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異世界の機神 【寝過ごしたら、そこは異世界 】  作者: 藤谷和美
第三章:初級冒険者 イクシマ
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独りぼっちのエステル

「とんでもない! 理由も無しに、こんな大金もらえるもんかね」


 受け取ることを渋る露店商の女性に、なおもオーガ討伐で手に入れた金の入った袋を押しつける幾嶋。


「正当な理由はちゃんとありますよ! あなたがエステルを預かってくれなければ、このお金を稼ぐことも出来なかったし、エステルが此処で待っていたからこそ、親切な人達に出会えて足を治してもらえたんですから」


 それは確かに、事実だった。


 足を痛めたエステルを連れたままで、三人組の依頼を引き受けることは出来なかったし、当然大金を手に入れることも出来なかった話だ。

 しかもエステルはこの場所にいたからこそ、その8人組に出会うことが出来て、幸運にも足を元通りに治療してもらえたのだ。


 露天商の彼女が、素性も判らぬ幾嶋の願いを聞いて、エステルを預かってくれたからこその幸運なのだと、幾嶋は言いたかった。


 その幾嶋の押しに、露天商の女性も折れたようだ。


「わかったよ! これはありがたく頂くけど、それにしてもお礼には多過ぎる。 だから、あんたたちは、うちに好きなだけ泊まっていきな! どうせ、泊まるところも決めてないんだろ」


 つまり、前払いの宿賃としてなら受け取るという事だった。


 普通の冒険者が泊まる程度の宿の宿泊料金に換算しても、食事付きで1年以上は楽に泊まれる額に相当するのだが、本当の名目で無い事はお互いに判っている。

 お金ひとつ受け取るにも、大人には大義名分というものが必要なのだ。


「それにしても、不思議なことがあるもんだね。 あたしゃ、まるで気が付かなかったよ」

 露天商の女性は、エステルの足が治っていることに、気が付いて居なかったそうだ。


「なんだか、代わった格好をした冒険者の人達がエステルちゃんと話しているなあとは思ったんだけど、こっちも商売が忙しくてね…… 」


「ねえジョーーってば、聞いてるの?」


 幾嶋は後ろでエステルが叫ぶ前に放った、バレリーと言う名前に、何故か反応した。

「バレリー?…… 」


 エステルの放ったその名前は、幾嶋の胸をチクりと痛ませたようだった。

 もう、あの頃と同じ心臓など、そこには無いと言うのに……


 そこに収まっているのは、人為的に機能を強化された、特別に頑丈で自己修復機能をも持った人造の生体器官なのだ。


 機能最優先で設計されているそれは、言葉一つで胸が痛むなどという戦闘に不要な機能など、本来は搭載されていないはずだった。


 もし仮に、心理的な影響を受けて胸が痛みを感じるとすれば、それは戦闘マシンとしては、性能を低下させる機能である。

 何故ならば、感情という不確定なものに左右されてしまえば、必要なときに殺すべき対象を、必要なタイミングで殺せなくなってしまうからである。


 それは、対竜族特化の生体兵器ドラゴンスレイヤーとしては重大な欠陥となる要素であろう。

 しかし、人としての脆弱な部分は、幾嶋が感情を持った一人の人間として生きて行く上では不可欠な機能でもあるのだ。


 魔総研のドラゴンスレイヤー開発チームは、対象者の精神崩壊を防ぐ手立てとして、人間的な感情を実感できる機能を残すことを選択した。


 実験動物と異なり、高度な知性を持つ人間が体を機械に置き換えられるという事は、多大なストレスを産む。

 自分の存在が本質的に他と違うと言う事、自分が人では無い対竜族特化の生体兵器サイボーグであるという認識は、人間としての記憶や感情とは相反するものである。


 実験対象を人間の側に引き止めておくための有効な策が、生殖機能をも含む人間的な感情や空腹感などの原始的プリミティブな反応を、機能として実装しておくという判断に繋がったのであった。


 エステルが話す『バレリー』と言うその言葉の響きに、幾嶋に残された人間的な機能の何処かが反応した結果が、その僅かな胸の痛みであった。


(バレリー? 何だろう、何処かで聞いたような気がする…… )


 幾嶋の、まだ修復が完全では無い記憶に、夏の木漏れ日を浴びて眩しく輝く白いワンピースと、長いプラチナブロンドの髪の毛だけが、僅かにぎって消えた。


「それでね、そのバレリーって子がね、わたしのお腹にね…… 」


 エステルが、懸命に足を治して貰った時の事を幾嶋に伝えようと、後ろから話を続けていた。

 しかし、幾嶋は自分の脳裏を過ぎった白いワンピースとプラチナブロンドの髪の毛が何だったのか、それが妙に気になってしまい、エステルの声は最後まで届いていなかった。


「ちょっと剣士さん、後ろで可愛い子が膨れっ面して睨んでるよ」

 露天商の女性に肩を叩かれ、後ろを指差されて現実に引き戻された。


 後ろを振り向いて見れば、エステルが頬を膨らませて、不満そうに幾嶋を見上げていた。


「あ、ごめんごめん、何処まで聞いたっけ?」


 反射的に腰を落として、エステルと同じ目の高さになり謝る。

 しかし、エステルはご機嫌斜めのような、それでいてどこか寂しそうな顔をしていた。

 その年齢に似合わぬ複雑な表情が、突然、不安で溢れそうなものに変わった。


「ジョーは、わたしの事が邪魔になったの? わたしの足が治ったから、もう何処かへ行っちゃうの?」

 エステルが腰を屈めた幾嶋の、膝に乗せた左手の小指を小さな手で掴んで、寂しそうに言った。


 突然現れてにえとなる運命だったエステルを救い、逃げられぬように壊された足を治すためにあれこれと奮闘してくれた、エステルにとって遺跡の神様でもある幾嶋という男。


 そんな不思議な縁も、彼女の壊された足が治ってしまえば、もう彼がエステルに構う理由は無いのではないか、そう思ってしまったのだ。


 また、以前のように独りぼっちになってしまう、そう思ったら不安に押しつぶされそうで、耐えられなくなってしまったのだった。

 もし足が治っていなかったら、ジョーはずっと一緒に居てくれるのではないかと、そんな考えも頭を過ぎる。


 幾嶋は幾嶋で、具体的な先のことを何も考えていなかった。


 目覚めてみれば、魔総研の建物は廃墟寸前の様相となっていて、外に出てみれば、足を潰された少女が所在なげな後ろ姿を見せていたのだ。


 自分の存在も能力も明確に理解をしているが、何故か目覚める前の記憶が朧気で、具体的に思い出せるものが無かった。


 後は、状況に流されるままに少女を救い、途中でワイバーンを倒して、ここまでやってきたのだ。


 ワイバーンの姿を見たときの自分の感情の高ぶりも、理由が解らないものだった。

 とにかく、目の前に現れた亜竜ワイバーンが憎くて仕方なかった。

 しかし、それが何故なのかは自分でも解らない。


 エステルの足が治った事で、一つのミッションが終了したという、例えて言うならば区切りの良い気持ちになっているのは事実だ。

 もしかすると、そんな微妙な幾嶋の変化を、エステルは感づいたのかもしれない。


 そう、本来ならば、まずは此処が何処であるのか、そしてあれから何が起きたのかを知るべきなのだ。


 そこまで思って、幾嶋は心の中で首を傾げた。

(あれからって、そもそもあれって何だ? 俺は何故、あの場所で眠っていたんだろう…… )


 長すぎる眠りは、幾嶋の脳の機能に僅かな損傷を与えていた。

 そして、その記憶の完全な回復には、まだまだいくつもの切っ掛けが必要だった。


 今は、記憶のデータ領域とそれぞれのインデックスが紐付けされていない状態に近い。

 自己修復機能によって脳の損傷は既に回復しているが、永い眠りにつく前の記憶が、所々欠けたように呼び出せない状態なのだ。


(自分は幾嶋いくしま ゆずる、あの場所は魔総研、俺はジョーと呼ばれていた…… 誰に? 魔総研って何だ? )


 頭に浮かぶ言葉に整合性のつく説明がつけられなかった。

 そんなときに、左手の小指をギュッと強く握り締められた事に気付いた。


 意識を現実に戻してみれば、目の前には涙が溢れそうになって自分を見つめているエステルの怯えた顔があった。


「わたし、もう独りぼっちはイヤだ…… 」


 ようやくそれだけを言うと、エステルが小さな唇をギュッと噛みしめて涙を流すまいと懸命に堪えているのが解った。


 すっかり自分の事に気を取られていて、小さな彼女のことを忘れていた不安にさせた事に気付き、幾嶋はそれを恥じた。


 空いている方の右手で、エステルの頭を優しく撫でる。

 左手はエステルが握ったままで離してくれないから、そのまま屈んだ膝の上だ。


(あの村に帰しても、この子は行き場が無いのだろう。 もうずっと以前から、この子は独りぼっちなのだ)


 だからこそ、にえとして生かされ捧げられたのだ。

 そう思えば、足が治ったからと言って、村に帰して幸せになれるという事は考えられない。


 それは、竜神と呼ばれていた亜竜ワイバーンを幾嶋が倒したからと言って、解決する問題では無い。

 身寄りの無い少女に贄としての役目が無くなれば、無駄に生かしておくだけの『ゆとり』は、あの村に無さそうだった。


 12歳にしては小さく幼いその体は、満足な食事も摂れない過酷な生活を、少女が長い間過ごしてきた事を物語っている。

 体が年相応に成長していれば、一人前の労働力として見て貰える事も可能だが、現状ではそれも難しい。


 幾嶋は心を決めて、それをエステルに告げる。

「大丈夫だよ! (独り立ちできるようになるまで、)僕は君と一緒に居るよ」

 幾嶋は、独り立ちできるまで、という言葉は飲み込んで口にしなかった。

 それを彼女が理解して納得できるには、まだ早いと思ったのだ。


「本当に?!」


 たちまちエステルの顔に笑顔が戻り、幾嶋の首に両手で抱きついてきた。

 ギュッと抱きついたまま離さないエステルの、小さな吐息の温度が幾嶋の首筋を熱くする。


「本当だよ」


 耳元でやさしく囁くと、幾嶋の首に抱きついたエステルの細く小さな両腕が、一層強く幾嶋の首を抱きしめて、それに応えた。

 やがてエステルの呼吸は、まるで深呼吸をするかのように、ゆっくりとしたリズムで深いものになってくる。


「小さい頃ね、哀しいことや怖いことがあるとね…… お父さんやお母さんに、こうして抱きついてじっとしてたの」

「うん…… 」

 エステルが、父親や母親が生きていた頃の事を話し始めた。

 幾嶋は黙って、それを聞いている。


「そうするとね、すごーく気持ちが楽になって落ち着くの。 ちょうど今みたいな感じなの」

 そう言った後で、照れくさそうにエステルはエヘヘと笑って、幾嶋から離れた。


「ずいぶん若いお父さんだねぇ。 剣士さん、あんた幾つだい?」

「うーん、23歳でしたね? 確か…… 」

 露店商の女性の問いかけに、あやふやな記憶を手繰って応えた。

 たしか、当時は23歳だったはずなのだが、それは今から何年前の事なのだろう……


「なんだい! 自分の歳をあやふやに言うのは、もっと歳を取ってからにしなよ」

 露店商の女性は、幾嶋が冗談で歳を誤魔化そうとしたと誤解していたが、それを否定する理由も無い。


「そうか、エステルと11歳しか違わないのなら、娘と言うよりも年の離れた妹みたいなものですかね」

 思わず、幾嶋がそう呟いた。

 エステルはそれを聞いて、ちょっと不満気に幾嶋を見上げている。


「あんたたちの関係は、家でゆっくり聞くとするさ。 それじゃあ少し早いけど店じまいするから、手伝っておくれ」

 そう言って、露店商の女性は店を片付け始めた。


「本当に良いんですか? たしか娘さんと二人暮らしじゃ…… 」

 遠慮がちに幾嶋が訊ねる。


 まだ勝手を知らぬこの世界で、泊めて貰えるのは正直に言えば嬉しい。

 自分だけならば何処でも寝られるが、エステルにそれを付き合わせる訳には行かないだろう。


 幾嶋の産まれ育った世界の常識では、女性だけの家に男が泊まるのは、周囲から要らぬ誤解を招く元であった。

 また自分自身が、要らぬ誤解やトラブルにも巻き込まれかねない。


 幾嶋は、この世界の常識が判らない分、素直に聞いてみたのだ。

 だが、帰ってきた答えは、あっけらかんとしたものだった。


「あー、心配してくれて有り難いけどね、あたしにとっちゃ用心棒が居るようなもんで、逆に安心さね。 その代わり、うちの娘に手を出したら殺すよ!」

 露店商の女性は、ドスの効いた声でそう告げると、幾嶋を睨んだ。


 幾嶋は、顔の前で右手をブンブンと振って、そんな事はしないと否定する。


 露店商の女性は、それを見て大きな声で笑い出す。

 それと同時に、商品価値があるとして無法者に狙われるような娘とは、どのような女性なのかと言う野次馬的な興味も湧いてきた。


 空を振り返れば、日はかなり傾きかけている。

 大通りを通る人の中には、人間とは思えない姿をした者も多かった。


 見るからに獣のような顔をしている人や、鱗で覆われたトカゲのような顔など、幾嶋が見たことの無い亜人とも言うべき姿をした者が通り過ぎて行く。

 人間と幾嶋が判断できる姿の者と比べて、その構成比率としては多くないが、ごく普通に街を歩いているのだった。

 そして、それを物珍しそうに見ている人間は幾嶋の他に誰も居なかった。


 きっとこの世界では、それが当たり前なのだろうと幾嶋は結論づける。

 これもまた、幾嶋が目覚める前に何があったのか知る事ができれば解る事なのだろう。


 まだ生きているGPS衛星から、幾嶋が導き出したこの都市の座標は、日本の富士市中心部と判定されていた。


 しかし、GPSの示す座標が正確であるならば、当然見えるべき富士山の姿は何処にも見えなかったのである。


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