16 アーサーの策略
モブ...転生者...
ぞわっとするような、底から血流が駆け巡ってくるようなデジャヴ感──
私はこの言葉を知っていた。
キャサリンではない。
わたしが...
先日からの単語が頭を駆け巡る。
「何のことです?」
わたしは、声が震えないように気をつけながら、ビシャビシャに濡れた髪の隙間からリリーの姿を捉える。
「野次馬に声かけてたじゃないの、そこのモブって。それ、地球の日本の言葉よね。」
わたしは、ガンガンと頭に響くように頭が強く増していく。
「...チキュウ......ニホン...」
地球、転生、日本......頭の中でその文字まで展開する。
思い出せない。
思い出せないのに、物語で
「あなたは転生者ね!」
と、言われるパターンがあることは思い出せるわ。
私は転生者──転生ということは、もう私はいないの?
もう、戻れる世界はないの?
冷静になれ。
ここで相手に隙を見せるな。
「何のことを言っているのかわかりませんわ。モブ......名前がわからなかったので、一般的な名前を呼びかけただけです。」
ふんっ!
私は鼻を鳴らして、再び帰路につく。
膝の擦り傷がズキズキ痛む。だが、それどころではない。
頭の中は「転生者」でいっぱいになった。
そこに──
「リリー、キャサリン様はそんなテンセイシャなんて軽々しいレベルの人じゃないんだからな。リリーだって知ったら跪きたくなるはずだよ。だって、キャサリン様は、わんわん!わんわん.......」
クルトは、思わず口を押さえる。
あっちが脳筋ならこっちはお花畑だったわ。
背後にクルトのバカ発言を聞きながら、誓約かけといてよかったとホッとした。
転生者に聖女となったら......
本当に典型的ありがちパターンのヒロインになってしまうじゃないの。悪役令嬢でヒロインの敵から、普通の転生者聖女のヒロインなんて格下げだわ。
私はね、みんなにちやほやされて、誰かのために何かをするほどお人好しじゃなくてよ。
そんなことするぐらいなら、このパターン化された世界を征服してやるわよ。
予言者と同じようなもんなんだから!
そんな私を、アーサーとクルトが慌てて追いかけてくる。
残った先には、怒りのリリーと呆然としたトーマス、そして
「モブ...って一般的かなあ?」
「聞きなれない気がするけど...」
そんなモブたちの呟きが残されていた。
私は、ビシャビシャになった服を軽く絞り、べったり肌に張り付いた服の上にアーサーのブレザーを羽織った状態で馬車に乗る。
座席には、クルトが自分のブレザーを敷いた。
口は軽いお花畑だけど、本当に気がきく犬になったこと。
DV男はダメといいつつ、今ならアンジェリカさんと再度おつきあいさせてあげたくなるわ。
させないけど...
冷えた体を早く温めたい。
わたしは軽く目を瞑る。
そして馬車は走り出す。
乗せられた馬車でそのまま家に帰り、お父様とお母様に泣きつく.....
そのはずだったのだ。
◇◇
「謀ったわねえ!」
ついたと同時に、馬車の中で暴れる。
「まあまあ、王宮の方がマグナカルタ家より近いし、すぐ風呂も服も準備させるから」
アーサーは、馬車で、そのままわたしを王宮に連れていくと言う暴挙に出た。
そして、すぐに執事に連絡を入れ、トーマスの父を呼びつけ、濡れてボロボロになった私を目の前に見せる準備を始めた。
「総司令官に連絡を。ご子息のトーマスが学園で問題を起こした。相手はマグナカルタ家の娘、キャサリンで、私の婚約者だ」
執事は、私の状況を見て慌てて連絡に奔走し始める。
トーマスの父である総司令官を、第一王子が国王や王妃を飛ばして、わざわざ内々に呼んだ理由。
それは、先に、わたしがお父様やお母様を使って、物事を大事にさせないアーサーの策略だ。
「こんな格好でなかったら暴れてやるのに!!お前、今度こそ許さない」
「すでに暴れているだろう!俺も考えを変えることにした。このままでは、どうせ許されないんだし、どうせこのままだと婚約破棄して、どうせお前の犬になるんだ。好き勝手させてもらう」
「このくそ駄犬!」
わたしは悔しくて、汚い言葉でアーサーを罵り、睨みつける。
そもそも、大事になるようなことをしたのはあなたでしてよ。
記憶喪失も、アーサーのせい!
とはいえ、被害を受けたのはキャサリンで、私自身はアーサーから何も被害を受けていないのだが...
絶対に、みんなの前で犬宣言させて、指責めした仕返しでしょう。
絶対にこの後、倍返しですわよ!
倍返し......なんか懐かしいワード。
ああ、この寒さで腐った頭が働いてくれたら、生きていることの苦しみを最大限にアーサーに与えてやれるのに。
濡れてガタガタ震えた状態で握りしめた拳が血の気なく白く冷える。
このまま、殴り倒してやるわ!
グーパンチッ!
と、思ったところで慌ててやってくる靴音がする。
「トーマスのお父上だ」
アーサーの小さな声を聞き、わたしは慌てて、拳を下ろす。
そしてらボロボロになった姿でやってきた男をじっと見つめる。
総司令官は、トーマスをさらに大きくした体躯で、溢れ出る筋肉とパワーを感じる男性だった。
お父様が氷だとしたら、目の前にいる男性は火だ。
「……マグナカルタのご令嬢、トーマスの父、ガルドバ=シモンズだ。息子のトーマスの不祥事、我が家を代表して心より謝罪申し上げる」
トーマスの父親は、べったり濡れて髪の毛が頬に引っ付くわたしを見て、真っ青になり、深く頭を下げた。
その威圧的な巨体が、小さく震え、わたしの怒りが揺れてしまう。
くっそー!アーサーぁ!
こんな大きな体の人に、息子のために震えて謝られたら、親の愛を感じちゃって冷たくなれないじゃないですの!
悲鳴のような叫び声が心の中で暴れ出す。
「息子と改めて、マグナカルタ公爵家に謝罪に……いや、これほどのお姿になられて。キャサリン嬢、どのように謝罪をするべきか。トーマスは、問答無用に神の道に入らせて、生涯自分の罪と向き合わさるつもりです。そして、このガルドバ、マグナカルタ家への忠義として、どのような形であれ、望まれる埋め合わせをいたします」
私はアーサーを見る。
どうやら、この男を舐めていましたわ。
大概不誠実な男のくせに、キャサリンの扱いはよく知っているのね。
わたしの中のキャサリンが、そこまでしなくていいよと、断罪を拒んでいる──
キャサリンは、極悪令嬢のくせに親子の情にもろい。
そこにつけこんでいるのだ。
あと──
総司令官をここで被害を受けているのはこちらだと伝えておけば、わたしが魅了でみんなを操っている加害者という憶測は防げるからでしょうね。
今までに見たことないぐらい、まともな判断力じゃないの。
アーサーのくせに生意気だわ。
ふんっ
「まずは、温かい風呂に入って身なりを整えたら、再度謝罪を受けるわ。トーマスは、わたしの犬にするからそのおつもりで。そんな恥ずかしいことをされるぐらいならといわれるなら、どうぞ神門に下られることをおすすめしますわ」
ぷいっとわたしは、ガルドバから目を背ける。
アーサーは、全く笑っていない目で、うさんくさくガルドバに微笑んだ。
「ガルドバ様、トーマスは彼女の「所有物」にすることをお勧めしますよ。何しろ、私も宰相の息子も、彼女に忠誠という名の首輪を付けられておりますが、後悔はしていませんので」
そう言って、びしゃぬれの私を優雅にエスコートしようとする。
「では、部屋まで、案内します」
私は、ビシャビシャな姿のままカーテシーをして、アーサーに手を添えたように見せる。
だがその瞬間、そのエスコートするアーサーの手をつねりあげるのを私は忘れなかった。




