「和の国興亡記」 第13話「文化解釈論争」
**時期**:グランベルク暦1247年晩秋
**場所**:桜京・和敬庵「文化会議室」
**天候**:冷雨が続く陰鬱な一日
三派の文化観対立
血統論争から一週間が過ぎ、大和国の分裂はより深刻さを増していた。街角では連日のように激しい議論が交わされ、家族内でさえ意見の相違による対立が生まれていた。そして今度は、文化そのものの解釈を巡って、三騎士団が根本的な対立を見せていた。
和敬庵は桜京郊外の丘の上に建つ、由緒ある文化施設だった。57年前の建国当初に、初代の文化人たちが「学問と芸術の聖地」として建設したこの場所は、普段は静謐な学術的議論と優雅な文化交流の舞台となっている。
建物自体が大和国の文化融合を象徴していた。日本風の入母屋造りの屋根に、西洋式の石造りの壁、そして現地の木材を使用した内装——三つの文化が美しく調和した建築様式は、本来なら大和国の理想を体現するはずだった。
しかし今日、この静寂で美しい建物は激しい論争の舞台となっていた。
文化会議室は50畳敷きの広大な和室で、天井には見事な格天井が施され、壁面には四季の花を描いた絵画が掛けられている。通常であれば、この部屋は茶会や学術講演会に使用され、穏やかで建設的な議論が行われる場所だった。
武田信玄は上座に正座し、背筋を伸ばして厳格な表情を崩さない。62歳の侍騎士団長は、黒い羽織袴に身を包み、腰には先祖伝来の刀を差している。その隣には古参の2世たち——学者の田中五郎、武道家の佐藤三郎、史学者の佐藤八郎——が控え、まるで戦国時代の軍議のような重厚で緊張感のある雰囲気を醸し出していた。
桜井義信は信玄の向かい側に座り、温和な表情ながらも確固たる意志を秘めた眼差しで相手を見据えていた。32歳の桜騎士団長は、美しい刺繍の施された水色の着物に、銀の装飾が美しい帯を締めている。彼の周りには若い3世の文化人たち——芸術家の山田花子、哲学者の鈴木学、教師の山田十郎——が集まっていた。
影山無名は両者の間の位置に座り、いつものように冷静にこの状況を観察していた。54歳の忍騎士団長は、商人風の質素な着物を着ているが、その眼光は鋭く、常に周囲の動きを把握している。彼の傍らには実務派の官僚や商人たち——外交官の伊藤七郎、実業家の高橋六郎——が控えている。
武田派の原理主義
定刻になると、武田信玄が口火を切った。その声には、長年の信念に裏打ちされた揺るぎない確信が込められていた。
「諸君」信玄の声が会議室に響き渡る。「我々が今日議論すべきは、何が『真の日本文化』であるかということだ。この問題は、我が大和国の存立基盤に関わる重大事である」
信玄は手元の古い手帳を開いた。それは57年前、父・武田信行がこの地に降り立ってから書き続けた貴重な記録だった。表紙は擦り切れ、ページには無数の書き込みがあり、まさに生きた歴史の証人とも言うべき資料である。
「まず、基本原則を確認したい」信玄が厳かに宣言した。「父から直接聞いた文化こそが真実である」
信玄の声に力が込められていく。
「父は繰り返し言っておられた。『日本の文化とは、神代の昔から先祖代々受け継がれてきた不変の美徳である。それは人間の勝手な解釈や時代の風潮によって変えられるべきものではない』と」
2世の学者、田中五郎が分厚い資料集を広げた。
「武田殿の仰る通りです」田中が学者らしい慎重な口調で補足する。「私は過去10年間、生存しておられる1世の方々から詳細な聞き取り調査を行いました。その結果、明確な結論に達しました」
田中は眼鏡を押し上げながら続けた。
「1世の方々から直接聞いた話こそが、最も信頼できる日本文化の記録です。書物や伝承は時代と共に変化しますが、実際に日本で生活された方々の証言は絶対的な価値を持ちます」
信玄は頷きながら続けた。
「変化は歪曲に他ならない。保存こそが我々の使命だ」
この言葉に、武田派の支持者たちが深く頷いた。
「文化というものは」信玄が立ち上がって力強く語る。「長い年月をかけて洗練され、完成されたものです。現地の影響を受けた瞬間、それはもはや純粋な日本文化ではなくなる」
2世の武道家、佐藤三郎が拳を握り締めた。
「その通りです!我々は純粋性を守らねばならない。混合は堕落であり、融合は汚染です。日本文化の神聖さを保つためには、一切の妥協は許されません」
信玄の主張は次第に熱を帯びてきた。
「厳格な武士道こそが日本の心である」信玄が刀の柄に手を置く。「武士道の根幹は、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義の七徳だ。これらは絶対不変の価値であり、時代や場所によって変わるものではない」
武田派の原理主義:
- 父から直接聞いた文化が真実
- 変化は歪曲、保存こそが使命
- 厳格な武士道こそが日本の心
- 現地文化との混合は文化の汚染
桜井派の理想主義
信玄の熱弁が終わると、桜井義信が静かに立ち上がった。その動作には、武田派の厳格さとは対照的な優雅さと柔らかさがあった。
「信玄さんのお気持ちは心から理解できます」義信が穏やかだが確信に満ちた声で始めた。「お父様への深い尊敬と愛情、そして日本文化への純粋な思い。それらは美しく、尊いものです」
義信は一度間を置いて、会議室の全員を見回した。
「しかし、私は根本的に異なる考えを持っています」
義信は美しい絵巻物を取り出した。それは3世の芸術家たちが協力して制作した作品で、日本の桜と現地の花々、富士山と現地の山々を組み合わせた幻想的で美しい絵画だった。
「真の日本文化とは」義信が絵巻物を広げながら説明した。「過去の記録の忠実な再現ではなく、理想化された美しい日本文化の実現ではないでしょうか」
3世の芸術家、山田花子が立ち上がった。
「私たちが目指すべきは、歴史書に記された過去の姿ではありません」花子が情熱的に語る。「それは、日本文化が持つ美の精神、調和の理念、そして完全性への憧れを、この新しい土地で花開かせることです」
義信は続けた。
「我々は現地文化との融合によって、新しい美を創造できるのです」
3世の音楽家、田中十郎が楽器を手に取った。
「聞いてください」田中が日本の笛と現地の弦楽器を組み合わせて美しい旋律を奏でる。「これは日本の古典音楽でしょうか、現地の民族音楽でしょうか?いえ、これは両方であり、同時にどちらでもない、全く新しい美の形です」
その音色は、確かに聞く者の心を打つ美しさを持っていた。武田派の人々も、思わず聞き入ってしまった。
義信は音楽が終わると、さらに大胆な主張を展開した。
「武士道も騎士道も、根本は同じではないでしょうか」
この発言に、武田派の人々がざわめいた。
「名誉を重んじ、弱者を守り、正義のために戦う——これらの価値は文化を超えた普遍的なものです」3世の哲学者、鈴木学が理論的に説明した。「形式は異なっても、その精神は同じなのです」
義信は窓の外を指差した。
「あの桜を見てください」外では、大和国に植えられた桜が美しく咲いている。「あの桜は、日本から持ち込まれた種から育ちました。しかし、この土地の水を吸い、この土地の風を受け、この土地の太陽を浴びて育っています」
桜井派の理想主義:
- 理想化された美しい日本文化
- 現地文化との融合で新しい美を創造
- 武士道も騎士道も根本は同じ
- 美と調和の追求が最優先
影山派の実用主義
両派の情熱的な主張を静かに聞いていた影山無名が、ついに口を開いた。その声は、感情を排した冷静なものだった。
「お二人の情熱と信念は理解できます」無名の声が会議室に響く。「しかし、我々は現実から目を逸らしてはならない」
無名は手元の分厚い報告書を開いた。それには近隣諸国の動向、大和国の経済状況、国際的地位、そして内政の詳細な分析が記されていた。
「文化とは何のために存在するのか」無名が根本的な問いを投げかけた。「それは、国家の繁栄と民衆の幸福のためです。美しくても役に立たない文化、純粋でも国を弱くする文化は、害悪でしかありません」
実業家の高橋六郎が同調した。
「その通りです。我々は理想郷を作ろうとしているのではない。現実の世界で生き抜かなければならない国家を建設しているのです」高橋が商人らしい実利的な視点で語る。
「伝統も理想も大切かもしれませんが、それで飯は食えません。現実的な利益、具体的な成果を生まない文化政策は無意味です」
無名は続けた。
「国の繁栄に役立つ文化を選択すべきです」
外交官の伊藤七郎が補足した。
「文化は外交の道具でもあります。相手国が求める文化、相手国に好印象を与える文化を選択することで、外交的優位を得られます」
「時代に応じて文化を適応させなければ、我々は世界から取り残される」
「外交上有利な文化政策を採用すべきです」
影山派の実用主義:
- 国の繁栄に役立つ文化を選択
- 時代に応じた文化の適応
- 外交上有利な文化政策
- 実用性を欠く文化は排除
具体的政策での激突
三派の根本的な価値観の違いは、具体的な政策論争でより鮮明になった。
言語政策を巡る激しい対立
「日本語こそが我々の魂の言語だ!」武田派の教育者、田中八郎が立ち上がって声を荒らげた。「言語は文化の根幹です。日本語を失えば、我々は日本人ではなくなる」
田中は手に持った資料を振りかざした。
「現在の教育制度では、日本語、現地語、グランベルク語が同等に扱われています。これは間違いです!子供たちには完璧な日本語を教えなければならない。現地語は日本語習得の妨げでしかありません」
2世の言語学者、佐藤九郎が具体的な数値を示した。
「私の調査によれば、現在の3世の子供たちの日本語能力は、2世世代と比較して30%低下しています。これは多言語教育の弊害です」
「学校教育では日本語使用率を90%以上とし、現地語とグランベルク語は最小限に留めるべきです。家庭内でも日本語使用を義務化すべきです」
武田派言語政策:日本語優先(学校90%、公文書日本語のみ)
桜井派は即座に反論した。
「言語は文化の橋渡しです!」3世の教師、山田十郎が情熱的に立ち上がった。「多言語能力こそが、子供たちの視野を広げ、より豊かな人格形成を促進します」
山田は教育現場の実例を挙げた。
「私のクラスには日本語、現地語、グランベルク語を流暢に話せる子供たちがいます。彼らの思考の柔軟性、創造性、そして国際的な感覚は、単言語の子供たちを遥かに上回っています」
義信が理想的な教育像を描いた。
「日本語、現地語、そしてグランベルク語——三つの言語を自在に操れる子供たちを育てることで、真の国際人を養成できるのです。これこそが大和国の強みとなるでしょう」
桜井派言語政策:多言語共存(三言語均等、文化交流重視)
影山派の見解は両派とは全く異なっていた。
「実用性を最優先に考えるべきです」無名が冷静に分析した。「言語政策は感情的に決めるものではない。経済効果、外交効果、行政効率を総合的に判断すべきです」
経済分析官の田中十二郎がデータを示した。
「大陸の共通商業語はグランベルク語です。貿易取引の95%がグランベルク語で行われています。経済発展のためには、グランベルク語能力の向上が不可欠です」
「近隣10カ国のうち、8カ国がグランベルク語を公用語としています。外交交渉において、通訳を介さない直接対話ができることの意味は計り知れません」
影山派言語政策:実用言語重視(グランベルク語60%、経済効率優先)
宗教政策での根本的対立
宗教政策では、三派の世界観の違いがより鮮明になった。
「神道こそが日本民族の精神的支柱だ!」武田派の神官、鈴木十二郎が神聖な雰囲気を漂わせながら宣言した。「神道は単なる宗教ではない。それは日本人の魂そのものです」
鈴木は古い祭具を取り出した。
「これらの祭具は、1世の方々が日本から持参された神聖な品々です。現地の宗教との混合は、これらの神聖さを汚すことになります」
2世の宗教学者、高橋十三郎が理論的に補足した。
「神道の本質は純粋性にあります。他の宗教との融合や混合は、神道の根本原理に反します。我々は国家神道を確立し、他の宗教は副次的な存在とすべきです」
武田派宗教政策:神道重視(国教化、他宗教制限)
桜井派は宗教的調和を理想とした。
「宗教の本質は愛と平和ではないでしょうか」3世の宗教哲学者、伊藤十四郎が穏やかだが確信に満ちた声で語った。「神道の精神と現地宗教の知恵を組み合わせれば、より深い宗教的体験が可能になります」
伊藤は美しい宗教的絵画を示した。
「この絵をご覧ください。神道の神々と現地の精霊が調和して描かれています。これは冒瀆でしょうか、それとも新しい神聖さの表現でしょうか」
義信が理想的な宗教観を示した。
「一つの神、多様な道——これこそが真の宗教的調和ではないでしょうか。異なる宗教の形式の奥にある、共通の精神性を見つけることができるはずです」
桜井派宗教政策:融合宗教(多元主義、宗教間対話)
影山派は宗教を統治の道具として捉えていた。
「宗教は民心安定の最も重要な道具です」無名が現実主義的な視点を提示した。「国家統治に有効で、国際関係に悪影響を与えない宗教政策を選択すべきです」
行政実務家の渡辺十五郎が具体的な行政課題を挙げた。
「現在、宗教対立による紛争が月に3件発生しています。行政コストの観点からも、宗教的統一政策が必要です」
「信教の自由を保障しながら、国家に有害な宗教活動は制限する——これが現実的なアプローチです」
影山派宗教政策:宗教的実用主義(統治の道具、行政効率優先)
教育政策での価値観の激突
教育政策では、三派の人間観と社会観の違いが最も鮮明に現れた。
「教育の根本は師弟関係にある!」教育者の田中十六郎が伝統的な教育観を力強く展開した。「師を敬い、先輩を尊敬し、集団の和を重んじる——これが真の日本式教育です」
「個人主義的な教育は日本文化に合いません。集団への奉仕と上下関係の尊重こそが、日本人の美徳です」
武田派教育政策:日本式教育(師弟関係、集団主義、道徳重視)
「教育の目的は人間の可能性を最大限に引き出すことです」3世の教育理論家、山田十八郎が革新的な教育論を熱心に展開した。「日本の道徳教育と西洋の自由思想を組み合わせることで、既存のどの教育システムよりも優れたものを創造できます」
「創造性と規律、個性と協調性——これらは対立するものではありません。適切な教育手法により、両方を同時に育成することが可能です」
桜井派教育政策:融合教育(創造性と規律の両立、多文化理解)
「教育は国家の投資です」無名が経済学者らしい視点で教育を分析した。「投資である以上、明確な収益を期待しなければなりません。国家の発展に必要な人材を育成する教育こそが正しい道です」
「現在の大和国に最も不足している人材は、商業技術者、農業技師、そして軍事専門家です。教育資源をこれらの分野に集中投入すべきです」
影山派教育政策:実学重視(職業訓練、技術教育、効率性追求)
外交政策での根本的対立
外交政策では、三派の国家観と世界観の違いが決定的に現れた。
「我々の使命は、純粋な日本文化を世界に伝えることです」外交官の高橋二十二郎が使命感に燃える声で宣言した。「これは単なる外交戦略ではない。文化的な聖戦なのです」
「茶道、華道、武道、能楽——これらの真の日本文化を通じて、世界に日本の美徳と精神性を示すべきです」
武田派外交政策:日本文化発信(一方的な文化輸出、優位性確立)
「外交の本質は相互理解と友情です」3世の国際関係学者、渡辺二十四郎が理想主義的な外交論を熱心に展開した。「一方的な文化発信ではなく、双方向の文化交流こそが真の平和に貢献します」
「文化の壁を越えた理解と友情——これが我々の目指すべき外交です。戦争ではなく対話、征服ではなく共存こそが新時代の外交原理です」
桜井派外交政策:文化交流(双方向交流、平和主義、友好関係構築)
「外交の目的は国益の最大化です」無名が冷徹な現実主義的外交論を展開した。「美しい理念も、感動的な文化交流も、それが具体的な利益をもたらさなければ無意味です」
「現在の国際情勢を分析すると、アーサー王国との同盟が最も有利です。軍事的保護、経済的利益、技術移転——これらを総合すれば、年間50万金貨の国益をもたらします」
影山派外交政策:利益重視(国益最大化、実利的同盟、軍事・経済優先)
【論争の激化と感情的対立】
議論が進むにつれ、三派の対立は次第に感情的で激しいものとなっていった。理性的な政策論争から、人格攻撃や価値観の全面否定へとエスカレートしていく。
「君たちは日本の魂を売り渡すつもりか!」信玄が堪忍袋の緒を切らして怒りを爆発させた。拳で座卓を叩く音が会議室に響き渡る。「文化の純粋性を失えば、我々は日本人ではなくなるのだ!もはや獣と同じだ!」
信玄の激しい言葉に、桜井派の人々が色めき立った。
「信玄さんこそ、過去に囚われすぎています!」義信も普段の温和さを失い、声を荒らげた。「時代は変わったのです。古い価値観に固執していては、真の美しさは実現できません!あなたの考えは時代遅れです!」
義信の反論に、武田派の支持者たちが立ち上がった。
「時代遅れだと!」2世の武道家、佐藤三郎が憤激した。「我々こそが正統な日本文化の継承者だ!君たちのような偽物に本物の価値は分からん!」
「偽物とは何ですか!」3世の芸術家、山田花子が涙を浮かべながら抗議した。「私たちは心から日本を愛しています!血統で愛国心を測るなど、許せません!」
混乱が拡大する中、影山無名が立ち上がって割って入った。
「お二人とも現実を見てください!」無名の声が会議室に響き渡る。「理念論争をしている間に、国家は危機に瀕しているのです!内部分裂こそが最大の敵なのです!」
しかし、無名の言葉も両派の怒りに油を注ぐ結果となった。
「無名さん!」信玄が無名を見据えた。「あなたは文化というものを理解していない!利益だけで国家を運営できると思っているのか!」
「影山さんの現実主義も問題です!」義信も無名に矛先を向けた。「利益だけを追求していては、国家の精神が失われてしまいます!」
無名は冷静さを保ちながら反論した。
「精神も理念も、国家が存在してこそ意味を持つのです!あなた方の理想論で、この国の安全保障を確保できるのですか!」
会議室は完全に騒然となった。三派の支持者たちが立ち上がり、激しい論争が続いた。
「純粋性こそが力の源泉だ!」武田派の支持者が叫ぶ。
「融合こそが進歩の道だ!」桜井派の支持者が応戦する。
「実益こそが生存の条件だ!」影山派の支持者が割って入る。
怒号と罵声が飛び交い、もはや建設的な議論は完全に不可能な状態となった。
【決定的な決裂】
夕刻になっても、論争は収まるどころか、さらに激化していた。時間が経つにつれて対立は深刻化し、感情的な対立は人格否定にまで発展していた。
「もはや話し合いは無意味だ」信玄が憤然として立ち上がった。その表情には、深い失望と諦めが浮かんでいた。「価値観が根本的に異なる者同士では、理解し合うことは不可能だ」
信玄は刀を腰に差し直しながら宣言した。
「我々は自分たちの信じる道を行くだけだ。純粋な日本文化の継承という使命を、我々だけで実行する」
「私もそう思います」義信も席を立った。その声には悲しみが込められていたが、決意は揺るがなかった。「理解し合えない相手と議論しても時間の無駄です。我々は我々の理想を追求します」
義信は美しい絵巻物を丁寧に巻きながら続けた。
「美しい大和文化の創造という夢を、賛同してくださる方々と共に実現していきます」
無名も冷静に立ち上がった。
「現実的な解決策が見つからない以上、それぞれが独自の政策を実施するしかありません」無名の声には感情が込められていなかった。「効率的な国家運営を目指す我々の方針に従って行動します」
三騎士団長が次々と会議室を後にすると、残された支持者たちも主人に従って散り散りになっていった。
最後に会議室に残ったのは、中立派の文化人数名だけだった。彼らは呆然として、散乱した資料と覆された茶器を眺めていた。
「どうしてこんなことになってしまったのか...」年配の学者、慈円老人が深い嘆息をついた。
「もう、元には戻らないでしょうね」若い研究者が絶望的な声で呟いた。
【分裂した国家の悲劇】
外では冷雨が降り続き、大和国の空は暗く重い雲に覆われていた。文化の統一どころか、さらなる分裂が進む結果となった文化会議。この論争は、国家を根本から揺るがす深刻な亀裂を生み出していた。
この論争の結果、大和国では前代未聞の異常事態が発生した。一つの国家の中で、三つの全く異なる文化政策が並行して実施されることになったのだ。
武田派支配地域(主に農村部と北部山間地)では、厳格な日本文化純粋主義が実施された:
- 学校教育:日本語90%、現地語5%、グランベルク語5%
- 宗教政策:神道を事実上の国教化、他宗教の活動制限
- 社会制度:現地人の公職就任禁止、血統証明書の義務化
- 対外関係:国際交流を最小限に制限、純粋な日本文化のみ発信
武田派の地域では、まるで小さな日本が再現されたかのような光景が広がった。子供たちは正座して日本語の授業を受け、神社では厳格な神道の儀式が行われ、現地人は二等市民として扱われた。
桜井派影響地域(主に都市部と文教地区)では、理想的な文化融合政策が推進された:
- 学校教育:三言語を均等に教育、多文化理解促進
- 宗教政策:宗教的多元主義、融合宗教の積極的推進
- 社会制度:完全な能力主義、国際結婚の奨励
- 対外関係:積極的な文化交流、平和主義的外交
桜井派の地域は、まさに理想的な多文化都市の様相を呈した。街角では異なる言語が飛び交い、美しい融合建築が建ち並び、様々な文化的背景を持つ人々が調和して生活していた。
影山派管理地域(主に商業地区と軍事要地)では、実利重視の文化政策が採用された:
- 学校教育:グランベルク語重視の実学教育
- 宗教政策:宗教的中立性、統治に有効な範囲で信教の自由
- 社会制度:経済効率優先の行政、職業教育の重点実施
- 対外関係:国益最大化を基準とした実利外交
影山派の地域は、効率的で近代的な商業都市となった。経済活動が活発で、技術教育が充実し、国際的なビジネスが盛んに行われていたが、文化的な豊かさは犠牲にされていた。
この三分割状態は、国家としての統一性を完全に破壊した。同じ国民でありながら、居住地域によって全く異なる教育を受け、全く異なる価値観を持つ人々が生まれることになった。
さらに深刻だったのは、この分裂が世代間対立をさらに複雑にしたことだった。家族内でも、父親は武田派、母親は桜井派、息子は影山派といった具合に、文化的アイデンティティが分裂する例が続出した。
【近隣諸国の反応と危機の深刻化】
この混乱状態は、当然ながら近隣諸国の強い関心を引いた。特に、大和国に対して領土的野心を抱いていたアーサー王国とベルガモット王国にとって、これは千載一遇の機会だった。
アーサー王国の情報部は、武田派との接触を開始した。純粋主義的な文化観を持つ武田派に対し、「真の騎士道国家として、純粋な文化を守る支援をしたい」というメッセージを送った。実際は、武田派を利用して大和国を内部から分裂させる作戦だった。
ベルガモット王国は、桜井派に接近した。理想主義的な平和外交を掲げる桜井派に対し、「文化交流促進のための特別協定」を提案した。これも、桜井派の理想主義を利用して大和国の外交的主導権を奪う計画だった。
さらに問題だったのは、グランベルク王国の動向だった。影山派が実利外交でグランベルク語教育を重視していることを受け、グランベルク王国は「文化的・経済的統合」を名目とした準保護国化を検討していた。
このように、三派の分裂は外国の介入を招く結果となり、大和国の独立そのものが危機に瀕していた。
【田中翁の危篤状態】
この一連の騒動の中で、最も深刻な影響を受けたのは、最後の1世である田中翁だった。92歳の高齢に加え、国家分裂の責任を一身に感じた翁の体調は、急激に悪化していた。
翁の住む庵には、連日のように三派の代表者たちが訪れ、それぞれ翁の支持を求めて懇願していた。しかし、翁はもはや誰の訪問も受けることができなくなっていた。
「わしが...わしが生きている限り...この国は...」翁の呟きは次第に小さくなっていく。
孫娘のさくらが看病を続けていたが、翁の衰弱は目に見えて進んでいた。医者の診断によれば、翁の余命はもはや数日程度だった。
そして、この国で最も尊敬され、唯一の統合の象徴であった翁の死期が迫っていることは、三派の分裂をさらに決定的なものにする可能性があった。
【クラル王の苦悩】
この状況を最も深刻に受け止めていたのは、変装して大和国に滞在していたクラル王だった。統治経験を持つ神王にとっても、この種の文化的・世代的対立は極めて困難な課題だった。
宿屋「桜屋」で、クラル王は女将の田中ゆきと話していた。
「クラウドさん、どう思われますか」ゆきが疲れ果てた様子で尋ねた。「この国は、もうだめなのでしょうか」
クラル王は深い沈黙の後、慎重に答えた。
「どの派の言い分にも、一理あります。しかし、それぞれが自分の正しさだけを主張し、相手を理解しようとしない限り、解決は困難でしょう」
「でも、何か方法はあるはずです」ゆきが希望を込めて言った。「翁様が元気だった頃は、みんな仲良くやっていました」
クラル王は窓の外を見つめた。雨に濡れた桜京の街並みは、美しさと悲しさを同時に湛えていた。
(統治者として介入すべきか、それとも彼らの自立性を信じるべきか...)
クラル王にとって、これは単なる他国の内政問題ではなかった。大和国で起きている世代間・文化間対立は、自分の治めるグランベルク王国でも将来起こり得る問題だった。そして、この問題の解決法を見つけることは、神王として、また一人の統治者として重要な学習機会でもあった。
しかし、介入のタイミングと方法を間違えれば、かえって状況を悪化させる可能性もある。クラル王は、慎重な判断を求められていた。
雨音が宿屋の静寂を支配する中、神王は深い思索に沈んでいた。明日への希望を見出すことができるのか、それとも大和国は分裂の道を歩み続けるのか——その答えは、まだ霧の中にあった。
**次回予告:第14話「茶会での決裂」**
*最後の和解の機会として、中立派の文化人たちが「和の心を語る会」を開催する。静寂な茶室で再び向き合う三騎士団長。しかし、根深い価値観の対立は茶道の精神をもってしても解消されず、ついに決定的な決裂に至る。そしてその時、謎の商人クラウド・マーチャントの正体が露見し、田中翁の危篤状態の中で、神王の権威を持ってしても解決できない深い亀裂の存在が明らかになる...*