めたのも、それが誰かの役に立つのでは無いかと考えたからなのだ。
この世界の人々と比べれば、自分の力はチートと言われても仕方のない、圧倒的なものある。
そんな自分にとって、その力を振るう目的や意義を見出せない現状というのは、自分の存在意義をも見失いかねない、とても重大な問題なのだ。
普通の人間では無くなった自分の体も、それが憎い竜族を倒すためであれば受け入れる事も出来る。
しかし、その重要な目的を見失ってしまえば、自分が人では無くなってしまったのだという重い事実しか、後には残らない。
幾嶋は決めた。
例えそれが一方的で歪んだ正義感だとしても、この世の中で平和に暮らしたいと願う人々の生活を脅かし、不幸を撒き散らす存在を抹殺することが自分の役割なのだと、そう決めたのだった。
そう考えれば、冒険者という身分は実に都合が良い。
何処の国へ行くのにも不便は無いし、今後は身分の無い不審者として後ろ指を指されることも無いのだ。
そして、人々を苦しめている存在を排除し助けることで自分の生活も成り立つのだから、自己の存在意義も見出す事ができる。
この時ようやく、竜族への復讐の為に自己主張を押し殺してきた軍人幾嶋曹長の殻が破れ、彼は元の人間臭い幾嶋譲へと解放された。
いつまでも優等生ぶった軍人である必要は、何処にも無かったのだ。
幾嶋の発する雰囲気がガラリと変わる。
どうすれば人が死ぬのかという事に関して、幾嶋はプロである。
覚悟を決めてさえしまえば、それは幸か不幸か判らないが、目の前の男達を殺す事への精神的な葛藤は無かった。
幾嶋の体から、竜族を相手にした時ほどでは無いが、僅かに殺気が迸る。
「な!? …… 」
「馬鹿な……!」
「な、なんだ! こ、このプレッシャーは、こいつなのか?」
「おい、どう見ても初心者の出せる威圧じゃ無いぞ! これは俺たちを嵌める罠じゃないのか?」
「何処が初心者なんだ! こいつは只者じゃ無いぞ!」
武器を構えながらも大いに狼狽えて、互いの顔を見合わせる男達。
お前が先に仕掛けろ、いやお前が行けと、それぞれが目で仲間に合図をしていた。
てっきり怯えて命乞いをしてくると思っていた幾嶋から、予想外の威圧を受けて混乱をしている事は、間違いが無かった。
子犬だと思って侮っていたら、それが成獣の狼だったような物だろう。
元より、それが狼であると判っていたのなら、初めから手を出すはずが無い卑怯者揃いなのだ。
それでも、尻尾を巻いて逃げないだけのプライドはあったようだ。
狼狽えては居るが、まだ逃げ出す者は居ない。
しかしそれすらも、彼らが戦力差を理解できない無能集団である証拠でしかない。
どのみち遅かれ早かれ幾嶋が手を出さずとも、彼らが自分たちの判断ミスで壊滅するのは時間の問題だったようである。
「いつまでも隠れていないで、そろそろ出てきたらどうだ!」
幾嶋は狼狽えている五人の男たちを無視して、その背後の林に向かって声を掛けた。
そう、『この世界のルールに則って、お前たちは俺が裁く』と、幾嶋は目の前の五人と、その背後に潜んでいる何者かに向かって言ったのだった。
ガサリと足下の草を踏みしめる音がして、一人の男が林の間から姿を現した。
その男は、片刃の太刀を左の腰に下げ、黒っぽい布地に余裕のある衣装と、グレーに塗装された金属製の防具を身に着けている。
「気配は断っていたつもりだったが…… イクシマ、おぬし只の初心者では無いようだな」
その男の声を聞いて、五人の冒険者たちが驚いたように一斉に振り向いた。
五人が、まったくその存在に気付いていなかったのは間違いが無い。
つまり、その男は彼らの仲間では無いのだ。
では、いったい何者なのだろうか?
「ふぁ、ファルマ! な、何でこんな場所にぃぃぃ!」
半ば悲鳴混じりに、その男の名をリーダー格の男が叫ぶ。
「な、何でSランクのファルマが俺たちを…… 」
「ああ、終わりだ、もう終わりだ…… 」
その様子を見て、幾嶋も抜いた大剣の構えを解く。
「あなたは、ホムラの昔馴染みと言っていたファルマさんですよね」
「うむ、もはや現役では無いとは言え、あのホムラを軽々と吹っ飛ばした男の仕事を見てみたくてな、悪いが後をつけさせてもらった。 許せ」
その男は、冒険者ギルドの中庭を兼ねた修練場で、幾嶋が吹っ飛ばした教官のホムラを受け止めた、ファルマというSランクの冒険者だった。
その風体も容貌も、いかにも武芸者であるという雰囲気を醸し出している。
五人の不良冒険者たちは退路をファルマに阻まれ、逃げることもできずに頭を抱えて座り込んでいた。
口々に、『もう終わりだ』と呟いている。
恐らく、仲間殺しの事実を知られてしまえば、この場で殺されるか、あるいは冒険者ギルドからのお尋ね者になるかしか道が無い事を悟ったのであろう。
「仕事と言っても、薬草採取の何処に見るべき仕事ぶりがあるのか、逆に聞きたいな」
本来であれば雲の上の存在でもあるSランク冒険者のファルマに向かって、不遜にもDランク冒険者の幾嶋が不満そうに問いかけた。
それを聞いて、ファルマが楽しそうに笑う。
「実はな、どれ程の者か手合わせをしようと思っていたのだ。 ところが、こ奴らが三人を隠したままで何かを持ちかけているではないか。 おぬしが仲間になるのか、それとも騙されて殺される程度の者なのか、まあ様子見をさせてもらっていたのだよ」
「それで、仲間になっていたらどうしたんですか?」
そんな話を持ちかけれていた訳では無いが、一応聞いてみる。
「うむ、仲間殺しの片棒を担ぐ輩ならば、この場で全員を切る!」
さして強がりもせず、そう断言してニヤリと笑うファルマ。
「俺が、こいつらを返り討ちにしたら、どうする気だったんだ?」
幾嶋の目が、スッと細くなる。
ファルマは、それを気にせず楽しそうに答えた。
「その時は、おぬしと手合わせをする」
ファルマは悪びれずに、そう答えた。
その発言に、何の迷いも無いようだった。
こいつはイカレたバトルジャンキーなのかと、幾嶋はいささか呆れて天を仰ぐ。
「じゃあ、俺が殺されたらどうする気だったんだ?」
「その時は、こ奴らを冒険者殺しの現行犯として切る! それだけの事だ」
「どっちにしても、俺たちは切られるんじゃねーかよ!」
五人のリーダー格が、そう叫んで立ち上がる。
その刹那、男の首がゴトリと地面に落ちて、首の断面から真っ赤な血が噴き出した。
そして、大きな体がドサリと崩れ落ちる。
ファルマの剣が抜かれたのは、幾嶋以外には誰も見えていなかった。
しかも、太刀が届く間合いでは無い。
それを見て、たちまちパニックになる四人の男たち。
統制もなく、恥も外聞も無く我先にと、醜く足掻いて逃げ出そうとしている。
ツツっとファルマが僅かに動くと、一気に三人の胴がスッパリと切断されて、地面に生々しくピンク色をした内蔵をぶちまけた。
「ひいぃぃぃぃぃ! 」
残る一人、幾嶋に声を掛けてきた男が尻餅をついたまま、必死で後ずさる。
恐怖の余り失禁をしてしまったのか、衣服の股間は不自然に色が変わり、少し遅れて異臭が僅かにした。
「た、たたたたた、助けてくれ! ままま、まだ死にたくないぃぃぃぃぃ」
拝むように顔の前で手を合わせて、ファルマに頼み込む最後の一人。
発する言葉の最後の方は悲鳴のように甲高くなって、どうにも耳障りな騒音にしか聞こえない。
「お前達は、そうやって命乞いをした冒険者を助けてやったのか?」
ファルマは、太刀の切っ先を男の鼻先に突きつけたまま、そう問いかけた。
男は、一瞬答えに躊躇したが、すぐさま答える。
「助けた助けた助けた、助けたさ、ああ、助けたんだ、だから助けてくれぇぇぇ!」
どう聞いても自分が助かりたいあまりに、嘘を言っている事は明白だった。
しかし、ファルマはそれを聞くと、僅かに頷いて太刀の切っ先を下げた。
手を合わせている男の顔に、驚いたような喜色が浮かぶ。
見え見えの言い逃れで、自分が助かると思ってはいなかったようだ。
「すまねえぇぇぇぇ! 金輪際もう、ふごぼっ!」
ファルマが一旦引いた太刀の切っ先が刃を上にして、ズブリ!と男の喉に深く突き刺さっていた。
「そうか。 だが、わしは助けぬ!」
ファルマは言い捨てると、男の喉元から深々と突き刺さった太刀を抜いて、中空で一振りする。
太刀に付着した血液が、ビシャリと地面へ振り飛ばされた。
いかにも、戦い慣れているという鮮やかな手際だった。
あれでは、油断をさせて奇襲をかける隙すらも無い。
そもそもは幾嶋が片付けようとしていた男達だが、あまりに鮮やかに始末をされてしまうと、別の意味で気分が良くない。
それは、小さな男のプライドのようなものではあるが、それだけファルマの手際は一瞬の躊躇も無く、実に鮮やかだった。
「で、次は俺とやりたいんですよね」
幾嶋が、無造作に大剣を右手に持ったままで、そう言い放つ。
ファルマが左の耳に左手を当てながら、ついと幾嶋の方を向いた。
太刀は右手に提げたままだ。
そこに、一片の気負いも見えない。
BランクでもAランクでも無い、最高ランクであるSの称号を持つファルマという男。
ホムラの言う肉体強度を突き詰めたクラスであり、人の枠を大きく超えた位置に居ると考えても良いだろう。
幾嶋は、ファルマと戦ってみたくなっていた。
この世界の最上位に近い位置に居るであろう冒険者と、ドラゴンスレイヤーとして生まれた自分の、この世界での立ち位置を知るためにも一手交えて見たかった。
力が全てと言われた、この世界。
行儀の良い軍人の殻を脱ぎ捨てる事にした幾嶋にとって、素直に男として試してみたい優先事項であるのだ。
「済まぬが、気が変わった」
「えっ!?」
ファルマは先ほどの拘りが嘘のように、そう答えると、チンと鍔鳴りの音をさせて太刀を鞘に収めた。
「俺は構わないぜ」
そう挑発してみる。
「ほう、何故に?」
ファルマは興味深そうに、そう問い返した。
どこか表情が、嬉しそうに見える。
「自分の立ち位置を、知りたいと言ったら?」
ファルマの目を見据えて言う。
自分が喧嘩を売っているようだと、幾嶋は感じていた。
家族を亡くし、怒りのぶつけようが無く荒れた時期もあった。
軍に入るという選択をする前の、目上にも遠慮する事の無かった、その頃の口調に戻っていた。
「面白い! Sランクになって名前が売れてからは、そのような挑発も久しく聞けなかったからな」
幾嶋を見るファルマの目が、一瞬細くなった。
「Sランクと言えば、冒険者の中でも最高ランクだ。 あんたと戦えば、俺の立ち位置も判るだろう」
ファルマから視線を外さずに、幾嶋が言ってのける。
「若いな、小僧。 だがな、俺がSランクで最強という訳では無いぞ、残念ながらな」
ファルマは苦々しげに、意外な事実を告げた。
最強のSランクでありながら、もっと上が居るというのだ。
「AランクもBランクも5段階あるのに対して、Sランクは段階が無い。 この意味が解るか?」
「判らないな。 段階を付ける必要が無い程に人数が少ないって事か?」
頭に浮かんだことを、そのまま言ってみる。
「間違ってはいないが、正解では無い。 ちなみに、俺のパーティはSランクに上がったばかりだ。 そして冒険者ギルドはもう1000年以上の歴史がある」
「どういう事だ?」
ファルマが何を言いたいのか、まだ何も判らない。
「Sランクになるには強さも必要だが、それだけではSランクの称号は得られない」
そう言い切るファルマ。
Sランクとは、名誉職のようなものなのだろうか?
「強さ以外に、何が必要なんだ? コネか? 政治力か?」
残念ながら幾嶋には、それくらいしか思い浮かばない。
「それは冒険者ギルドへの高い忠誠心と、世界を守る強固な意思だ」
ファルマから帰ってきた答えは、あまりに意外な物だった。
やはり、Sランクと言うのは名誉職でしか無いのだろうか?
「意味が解らないな」
その通り、まったく意味が解らない。
名誉職であるならば、強いという事には繋がらないのだ。
「お前がこれより先ランクを上げて、A5迄登り詰めればいずれ判る事さ。 守秘義務がある故に、これ以上は話せぬ」
そう言ったきり、ファルマは黙る。
何らかの秘密がある事は確かなようだが、それを話せないと言われてしまえば、幾嶋にはどうにも出来ない。
「お前よりも強い奴がいるという事は、判った」
幾分の皮肉を込めて、軽く挑発をしてみた。
しかし、ファルマはまったく堪えていないようだ。
「そうさな、単純な能力の強さだけなら、A5ランクとSランクになったばかりの俺に大差は無い。 しかしSランクはA5ランクより遙かに強いのだ」
意味深な口調で、ファルマはそう言った。
まるで謎かけのようで、その言葉の真意は掴めなかった。
「Sランクになったばかりと、何度も強調するな。 つまりベテランはもっと強いというだけの事じゃないのか?」
そこにヒントがあるのでは無いかと考え、ストレートに訊ねてみた。
「先ほどの威圧から察する処、おぬしは相当に力がありそうだ。 腕に自信もあるだろう。 おぬしとは戦ってみたいが、俺にも大事な任務がある故にな、無茶はできぬのだ。 済まなかったな」
ファルマは幾嶋の問いかけに答えず、話を逸らした。
だから、今この場で戦うのはやめたと、ファルマは言う。
ファルマは左耳に不似合いな紅いピアスをしていた。
それを左手で弄りながら、幾嶋を見ている。
「判った! それなら俺はクエストを済まさなければならないから、これで失礼するよ」
そう言って、幾嶋がファルマの横を通り過ぎて立ち去ろうとすると、声を掛けられた。
「オトギリソウならば、そこの斜面は日当たりが良くてな、まだこの時期でも残ってるだろう」
ファルマが指差す崖の方へと半信半疑で戻ると、緩やかな斜面に資料閲覧室で調べた特徴のある植物が見えた。
「本当だ! 良く知っているな」
「なに、俺も昔は採集から冒険者を始めたからな。 ここはその頃から秋口の穴場なのだよ」
そう言って屈託無く笑うと、ファルマは幾嶋を残して立ち去った。
その姿をしばらく見つめている幾嶋は、複雑な表情である。
「これは、一人で採集した事になるのかな?」
その日、夕暮れ前に戻った幾嶋は、無事に初心者クエストを完遂してC1ランクの冒険者となった。
ジーナは不審そうな顔をしていたが、何の疚しいところも無い。
もちろん、オトギリソウは飛行して当初の目的地で探し当てた物である。
探すのに苦労はしたが、なんとか必要本数を集めて戻ってきたのだ。
ようやく、幾嶋の初心冒険者としての最初で最後の長い一日が終わった。
これからは初級冒険者、Cランクのイクシマである。
二日も家を空けた事を、エステルに何と言い訳をしようかと考えつつ、幾嶋はニーリーの家へと向かうのだった。




