5 転ぶのはお約束
「ごめんなさい。走ったら転んじゃって」
甘い声に、ふわりと揺れるセミロングの髪。
ちょっと下目遣いの女の子。
もちろんお目目は、少し潤んでいる。
「いいんだよ。リリー。大丈夫?怪我はない?」
そんな声がここまで響いてくる。
こいつがリリーか...
なんというか、お約束の展開。
ん?何のお約束かしら?
「ふふっ、クルトが支えてくれたから怪我はなかったよ。気をつけなくちゃね。こうやってクルトが支えてくれただけでも、みんな誤解しちゃう!」
「誤解?」
「うん、クルトの彼女...なのかな?私がクルトに近づきすぎだって言われちゃって」
「そんなことをあいつ言ってきたのか!」
◇◇
「アーサー、私、今日このパターン何回見せられたらいいのかしら?ちなみにこのクルトは誰?」
「ち、ちがうんだ!本当にリリーは転びやすくて、ドジっ子なんだ。クルトは宰相の息子で信頼もおける。将来の宰相だからな。弱い人には特に優しいんだ。」
弱い人にはって誰のことだか?
大体、宰相の子供...なんて、ただの総理大臣の息子みたいなものでしょうに...
総理大臣......相変わらずわからない単語が、頭の中を駆け巡るわね。
きっと意味なく走り回る女を見たから、意味のない単語が頭を駆け回るのよね。
はぁ、迷惑甚だしい。
「ドジっ子なら、転ばないように歩けと言って差し上げたら?これぶつかったのが高齢者や子供だったなら、相手が大怪我するわ」
そう私が告げると、いい加減、同じパターンを見過ぎてしょんぼり肩を落としているアーサーに声をかける。
キャサリンも極悪令嬢らしいが、この男、頭も悪いが、女運も悪すぎる。
「もう、運命の愛なんでしょ?そこでしょげてどうするのよ?行くわよ!そのリリーと弱いものに優しい宰相の息子に会ってみようじゃないの」
わたしは、カツカツと革靴の音を立てて、階段を降りていく。後ろを急いでついてくるアーサー。
「あら?あの二人別れたんじゃなくて?」
「別れられなかったんだよ。可哀想なアーサー様」
「キャサリン様も、好きな人と結婚させてあげたらいいのにねえ」
これ見よがしに聞こえてくる。
「アーサー、私たち、あなたの浮気で別れたって言ってないの?」
私は大きな声でアーサーに聞く。
もちろん、みんなに聞こえさせるためだ。
「キャサリン、浮気じゃなくて真実の愛だ」
アーサーは、少し俯いて、もはやうわ言のように抵抗する。こうなると、哀れにも悪い宗教に洗脳されたレベルだ。
「そうだったわ。私以外の方と真実の愛に落ちたのよね。ちゃんと訂正してね。私、浮気する人は繰り返すと思っているから、もう別れたって」
そして関わりたくもないんだよ。
「ま、まだだ!まだ、俺たちは別れてない。少なくとも、記憶が戻ったキャサリンと話をしてないじゃないか?」
「はい?真実の愛のために、婚約者の記憶を消失させた男が、何もっともらしいことを言ってるのかしら?ほら、もう一回、みんなの目の前で復唱する?記憶喪失の前から、キャサリンは、アーサーのことは好きじゃなかったって。」
もちろん、目の前の喧嘩をみんなに聞かせれば、みんなのどよめきは半端ない。
「そうよね。好きな人って言えば聞こえがいいけど、婚約者がいるのにね」
「キャサリン様が迫ってるんじゃなかったの?」
「ええっ!別れたいけど、キープしながら別の女と?」
「キャサリン様、記憶がないって...でもいつもの手厳しいキャサリン様と変わらない気がするわ」
アーサーがオロオロし始める。
「しっかりなさいな。このどよめきこそ、あなたがキャサリンに与えてきたものでしょ。ここまでして、自分がキャサリンから好かれてると思うことが驚くわ」
「いや、キャサリンは君ほど極めていない」
「多分、嫌いな人と好きじゃない人の感覚の差よ。今までにされなかったんだとしたら、キャサリンの慈悲ね。」
全く、私を通じてキャサリンの方がマシとかやめて欲しいわ。
キャサリンも私も、あなたを好きじゃないのに。
その時───
「ああっ!アーサーぁ───!」
少し先の廊下から一直線!
リリーが走ってきた。
獲物はアーサー、さあ、どう動くのかしら?
わたしはアーサーに目線を向けて、ふふっと微笑んだ。




