私は、いらない子だったかもしれない
お読みいただきありがとうございます。初投稿です。
私は、いらない子だったかもしれない。いる子でもある。
画面の白が眩しい。テキストカーソルが点滅している。
冷房の効いた部屋なのに、キーボードに乗せた指が湿っている。
今日、私は初めて小説を書く。自分の話を。でも、自分の名前では書けないから、別の世界の別の名前を借りることにした。
震える指で、最初の一文字を打った。
公爵家の長女リーゼが初めて魔力検査を受けたのは五歳の春だった。結果は「極小」。
検査官は何も言わなかったが、父の顔から表情が消えたのをリーゼは覚えている。それでも、まだ愛されていた。おやすみなさいの前に母が頭を撫でてくれた。絵本を読んでくれた。リーゼの世界は小さくて、温かかった。
妹のノエルが生まれたのは、リーゼが六歳の秋だった。
ノエルが生まれた日、屋敷中が歓声に包まれた。産声を上げた瞬間、部屋に光が満ちたのだという。すぐに魔力検査を受けると、結果は「極大」だったらしい。
リーゼは、使用人に手を引かれて母の寝室に入り、小さな妹を覗き込んだ。かわいい、と思った。母の目が妹だけを見ていることには、まだ気づかなかった。
季節が変わるごとに、リーゼの世界は少しずつ削られていった。
おやすみなさいの前に頭を撫でてくれることがなくなった。母は、いつもノエルの部屋にいた。
両親が会ってくれるのはついに食事のときをだけになった。食卓で今日あったことを話しても、父は生返事を返すだけで、目は手元の書類に向いていた。
十歳の誕生日の朝、リーゼは少しだけ期待して目を覚ました。
去年は忘れられていた。でも、今年は違うかもしれない。夢の中で母が「おめでとう」と笑ってくれたから。
食堂に降りると、いつもと同じ朝食が並んでいた。パンとスープと果物。
父は、書類を見ていた。母はノエルの髪を結んでやりながら、今日の予定を話していた。
リーゼは、自分の席に座った。「おはよう」と言った。父が「ああ」と返した。母と妹には、無視された。
昼が過ぎ、夕方になった。陽が傾いて、窓から橙色の光が廊下に伸びた。
リーゼは自室の扉の前に立って、まだ待っていた。使用人の足音が聞こえる。
誰かが扉を叩いて、「おめでとう」と言ってくれるかもしれない。
結局、誰もいなかった。
ノエルの誕生日には、朝から屋敷の空気が柔らかくなった。母が花を飾り、父がノエルに贈り物を手渡した。銀の腕輪だった。
夕食の後には苺のケーキが出て、ノエルが蝋燭を吹き消すと皆が拍手した。ノエルの細い手首で腕輪が光るのを、リーゼは隣で見ていた。リーゼもその日は新しい服を着せてもらえた。妹の隣で笑う役を与えられたからだ。
妹が生まれるまでは、リーゼにもそういう誕生日があった。
今日、リーゼの十歳の誕生日に、花はない。ケーキや贈り物もない。おめでとうの一言すらない。
夜、自室でリーゼは膝を抱えた。
泣こうとしたけど、泣けなかった。涙を流すには、まず自分が悲しんでいいのだと信じなければならない。リーゼにはその許可を与えてくれる人が誰もいなかった。
暗い天井を見つめながら、リーゼは思った。
(私はこの屋敷にいるのに、誰にも見えていない。いらない子なのかもしれない。いらない子なら、せめてそう言ってほしかった。そうすれば、ここにいる理由を探さなくて済むのに)
それから二年が過ぎた。十二歳の冬、父の書斎に呼ばれた。
父は机の向こうに座り、一通の手紙を差し出した。遠縁のヴェーバー男爵家がリーゼを養女として迎えたいという。
父は、「おまえのためだ」と言った。しかし、その目は窓の外を見ていた。
リーゼは、手紙を読まなかった。読まなくても分かっていた。ようやく、いらない子だと言ってもらえた。そのことに、どこか安堵している自分がいた。
母は、書斎にいなかった。この話し合いに、母は来なかった。
出発の朝は晴れていた。
荷物は小さな旅行鞄一つだった。十二年暮らした屋敷を出るのに、鞄一つで足りてしまう。その事実が、何よりも静かにリーゼを傷つけた。
門の前に馬車が停まっていた。御者が扉を開けて待っている。リーゼが馬車に向かって歩き出したとき、背後で聞き慣れない声がした。
「お姉様」
振り返ると、ノエルが立っていた。走ってきたのか、頬が赤い。口が動いた。何か言おうとしている。
リーゼは、聞かなかった。聞きたくなかった。
今さら優しい言葉をかけられたら、困ってしまう。だから笑った。大丈夫という形だけの笑顔を作って、振り返って、馬車に乗った。
扉が閉まった。馬車が動き出した。車窓に屋敷が映り、揺れ、小さくなった。
リーゼは、前だけを見ていた。
三時間かけて書いた作品を、画面の上から下まで読み返した。
公爵令嬢リーゼ。異世界の貴族の少女。馬車に乗って屋敷を離れた少女。
私はリーゼと違って、どこにも行っていない。あの家に、まだいる。
引き取りたいと言ってくれる人もいなければ、出ていく理由を与えてもらえたこともない。
いらない子ですらない。ただ、いる子。それが一番苦しいのだと、書いてみて初めてわかった。
だから、リーゼには馬車を用意した。私が持っていないものを、せめて彼女には渡したかった。
彼女がただいる子ではなくいる子になれるのを願っている。
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