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「和の国興亡記」第18話「偽情報作戦」

**時期**:グランベルク暦1247年晩秋から初冬

**場所**:大和国各地、近隣諸国

**天候**:曇天が続き、時折雪がちらつく寒い日々


### 【巧妙な情報操作の開始】


影山無名の偽情報作戦は、朝霧が桜京を覆う早朝から本格的に始動した。


影山商会の地下では、無名が最後の確認作業を行っていた。机上には、精巧に作られた偽造書簡、詳細な情報拡散計画書、そして各諜報員への指示書が整然と並べられている。


「諸君、これより『鏡花水月作戦』を開始する」無名が静かに宣言した。


作戦名の「鏡花水月」は、水面に映る花や月のように、実在しないものを実在するように見せる忍術の奥義から取られていた。まさに今回の偽情報作戦にふさわしい名称だった。


「各自、担当する情報を確実に流せ。ただし、決して急いではならない。自然な形で、段階的に拡散するのだ」


### 【武田派への偽情報工作】


#### 段階1:信頼できる情報源からの流出


忍丸は武田派の本拠地である「武田の里」に向かった。彼の役割は、武田信玄の最も信頼する側近の一人、2世の武士・佐藤三郎に接触することだった。


佐藤三郎は62歳の老武士で、武田信行とも親交があった人物である。その彼からの情報であれば、武田信玄も疑わずに信じるだろう。


「佐藤様、お疲れさまです」忍丸が道端で佐藤に声をかけた。忍丸は商人に変装し、荷車を引いている。


「おう、商人か。ご苦労さんだな」佐藤が親しみやすく答えた。


「実は、お伝えしたいことがございます」忍丸が周囲を見回して、秘密めいた口調で続けた。「桜京で妙な噂を聞いたのですが...」


忍丸は慎重に情報を小出しにした。まず、ベルガモット王国の商人が桜井派の幹部と頻繁に会っているという「事実」を伝えた。これは本当のことだった。


「それで?」佐藤が興味を示した。


「その商人が、大和国の軍事情報について質問していたという話です」忍丸が核心に近づいた。「もちろん、桜井様が情報を流しているとは思いませんが...」


この段階では、直接的な告発は避け、佐藤自身に疑念を抱かせるよう誘導した。


#### 段階2:複数ルートでの確認


同日夕刻、別の忍者・影太が武田派の若い武士、田中四郎に接触した。


「田中さん、大変なことになりそうですね」影太が心配そうな表情で語りかけた。


「何の話だ?」田中が警戒した。


「桜井派が外国と通じているという噂です。複数の商人から同じ話を聞きました」


影太は、忍丸とは全く異なるルートから、同じ疑惑を提起した。これにより、情報の信憑性が格段に向上した。


翌日、今度は別の諜報員が、武田派の情報収集担当者に「偽造書簡」を発見させた。


#### 段階3:決定的証拠の提示


三日目、忍丸は佐藤三郎に再び接触した。


「佐藤様、昨日お話しした件ですが、証拠を見つけてしまいました」忍丸が震え声で報告した。


彼が取り出したのは、桜井義信の筆跡を完璧に模倣した書簡だった。そこには、ベルガモット王国の外交官に宛てて、大和国の軍事機密を提供する旨が記されていた。


「これは...まさか」佐藤の顔色が変わった。


「私も信じたくありませんでした。しかし、これが現実のようです」忍丸が悲しそうに答えた。


### 【桜井派への偽情報工作】


#### 同時並行する工作


桜井派に対しても、同様の巧妙な工作が行われていた。担当するのは女性諜報員の影子だった。


影子の標的は、桜井派の文化担当幹部、3世の女性・山田花子だった。花子は芸術家として活動しており、政治的には中立だが、桜井義信を慕っている。


「花子さん、心配なことがあるんです」影子が茶屋で花子に声をかけた。影子は同年代の芸術家として花子に近づいていた。


「どうしたの?」花子が心配そうに尋ねた。


「武田派の動きが不穏なんです。アーサー王国の使節と秘密会談を重ねているという話を聞きました」


影子の情報は段階的に提供された。まず、武田派が外国勢力と接触しているという「事実」。次に、その接触が軍事的性格を帯びているという「推測」。最後に、武田信玄が独裁政治を企んでいるという「結論」。


#### 恐怖心の醸成


「武田さんは、血統純粋主義を口実に、現地人や混血の人々を排除しようとしています」影子が花子の恐怖心を煽った。「そして、軍事政権を樹立して、反対派を弾圧するつもりなんです」


花子は青ざめた。彼女自身は混血であり、武田派の血統主義には強い恐怖を感じていた。


「でも、そんなことが本当に...」花子が震え声で尋ねた。


「これを見てください」影子が偽造書簡を取り出した。それは、武田信玄がアーサー王国に軍事支援を要請し、見返りに現地人の強制移住を約束する内容だった。


### 【民衆への情報操作】


#### 事実と虚構の巧妙な混合


民衆に対する情報操作は、より複雑で大規模なものだった。無名は事実と虚構を巧妙に混合し、全体として説得力のある「物語」を構築した。


桜京の市場で、複数の「商人」が同時に情報を流し始めた。


「外国のスパイが街に潜入しているらしいぞ」

「三騎士団の誰かが外国と通じているという話だ」

「戦争が始まるかもしれない」

「田中翁の体調がさらに悪化したそうだ」


このうち、最後の二つは紛れもない事実だった。田中翁の容体は実際に悪化していたし、アーサー王国とベルガモット王国の軍事行動も現実のものだった。


しかし、最初の二つは巧妙に脚色された情報だった。外国のスパイは確かに活動しているが、三騎士団の「誰かが」通じているという部分は、意図的に曖昧にされていた。


#### パニックの兆候


この情報操作の効果は予想以上だった。


桜京の商店では買い占めが始まった。米、塩、油などの生活必需品が店頭から消え、価格が急騰した。


「戦争になったら食べ物がなくなる」主婦たちが不安を口にした。


銀行では預金の引き出しが殺到した。人々は財産を現金に換え、いつでも避難できるよう準備を始めた。


街角では疑心暗鬼が広がった。隣人を見る目が変わり、些細な行動も「スパイ活動」として疑われるようになった。


### 【外国への偽情報工作】


#### アーサー王国への誤情報


無名の策略は、外国に対しても向けられていた。


アーサー王国のスパイ、エドワードに対して、影丸が重要な「軍事機密」を提供した。


「大和国の軍事力は、公称の7割程度しかありません」影丸が秘密めいた口調で報告した。「三騎士団の対立により、統一した作戦行動は完全に不可能な状態です」


この情報により、アーサー王国は大和国を過小評価し、慢心による戦術的ミスを犯す可能性が高まった。


「また、武田信玄は病気で指揮能力を失っており、桜井義信は理想論ばかりで実戦経験がありません」


#### ベルガモット王国への誘導


ベルガモット王国のスパイ、フランソワに対しては、霧女が異なる情報を提供した。


「大和国は内戦寸前の状態です」霧女が報告した。「民衆も暴動を起こす危険があり、社会秩序が完全に崩壊しています」


この情報により、ベルガモット王国は「人道的介入」の必要性を確信し、軍事行動を正当化できると考えるだろう。


「桜井義信は平和主義者なので、外交交渉によって無血占領が可能です」


### 【情報拡散の段階的進行】


#### 段階1:信頼できる情報源からの流出


無名の作戦は、まず最も信頼される人物からの情報流出から始まった。各派の重鎮、著名な商人、宗教指導者——彼らが「偶然」得た情報として、偽情報を流し始めた。


「田中翁の側近から聞いた話だが...」

「桜井様の秘書が漏らしたところによると...」

「武田様に近い武士の証言では...」


これらの「信頼できる情報源」からの情報は、多くの人々に疑いなく受け入れられた。


#### 段階2:複数ルートでの確認


次の段階では、同じ情報が全く異なるルートから「確認」された。商人、職人、農民、学者——様々な立場の人々が、偶然にも同じ情報を得たのだ。


「複数の人から同じ話を聞いた」

「もはや疑う余地がない」

「隠しきれなくなったということだろう」


人々はこうした「偶然の一致」を、情報の真実性の証拠として受け取った。


#### 段階3:対立勢力の相互疑念


三段階目で、各派は互いに対する疑念を深めた。


武田派は桜井派を「外国の手先」として非難し始めた。桜井派は武田派を「軍国主義者」として警戒するようになった。両派とも影山派を「日和見主義者」として軽蔑した。


「もはや協力は不可能だ」

「彼らは敵だ」

「信頼関係は完全に破綻した」


大和国の統一は、ここで完全に失われた。


#### 段階4への準備


無名は、最終段階の準備を進めていた。外敵の侵攻が始まれば、すべての偽情報が「真実」として確認されるか、あるいは「些細な問題」として忘れ去られるかのどちらかになる。


「あと48時間で、すべてが決まる」無名が独りごちた。


### 【予想外の副作用】


しかし、無名の精密な計算にも関わらず、偽情報作戦は予想を大幅に超える副作用を生み出した。


#### 対立の激化


**予想を超えた憎悪の増大**が、最も深刻な副作用だった。


武田派の若い武士たちは、桜井派に対する敵意を隠さなくなった。街角で桜井派の支持者を見かけると、露骨に敵対的な態度を取るようになった。


「売国奴め!」武田派の若者が桜井派の商店に投石する事件が発生した。


桜井派も負けてはいなかった。武田派を「時代遅れの軍国主義者」として糾弾し、彼らの集会を妨害するようになった。


「独裁者の手先!」桜井派の支持者が武田派の道場に乱入する騒動が起きた。


#### 民衆の不安とパニック


**社会全体の不安定化**も深刻だった。


桜京では夜間外出を避ける人が増えた。外国のスパイや暴徒を恐れての行動だった。


「夜道は危険だ」

「いつ暴動が起きるか分からない」

「子供たちを一人で外出させられない」


学校では登校を控える生徒が増え、教育現場も混乱した。


#### 経済活動の停滞


**商業活動の停滞**は、国家経済に深刻な打撃を与えた。


商人たちは取引を控えるようになった。政情不安により、商品の輸送や代金回収に不安を感じたからだった。


「こんな状況では商売にならない」

「いつ戦争が始まるか分からない」

「投資は全て控えている」


農民も作物の出荷を渋るようになった。都市部での暴動を恐れ、農村部に物資を蓄積し始めた。


影山商会でも、売上が前月比40%減となった。無名は皮肉にも、自分の策略により自分の商売が傾くという状況に陥った。


#### 外交関係の悪化


**近隣諸国との関係悪化**も予期せぬ副作用だった。


大和国の政情不安は、友好国にも不安を与えた。中立的な立場を取っていた小国も、大和国との関係を見直し始めた。


「大和国はもはや信頼できない」

「いつ難民が流入してくるか分からない」

「国境警備を強化すべきだ」


特に深刻だったのは、グランベルク王国との関係だった。大和国の混乱は、グランベルク王国の安全保障にも影響を与える可能性があった。


### 【無名の苦悩深化】


これらの副作用を目の当たりにして、無名の苦悩はさらに深まった。


「私は何ということをしてしまったのか...」無名が地下の部屋で頭を抱えた。


影丸が心配そうに報告した。


「団長、武田派と桜井派の武力衝突が三件発生しました。負傷者も出ています」


「民衆の間でも、現地人に対する差別的な発言が増えています」霧女が追加報告した。


無名は自分の策略が、予想を遥かに超える破壊的な結果をもたらしていることを痛感した。


「もしかすると、私は国を救おうとして、国を滅ぼそうとしているのかもしれない」


#### 家族への影響


無名の家族にも影響が及び始めていた。


長男の影太郎が学校で同級生から「お前の父親はスパイじゃないのか」と疑われるようになった。


長女の朧も、友人から「影山商会は怪しい」と言われ、悲しい思いをしていた。


妾の雪子は、無名の商売が不振になっていることを心配していた。


「最近、お疲れのようですが、大丈夫でしょうか」雪子が優しく尋ねた。


無名は家族に真実を話すことができず、「商売が少し忙しくて」と嘘をついた。その嘘が、さらに彼の心を蝕んだ。


### 【作戦継続の決意】


それでも、無名は作戦を継続する決意を固めた。


「もう後戻りはできない」無名が自分に言い聞かせた。「この策略が失敗すれば、大和国は確実に滅亡する。副作用がどれほど深刻でも、やり遂げるしかない」


無名は最後の調整を行った。外敌の侵攻開始まで、あと24時間。すべてのピースが所定の位置に配置され、運命の時を待っていた。


「田中翁の危篤状態が発表される。その12時間後、両国が同時侵攻を開始する」


無名の計算では、この絶体絶命の状況に直面した時、三騎士団は否応なく団結せざるを得ない。偽情報による対立も、外敵という現実の脅威の前では些細な問題になるはずだった。


「頼む、私の計算が正しくあってくれ」無名の最後の祈りだった。


地下の秘密室で、一人の忍者が国家の運命を賭けた最後の賭けに挑んでいた。成功すれば国が救われ、失敗すれば自分が国家の破壊者として歴史に名を残すことになる。


その結末は、もうすぐ明らかになる。

**次回予告:第19話「田中翁の病床」**

*偽情報作戦の副作用により混乱が極限に達する中、田中翁の容体が急激に悪化する。高齢による多臓器不全が進行し、医師は余命1ヶ月と診断。薄れゆく意識の中で、翁は三騎士団長への最後の遺言を準備する。枕元での個別の告白、公的な遺言の口述、そして若い世代への最終メッセージ。国家分裂の危機の中で、最後の統合象徴の死期が迫る...*

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