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「和の国興亡記」第12話「血統論争の激化」

**時期**:グランベルク暦1247年晩秋

**場所**:桜京・大和国政庁「桜花会議場」

**天候**:曇天、冷たい北風が吹く

第一場 政庁に響く怒号


「——断じて、許すことはできぬッ!!」


武田信玄の、怒りに満ちた咆哮が、大和国政庁の中枢、「桜花会議場」の高い天井を、ビリビリと震わせた。齢六十二を数える、百戦錬磨の侍騎士団長の顔は、憤怒のあまり、まるで鬼の形相のように歪み、彼が渾身の力で叩きつけた演台からは、硬い桜材が軋む、鈍い音が響き渡った。


この桜花会議場は、本来、この国の調和と美の象"徴たるべき、荘厳な空間であった。高く、優美な曲線を描く天井には、精巧な桜花の彫刻が惜しげもなく施され、壁面には、建国の父祖たちが夢見た、理想の国家像が、色鮮やかなフレスコ画として描かれている。だが、その神聖であるべき場所は、今、相容れぬ二つの正義が激突する、闘技場と化していた。


「我らが父上が、その命そのものを懸けて、この異郷の地で守り抜こうとされた、尊き日本の魂が! 今まさに、その根底から汚されようとしておるのだ!」信玄の叫びは、もはや理性を失った、魂からの慟哭であった。「五十と七年前、父・武田信行が、絶望の荒野に、その第一歩を印された時の、あの熱き、そして気高き志を、諸君は、もう忘れてしまわれたというのか!」


広大な会議場を埋め尽くす、三百名の参加者たち。三つの騎士団の幹部、各地区から選ばれた代表者、そして、この国の行政を担う主要な官僚たち。彼らは皆、固唾を飲んで、この歴史的な対立の行方を、それぞれの、複雑な思惑と感情をもって、見守っていた。


今日の議題は、「大和国国籍法改正案」。その表向きの名目は、あくまでも煩雑な行政手続きの効率化と、国民の定義を明確化するという、極めて事務的なものであった。しかし、その裏に隠された真の争点は、この国の未来を、そしてその魂の在り方を、根本から決定づけるものであった。すなわち、父祖伝来の「血統」を絶対的な価値とするのか、それとも、新しい時代に即した「融和」の道を選ぶのか。その、究極の選択である。


演台の真向かいで、桜井義信は、血の気の引いた、苦渋の表情を浮かべていた。三十二歳。理想に燃える桜騎士団の若き長にとって、このような、憎しみと断絶に満ちた光景は、彼が最も忌み嫌い、そして最も避けたいと願ってきたものであった。(……なぜ、こんなことに……なってしまったのだ……)彼の心に去来するのは、今は亡き田中源蔵翁から、繰り返し聞かされた「和の心」という、尊い教えであった。(……翁は、天の上から、この醜い争いを、どれほどの悲しみをもって、見つめておられるだろうか……)


そして、その会議場の最も後ろの席で、影山無名は、ただ一人、一切の感情をその貌から消し去り、氷のように冷徹な眼差しで、この状況の全てを、正確に分析していた。齢五十四、忍びの世界に生きる彼にとって、このような対立は、当然、想定されていた数多のシナリオの一つに過ぎなかった。だが、その燃え上がる感情の激しさは、彼の、最も悲観的な計算すらも、遥かに上回っていた。(……予想を、遥かに超えて、感情的になりすぎている。これでは、もはや、いかなる理性的な議論も、期待することはできぬ……)彼の、コンピュータのように高速で回転する頭脳の中では、既に、いくつもの未来予測と、それに対応するための、複数の行動計画が、同時に検討され始めていた。最悪の場合、この対立は、内戦という、最も悲劇的な結末を迎える可能性さえ、十分にあり得た。


第二場 「日本人認定令」の詳細


会議場の、不穏なざわめきが、一瞬だけ、静寂へと変わったその時。再び、武田信玄が、まるで傷ついた獅子のような威厳をもって、ゆっくりと立ち上がった。


「ここに、諸君に、新たなる法案を、提案する!」信玄が、厳かに宣言した。「その名も、『日本人認定令』。これこそが、乱れ、そして薄まりつつある、この国の魂を、再び本来あるべき、清く、そして強い姿へと、蘇らせるための、唯一無二の方途である!」


再び、会議場が、どよめきと、困惑と、そして期待の入り混じった、大きなざわめきに包まれた。その喧騒を、まるで意にも介さぬかのように、信玄は、懐から取り出した、美しい紋様が漉き込まれた和紙の巻物を、ゆっくりと、そして芝居がかった仕草で、広げてみせた。そこに、格調高い、流麗な毛筆で記されていた五つの条項は、この大和国の、国としての性格を、未来永劫にわたり、決定づけてしまうであろう、恐るべき内容を、含んでいた。


「……第一条を、読み上げる!」信玄の、朗々とした声が、響き渡った。「大和国の要職、すなわち、閣僚級以上の公職に就任する者は、その身に、日本人としての血統を、五十パーセント以上、有する者に、これを限るものとする!」


その一文が読み上げられた、まさにその瞬間。会議場の後方に座っていた、現地桜族出身の、有能な官僚たちの顔から、さっと血の気が引いていくのが、誰の目にも見て取れた。現在の内閣において、内務次官の要職にあるハンス・フリードリッヒ、そして経済企画官としてその辣腕を振るうマルタ・シュミット。彼らを筆頭に、文部官僚のおよそ半数が、この、たった一条文によって、その輝かしいキャリアと、この国に尽くしてきた長年の功績の、全てを、一夜にして否定されることになるのだ。「……そん、な……」と、ハンス次官が、力なく呟いた。「私の、この三十年間の、国への奉公が……全て、無に、帰すというのか……」


だが、信玄は、そんな彼らの絶望など、まるで存在しないかのように、冷徹に、条文を読み進めていった。


「第二条! 結婚においては、日本人血統者同士の結合を、国家が、これを強く奨励するものとする! 純粋なる血統の、安易な希薄化を防ぐため、国が支給する結婚祝い金制度において、その夫婦の血統純度に応じ、明確な、差別化を、これを図るものなり!」


「第三条! この国に生まれる全ての子供たちの教育は、日本語、及び日本文化を、絶対的な第一言語、第一文化とし、現地語、及び現地文化は、あくまでも、第二の、補助的なものとして、これを位置づける! 公教育における、日本語の使用率を、最低でも七十パーセント以上とし、現地語の使用は、三十パーセント以下に、厳格に、これを制限するものとす!」


そして、聴衆が、息を飲む音すら聞こえる、極度の緊張の中で、彼は、最も残酷で、そして最も決定的な、最後の二条を、宣告した。


「第四条! 日本人血統を持たぬ、現地人との婚姻は、これを、国家による、許可制とし、新たに設置される、血統調査委員会の、厳格なる審査を、必須とするものなり!」


「第五条! 血統調査委員会を、政庁直轄の、最重要機関として設置し、全国民の、日本人としての血統率を、戸籍に、正確に調査、記録するものとする! そして、委員会は、全国民に対し、その血統の純度を証明する、『血統証明書』を発行し、国民は、就職、結婚、教育、その他全ての公的サービスを利用する際において、その証明書の提示を、義務付けられるものとす!」


最後の、その条文が読み上げられた時、この法案が持つ、真の、そして恐ろしい本質が、会議場にいる全ての者の前に、明らかとなった。これは、もはや単なる、一つの政策の変更などではない。それは、この国の全ての国民を、「日本人」と「非日本人」という、決して越えることのできぬ壁によって階層化し、そして分断する、根本的な、社会制度の、革命的な変更であった。


「……この法案こそが!」信玄が、その目に涙を浮かべ、声を震わせながら、力強く、そして悲痛に、叫んだ。「我が父、武田信行が、その生涯を懸けて夢見た、真の、そして気高き日本の姿を、この地に再建するための、揺るぎなき礎となるものである! 血統! 血統こそが! 我々、日本人の、その誇り高き魂を、未来永劫にわたり、保証する、唯一無二の、絶対的な基準なのだ!」


第三場 桜井義信の「融和宣言」


会議場が、あまりの衝撃と、そしてその後に訪れた、重苦しい沈黙に、完全に支配された、その時であった。桜井義信が、ゆっくりと、しかし、一切の迷いを見せることのない、確固たる動作で、その席を立った。


「……信玄さん」

義信の声は、嵐の前の静けさのように、穏やかであった。だが、その内には、何ものをも恐れぬ、鋼のごとき、強い、強い意志が、満ち満ちていた。「貴殿が、今、ご提案されたその法案に、私は、この桜井義信の、全ての魂を懸けて、断固として、反対いたします」


義信が、演台へと向かう、その規則正しい足音だけが、静まり返った会議場に、コ、コ、コ、と、響き渡った。

「信玄さんの、お気持ちは、私にも、痛いほどに、分かります」義信は、憎しみの炎を燃やす信玄の目を、真っ直ぐに、そしてどこか悲しげな瞳で見つめ返しながら、言った。「貴方が、敬愛するお父上を、どれほど深く、尊敬し、そして愛しておられるか。そして、貴方が、どれほど純粋な思いで、この日本の未来を、憂いておられるか。そのお気持ちは、美しく、そして誰にも否定できぬほどに、尊いものでありましょう」


「……しかし!」義信の声が、次第に、そして確実に、その力を増していく。「その尊いお気持ちの、その先にあるものが、もし、この国を、憎しみと、分断と、差別の闇へと、突き落とすものであるならば! 私は本日、この場において、それとは全く異なる、新しい国の在り方を示す、『融和宣言』を、高らかに、発表させていただきます!」


彼が、その手にしたのは、美しい桜の花びらの模様が、淡い色で漉き込まれた、一枚の宣言文であった。それは、義信自身が、幾夜も眠れぬ夜を過ごし、悩み、苦しみ、そしてその末に、自らの魂の全てを込めて、書き上げた、彼の信念の、結晶であった。


「……大和国、その建国の、最も崇高なる理念は、『美しき日本の再建』、で、ありました」義信は、その宣言文を、ゆっくりと、そして一言一句を、噛みしめるように、読み上げ始めた。その、どこまでも誠実で、そして清冽な声は、不思議なほどの説得力をもって、会議場の隅々にまで、染み渡っていった。

「……ですが、皆様。その『真の美しさ』とは、一体、どこに宿るものなのでしょうか。血統の純粋さ、ただそれだけにあるのでしょうか。私は、断じて、そうは信じません!」

彼は、会議場の大きな窓の外を、その指で、静かに差し示した。「あの、中庭に咲く、美しい桜の花を、ご覧ください。あの桜の木は、確かに、我々の祖先が、遥か日本という国から、大切に持ち込んだ、たった一粒の種から、育ちました。しかし、あの木は、この異郷の地の、冷たい水を吸い、そして、この土地の、厳しい風に吹かれて、今、ここに、かくも見事に、咲き誇っているのです。さて、皆様。あの桜は、純粋な『日本の桜』なのでしょうか。それとも、この土地に根差した『大和の桜』なのでしょうか……?」


彼の、その詩的な、しかし本質を突いた比喩に、会議場の人々は、いつしか、引き込まれるように、聞き入っていた。

「……私は、思うのです。あの桜こそが、我らが、この大和国の、真の象徴である、と! 日本の魂という、揺るぎない根を持ちながら、この異郷の地に、深く、そしてしなやかに根を張り、この土地の、全てと、一体となって、さらに美しく、そして力強く、咲き誇る——それこそが、我々が、真に、目指すべき、未来の姿では、ございませんか!」


彼が、その宣言の基本方針として掲げたのは、「心こそが、その者を、日本人たらしめる、唯一の証である」という、あまりにもラディカルで、しかし希望に満ちた、新しい理念であった。


「血筋が、どれほど薄かろうとも、この日本という国を、心の底から愛し、その繁栄のために、自らの人生を捧げる覚悟を持つ者こそが、真の日本人であります! 逆に、どれほど純粋で、濃い血筋を受け継いでいようとも、この国を、そしてここに生きる人々を、軽んじるような者は、もはや、日本人と呼ぶに、値しない!」


彼が提示した、具体的提案は、信玄のそれとは、まさしく、光と影のように、対照的なものであった。

第一! 血統に一切よらない、完全なる、能力主義人事の、即時実施!

第二! 日本文化を深く尊重しつつ、同時に、現地文化の持つ、独自の美しさをも、等しく理解するための、多文化共存の、新しい教育制度の確立!

第三! 現地文化との、積極的な融合を通じて、より豊かで、より美しい、世界に誇るべき、全く新しい『大和文化』を、我々の手で、創造していくこと!

そして第四! 異文化間の婚姻を、制限するのではなく、むしろ、国家として、これを積極的に、推進し、多様性こそが、この国家の、真の力の源泉であることを、世界に示すこと!


最後に、彼は、自らの、最も深い部分に触れる、勇気ある告白を行った。

「……私の祖父は、偉大なる日本人でありました。ですが、私の母は、日本人では、ございません……。血統という、物差しで測るならば、私は、純粋な日本人では、ないのかもしれない。しかし、この胸の内にある、『美しき日本』への、焦がれるような憧れと、この国を、より良い場所にしたいと願う、この熱い、熱い思いだけは、誰にも、負けるつもりは、ございません!」

彼の、その魂からの叫びは、会議場の、特に若い世代の、そして混血という出自を持つ者たちの、心の最も深い場所を、激しく、そして強く、揺さぶった。


第四場 民衆の、そして世界の反応


二つの、あまりにも鮮烈で、そして決して相容れることのない宣言。それは、この国の全てを、容赦なく、二つの陣営へと引き裂いた。街角の酒場では、酔った男たちが、互いの正義を声高に叫び、掴み合いの喧嘩となり、警備隊が出動する騒ぎが、毎夜のように起きた。長年、隣人として、親友として、穏やかに暮らしてきた者たちの間に、血統という、目に見えぬ、しかし決して越えることのできぬ、深い、深い溝が、刻まれていった。


二世層の反応は、最も複雑で、そして深刻であった。その六割は、「父祖が、その命を懸けて持ち込んだ、この尊き日本の血を、我々の代で、薄めてはならぬ!」という、信玄の、感情的な訴えに、強く共鳴した。だが、残る四割、特に、既に現地人と結ばれ、愛する家族を築いていた者たちは、「時代は、もう変わったのだ。愛する妻や、可愛い我が子を、『日本人ではない』と差別することなど、人として、断じて許せることではない!」と、義信の、融和の思想を、涙ながらに、支持した。


対照的に、三世層の若者たちの結束は、圧倒的であった。その八割五分までもが、「生まれて初めて、『差別』という、醜い言葉の、本当の意味を知った!」と、義信の側に立ち、血統による差別に、激しい怒りを、燃え上がらせた。


そして、最も深い恐怖に震えていたのは、現地人の人々であった。その七割以上が、「我々は、やがて、この国から、追放されてしまうのではないか」という、深刻な不安に、苛まれていた。彼らの一部は、既に、密かに、近隣国への、集団脱出の計画を、立て始めていたという。


この、大和国の、深刻な内部分裂の報は、またたく間に、近隣諸国へと伝播した。アーサー王国は、「人道的支援」という、美しい名目の下に、その実、侵略の機会を虎視眈々と狙い、国境地帯に、大軍を集結させ始めた。ベルガモット王国もまた、「難民の受け入れ」を、いち早く表明したが、その真の狙いは、混乱に乗じて、国内に、多数の諜報員を送り込むことであった。


この、一触即発の危機的状況の全てを、影山無名は、彼の、蜘蛛の巣のように張り巡らされた情報網を通じて、正確に、そして冷徹に、分析していた。(……この対立は、もはや、国内問題の範疇を、完全に超えた。このまま放置すれば、内戦、そして、それに乗じた、外国からの侵略を招き、この国は、建国から、わずか一年足らずで、滅びるであろう……)。


そして、彼の、そのコンピュータのような頭脳に、一人の男の、あの、底の知れない、静かな顔が、浮かび上がってきた。(……あの、『クラウド・マー-チャント』と名乗る、不思議な男。彼ならば、きっと、この、あまりにも複雑に絡み合った、絶望的な状況の本質を、完全に見抜いているはずだ。そして、もしかすると、その解決策さえも……持っているのかも、しれない……)。


雲が、ますます厚く、そして重く、桜京の空を覆っていく。夕闇が迫る会議場では、未だ、怒号と罵声が、虚しく、そして悲しく、飛び交い続けていた。血統か、心か。この、あまりにも重い問いに対する答えを、彼らは、自らの力だけで、見つけ出すことができるのであろうか。影山無名は、一つの、極めて危険な賭けに、出ることを、決意していた。

**次回予告:第13話「文化解釈論争」**

*血統論争は文化論争へとエスカレート。武田派の原理主義、桜井派の理想主義、影山派の実用主義が激突する。言語、宗教、教育、外交——あらゆる分野での対立が表面化し、大和国の文化的アイデンティティそのものが問われる。果たして「真の日本文化」とは何なのか。そして、田中翁の体調がさらに悪化する中、ついに影山無名が動き出す...*

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