竜殺しのサイラス
「あんたたち、これからどうするんだい? その気があるなら当分ここに居ても良いんだよ」
翌朝、食事の際にニーリーが訊ねてきた。
まだ夜が明けてから、それほど経過していない、かなり早い時間帯だった。
「とりあえず気になることもあるので、エステルの足を治してくれた一行を探してお礼を言おうとは思うんですよ。 でも、その前に旅に必要な物を揃えるまで、少しだけご厄介にならせて貰えると嬉しいです」
エステルの足を治してくれたという一行が気になると言うのも、あながち嘘では無い。
しかし、幾嶋の本音は自分が目覚めたこの世界というものが、いったいどういうものなのか、それをを知りたいと言うのが一番だった。
そんな旅の同行者として、エステルというこの少女を一緒に連れて行くと言うのは、果たしてどうなのだろうとも幾嶋は考えていた。
一旦はエステルと一緒に居ると言ってしまったが、その事が本当にエステルの為になるのだろうかという、そんな迷いがあったのだ。
もしエステルをこの家で預かって貰えるのなら、彼女はこの街で暮らした方が本人のためにも一番良いのでは無いか、どう考えてもそう思えてしまうのだ。
オーガというものを倒しただけで、あれほどのお金になるのであれば、しばらくこの街で稼いでエステルの面倒を見て貰おうか、そんな事も幾嶋は心の隅で考え悩んでいた。
しかし、それは間違い無くエステルとの約束を違えることになる。
幾嶋は決断を下せないでいた。
「今日は、エステルの衣類を買おうと思うんですが、何処へ行ったら良いんでしょうか?」
自分の迷いから少し離れるために、幾嶋はそう訪ねた。
答えの出せないことに、いつまでも気を揉んでいても仕方が無いだろう。
しばらく問題を先送りして、自分の気持ちを整理してみようと幾嶋は思った。
それに、エステルは助けたときに着ていた服一着意外は何も持っていないから、どちらにしても今後は着替えや身の回りの物が必要になるだろうという、そんな想いもある。
「ルーベル、お前の仕事は時間が自由になるだろう? ちょいと付き合ってやりな」
「えっ?! まあ、エステルちゃんの為なら構わないけどさ」
ルーベルは、チラリと幾嶋の方を見て下を向いた。
「本当ですか、そういう処は行った事が無いので助かります」
行った事が無いどころか、この世界自体が初めてなのだ。
それでも、あの村での神様騒ぎを思い出してみれば、さすがにそれは正直には言えないだろう。
「まあ縫製の仕事の方は、頼まれた分が予定より進んでいるし、買い物くらい別に大丈夫かな」
「これから寒くなるんだから、ちゃんと暖かい冬物も選んであげるんだよ」
「まかせて、スポンサーも居るんだし、色々選んであげるわよ!」
幾嶋は、残っているお金の量を頭の中で数え直してみた。
物価と言う物がまったく判らないけれど、まだ分け前の残りはあるから、エステルの衣類くらいで無くなる事は無いだろうと思う。
何をするにもお金が必要だと言う事は、この街に入るときに思い知らされている。
そう考えるなら、旅に出る前にお金をもう少し稼いだ方が良いのかも知れない。
なにしろこの世界に放り出されてから、まだ三日目である。
これから何にどれだけのお金が必要になるのか、それがまったく判っていないのだ。
サージェたちが言っていたように、冒険者という資格?というものを得られれば、倒した魔物を買い取ってもらえるのかもしれない。
しかし、果たして自分のような出自も明らかにできないような者が、冒険者として受け入れて貰えるのだろうか?
この世界のルールが判らない以上、そんな疑問が生じるのは無理も無い。
そもそもが冒険者ギルドとは何なのか、何故冒険者と呼ばれるのか、そして、どうすれば冒険者になれるのかすらも判っていないのだ。
何にしても、まずは旅に必要なお金を稼ぐことからスタートするしかないだろうと、幾嶋は考えた。
とりあえずは冒険者になる以外の方法で、自分に出来る仕事が無いか調べてみようと幾嶋は思ったのだった。
ルーベルの案内で、多くの人でごった返す露店が立ち並ぶ一角を通り過ぎると、商店らしき大きな看板が掛けられた石と木材を組み合わせて作られた小綺麗な店が並んでいる、すこし大きな通りに出た。
ニーリーは全員で早めの朝食を摂ると、すぐに仕事に出掛けていった。
幾嶋達が目覚める前から、仕事の仕込みをしていたらしい。
多くの人が朝食を買い求める時間帯を逃す訳には行かないのだと、彼女は出がけにそう言っていた。
「じゃあ、まずはエステルの秋冬物からよね!」
ルーベルが嬉しそうに言う。
「旅に使えるような丈夫な物を中心に頼みます」
「うーん…… これから旅をするのなら、どちらにしても雪で足止めを喰らうから、春まではこの街に居た方がいいわよ」
そう言いながらもルーベルは店に入ると、外套やら厚手のセーターなどを手に取って行く。
GPS衛星から得られる位置情報が正確であると仮定すれば、自分が魔総研の跡地から目覚めた事を含めて考えると、かつて日本だった土地の何処に自分が居るのかは、幾嶋も把握している。
この世界の地形が幾嶋の知っている通りなのかは不明だが、ここから北へ向かえば元居た世界で言う処の山梨あたり、東へと向かえば同じく神奈川と呼ばれていた土地といったところだろう。
GPSから得られるカレンダーの情報からは、季節が秋から冬に向かって居る事も判っている。
確かに、これから体力の劣る幼いエステルを連れて、あえて北へ向かうのは色々と厳しいかもしれない。
気になる8人パーティは東門の方へ向かったらしいから、幾嶋も漠然とそちらへ向かうつもりだったが、彼らは本当に東へ向かったのだろうか?
東門から通じる街道が何処へ繋がっているのかすらも、まだ幾嶋は知らない。
その8人組に果たして追いつく事が出来るのかは判らないが、それは目的の一部でしかない。
エステルの足を治してくれたと言う8人組のパーティについては、少しだけ旅に別の目的が欲しかったと言うだけで、それほど執着をしている訳ではない。
ただ少しだけ、彼らの事で何かが気になるだけなのだ……
「どうしたの? 何か考え事でもしているの?」
突然ルーベルに声を掛けられて意識を現実に戻す。
目の前には腰に両手を当てて自分を見上げているルーベルと、心配そうな顔をしてルーベルのスカートを握りしめているエステルが居た。
「ああ、ちょっとこれからの事を考えていて…… 」
幾嶋はルーベルの問いかけに曖昧な答えを返して、3人で店を出た。
店の前にある路地の入り口付近で立ち止まり、エステルに顔を向ける。
エステルは黙ったまま幾嶋の方を見て、何も言わない。
しかしその表情は、彼女の抱いている不安という感情を如実に顕していると、ルーベルは察していた。
もっとも、そのエステルの抱く不安というものが何に対する物なのかを、幾嶋はまだ判っていない。
ずっと生真面目に生きてきた幾嶋には、少女の心の機微というものを敏感に察するというスキルも、そして人生経験も少し足りなかった。
「どうしたの?」
そう言ってエステルに向かって腰を屈めようとした時に、幾嶋の動体センサーに、自分たちに向かって接近する物体の反応があった。
(このままでは衝突する可能性が高い)
反射的にそう判断して、幾嶋はエステルとルーベルを抱えて路地の入り口脇に身を避ける。
その僅か後に、路地から一人の男が勢いよく飛び出してきた。
その男は、幾嶋達の横を掠めるように通り過ぎると、ふらつきながら通りに出て右に進み、すぐにバタリと倒れた。
「あの人、背中から血が出てる!」
エステルが、小さく叫ぶ。
ルーベルはその傷口を見て少し開きかけた口に両手を当てて、目だけを見開いていた。
今にも、大声で悲鳴を上げる寸前といった状態だ。
その男の背中の傷は幾嶋も認識していた。
背中から切りつけられたのか、渋茶色の上着の背中部分が腰の辺りまで赤黒く濡れている。
駆け寄ろうとするルーベルを押しとどめる幾嶋。
その意味が解らず、幾嶋を責めるように見上げるルーベル。
幾嶋の予想通り、それはセンサーの反応通りでもあるのだが、路地の奥から足音を隠そうともせずに走り寄ってくる、数名の足音が3人の耳にもハッキリと聞こえた。
何が起きているのか察したルーベルは、戸惑っているエステルの方を振り向いて腰を落とすと、自分の胸に抱き寄せて不安そうに幾嶋を見上げる。
それを見た幾嶋は黙って頷き、二人を自分の後ろに移動させた。
「ゴルアァァ! 手間掛けさせやがってー!」
「そこを右に曲がったぞー! 逃がすな、ぶち殺せ!」
「ちくしょー! ゴミなんてぶちまけやがって!!」
罵声がすぐ間近に聞こえた時、幾嶋がスッと足を路地に突き出す。
先頭に立って短剣を振り上げていた男が、真っ先に幾嶋の足先に躓いて派手に転倒した。
手にした短剣が道路に当たって弾け飛ぶ鋭い音に重なって、後続の男達が倒れた男に躓いて次々に転倒する鈍い音が聞こえる。
「あの人の様子を見てきて」
幾嶋は、すぐにこの場から離れろという意味で、二人にそう言った。
その指示を聞いて、ルーベルとエステルが倒れた男の方へ走り寄る姿を確認してから、幾嶋は無様に倒れた男達の進路を塞ぐように立つ。
そして、倒れた彼らを静かに見下ろした。
周囲に居た買い物客は、遠巻きにして幾嶋達を見ている。
最初に転倒した男は、打ち所が悪かったのか気絶をしているようで、まったく動かない。
倒れた体勢から慌てて起き上がったのは、後から転倒した男達3人だった。
「てめーふざけた真似しやがって、どうなるか判ってやってるんだろうな?」
「俺たちの邪魔をするたぁ、いい度胸じゃねーか」
男達が口々に威勢の良い言葉で威嚇してくるが、この街に来たばかりの幾嶋には、彼らのバックがどう言う組織なのが判らない。
つまり声がうるさいだけで、幾嶋にとってあまり意味のある威嚇では無かった。
その中に、幾嶋は見覚えの有る顔を見つけた。
その男も幾嶋の顔を見て、何かを思い出したかのように驚いた表情を見せて一歩下がる。
その態度の変わり様を見て、仲間の男達も幾嶋に浴びせる罵声を止めて男に何か問いかけ始めた。
見覚えがあると思った男は、三日前に十字路付近でニーリーに借金を返せと脅かしていて、幾嶋に撃退された男達の一人に間違い無かった。
その男は、ヒソヒソと仲間に何かを告げている。
仲間の二人もその男の話を聞いて、驚いたような表情を幾嶋に見せると、チラチラと路地の奥を盗み見ていた。
「真っ昼間から、人通りのある場所で刃物を振り回すなんて、ずいぶんと乱暴ですね」
そう言って幾嶋が一歩前に出ると、男達も一歩下がって路地の奥をチラリと見る。
路地の入り口を挟んで、男達3人と幾嶋の間に倒れたままの男という構図になった。
その時、ドスドスと地面を揺らすような足音が路地の奥から聞こえてくる。
幾嶋はそれを感知していたが、足音に気を取られたように路地の奥へと顔を向けてみた。
「てめー舐めやがって!」
足下に倒れていた男が突然跳ね起きて、目の前にあった幾嶋の両足を両手を広げて刈りに来た。
軽く右膝を、飛びついてきた男の頬に合わせて突き出す幾嶋。
綺麗にカウンターが決まって、男は白目を剥きだして再び地面に伏した。
傍目には手加減をして軽く合わせたように見えるが、竜殺しの幾嶋が放つカウンターである。
軽く見積もっても、男の頬骨は陥没骨折が免れないだろう。
そこへ路地から遅れて飛び出してきたのは、身長が2m近くはありそうな大男だった。
「うおぉ、どういう事になってんだ、こりゃあ?」
身長だけでは無く体重も軽く150kgを超えていそうなその巨漢は、白目を剥き地面に倒れている男を見てから、次に3人組の方を向いて、野太い声で訊ねる。
「サイラスさん!」
「こいつが俺たちの邪魔をしやがるんです」
「やっちゃって下さいよ」
幾嶋にブルっていた男達が、急に元気づいたように声を上げた。
先程から、チラチラと路地の奥を見ていたのは、この男の到着を待っていたのだろう。
サイラスと呼ばれた巨漢は、自分の存在感をアピールする演出を心得ているかのように、ゆっくりとためを作って幾嶋の方を振り向いた。
言い換えれば、余裕たっぷりという雰囲気を醸し出そうとしていた、とも言えるだろう。
サイラスと言う男は全身に革鎧を纏い、鉄製らしき胸当てと手甲が鈍く銀色に輝いているが、あまり手入れをされているようには見えない。
「サイラスさんはなあ、A4ランクの冒険者なんだぞ!」
「さっさと逃げれば良いものを、こうなったらお前も逃げられねーぞ!」
サイラスという巨漢の後ろから、2人組が口々に幾嶋を脅かしにかかるが、そもそも幾嶋はA4ランクと言われても黒毛和牛の等級くらいしか思い当たらない。
つまりは、何の事なのかまったく判らないのだ。
「サイラスさんは、竜殺しのパーティにも居た事があるんだぞ!」
男達の一人が放ったその言葉に…… 正確に言えば『竜殺し』という単語に、それまで平然としていた幾嶋が反応した。
竜と言う単語を聞いて、幾嶋の放つ雰囲気が一気に変わる。
「おいおい、そんな昔の話を……」
あたかも謙遜したかのように、自慢気に話を遮ろうとしたサイラスの言葉が止まった。
「ひっ!」
幾嶋を見た巨漢のサイラスが、体に似合わぬ短い悲鳴を上げて、へなへなと腰を抜かしたように座り込む。
幾嶋の全身から放たれる憎悪のオーラが、瞬く間に彼の周囲を貫いて黒く染め上げ、次の一瞬で嘘のように収まった。
幾嶋自身、自分が何に反応したのか、まったく判っていない。
未だ戻らない記憶の断片に、男の放った竜という単語が反応したに過ぎないのだ。
「この野郎! 不意打ちで、おかしな術を使いやがって!」
サイラスが、巨体に似合わぬ俊敏さで飛び起きて、幾嶋に掴みかかる。
自分の見せた醜態を、仲間に対して何かの術を使われたとアピールしたいのだろう。
幾嶋に殴りかかろうとした巨体が、膝からズルリと崩れ落ちてゆく。
その場から一歩たりとも動かないでいた幾嶋の右掌が、崩れ落ちるサイラスの胃の辺りにあった。
吹き出すサイラスの胃液を避けて、幾嶋は後方の3人に訊ねる。
「まだ、やるのか?」
3人組はブンブンと頭を左右に振って、既に戦意が無い事を示していた。
幾嶋がルーベルとエステルの方を振り向くと、ルーベルが幾嶋を見て怯えたように少しだけ身を固くしたが、構わず近寄って男の傷の様子を確かめる。
エステルは特に怯えた様子もなく、心配そうに男の様子を確かめる幾嶋を見ていた。
「とりあえず神殿へ連れて行こう」
そう言って、幾嶋は倒れている男を抱き上げて、早足で歩き出した。
それに遅れまいと、ルーベルとエステルが慌てて追いかけて行く。
幾嶋達が立ち去った後方では、野次馬たちが遠巻きに見ている中、倒れた巨漢のサイラスと、先に倒れた男を3人組が必死で起こそうとしていた。




