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ワイバーン

「もう良い?」


 ギュッと目を固く閉じて両耳をしっかりと押さえたまま、そう尋ねるエステル。


「もう大丈夫だよ」


 恐る恐る目を開けるエステルだが、既に幾嶋は踏み固められた道を辿ってエステルが暮らしていた村へと向かっていた。


 エステルの潰された足を、治療する手立てを聞くために……


 森の中を慎重に歩いて行く内に、エステルは鎮痛薬の副作用からか小さな寝息を立てて眠っている。

 エステルを起こさないようにゆっくりと歩いて幾嶋が村の裏門へと辿り着いた時には、太陽も中天を過ぎて時刻は午後になっていた。



「お前は何者だ、その子をどうした? 何故連れてきたんだ!」

「あぁ、もうこの村は終わりだ… 」

「村長を、村長を呼んでこい!」


 小太りの中年男から指示を受けた若い村人が、それを聞いて村の中へと駆けだしてゆく。

 裏門の前で誰何を受けた幾嶋は、その手に抱いたエステルを見咎められていた。


 口々に「エステルを戻せ!」と大声で叫び、草をすくう大型のフォークや大鎌を構えた村人達が幾嶋に迫るが、大剣を背中に背負いボディアーマー着込んでヘルメットを背中に吊り下げている幾嶋を見て、実際に手を出す勇気のある者は無い。


「この子の治療をしたいんだが、何処へ行けば良いか教えてくれないか?」

 そう尋ねてみるが、誰一人として幾嶋の問いかけを聞く耳を持つ者は居ないようだった。


 そんな事をしているうちに、押っ取り刀で駆けつけてくる村人たち。

 皆、手に手に農具やら山刀やら斧などを構えている。


 人数が増えたことで安心したのか、門番をしていた小太りの中年男が幾嶋に大型のフォークを突き出しながら、エステルを返すように要求した。


「おめえさんが、いくら強え騎士だとしても子供を抱えてこれだけの人数を相手にはできめぇ、大人しくエステルを元の場所に返してこい」

「そうだそうだ、村の事情を何にもしらねぇ癖に余計な事をすんじゃねえ!」


 幾嶋がエステルを左手だけに抱きかかえ治すと、エステルは幾嶋の首に両手で抱きついた。


 一度は全てを諦めて死ぬ覚悟をしていたとしても、一度助かってしまえば押し殺して来た死への恐怖というものは再び抑えられるものでは無い。


「大丈夫だよ」

 そう行って幾嶋はエステルに微笑みかけると、彼女は小さく頷いて見せた。


 幾嶋は小太りの中年男に向き直り、目の前に突き出されている太い鉄製フォークの柄を右手で握ると、いとも簡単に握りつぶして見せた。


 幾嶋の右手の中で圧壊した木製の太い柄は粉々に砕け散り、先端の鉄製フォークが地面に落ちて音を立てる。


 短い柄だけになったフォークの残骸を見て、小太りの中年男は怯えたように慌てて若い村人たちを掻き分けるように後ろへと下がって行った。


「どちらの剣士様かは存じませぬが、その子は村を守る為の大事なにえとして竜神様に捧げられた供物でございます」


 恐らくは村長なのであろう、口々に喚くだけの村人達とは異なった初老の男は落ち着いた口調で、幾嶋に向かって静かに言葉を続けた。


「もう竜神様が訪れる時刻はとうに過ぎておりますれば、恐らく直ぐにでも村は竜神様に蹂躙される事でしょう。 あなた様はそのような大事を引き起こすお覚悟があってその子を助けられたのではありますまい」


「この子を助けたいと思ったから助けたまでの事です、この子を犠牲にして自分たちだけは助かろうだなんて浅ましい人達がどうなっても知ったことではありませんよ」


 そう言い返す幾嶋、村の置かれた事情は解らないでも無いが、それと少女を見殺しにするという事は別だと考えていた。


「そんな事よりも、このあたりに新港市へと通じる幹線道路があったはずなんですが、海すら見えないなんて事は…… 」

 辺りを見回しながら、そう問いかける幾嶋。


 位置的に、魔総研のあった場所から考えて村の位置は新港市の北西にある漁港のあたりである筈なのだ。

 しかし周囲には海の匂いすらしない。


 どう見ても、ここは山の奥地だとしか思えないような村の風景だった。


「来たあぁぁぁ、竜神様だぁ!」


 その声を切っ掛けに、村人達は大慌てで家の中へと逃げ込んでゆく。

 空を見上げてみれば、竜族の中でも亜竜に属する、コウモリに似た翼の代わりに腕を持たないワイバーンの姿がハッキリと確認出来た。


 大きいと行っても、それは幾嶋が倒した真性の竜族程では無い。

 精々、体長は長い尾を含めても15mから20mと行ったところだろう。


「あなたは、逃げなくて良いんですか?」

 幾嶋が責任者らしき初老の男に尋ねると、男はこう答えた。


「より大きな犠牲を出さないためには、誰かが竜神様と話を付けなければなりますまい」

 そう言って初老の男は、空を見上げてワイバーンが降下してくるのを待っていた。


「わたしの曾爺さまも、こうして竜神様と話を着けた事があるそうですよ」

 ポツリと初老の男が幾嶋に言う。


「竜族などと話が着けられると思っているのか? 奴らは人間を滅ぼそうとしているんだ」

 そう言って、幾嶋は初老の男を思いとどまらせようとしたが、初老の男は言葉を続けた。


「なあに、相手はなまじ知恵があるだけに、下手に抵抗するよりもお願いをした方が助かる可能性は高いのですよ。 その代わりに今度のにえは、間違い無く一人では済みますまい…… 」


 そんな皮肉を込めた初老の男の言葉に、幾嶋は即座に反応した。

「まさか、あなたが犠牲になろうなんて思っているんじゃ… 」


 初老の男は、幾嶋の方を振り返ってニヤリと笑った。

「竜神様は年寄りの固い肉なんぞに興味はありませんよ、あの方が好まれるのは12歳から16歳までの若い女の子だけです」


「竜族のくせにロリコン…… 」


 そんな、空を見上げた幾嶋の吐き捨てるような呟きをエステルは聞き逃さなかった。


「お兄ちゃん、ロリコンって何のこと?」

「いやっ、そういう事はまだ早いから、いや覚えなくて良いから…… 」


 幾嶋が緊迫した場面で、場違いに慌てていると地響きを立てて裏門に近い場所にあった広い畑に、ワイバーンが着地したようだった。


「僕がなんとかしますから、この子を少しだけ預かってもらえませんか?」

 無理矢理エステルを初老の男の腕に抱かせると、幾嶋は背中の大剣を抜いてワイバーンに向き直った。


「あんた、そりゃ無理だ! 下手に抵抗すると村人がみんな殺されちまう、お願いだから止めてくれ!」


 幾嶋に向かって叫ぶ初老の男だが、彼は幾嶋が竜族を倒すために生まれた戦士であることを知らないのだから、当然の反応なのだろう。


『どうした、なぜ供物が無いのだ? 代わりにあったのは魔物の千切れた死体ばかりではないか、わしら竜族は魔物でも喰えと言いたいのであろうが、愚弄すれば死あるのみだぞ』

 ワイバーンの野太い声を通して、怒りの感情が頭の中に流れ込んでくる。


 幾嶋はワイバーンに向かって右手を伸ばし、片手で握った大剣を突きつけるようにして言い放った。

「3秒やろう、目を閉じて多くの人を苦しめた罪を悔いろ」


『なんだ貴様? 人間ごときに何ができると言う…… 』


 皆まで言い終える事なく、ワイバーンの首は胴から切り落とされて畑に落ちた。

 そのワイバーンの目は、未だ自分が死んだ事を理解できないかのように瞬きを繰り返していた。


「3秒って言っただろ」


 ワイバーンの乗用車程の大きさがある大きな頭部に乗って冷たくそう言い放つと、幾嶋は右足を軽く上げて力一杯踏み抜く!

 太い木の幹が一瞬で折れるような濁った短い音がしてワイバーンの側頭部が簡単に陥没すると、その目は光を失って動きを止めた。


 長い年月をコールドスリープで眠っていたとしても、未だに幾嶋の竜族に対する恨みが消える事は無いのだ。


「あ、あんた、いったい何者なんじゃ?」


 目の前でワイバーンを瞬殺するという信じられない出来事を目撃した初老の男は、膝の力が抜けてエステルを腕に抱いたまま座り込んでしまう。


「あのね、神殿の奥にある開かずの扉から出てきたのよ」

 無邪気にそう言って、嬉しそうにクスクスと笑うエステル。


「誰も扉を開ける人が中に居ないのに、勝手に扉が開いて中の狭い部屋から兄ちゃんが出てきたの」

 嬉しそうに、幾嶋が登場したときの事を話し続けるエステル。


「あれはエレベーターって言うんですよ」

 そう言いながら幾嶋は、初老の男の腕から自分の腕へとエステルを抱き寄せた。


 エステルの話を聞いて真っ青な顔になり、ガクガクと大げさに震えだすのは初老の男である。


「あなた様は、もしや神殿の奥に眠ると昔より伝えられている竜殺しの機神様でございませぬか?」

 必死の様相で頭を地面に擦りつけながら、幾嶋にそう尋ねる初老の男は、自らを村長であると言い、名をヤマモトと名乗った。



「竜殺しはまだ判るとして、機神ってのは何ですか?」


 出されたお茶を飲みながら村長にそう尋ねる幾嶋。

 エステルは幾嶋の膝の上に乗って、その胸にもたれ掛かりながら美味しそうに木の実が練り込まれた黒パンを頬張っている。


 既に場所は村長の家の、大きな一枚板のテーブルと粗末な椅子が置かれた居間に移っていた。


 村長の家の周りは、村人たちが集まってやけに騒がしい。

 みんな、言い伝え通りに神殿から現れた伝説の機神様を一目見ようと集まってきたのだった。


「かつては街にイシクラと言う代々学者の家系がありましてな、今はもうすっかり途絶えておりますが、年に一度は必ずこの村に寄って神殿を訪れては、村人に神殿の地下には機神と呼ばれるキカイの体を持った竜殺しの神様が眠っていると、そう繰り返し言っておったそうです」


「俺が神様ですか…… 」

 とんでもない物にまつり上げられちゃってるなぁと、村長の話を聞き、自分の顔を指さしながら半ば呆れる幾嶋である。


「機神様に一つだけお伺いしたいのでございますが、言い伝えのキカイとは何の事でございましょう」


 そう尋ねてくる村長、恐らくは丸のまま覚えさせられた言い伝えの中で、唯一意味が解らない単語だったのであろう。


「うーん、生身の人じゃあ無いって事になるのかなぁ…… 」


 そもそもが、機械という概念が無さそうな村であるだけに、なんと説明して良いのか思いつかないのか、幾嶋は苦し紛れにそう答えた。

 その返答を聞くと、テーブルに頭を擦りつけるようにして平伏する村長であった。


「人では無い! やはり機神様でありましたか。 ありがたいことでございます」


「いえいえ、そんな事よりもエステルの足を治療するにはどうしたら良いのでしょう?」

 そう尋ねる幾嶋に対して更に平伏する村長。

 彼女の足を潰した自分たちの行為を、遠回しに責められているとでも思ったのだろう。


「申し訳ございません、私の曾祖父の時代に逃げ出したにえの娘がおりまして、その年は働き盛りの男が次々と竜神様に襲われ、畑は荒らされて食べる物も無く、多くの村人が飢え死にをいたしました。 それ以来可哀想ではございますが、その… にえの足を逃げられないように…… 」


 残酷なことをしている自覚はあると言い訳をする村長、代々伝わる鎮痛薬を服用させる事も言い訳として明かしたが、幾嶋はそんな事に興味は無かった。


 竜魔大戦の時でさえ、自分たちが助かりたいが為に逃げ込んだ負傷兵を竜族に差し出す都市すらあったのだから、人間ひとの弱さとはそういう物だと、納得は出来ないが非難をしようとは思わない幾嶋である。


 もちろん竜族が人間族を見逃す訳もなく、その都市も他の都市と同じく灰燼に帰したと彼も聞いている。


 だが、幾嶋が目覚めたこの世界と言うよりも、この時代は供物を差し出せば竜族に見逃して貰える程には奴らと敵対をしていないようだと判断した。

 そして、何よりも彼らは竜族を神と崇めてさえいるではないか。


 この、見るからに低い生活の程度を知れば、その文明の遅れも計り知れると言うものだ。

 いったい、あれから何年が経過しているのだろうと、幾嶋は村長の言葉を聞き流しながら頭の隅で考えていた。


 結局、村長の話からは何も得られる物は無かった。


 幾嶋は、少し足が痛み出したと訴えるエステルを一刻も早く治療するために、村長の家を出て神殿があるという遠くの街まで行くことにした。


 聞いたことの無い国名にしても、建国してから700年にも満たない若い年号にしても、幾嶋が戦っていた時代からどれ程の年月が経過しているのかを判断する材料にはなり得なかったのだ。


 ただ一つ言える事は、村長が話してくれた古い言い伝えの「遙かなる昔、いにしえの神々の争いあり… 」という一節が事実を伝えているのであれば、神話時代に相当する程の遠い昔に人類が滅亡の危機に瀕するような大きな戦いがあったのだという事だけは、幾嶋にも想像が出来た。


 幾嶋はエステルを腕に抱きながら村長の家を出て、騒々しく騒ぐ村人達に取り囲まれながらも考える……


 恐らく「遍く全ての生き物の上に火の雨と氷の槍が降り注ぎ… 」と言う一節は、あの後に自滅覚悟のテラフォーミング弾による攻撃が無差別に行われてしまったのだろうと思える。


 そうだとすれば、言い伝えにある「大いなる災い」とは、その事を指している可能性は高い。


 そのように考えて見れば「大地は割れ、山は海となり海は山となり、星は位置を変え空は裂けた」という部分も、大きな地殻変動が起きたことを意味していると受け取ることは出来る。


 あの戦争当時は海辺の漁村であったはずの、この村の位置から海の気配すらしない事は、それを現しているのかもしれない。

 そう幾嶋は思った。


 星が位置を変えると言うのが本当であれば、最悪の場合は地軸さえズレているのかもしれなかったから、まだ辛うじて生きていたGPS衛星で把握出来ている自位置が、もしかすると見当違いの場所なのかもしれないという疑問も残る。


 しかし、それは別の可能性として、地殻の大規模な移動により見える星の位置が変わったという事なのかもしれないので、それ以上この件について考えることは保留する事にした。


 恐らく、設計耐用年数が千数百年程度の高寿命GPS衛星がまだ生きていることから考えると、時間の経過は、あの大戦から多くて千数百年を超えることは無いだろうと判断していた。


 そう考えて見れば、見回した村の文明レベルが恐ろしい程に低いのも理解が出来る。

 人類は何も無い処から、再び1からのやり直しをしているのだろう。


 機械という概念すら無い文明レベルの世界に自分は目覚めたのだと、幾嶋はエステルを両手で抱え直しながら、そう結論づけたのである。



「街に行かれるのであれば、これをお持ち下さい」

 村長が幾嶋に差し出したのは、A6(はがき)サイズ程の薄い2枚の木札であった。


 焼き印による焦げた線画で、村の紋章であろうと思われる図形を描いたそれを裏返してみると、明らかに見慣れた日本語の文字でエステルと幾嶋がこの村の出身である事を証明するという内容が、焼きごてによって刻まれた僅かな漢字と多くの平仮名で書かれていた。


「機神様でありますれば強固な街の城門とて押し通る事も容易でございましょうが、要らぬ騒動は避けるが宜しいかと思いまして…… 」


「ありがとうございます。 でも、もう機神様は勘弁してくださいよ」


 そんな物が必要なのかと驚き、改めて自分がこの世界のルールを何も知らない事に気付き村長に礼を言う幾嶋だが、村長もまたこの世界で生きてゆくのに最も必要な物がある事を、あまりに当たり前であるが故に失念していた。


 鎮痛薬が徐々に切れ始めて痛みを訴えるエステルの様子を見て、早々に村を退散する事に決めた幾嶋は、一刻も早く街へ向かおうと村長が差し出す鎮痛薬を念のために受け取り、背中から3対の光り輝く反重力飛行翼を展開して空中に浮揚した。


 この3対の飛行翼は反重力フィールドを空間固定したもので、それ自体は固定した実体を持たない。

 それは背後に展開された魔素の集合体が反重力効果を発揮して崩壊するときに光を発して、あたかも細長い羽のように見えるものである。


 それを見た村人達が一斉にどよめき、全員が地面に平伏している姿を見ながら、幾嶋はエステルの為に防御フィールドを前方展開して、教えられた街の方向へと飛び去った。


 生身のエステルに負担を掛けないように幾嶋が徐々に加速していったのは言うまでも無い。


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