行き倒れのラミレス
背中に深い傷を負った男を連れて神殿の治療室にやってきた幾嶋たちは、複数の神官達による治療の様子を見守っていた。
「これはひどい…… 」
「なんとか塞がれば良いのですが…… 」
治療に当たっている神官達は、口々に悲観的な感想を述べている。
神官達によれば、このような傷の治療が出来る高位の治癒神官は戻ってきて居ないらしい。
それも当たり前の話で、まだエステルを運び込んでから何日も経っていないのだ。
彼らの行う治療と言っても、それはエステルの時に見たものと同じように、幹部に触れるか触れないかギリギリの位置に手を置いて、呪文のような言葉を唱えるだけである。
そこには消毒をしたり傷口を洗ったりという、幾嶋にも馴染みのある現代的な切り傷の治療法は見られない。
ましてや、当然生理食塩水で傷口を洗い流して、麻酔を打ちブラシで傷口の中の汚れを取るというような、幾嶋が見知った行程すら無い。
それは、ただ手を当てて祈るだけの治療にしか見えない。
薬師院が併設されているのはエステルの時に確認済みだが、どう考えても抗生物質の投与などは期待できないだろう。
ただ一つ、彼ら神官達が行う治癒魔法が幾嶋の知る近代医療の拙い知識と異なっているのは、その治癒魔法が本当に効果を発揮するという事に尽きる。
パックリと開いていた骨にも達しようとする大きな切り傷は、見ているうちに出血が止まり、やがてブクブクと細かい血の泡が切断面から湧きだしてくる。
その血の泡に包まれた患部の様子は、外から見ることが出来ない。
しかし、傷口の底の方から塞がって来ている事は、次第に切り傷の幅が減少して、端の方から跡形無く皮膚が接合してゆく様子を見れば、効果の程を想像する事はできる。
「なんで手を当てると傷が治るの?」
治療の様子を見ていたエステルが、神官にそう訊ねた。
エステルにしてみれば、自分の足を直せないまでも腫れを取り去り痛みを無くしてくれたのは、ここの治療神官たち以外に無いはずだ。
貧しく見えるあの村では、もしかすると魔法治療というものを、彼女は見たことが無いのかもしれない。
正確に言えば、贄候補として村に生かされていただけのエステルには会う機会が無かっただけで、巡回治療神官は年に数回地方の村々を訪れる事はあるし、村の規模に応じて冒険者ギルドの出張所やクエスト取次所なども存在はしている。
そんなエステルの素朴な疑問に答えて、治療を見守っていた二人の神官が笑顔で答えてくれた。
「魔力のある人ごとに使える魔法の種類が違っていてね、私たちはそれが治療の魔法なんだよ」
「そうだね、だから私たちは火の魔法とか風の魔法なんかは使えないんだよ」
「わたしも、神官さまのように治癒の魔法って使えるようになるかな?」
エステルが期待を込めた表情で訊ねたが、帰ってきた答えは期待に応えるものでは無かった。
「あなたの髪の毛の色からすると、もし使えるのなら火の魔法かもしれませんね」
「そうですね色も単色では無いから、可能性はとても低いけれど火ともう一つくらいは別の魔法素子と相性が良いかもしれませんね」
「髪の毛の色も濃い方だし、魔力があれば強い可能性も有りそうですよ」
「まあ、魔力がある人自体が、とても希少な存在ではありますがね」
髪の毛の色が魔法に関係があるという話は、この世界の住人であるルーベルもエステルも初耳だったらしく、目を丸くしていた。
しかも、色が濃い方が魔力が強いという事が本当ならば、幾嶋のように黒い髪の毛はどうなってしまうのだろう。
「銀色とか金色とか、私のような黒はどう言う解釈になるんでしょう?」
意外な話を聞いて、幾嶋が横から話に割り込む。
幾嶋自身は、高性能な魔素生成炉と魔素転換炉を備えているから、魔力が強いというカテゴリーに入っていても不思議はない。
魔法という物は幾嶋の把握しているスペックには存在しないが、魔法素子=魔素を使用した武器は多数使用可能だ。
髪の毛の色の話を聞いて、エステルの治療をしてくれた男が居たという、8人組の事を思い出したのだ。
銀髪の男女、金髪の少女、そして黒髪の若者はどういう解釈になるのかという好奇心からの質問だった。
「髪の毛の色で必ず魔力が発現するわけでは無いのですが、傾向として言えるのは、銀髪の場合は魔力さえ有れば、威力の強い複数の魔法素子を使える可能性が高いでしょうね」
「金色の髪と言うのは、あまり見たことがありませんが、全体的に輝くような髪の毛は魔力量が多いと言う事と、複合的に魔法素子を扱える可能性が高いと言えるかもしれません」
「髪の毛の色が薄い方が魔力が強いという事ですか? それだとエステルの髪の色が濃いからという話と矛盾しているように思えるのですが…… 」
幾嶋がエステルの髪色を見直してから、神官に疑問点を問い直した。
「何処を境にするのかは、まだ判らないのです。 扱える魔法素子が一つか二つ程度の場合は濃い方が魔力は強いようです。 しかし、より多くの魔法素子を扱える者は、魔力が強い程に色が薄くなって行き、輝きを放つようになるようなのです」
「なにせよ、元々数が少ない銀髪や金髪は、その中でも魔力を持つ者のサンプルが少な過ぎて良く判っていないのが現状です。 桁外れの魔力を持つようになると、扱える魔法素子の種類に関係無く、髪の毛の色が銀や金になるという説を唱える者もおるのです」
「ジョーみたいな黒は?」
話を聞いていたエステルが、幾嶋の髪の毛を見てそう言った。
「これは、実はまったくサンプルが無くて判りません」
「まったく魔法の素養が無いのか、あるいは金色や銀色を超えた魔力の素養があるのか…… あなたの事を研究させて欲しいくらいですよ」
そう言われて、幾嶋は首を振った。
研究材料という言葉に、何故だか拒否反応を示したのだ。
「まあ、魔力は誰にでも使えるというものではありませんから、期待はなされぬ方が良いかと思われますよ」
そう言って話をしてくれた神官は、疲れて交代を求めている神官と交代をして、男の傷口に手を当てて呪文を唱え始めた。
疲れなのか魔力切れなのか判らないが、一人二人と神官が治療から離脱して行き、別の神官と交代をしてゆく。
そして、30分近い時間が経過した後に、ようやく傷口の治療は終わった。
その手間の掛かる治療の様子を見ていれば、流石にこの世界のことを知らない幾嶋でも、エステルの足を雑談をしている間に一人で直してしまったという自称ゴリラ顔の男というのが、比べものにならない程に凄い事は想像できる。
なにしろエステルの足は、此処に居る神官達にも完全な治療ができないと宣告されていたのだから、その力の差は比べるべくも無いだろう。
しかし幾嶋には、それがどれ程この世界では非常識な力であったのかは、まだ知る由も無い。
ファンタジーのようなこの世界だから、そういう人も居るんだろうなと、幾嶋は疑問にすら思っていなかった。
まだこの世界の真実を知らないが故に、幾嶋はそれがどれほど理不尽で常識外れな力なのかという事に、まだ疑問を抱く事もなかったのだ。
「なんとか傷口は塞がりました」
神官の一人が、顔を覆っている真っ白な頭巾の上から額の汗を拭うような仕草をしたところで、自分がマスクをしている事に気付いたように慌てて手を額から離した。
「傷口は塞がっていますが、失った血は戻っていません。」
「しばらくは、無理に動かさずに安静にさせてください」
「いま、薬湯を持ってこさせましょう」
白い装束で、頭から目だけを出した頭巾を被っている神官達が、一安心したかのように口々に言って、それぞれに動き出した。
「警察……と言うか、その、犯罪を取り締まる仕事の方を呼んで頂けませんか?」
幾嶋が無意識に、自分が生きていた時代の感覚で呼び掛けると、意外な返答が帰ってきた。
「あなたが仰りたいのは、恐らく市中警護兵という事になりますが、ここは白き神を祀る神殿。 神域は行政組織とは独立しておりますれば、神殿内に招き入れることは出来かねます」
「つまり、神殿は治外法権だから官憲の立ち入りは許されないと…… 」
「難しい言葉を知っておられるようですが、そういう事になります」
幾嶋の問いかけに、神官の一人が代表して簡潔に答えた。
では、この街の市民が犯罪行為に遭った場合には、どうしたら良いのだろうと、幾嶋は疑問に思う。
それを見越したかのように、別の神官が教えてくれた。
「警護詰め所に連絡をして外で待って貰う事は可能ですが、忙しい警護兵の方達をわざわざ神殿まで呼びつけるのはお薦めしません」
「そうですね、こちらで事件の報告をしておきましょう。 後ほど市中見回り組の方が、あなた方のところに話を伺いに行かれるでしょうから、お住まいをお教え下さい」
おそらく、街の警察組織に該当するのが警護兵と呼ばれる組織なのだろうが、呼ぶことを憚られる程に忙しい組織なのだろうか?。
幾嶋は自分で無意識に常識だと思っていた事に比べて、この世界の治安維持のシステムが違う事に戸惑っていた。
一人の市民に、これ程の怪我を負わせる事件が起きているのだ。
もっと、大騒ぎになっていても不思議では無いはずなのだが、あまりに神官達の態度は平静過ぎる。
命に関わりそうな傷を負った男を担ぎ込まれたにしては、神官達の慌てぶりが見られない理由は、もしかすると日常的に起きているような事だからなのだろうか?。
そう考えている時に、後ろからルーベルに腕を軽く引かれた。
「この街の警護兵の中でも、市中の見回りをしている人数はそう多くないから、いつも見回り組の人たちは横暴だし、忙しくていつもイライラしているのよ」
ルーベルは親切に街の事情を説明してくれるのだが、つまり、正式な警察組織では無い警備兵がこの街の治安維持を担っているという事のようだった。
それは、この街では軍と警察が分離しておらず、街の治安維持は軍の管轄下にあるという事なのだろう。
神殿に謝礼を支払って、日が傾き始めた街を幾嶋たちは歩いていた。
治療は終わっていても、まだ意識の戻らない男を抱えて人通りの多い街を歩くのは、非情に目立つ。
通り過ぎる人達から好奇の目で見られるのはどうでも良いが、まるで自分が殺人犯であるかのように、街の人々が自分を避けるように道を空けるのが困ると幾嶋は思った。
「この人の事を知っている人が神殿に居て、良かったわね」
ルーベルが言っているのは、高位の神官がたまたま治療室の様子を見に来て、怪我をした男の名前を知っていた事を指している。
男の名はラミレス。
町外れの南門近くに、一人で住んでいるらしい。
高位の神官から得られた情報は多くなかったが、ある程度の事情は判った。
ラミレスは商家の三男坊で、家を継ぐ権利は無く、万一の為のスペアとして町外れの一軒家で一人暮らしをしているらしい。
ひとまず目を覚ます迄は寝かせておこうと、ルーベルの提案で彼をニーリーの家に連れて行こうという話になったのだ。
先程、露店を開いているニーリーの処に寄って、連れて行く許可も得てきたばかりだった。
「そおっとね」
ルーベルがそう言って、ベッドの掛け布団を捲る。
エステルは、枕の位置をラミレスの頭に合わせようとスタンバイしていた。
少しばかり痩せ形で、体重はあまり無さそうなラミレスに掛け布団を掛けて部屋を出る。
成り行きでラミレスは幾嶋達の部屋に連れて行き、幾嶋のベッドに寝かせることになった。
どちらにしても、他に部屋もベッドも無いのだ。
今夜は、エステルと同じベッドで寝ることになりそうだ。
ラミレスは、まだ目を覚ます気配は無い。
病み上がりでは仮に目覚めても無茶は出来ないだろうと判断をすると、ラミレスをルーベルとエステルに任せて、幾嶋はニーリーの店終いを手伝いに街へ出た。
すでに日は中天を過ぎて、大きく傾き掛けている。
秋の日は釣瓶落とし、そんな言葉が脈略も無く幾嶋の頭に浮かんで消えた。




