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「和の国興亡記」第19話「田中翁の病床」

**時期**:グランベルク暦1247年初冬

**場所**:桜京郊外・田中翁の庵

**天候**:雪が舞い散る静寂な夜

### 【急激な病状悪化】


偽情報作戦による混乱が桜京を覆う中、田中翁の容体は急激に悪化していた。92歳という高齢に加え、国家分裂への精神的重圧が、翁の衰弱した身体に致命的な打撃を与えていた。


竹林に囲まれた小さな庵では、大和国最高の医師、ドクター・ハンス・ミューラーが診察を終えたところだった。ミューラーは現地人だが、日本の伝統医学と西洋医学の両方に精通した名医として知られている。


「さくらさん」ミューラーが孫娘に向かって重い口調で告げた。「お祖父様の状況は、非常に深刻です」


28歳のさくらは、祖父のベッドサイドに座り、震える手で翁の手を握っていた。彼女の目には涙が浮かんでいる。


「どの程度でしょうか」さくらが震え声で尋ねた。


ミューラー医師は診断書を見直しながら答えた。


「**高齢による多臓器不全**が進行しています。心臓、肝臓、腎臓のすべてが機能低下を起こしており、特に腎機能は正常値の30%以下まで低下しています」


医師の説明は専門的だが、その深刻さは十分に伝わってきた。


「余命はどのくらいでしょうか」さくらが最も聞きたくない質問をした。


「医学的には1ヶ月程度と考えられます」ミューラーが慎重に答えた。「ただし、お祖父様の精神状態が非常に不安定です。国の情勢への心配が、病状をさらに悪化させています」


翁はベッドの上で浅い呼吸を続けていた。時折意識が朦朧とするが、完全に目覚めている時の**精神状態**は明晰だった。


「わし...は...」翁が弱々しい声で呟いた。「死ぬことは...怖くない...しかし...この国が...どうなるかが...心配じゃ...」


翁の**最後の願い**は明確だった。自分の死を迎える前に、世代間の和解を見届けたい。三騎士団の対立を解消し、大和国の統一を回復させたい。


「さくら...」翁がかすれた声で孫娘を呼んだ。「三人を...呼んでくれ...最後に...話がある...」


### 【武田信玄への遺言】


翌朝、最初に庵を訪れたのは武田信玄だった。62歳の侍騎士団長は、翁の危篤を知らせる知らせを受けて急いで駆けつけた。


信玄は庵の戸を開けて中に入ると、翁のベッドサイドに正座した。その表情には、深い敬意と悲しみが浮かんでいた。


「翁様、お見舞いに参りました」信玄が丁寧に挨拶した。


翁は薄く目を開けて、信玄を見つめた。


「信玄よ...来てくれたか...」翁の声は弱々しいが、温かみがあった。


「翁様、お体の具合はいかがですか」信玄が心配そうに尋ねた。


「もう...長くはない...」翁が現実を受け入れていることを示した。「しかし...それより...お前に話しておきたいことがある...」


翁は深呼吸をして、重要な話を始めた。


「信玄よ...お前の父上...武田信行殿のことを...覚えているか...」


「もちろんです」信玄が即座に答えた。「父の教えは、今でも私の心の支えです」


翁は微かに首を振った。


「お前は...父上の教えを...誤解している...」


この言葉に、信玄は驚いた。


「誤解、ですか?」


「そうじゃ...」翁が力を振り絞って説明した。「**お前の父上は、融和を望んでおられた**...」


翁の記憶は鮮明だった。57年前、異世界に取り残された日本人たちが絶望の淵にあった時、武田信行は常に仲間たちの結束を重視していた。


「信行殿は確かに...武士道の精神を大切にしておられた...しかし...それ以上に...仲間との協調を重んじておられた...」


翁は咳き込みながら続けた。


「『人は石垣、人は城』...この言葉の真意は...排除ではなく...包容じゃ...すべての人を石垣として...共に城を築くという意味じゃった...」


信玄の目に涙が浮かんだ。


「父は...本当はそう考えていたのですか...」


「そうじゃ...」翁が確信を持って答えた。「信行殿が最も恐れていたのは...仲間同士の争いじゃった...『どんな外敵よりも...内部分裂こそが恐ろしい』と...よく言っておられた...」


信玄は父親についての理解が根本的に間違っていたことを悟った。


「私は...父の教えに背いていたのですね...」信玄が悔恨の涙を流した。


「いや...」翁が優しく否定した。「お前は父を愛するあまり...純粋すぎる解釈をしただけじゃ...しかし今からでも遅くはない...本当の父の心を...実践してくれ...」


### 【桜井義信への激励】


午後になって、桜井義信が庵を訪れた。32歳の桜騎士団長は、翁の病状を心配して急いで駆けつけた。


「翁様」義信が深々と頭を下げた。「お加減はいかがですか」


翁は義信の顔を見て、微かに微笑んだ。


「義信よ...お前こそ...わしが最も心配していた...若者じゃ...」


「心配、ですか?」義信が困惑した。


「そうじゃ...」翁が説明した。「お前は...血筋のことで...ずっと悩んでおる...」


義信は翁の洞察力に驚いた。自分の心の奥底にある劣等感を、翁は見抜いていたのだ。


「わしは...お前に言いたい...」翁が力を込めて語った。「**血筋がなくとも、心は立派な日本人だ**...」


この言葉に、義信の心は大きく動いた。


「翁様...」


「わしは92年生きて...多くの人を見てきた...」翁が回想した。「血筋が濃くても...心が汚れた者を見た...血筋が薄くても...美しい魂を持つ者も見た...」


翁は義信の手を握った。


「お前の祖父は...日本人ではなかった...しかし...お前ほど日本を愛し...日本の理想を追求する者を...わしは知らない...」


義信の目から涙がこぼれた。


「お前こそが...真の日本人じゃ...」翁が断言した。「血ではない...心じゃ...魂じゃ...それこそが...日本人の証しじゃ...」


「翁様、ありがとうございます」義信が心から感謝を述べた。


「お前の理想は正しい...」翁が励ました。「美しい大和国を作るという夢を...諦めるな...そして...仲間を信じろ...対立している者たちも...本当は同じ夢を見ている...」


### 【影山無名への警告】


夕刻、影山無名が庵を訪れた。54歳の忍騎士団長は、普段の冷静さを保ちながらも、心の奥では深い動揺を隠していた。


「翁様、お見舞いに参りました」無名が静かに挨拶した。


翁は無名を見つめて、その表情を読み取ろうとした。


「無名よ...」翁がゆっくりと口を開いた。「お前は...何か...隠しておるな...」


無名は内心で驚いた。さすがに翁は鋭い。


「翁様は、何をご存知ですか」無名が慎重に尋ねた。


「わしは...92年生きておる...」翁が微笑んだ。「人の心の動きは...手に取るように分かる...お前は今...大きな策略の中にある...」


無名は観念した。この老人に嘘をつくことは不可能だった。


「はい...」無名が認めた。


「どのような策略かは...聞かない...」翁が言った。「しかし...忠告がある...」


翁は咳き込みながら続けた。


「**策略も良いが、人の心を忘れるな**...」


この言葉は、無名の心を深く突き刺した。


「お前は...頭が良い...計算も得意じゃ...」翁が続けた。「しかし...人の心は...計算通りには動かん...」


翁は無名の目を見つめた。


「特に...愛情や友情は...論理を超える...お前の策略が...仲間の心を傷つけるなら...成功しても意味がない...」


無名は翁の言葉の重みを感じた。


「国を救うことと...人の心を守ること...この両方を...忘れてはならん...」翁が最後の忠告をした。


「承知いたしました」無名が深く頭を下げた。


「お前を責めているのではない...」翁が優しく付け加えた。「お前の愛国心は...誰よりも深い...しかし...方法を間違えるな...」


### 【クラル王への感謝】


夜が更けた頃、意外な訪問者が庵を訪れた。クラル王だった。


変装を解いた神王の姿で現れた彼を見て、さくらは驚いた。


「あの...どちら様でしょうか」


「グランベルク王国の神王、クラルです」クラル王が丁寧に自己紹介した。「翁にお会いしたくて」


さくらは神王の訪問に驚いたが、祖父の部屋に案内した。


翁は目を開けて、クラル王の姿を確認した。


「ああ...やはり...あなたでしたか...」翁が微笑んだ。


「田中翁、お久しぶりです」クラル王が丁寧に挨拶した。


「57年前と...少しも変わらない...」翁が感慨深そうに言った。「あの時は...ありがとうございました...」


クラル王は翁のベッドサイドに座った。


「翁こそ、立派に国を築き上げました」


「いえ...」翁が首を振った。「今...この国は...危機にあります...わしは...指導者として...失格でした...」


「そんなことはありません」クラル王が否定した。「あなたは十分に役割を果たされた」


翁は感謝の気持ちを込めて語った。


「**あなたが救ってくれた命、無駄にしません**...」


「どういう意味ですか」クラル王が尋ねた。


「わしたちの子供や孫たちが...立派に育っています...あなたが救ってくれた12,000の命は...今では10万を超える人々となって...この地で生きています...」


翁は涙を流しながら続けた。


「その命たちが...今度は自分たちの力で...危機を乗り越えるでしょう...あなたの恩に報いるために...」


### 【遺言の準備】


翌日、翁は最後の力を振り絞って、四つの遺言を準備した。


#### 公式遺言


まず、大和国全体に向けた**公式遺言**を口述した。さくらが筆記を担当した。


「大和国の皆様へ


わしは間もなく、この世を去ります。最後の1世として、皆様に心からお願いがあります。


どうか、争いをやめてください。血筋の違い、世代の違い、考え方の違い——これらは本来、国を豊かにする多様性のはずです。それを対立の原因にしてはなりません。


三騎士団の皆様にお願いします。あなた方は皆、この国を愛しています。その愛情に偽りはありません。ならば、なぜ争う必要があるのでしょうか。


外敵が迫っているという噂も聞きます。もしそれが事実なら、今こそ団結する時です。内部で争っている場合ではありません。


わしは、皆様の和解を心から願って、この世を去ります。どうか、美しい大和国を次世代に引き継いでください。


田中源蔵」


#### 私的遺言


次に、三騎士団長それぞれに向けた**私的遺言**を準備した。


**武田信玄へ**:

「信玄よ、お前の父上の真の教えを忘れるな。武士道の真髄は、仲間を守ることにある。血筋や伝統にこだわりすぎて、大切な仲間を失ってはならない。」


**桜井義信へ**:

「義信よ、お前の理想は美しい。しかし、理想だけでは人は動かない。時には妥協も必要だ。完璧を求めすぎて、現実を見失ってはならない。」


**影山無名へ**:

「無名よ、お前の現実主義は貴重だ。しかし、効率だけを追求して、人の心を忘れてはならない。真の統治は、計算ではなく愛情から生まれる。」


#### 文化遺言


翁は**文化遺言**として、自分の記憶にある限りの日本文化について詳細な記録を残した。


「真の日本文化覚書


茶道の心得:茶道の本質は『一期一会』にある。相手を思いやり、その瞬間を大切にする心こそが茶道の神髄である...


武士道の真意:武士道とは、強者が弱者を守る精神である。自分だけの名誉を求めるものではない...


祭りの意味:祭りは共同体の絆を確認する行事である。神に感謝し、仲間と喜びを分かち合う...」


#### 政治遺言


最後に、**政治遺言**として理想的な大和国の未来像を描いた。


「理想の大和国について


この国の理想は、多様性の中の統一にある。日本人、現地人、混血——すべての人が、それぞれの特色を活かしながら、一つの国として結束する。


血筋ではなく心意気で、出自ではなく志で人を判断する国。伝統を尊重しながらも、新しい文化を創造し続ける国。


世界に開かれながらも、独自の価値観を持つ国。これが、わしの夢見る大和国の姿である。」


### 【最後の夜】


遺言の準備を終えた翁は、深い疲労感に襲われた。もはや起き上がる力も残っていない。


さくらが祖父のそばに付き添っていた。


「おじいちゃん、苦しくありませんか」


「いや...」翁が微笑んだ。「やるべきことは...やった...もう...心残りはない...」


翁は窓の外を見つめた。雪が静かに降り続いている。


「美しい国じゃ...」翁が呟いた。「この美しさを...守ってほしい...」


その夜、翁の意識は次第に薄れていった。しかし、その心は平安だった。自分なりに、最後まで役割を果たせたという満足感があった。


外では雪が降り続き、大和国を静寂が包んでいた。しかし、その静寂の下では、運命を決する重大な出来事が準備されていた。


翁の死とともに、大和国の新しい時代が始まろうとしていた。

**次回予告:第20話「嵐の前の静寂」**

*田中翁の死期が迫る中、三つの勢力が最終的な準備を進める。アーサー王国とベルガモット王国の軍隊が国境に集結し、侵攻開始のカウントダウンが始まる。三騎士団は互いへの不信を深め、統一指揮系統は完全に崩壊。影山無名は最後の調整を行い、クラル王は介入すべきか最終判断を迫られる。嵐の前の静寂の中で、大和国の運命が決まろうとしている...*

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