9 今日から犬を飼いました
「聖女として目覚めたのは良いとして...これから私はいつまでキャサリンでいられるのかしら?」
アーサーとは、婚約破棄保留という扱いにしておいた。
「お父様、お母様、アーサーとは婚約破棄する予定ですわ。ですが、私、他人事と思えるほど前の記憶もないのです。
今の私の記憶にあるのは、アーサーが頭が悪いことと、宰相の息子クルトが、リリーという女に乗せられて私に一方的な暴力を働いたことだけですわ」
そういうと、カッと二人の目が見開かれる。
そして、低い声のトーンでお父様がわなわな震えながら私に聞いてきた。
「なに?宰相の息子がどうしたって?」
あら、わなわな震えながらも娘を怖がらせてはいけないというお父様の配慮、何とか無理矢理微笑みを浮かべようとするあたり、さすがジェントルマンですわ。
「リリー様を喜ばせるために、私を突き飛ばし、髪の毛を引っこ抜く暴挙に出ましてよ。そのためわたしはアーサーに保健室に運ばれるという痴態を晒してしまいましたの」
私は、苦しそうに顔を覆ってちょいと涙。
娘の涙は、武器でしてよ。
そして、お父様を上目遣いに見つめる。
「それは許せんな」
拳を、ぶるぶると震わせると血管が浮き出て、冷気が抑えきれない。
あらあら、窓に霜がつきましてよ。
きらりとお父様の目が光る。
「何か良い手がありますの?」
わたしは顔を上げて、ソファーに座り直す。
演技はここまでで充分。
あとはじっくり戦略を書きたいところです。
「たまには一般的な手を使うか?証拠も証言もとれるのだろう」
「そうですわね。ああ、でも気合いで怪我は治してしまいましたわ。それでもやった行為は罪に問えますわね」
私は扇子を口にあてる。
聖女の力は、まだお父様には黙っておこう。
「そういえば、変なことをアーサーが言ってましたの。宰相の子は、将来の宰相ですの?お父様?」
「は?貴族の子は貴族だが、宰相は役職だ。宰相の子供は、「宰相の子」という名称がつくにすぎない。」
ぽかんと口を開けて、何を言っているんだ?アーサーは?という感じの表情を浮かべる。
ふーん、どの国も政治家は世襲が多いのと一緒ね。
自分は跡を継げると思い込んでいるんでしょうね。
どの国もって??さて、私は他の国のことなんて知らんけど...
首を傾げながら、話を続ける。
「そうですのね。アーサーも、クルトも、宰相の子は、将来の宰相ぐらいの勢いですの。ですから、その勘違いは剥ぎ取っていただきたいわ。だって...暴行罪ですもの」
「おお!それはいいな!早速宰相の未来を剥ぎ取ってやる」
だが──
「貴方たち二人、甘くってよ」
ふんっと鼻息が聞こえそうな、いえ、すでにキリキリと歯軋りの音が聞こえてくるわ。
お母様、話しながら歯軋りも鳴らせるなんて、ある種技能ですわ。
キャサリン、あなたはまだまだ甘いんですってよ。
極悪令嬢も大変ね。
わたしは正攻法の嫌がらせしか思いつかないわ。
「お母様?妙案でも?」
「ふふっ、社会的制裁に抹消に決まっているじゃありませんか」
社会的制裁...まあ、暴行ですものね。
でも、どうするのかしら?
「良い手がありまして?」
「まず、宰相夫人の社交界からの追放ですわね。だって、そんな愚息を育て上げたのですから、責任はあってよ」
「いいですけど...お母様の立場は大丈夫ですの?」
「あら、さすが我が娘、優しいわね。キャサリンは。先生方もご存じなのよね?」
「ええ、もちろん。保健室にも行きましたもの」
きちんと、怪我の記録も残されているし、治ったのは王家の秘薬を塗ってもらったからだと伝えてある。
「それなら、大丈夫。なんのために、学園に多額の寄付をしていると思いますの?
擦り傷は、骨折に。切り傷は、半身不随に。骨折は意識不明にすることができましてよ。」
いやいや、そんな無茶な...
というより、存在しない秘薬で治っちゃったからなあ。
「お父様、お母様、私はそこまで怒っているわけではありませんの。お父様の軽い社会的制裁と、あのバカ坊を私の支配下に置ければそれで十分ですわ」
◇
「キャサリンお嬢様、この度は私の愚息がご迷惑をおかけしまして申し訳ありません。お願いです。お嬢様の気の済むまで叩きのめしていただきたい。その代わり、どうか、どうか息子の未来だけは...」
クルトは父親に連れられガタガタ震えている。
これは、単純に寒いからというのもある。
お父様、ブリザード効かせすぎですわ。
お母様、床が凍っていましてよ。
「ですけど、気が済むまでクルト様に関わったら、私、またリリー様を取り巻く殿方に暴行されてしまいそう。記憶もなくし、みんなの前での暴行、さらには言われのない暴言...」
「す、すまない。許してくれ、キャサリン。俺が、俺が思い込んだがばかりに...頼む。父みたいに立派に国のために働きたいんだ」
あら、形だけの謝罪なんて聞きたくないわ。
可愛いのは我が身だけね。
暴行罪が成立して、スネ傷持ちは宰相になれないとわかってこの手のひらの返しよう。
そんな男が権力を持つのは許されませんわ
私は冷静に告げることにした。
「いやですわ。まるで私が許さなければ悪いみたいな雰囲気に持っていこうとしますのね」
大袈裟にため息をつき、体を逸らし、扇子で口を隠しながら話す。
「女性に暴行するやつは、その場では優しく反省しても同じことを繰り返しましてよ。第一、貴方に名前を呼ばれても、貴方から結局正式な自己紹介は頂いてないんですもの。困りますわね」
わたしは、カツカツと凍った床の上を滑りそうになるのを堪えながらクルトの前で仁王立ちになる。
そして、扇子をパラリと開き、クルトをまっすぐに見据えた。
「膝をつきなさい」
「へっ?」
そう言われて屈辱なのか、クルトは顔を真っ赤にする。
「何がへっ?なのかしら?わたしはみんなの前で、床に薙ぎ倒されて、髪の毛を貴方に引っこ抜かれたの。普通に罪に問われたくないなら、わたしの犬になるしかないでしょ。
私、記憶にないのだけど、ペットには優しいみたいよ?」
ふふっと首を傾ける。
人を薙ぎ倒して、怪我させて、自分は膝をつきたくないなんて、バカにしてるわ。
「ああ、でも、私にしたような屈辱的なことを自分がされるのはお嫌なら、普通に法で裁いてもらいましょう。その方が私も本当はいいのです。だって、逆恨みって怖いですし...ねぇ、お母様」
「そうね、社交界でもこの男の嫁だけはやめておくように伝えておくわ。貴方のような目にあう女性が増えるのは困るもの。貴方が止めなければすぐ発動させるわ」
「お母様、私の味方でいてくださるのね」
それを聞き、父の宰相は更に慌てる。
婦女暴行にて、息子の未来がなくなり、社交界から妻が弾き出され、二度と貴族との縁組は望めない。
王の子供も、この一家をすでに怒らせていて、王家の仲裁に入ってもらうことも望めない。
オワタ...
宰相が白黒の影になり、目の中が白目、姿はチリになっていくわ
「父上!!」
泣き叫ぶクルト!
うるさい!お前もチリになればいい。
「キャ、キャサリン様、俺は、あなたの犬になります。」
クルトは、父親の落胆を見て、やっとやらかしたことに気付いたのだろう。
急いで膝をつき、四つん這いになる。
「私は、忠犬が好きなの。主人を間違える犬は許さないわ、ああ、でも...いい子にはご褒美はあげるからね」
私はニコッと笑い、履いているヒールの爪先をかるく、クルトの服の上からネクタイにかけてなぞってやる。
「あうっ..」
クルトはビクッとする。
「あらあら、純情な声を出しちゃって。クルト、私はキャサリンというらしいの。でも中身はキャサリンじゃないのよ。キャサリンが戻ってきた時には、忠犬の躾け方を書いて残すから安心して私の犬になりなさいね。さあ、誓約よ。言葉にしてごらんなさい」
くいっと、クルトのネクタイに指を這わし、軽く引っ張る。
「わ、わたしは...キャサリン様の忠実な犬に..なります」
「ふふっ、いい子ね」
私は再度ヒールの先で、軽く顎を撫でてやる。
クルトは真っ赤になりながらも、明らかに何かに目覚めたようだった。




