昔馴染みのファルマ
昼間だと言うのに、その室内は薄暗い。
大きな窓から射し込むはずの明かりは、締め切られた厚手のカーテンで遮られていた。
せいぜい10畳ほどの狭い室内は、幾つかの調度品で占められていて、自由に使える空間はさほど広くは無い。
その室内に、複数の人が居る気配がした。
カーテンの隙間から漏れる明かりが、うっすらと部屋の中に居る人物を浮かび上がらせるが、その顔までは判らない。
幾嶋が冒険者ギルドでジーナに呼び出されて話をしている頃、何処の屋敷なのか判らない薄暗い室内で、とある密談が行われていた。
その人数は三名、執務用らしき大きな机を前にして、座りもせずに全員が立ったままだ。
「どうぞ、お座りになられては如何ですかな?」
「いや、すぐに立ち去るので構わんでくれ」
「俺も、お主のような奴と腰を落ち着けて話をする気は無いわ」
「これはこれは、お二方とも口が悪い。 我らは一蓮托生の身ではありませんか」
その『一蓮托生』という言葉に、一人は薄暗闇のせいで誰にも判らない事を承知の上で、馬鹿にしたような笑いを見せる。
もう一人の男は、あからさまに苦々しい顔をしていた。
苦々しい顔をしたこの男は、その場が明るい室内であっても、相手への嫌悪を隠すつもりはが無い事が態度で判る。
恐らくは腹芸の出来る文人では無く、無骨な武人なのであろう。
相手によって態度を変える事無く、己が力のみで生きてきた自負がそこに垣間見えた。
すぐに立ち去ると言った男は、仄暗い部屋の中でも白っぽい色の衣装を身に纏っている事が、うすぼんやりと判る。
同様の返事をしたもう一人は、身に付けている物が暗い色目の衣装なのか、輪郭もハッキリとはしていない。
僅かに鈍く胸当てのような物の輪郭が、僅かに窓から漏れる明かりを反射して、時折ギラリとエッジに沿って光が動くのみであった。
三人目の男は、首や腰、そして手首や指などが鈍く金色の光を放っている事から、豪奢な装飾品を身に付けている事が判る。
そして、首の装飾品の位置と、腰と思われる高さで光る装飾品の位置関係から察するに、でっぷりと太っているらしく、金色の輝きが横方向へと離れた位置にあった。
この場に集まった三人を、一蓮托生と言った男が口を開く。
「それで、わしらを呼びつけた用向きは何でしょうかな? 」
「うむ、俺もそれを聞きたい。 前回は思わぬ邪魔が入ったが、今回は俺が直接出向く故に、問題はない筈だ」
僅かな沈黙の間があって、白っぽい衣装の男がゆっくりとした口調で答えた。
「イクシマという男、上手いタイミングでトラブルを起こしましてな、今頃は冒険者ギルドへ呼び出されている頃でしょう」
「ほぉ、何をやらかした?」
「となれば厄介なラミレスの警護は、今なら手薄、という事ですかな?」
「昨夜、私の手の者からの報告では、受任済みクエストの横取りとか聞きましたな」
「奴は冒険者なのか? 俺の仲間を一撃で倒した程の男だ、冒険者登録されていれば俺が知らない筈は無いが、イクシマという名は初耳だ!」
「それが、イクシマという男の出自も経歴も、今のところ謎なのです」
「まさか、プロメテの手の者なのか?」
武人らしき男が、驚いたようにな反応を示した。
プロメテというのは、個人の名前なのか、あるいは組織の名称なのかは判らないが、雰囲気から察するに敵対している相手である事は想像できる。
「そうであれば素人のような、受任クエストの横取りなどの愚は犯さないでしょう。 評議会では一応監視をする必要があると判断しましたが、それだけです」
「さっさと消してしまえば後腐れも無いでしょうに、何故監視などと生温い事を? うちに任せてくれれば直ぐにでも…… 」
でっぷりと太った男が、監視という言葉に意外そうな反応を返した。
「俺の仲間が一撃で倒されているのだ、悪党が何人集まろうと烏合の衆に何ができると言うのだ!」
武人らしき男が太った男に怒りを見せるが、その太った男は動じていないようだった。
「うちにも性格の問題で冒険者を続けられなかった、Aランク相当の実力者は居るのですよ。 冒険者でも無い男一人ぐらい消すのは、何と言うことも無い事ですよ」
太った男の言葉を聞いた武人は、何が可笑しかったのか、笑いを堪えきれないように顔を歪めてクククと笑いを漏らす。
「面白い、ふぬけの元Aランク風情が束になれば、俺の仲間を倒せると言うか、これは笑止!」
自信を持って言った事を侮蔑するような言葉であしらわれて、太った男の顔色と表情が薄暗闇の中でサッと変わる。
「まあまあ、我らは利害を同じくする者同士、こんな処で仲違いは止めましょう」
白っぽい衣装の男が穏やかな声で二人を制すると、この男には何故か逆らえない様子で、二人とも互いを睨み合ったまま黙りこんだ。
続けて白っぽい衣装の男は、イクシマについて話し始めた。
「イクシマについては、冒険者ギルドに引き入れる方向で話がついていますから、使えなければ何時でも、クエストに乗じて処分は出来るでしょう」
「まさか使えるようなら、俺たちの仲間に引き入れるという訳ではあるまいな? 奴は俺の仲間の仇だけに、放置はできんぞ」
「勝手な行動は禁じておきます。 あなたが呼ばれた理由は仲間の仇討ちではありませんよ」
白っぽい衣装の男が言い放つと、武人らしき男は悔しそうに言葉を飲み込んだ。
太った男は、いい気味だとばかりに、薄暗闇の中で武人らしき男を嘲笑う。
「イクシマが使えるかどうかは、今後クエストの中で試して行く手はずになっていますから、そこで死ぬようであれば、それまでの事…… 」
その時、神殿の鐘が重々しく昼を告げる音が町中に鳴り響き、その室内にも鐘の音が大きく聞こえた。
冒険者ギルドの中庭では、ホムラが木剣を持って幾嶋と対峙している。
幾嶋も、同じ木剣を持たされていた。
「うん、元傭兵なら剣は得意だよね、うん。 実力を見てあげるから好きなように打ってきなさい、うんうん」
勝手に幾嶋を元傭兵と決めつけているが、相手の実力も判らずに好きに打って来いと言える程に、ホムラは自分の実力に自信があるようだ。
初めから元傭兵程度は相手にならないと決めつけている態度を見て、何の根拠が有るのかと疑問に思う幾嶋だが、上位の冒険者は人の枠を超えると言っていたホムラの言葉を思い出せば、油断は出来ない。
もし、それが冒険者の夢や願望ではなく本当の事であるならば、自信に満ちたホムラと言う男も、只の一本抜けた男では無いのかもしれないのだ。
最低でも人の枠に収まっている相手である限り、絶対に負けない自信があるからこその余裕なのかもしれないと、幾嶋は思った。
ここは仮にドラマや映画などであれば、己の実力を過信している井の中の蛙である入門者が、経験者に打ちのめされて謙虚になる場面でもあるなと、そうも思う。
おそらくホムラは、幾嶋が今後素直に指導を受ける気持ちになるよう、彼我の実力差を見せつけるつもりなのだろう。
剣は軍隊時代に必修で習っていた伝統的な戦闘術の1つではあるが、今手にしている木剣は、彼が習い覚えた伝統的な剣術の木刀とは形も長さも異なっていた。
しかし、幾嶋の脳内には睡眠中にダウンロードされた、あらゆる戦闘スキルが詰まっている。
手にした武器によって、無意識に適した戦闘スキルが体に馴染んで行く。
何十年も研鑽を積み重ねてきた、その道の達人の技を幾嶋の物として発動させる事に、何の問題も無い。
「うん、その重そうな装備は外した方が良くないかな、うんうん」
幾嶋がバックパックに大剣も盾も装備したままで、右手に木剣を握っていることをホムラが指摘するが、ドラゴンスレイヤーである幾嶋にとって、それは気になる重量では無い。
すべて承知していると、返事を返す。
木剣のサイズは1m近く幅も10cm程ある、大きな物だった。
言うなれば切れ味ではなく、速度と質量で強引に断ち切るための両手剣を模した物である。
それを片手でブンブンと二回ほど振ってみて、柄の握りを手に馴染ませた。
「うんうん、良いね! いつでも来なさい、うん」
ツッと幾嶋の左脚が前に出ると同時に、後ろに位置していた右脚が地面を爆発的に蹴りつけて瞬時に飛び出す。
幾嶋にしてみれば軽く手を抜いた出足ではあるが、それを人の目で追うのは簡単では無い。
重い木剣を軽々と振り上げて、振り下ろす。
高速移動による慣性力によって生じた反動に、木剣の柄がミシリと悲鳴を上げた。
ホムラが避けられなければ、何時でも直前で止められるように加減した一撃が彼の顔面を正面から襲う。
余裕たっぷりだったホムラの顔から、笑顔が消えて瞬時に真顔になった。
硬い木と木がぶつかり合う、カン!という甲高い音がして幾嶋の初撃はホムラの木剣で弾かれた。
その打撃を横に弾いた小さな動きのまま、流れるようにホムラの木剣が、幾嶋の木剣の腹を滑って顔面へと迫って来る。
横に弾かれた己の木剣の慣性質量を利用して、半身の体勢になりながら自分の体を木剣の方へと引き寄せるように前に出た。
その暫く後に、鼻先があった場所をホムラの木剣が通過する。
ホムラの真横に出た幾嶋は、彼の伸びた肘を左手で掴み、下方向へ引きながら左足でホムラの前脚を払ってやると、大きな体が空中で一回転して背中から地面へと落ちて行く。
しかし、空中で体を捻ったホムラが背中を上にした体勢のまま、幾嶋の脚を木剣で薙払って来た。
脛を刈りに来た木剣を、慌てず必要な分だけバックステップして避ける幾嶋。
地面に左手を突いて着地したホムラと、後ろに下がった幾嶋との間が僅かに開いて、再び二人は対峙するかに見えた。
次の瞬間、ホムラが低い体勢から矢のような鋭いダッシュを決めて、幾嶋に下から襲いかかる。
横から振るわれた木剣の軌道は、幾嶋が1m以上後ろに下がらなければ避けられないように、腹部を狙っていた。
右にも左にも、木剣の軌道上に逃げ場は無い。
しかし後ろに跳べば追撃が来るし、上に跳べば次の逃げ場は空中にしか無い。
幾嶋は前に跳んだ。
ホムラの振るう木剣の根元に、自分の木剣を地面に向けて突き刺して剣の円運動を止め、眼下にあるホムラの顔に膝を叩き込む間際で寸止めする。
周囲で見物していた冒険者たちから、おぉ!と小さな響めきが漏れた。
「うん、良いね!思ったより出来るね! うんうん、想定外だよ良い意味で、うん」
ホムラは嬉しそうな顔で、立ち上がる。
「まだ本気じゃないだろう? 今度は僕から行くよ」
ホムラの言葉から、自分自身への相づちが消えていた。
言うが早いか見物している冒険者たちの視界から、激しい土煙と共にホムラの姿が消えた。
ガン!という激しい音と共に、先ほどダメージを受けていた幾嶋の木剣が根元から砕け散る。
周囲で見物している冒険者たちの視界から一瞬にて消えたホムラは、直後に幾嶋の目の前に居た。
それを見えているからこそ、ホムラの木剣を冷静に受けられたのだが、自分の木剣が砕け散るのは予想外だった。
右手に残っているのは、短い木剣の柄だけである。
間髪入れずに次撃が袈裟切りに左上から襲ってくるのを、右手に残った柄の根元で弾いたと思った次の瞬間、左上からも木剣が襲ってきた。
それを右足で半歩踏み込んで、右肘で木剣の柄をホムラの握る手ごと下から跳ね上げて防ぐ。
空いた幾嶋の右脇腹へとホムラの膝蹴りが走るが、下に振り下ろした右肘と跳ね上げた右膝で膝蹴りを挟み込んで迎撃した。
「ちっ!」
苦い顔をして下がるホムラを追う幾嶋。
バランスを崩したホムラの腹に、腰を落として掌底を叩き込む。
もちろん相手を殺す気など無いから、打撃エネルギーは運動エネルギーに変換されてホムラの巨体を吹き飛ばした。
仮に殺すつもりであれば、その打撃エネルギーが相手の肉体が持つ慣性力を超えて肉体を破壊するから、体が吹き飛ぶ事は無い。
吹き飛ぶと言う事は、相手を撃つのでは無く、強く押しているのに過ぎないのだ。
大きく突き飛ばされたホムラが、そのまま壁に激突する寸前で、誰かがその巨体を受け止めた。
再び、修練場の中庭に、先ほどとは違う意味で響めきが生じる。
ホムラと比べれば小柄に見えるその男は、がっしりとしたホムラの巨体を受け止めた衝撃に負ける事無く、平然としていた。
身長は幾嶋と同じくらいだろうか、身動きのし易そうなゆったりとした衣装に、金属製らしき赤黒い塗装をされた胸当てと小手、そして脛当てを着けていた。
年齢は30才くらいだろうか?
顔は濃いひげ面で、眉毛も太い。
おまけに、髪の毛を頭頂部でポニーテールのように一本に束ねていた。
腰には、太い太刀を吊り下げていて、一目で剣士だと判る。
同じ剣士でも、どちらかと言えばサムライと呼ばれるイメージだろう。
「ホムラ、久しいな」
サムライ風の男は、ホムラの両肩を掴むとそう言って笑った。
「ファルマか! うん、懐かしいな。 うんうん、いつこっちへ?」
ホムラも自分を呼ぶ声を聞いて、相手が誰なのかすぐに判ったようで、嬉しそうに答えて振り向く。
周囲で見物していた冒険者たちの響めきは、この男の姿を見たからだった。
「シリウスは? ウィリアムは居ないのか? グレゴリとシエナはどうした? 何故お前一人なのだ?」
ホムラは周囲をキョロキョロと見回しながら、ファルマという男に問いかけた。
それに答えるファルマの言葉は端切れが悪かった。
「うむ、ウィリアムとシエナが思わぬ不覚を取ってな、シリウスとグレゴリが聖地へ治療に連れて行った処だ」
「あいつらがか、とても信じられんな、うん。 いったい相手はどんな化け物なんだ?うん」
「すまぬ、受任中の特別クエストについては、内容を誰にも言えぬのだ、許せ」
そう言って、ファルマという男はホムラに頭を下げた。
ホムラは、『気にするな』と言ってファルマに笑いかける。
「それにしても修練場に来るような者相手に、お前が吹っ飛ばされるとはな。 実戦を離れて怠けたか」
「うむむ、武技を使っても勝てなかったからな、そう言われても返す言葉が無いよ、うん」
「かつてのように、一緒にやらぬか? お前さえその気になれば、みな歓迎するであろう」
「いや、もうお前達とはレベルが違いすぎる。 それに俺はパワーレベリングで無理にレベルを上げるのは怖いんだ」
「リーザの事を言っているのか? あれは不幸な事故だったが、誰でも同じ事が起きる訳ではあるまい」
「いや、俺はもう現役の冒険者を辞めた男だ、構ってくれるな」
下を向いてファルマにそう言うホムラは、顔を上げて自分を見ている幾嶋と目が合う。
彼は、自分が何をしていた処だったのかを、ようやく思い出した。
「紹介しよう、こいつは俺の昔馴染みでファルマだ。 Sランクパーティ『蒼き五芒星』のリーダーをしている男だ」
「幾嶋です、今日から冒険者の仲間になりました」
イクシマと言う自己紹介の言葉を聞いて、ファルマの右眉毛がピクリと僅かに動いた。
「ファルマだ! ホムラとはかつてA4ランクの頃に同じパーティを組んでいた仲間だ。 よろしく頼む」
「こちらこそ」
ファルマの挨拶に、愛想良く応えるイクシマ。
ファルマとホムラは、かつて同じパーティでホムラが袂を分かつまでは一緒に活動してきた仲らしい。
ホムラの言動を聞く限りでは、パーティのレベルアップの方法に何か、彼が冒険者を辞めざるを得ないような事故があったように思えた。
「不躾な質問ですが、ホムラがパーティを辞める切っ掛けって何だったんでしょう。 それは経験値と何か関係があるように思うのですが、間違っていますか?」
幾嶋の放った突然の質問に、ファルマはホムラと顔を見合わせる。
そして、静かに幾嶋の方を向いた。
「化け物になるのだ」
ファルマは静かにそう言って、哀しそうな顔をした。
ホムラはファルマから顔を背けて言葉を発しようとはしない。
「早く強くなろうとして、一度に大量の経験値を得た場合にな、人の枠を外れて化け物になる者が居るという事だ」
「必ずしも全員がそうなる訳では無い、というような言い方ですね」
ファルマの言葉尻を捉えて、そう問い返す幾嶋。
その問いに、ファルマが答える。
「冒険者を志す以上、誰もが強くなりたいと願い、より高いレベルを目指す。 しかし、そこに落とし穴があるのだ」
「うん、人それぞれ、たぶん一度に受け入れられる経験値の許容量というものがあると思うんだ、うん。 恐らくそれを超えた時に、うん、耐性の弱い者は人の枠から外れて魔物になる。 うん、それを僕は見たんだ…… 」
ファルマの言葉を継いで、ようやくホムラが重い口を開いた。
人の枠を超えて化け物になる、ファルマはそう言った。
そして、ホムラはそれを見たとも言った。
「うん、自分の仲間が突然、人の枠を超えて化け物に変身するんだ。 うん、まともで居られる訳が無い…… うんうん」
「もうよせ、ホムラ。 思い出したくなければ、忘れろ! 古傷を蒸し返してすまなかったな」
ファルマは、ホムラに頭を下げて詫びを入れた。
しかし、もう話すなと止めるファルマを振り切ってホムラは叫ぶように言った。
「怖かったんだ、純粋に怖かった。 自分に牙を向けて襲いかかってきた魔物がリーザだったなんて信じられなかったんだ、あれが愛しいリーザだったなんて…… だから殺したんだ、誰の手でも無い僕の手で!」
ホムラは、その場に泣き崩れてしまう。
その肩を抱き上げるファルマ。
「すみません、余計な事を聞いてしまって…… 」
謝る幾嶋に、気にするなと手を挙げて応えるファルマも、沈痛な表情であった。
「イクシマとか言ったな、レベルアップする為には人の枠を超えて強くなる必要があるが、それには多量の経験値が必要だ。 だが一度に欲を掻きすぎると人では無くなる、悪い意味でな。 それを忘れるなよ」
幾嶋にそう告げると、ファルマはホムラを連れて中庭を出て行った。




