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「和の国興亡記」 第2話「帰還拒否者たちの遺産」

**時期**:グランベルク暦1190年(57年前)の回想

序幕 記憶の彼方へ


ガタン、ゴトンと、荷馬車が街道の轍に車輪を取られる心地よい揺れが続く。車窓から流れるのは、春の陽光を浴びて生命を謳歌するグランベルク王国ののどかな田園風景だ。しかし、その穏やかな景色とは裏腹に、クラウド・マーチャントと名を変えたクラルの心は、今から五十七年もの昔、あの忌まわしくも忘れがたい事件が起こった、大陸の東端へと飛んでいた。


「ネオニッポン事件……」


その名を口の中で呟くだけで、今なお彼の胸には、鉛のような重い悔恨の念が沈み込む。ある大国が国家の威信をかけて行い、そして冷徹に隠蔽し続けた科学の暴走。その結果、一万二千もの魂が、何の準備もなきままにこの過酷な異世界へと放り出され、想像を絶する生存競争を強いられた悲劇。


あれから長い歳月が流れた。世界情勢は大きく変わり、彼自身も統治者という重責から解き放たれた。だが、心の奥底に刺さった棘は、決して消え去ることはなかった。荷馬車の規則正しい揺れが、まるで揺りかごのように彼を過去へと誘う。クラルは静かに瞼を閉じ、永らく封印していた記憶の扉を、ゆっくりと開いた。


第一場 悲劇の始まり


グランベルク暦千百九十年十月三日。場所は、まだ地図にも名を持たぬ、大陸の最東端に突き出た半島。


空には見たこともない二つの太陽が鈍い光を放ち、秋の冷たい風が、枯れ草ばかりの荒野を寂しく吹き抜けていた。その何もない空間に、突如として、まるで蜃気楼が実体を得たかのように、おびただしい数の人影が出現した。その数、およそ一万二千。彼らは皆、現代日本と呼ばれる異世界から、次元転移と称される国家的な実験の最中に、予期せぬ事故によってこの世界へと弾き飛ばされてきた人々であった。男女の比率はほぼ均等。下はまだ幼い十五歳の少年少女から、上は六十代の老人まで、その年齢層は社会の縮図のように幅広く分布していた。


彼らが故郷と信じていた世界では、政府が国民に向けて、こう高らかに宣言していた。「我が国が主導した次元転移実験は、人類史上初の快挙として完全なる成功を収めました。全ての被験者は、寸分の違いなく、無事に元の場所へと帰還を果たしております」と。


しかし、その言葉は、国家の威信と国際社会での体面を保つために周到に用意された、完全なる虚構であった。現実には、帰還システムの致命的な設計ミスにより、次元の狭間で座標が完全に喪失。被験者たちは、永久にこの異世界に取り残されることが確定していたのである。政府は、その身勝手な失敗を糊塗するため、彼らの存在そのものを歴史から抹消し、実験は「輝かしい成功」であったと発表したのだ。


転移直後の現場は、阿鼻叫喚という言葉すら生温いほどの、混沌の坩堝と化していた。


「なんなんだ、ここは! 見ろ、空の色がおかしいぞ!」

「太陽が……太陽が二つある! 嘘だろ!」

「冗談じゃない! 携帯がただの鉄の塊だ! 圏外どころか、電波そのものがどこにも存在しないんだ!」


パニックに陥り、泣き叫び、あるいは呆然と立ち尽くす群衆の中で、ただ一人、いち早く冷静さを取り戻し、状況を正確に分析し始めた男がいた。その男の名は、田中源蔵。三十五歳、元陸上自衛隊三等陸佐。


身長百七十五センチ、長年の訓練によって鍛え上げられた、鋼のようにがっしりとした体格。田中は、数々の修羅場を潜り抜けてきた自衛官としての卓越した危機管理能力を、即座に発揮した。


「皆さん、どうか落ち着いてください!」


腹の底から絞り出すような、それでいて不思議なほどの落ち着きを払ったその声は、混乱の渦の中心に、静かな波紋を広げた。


「現状を把握しましょう。我々が、自分たちの知る日本ではない、全く未知の場所にいることは、もはや疑いようのない事実です。しかし、絶望するのはまだ早い。今、我々に必要なのはパニックではなく、冷静な判断と、組織的な行動です。それさえできれば、必ず、我々は生き延びることができます!」


田中の言葉には、根拠のない希望論ではなく、厳しい現実を見据えた上での、確固たる自信が満ちていた。その冷静沈着な態度と、有無を言わさぬ指導力に、拠り所を失いかけていた人々は、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように、徐々に彼の周りへと結集し始めたのだった。


第二場 四人のリーダーたち


極限の混乱状態の中、生存への渇望が、人々の中から自然発生的に四人のリーダーを生み出した。彼らはそれぞれが全く異なる価値観と、生存へのアプローチを持ち、必然的に、それぞれの思想に共鳴する者たちによる、四つのグループが形成されていったのである。


田中源蔵が、科学的かつ現実的な生存戦略を掲げた「理性」の象徴であったとすれば、武田信行という男は、「精神」の支柱としての役割を担った。三十歳、剣道教士七段。自らを戦国武将・武田信玄の血を引く末裔であると公言してはばからない、古風な男であった。


「我々は今、天から与えられた試練に直面している。しかし、我々の内には、千五百年の長きにわたって受け継がれてきた、日本人としての誇りと、不撓不屈の武士道の精神が宿っている。それさえ忘れなければ、どのような困難であろうと、必ずや乗り越えることができるはずだ!」


身長は百七十センチと決して大柄ではないが、その体は鍛え上げられた筋肉の鎧で覆われていた。常に背筋を一点の曇りもなく伸ばし、その瞳は常に遥か先を見据えているかのように、毅然とした輝きを放っていた。彼の周りには、この超常的な状況において、心の拠り所となる強固な規律と、精神的な支えを求める人々が集まっていった。「困難な時にこそ、相互扶助の精神を発揮せねばならぬ。強者は自らの力を驕ることなく弱者を守り、経験を持つ者は惜しみなくその知識を未経験者に授ける。これこそが、古来より伝わる日本人の心なのだ」


三人目のリーダーは、桜井良太。二十八歳、高等学校で日本史を教える教師であった。彼は、この絶望的な状況を、全く異なる視点から捉えていた。


「この状況を、ただ嘆き悲しむのではなく、我々に与えられた新しい可能性として捉えてみませんか」


教師らしい、穏やかで理知的な語り口。その言葉は、絶望に沈む人々の心に、一条の光を灯した。


「我々の手には、現代日本の科学技術の知識があります。数千年にわたって培われてきた農耕や建築の技術もあります。そして何よりも、我々の記憶の中には、世界に誇るべき、美しく豊かな日本文化が息づいています。ならば、この何もない新天地に、我々が理想とする、真に美しい日本を、我々自身の手で一から作り上げることができるのではないでしょうか」


細身で知的な風貌の桜井の周りには、文化人や教育者、技術者といった、創造的な未来を志向する人々が集まった。


そして、四人目のリーダー、影山正蔵。三十二歳、表の顔は大手商社のエリート社員だが、その裏で、幼少期から趣味として忍術の研究に没頭してきたという、異色の経歴を持つ男だった。彼は、他の三人のような高邁な理想を語ることはなかった。ただひたすらに、最も現実的で、そして最も重要な課題に取り組もうとしていた。


「理想を語る前に、まずやるべきことがある。徹底的な情報収集だ。この世界の地理、気候、生態系、そして何より、我々以外の知的生命体……住民の有無、その文明レベル、政治体制、我々に対する友好的、あるいは敵対的な感情の有無。考えられる限りの危険性。そのすべてを、正確に、そして迅速に調べ上げなければ、我々は生き残ることすらできない」


中肉中背で、群衆の中に紛れればたちまち見失ってしまいそうなほど、目立たない外見の影山。しかし、その平凡な仮面の下には、鋭い洞察力と、冷徹なまでの実務能力が隠されていた。商社マンとして世界中を飛び回って培った交渉スキルと、古文書を紐解いて学んだ忍びの知恵が、この原始的な異世界で、思わぬほどの威力を発揮することになるのを、まだ誰も知らなかった。


第三場 最初の冬、生存への戦い


転移から一ヶ月が過ぎた、十一月上旬。彼らが「桜半島」と名付けたこの地の気候は、日本の本州によく似ていたが、冬の訪れは遥かに早く、そして厳しかった。生態系は完全に異なり、彼らが知る食用の動植物は、ただの一つとして存在しない。安全な食糧の確保は、文字通り、彼らの生死を分ける喫緊の課題となった。


この難局において、田中源蔵の科学的アプローチが真価を発揮した。


「感情や希望的観測に流されてはならない。我々が取るべき道はただ一つ、科学的な検証に基づいた、地道で確実な生存戦略だ」


田中は、グループ内の医師や薬剤師、植物学者たちと協力し、現地の動植物に対する、系統的かつ厳密な食用テストを開始した。まず、全ての動植物を、その外見的特徴から三段階の危険度で分類した。


危険レベルA:毒々しい原色、強い刺激臭を持つなど、明らかに高い毒性を持つと推測されるもの。

危険レベルB:毒性の有無は不明だが、何らかの警戒を要するもの。

危険レベルC:外見上、比較的安全そうに見えるもの。


そして、最もリスクの低いC級に分類されたものから、極めて慎重な手順を踏んで、安全性の確認を進めていった。「いいか、焦りは禁物だ。まず、採取した植物の汁を皮膚に塗り、アレルギー反応の有無を十二時間観察する。異常がなければ、次に舌の先で味を確認する。それも問題なければ、米粒ほどの量を摂取し、丸一日、二十四時間、体調の変化を注意深く観察する。この手順を、絶対に省略するな」


この気の遠くなるほど慎重なアプローチは、時に仲間から「臆病すぎる」と揶揄されもしたが、結果として、未知の植物による食中毒での死亡者を、奇跡的とも言えるほど最小限に抑えることに成功したのである。彼らの血と汗の結晶として、いくつかの貴重な食料源が発見された。地下茎が主食となりうる「桜芋」、美味だが捕獲が困難な飛べない鳥「風鳥」、タケノコが食用になる現地の「青竹」、そして季節によって味が激変する川魚「桜魚」。


その一方で、武田信行は、目先の食糧確保よりも、集団全体の精神的な結束を維持することに心血を注いだ。


「腹が減ったからといって、心まで餓えてはならない。獣と成り果てては、日本人としての誇りを失うことになるぞ!」


彼は、毎朝六時の日の出と共に、集団での武道稽古を敢行した。夜は、か細い焚き火を囲み、日本の歴史や武士道の精神について、力強く語り聞かせた。「この試練は、我々日本人の真価が問われる、天からの試金石なのだ。このような困難な状況にあるからこそ、我々は互いを思いやり、支え合わねばならん。それこそが、忘れ去られようとしている、日本人の真の美徳なのだ」


武田の率いるグループは、他のグループに比べて常に食糧不足に喘いでいたが、その精神的な結束力と士気の高さは、群を抜いて強固であった。


桜井良太は、人々が日々の糧を得るのに必死な、この過酷な生存状況の只中にあっても、文化活動の灯を消すことはなかった。


「『人はパンのみにて生くるにあらず』。飢えを満たすことだけが、人間の生きる目的ではないはずだ。我々には、心の糧もまた、必要不可欠なのです」


彼は、毎夜「記憶の会」と名付けた集会を開いた。参加者たちは、そこで交代で、自らの記憶の底から、日本の詩歌や物語、歌謡曲といった文化の欠片を、必死に手繰り寄せ、発表し合った。万葉集の和歌を涙ながらに暗唱する元国語教師。故郷の民謡を、か細くも美しい声で歌う老婆。子供たちに昔話を語り聞かせる若い保育士。そして、燃えさしの炭を使い、砂の上に文字を描いて書道を教える書家。


「もし、我々がここで全滅すれば、我々の記憶の中にあるこれらの美しい文化もまた、この世界から永遠に失われることになる。それを記録し、次代へと継承していくことこそ、我々に課せられた最も重要な使命なのです」


桜井の言葉は、人々の心に、生存以上の、より高次な目的意識を植え付けた。


第四場 言語の壁との闘い


転移から三ヶ月が過ぎた頃、彼らは初めてこの半島の先住民である「桜族」との、本格的な接触を果たした。


桜族は、日本人とほぼ同じ体格を持つ、極めて穏やかな性質の民族であった。青白い肌に、月光を思わせる銀色の髪。彼らは、日本人たちがまだ知らない高度な農耕技術を持ち、そして、途方もなく複雑な独自の言語体系を有していた。


この言語の壁を突破することを、最優先の戦略課題として位置付けたのが、影山正蔵であった。


「言葉を制する者が、交渉を制する。そして、この世界を制するのだ」


桜族の言語は、彼の予想を遥かに超えて複雑怪奇だった。動詞が必ず文頭に来る特異な語順。話す相手の年齢、社会的地位、さらには血縁関係の遠近によって、使用する語彙が細かく変化する、精緻な敬語システム。物の形状によって全く異なる数詞が使われる体系。そして、季節や天候、時間帯によって、挨拶の表現までもが変わるという難解さ。


しかし影山は、商社マン時代に数ヶ国語を習得した類稀な語学センスと、忍術研究を通じて培った、人間の微細な表情や仕草から意図を読み取る驚異的な観察力を駆使し、わずか半年という短期間で、日常会話に不自由しないレベルまで、その言語をマスターしてしまった。


一方、桜井良太は、教育者らしいアプローチでこの問題に取り組んだ。


「大人が凝り固まった頭で学ぶよりも、吸収力の高い子供たちに先に学んでもらう方が、遥かに効率的です。そして、言語を覚えた子供たちが、我々大人たちの通訳となってくれればよいのです」


彼は、十歳以下の子供たち五十名を選抜し、遊びを取り入れた独自の教育プログラムによって、集中的な言語教育を実施した。子供たちは、桜族の子供たちとの交流を通じて、わずか三ヶ月で簡単な会話能力を身につけ、やがては大人たちの間で、通訳として、あるいは文化交流の架け橋として、不可欠な存在となっていった。


田中源蔵は、あくまで実用性を重視した。


「完璧な言語能力を目指す必要はない。今、我々に必要なのは、生き延びるために最低限必要な、実用的な語彙の習得だ」


彼は、生存に直結する基本語彙をリストアップし、部下たちに徹底的に覚えさせた。「食べ物」「水」「安全」「危険」といった食糧関連の言葉。「家」「建材」「道具」などの住居関連の言葉。そして「交換」「価格」「品質」といった、今後の交易に必要となる言葉。


四人のリーダーの中で、言語習得に最も消極的だったのが、武田信行であった。


「我々が、彼らの言葉を学ぶことは、円滑な関係を築く上で必要であろう。しかし、だからといって、我々の母国語である日本語を、決して疎かにしてはならぬ」


武田のグループでは、日常の会話は全て日本語で行うことが義務付けられ、現地語の使用は、必要最小限の場面にのみ留められた。彼のこの頑なな姿勢は、日本文化の純粋性を守る上では有効だったが、その後の現地住民との深い交流においては、少なからぬ障害となった。


第五場 住居建設と日本建築の再現


転移から半年が過ぎ、厳しい冬が終わりを告げ、春の気配が半島を包み込む頃、ようやく本格的な住居の建設が始まった。


桜井良太は、この新天地で、自らの知識を総動員し、日本建築の様式美を、現地の材料だけで再現するという、壮大な挑戦に着手した。


「日本建築の本質とは、特定の木材や瓦にあるのではありません。光と影を巧みに操る空間の美学と、周囲の自然と一体化する調和の精神、そのものにあるのです」


幸いなことに、桜半島は建築資材に恵まれていた。日本の竹よりも遥かに太く、強靭な「青竹」。軽量で、驚くほど加工がしやすい広葉樹「銀木」。美しい桃色の斑紋を持つ「桜石」。そして、屋根材として最適な、丈夫で防水性に優れた「風草」。


桜井が心血を注いで設計した「新桜神社」は、それら現地の材料を巧みに組み合わせながらも、日本の伝統的な神社建築が持つ、荘厳で洗練された様式美を、完璧に再現していた。主要な柱には、力強い青竹を。屋根を支える複雑な組み物には、繊細な銀木を。そして、建物の基礎には、美しい色彩を持つ桜石を。風草で丁寧に葺かれた屋根は、日本の茅葺き屋根を彷彿とさせる、素朴で温かみのある風情を醸し出していた。


「この神社こそが、我々の魂の拠り所、心の故郷となるのです」


桜井の言葉通り、天高くそびえる新桜神社は、故郷を失った日本人たちの、揺るぎない精神的な支柱となっていった。


それに対し、田中源蔵は、美しさよりも、徹底して機能性を重視した。


「芸術的な建物を建てるのは、後でもできる。今、最優先すべきは、雨風を確実にしのぎ、夜行性の危険な野生動物から、家族の身を安全に守れる住居の、大量建設だ」


田中のグループが建設したのは、極めて効率的に設計された、大規模な集合住宅であった。一棟で二十家族が暮らせる長屋形式。炊事場や風呂場を共同化することで、資源と労力を大幅に節約。そして、周囲を頑丈な外壁で囲み、厳重な火災対策を施した、実用本位の建築物。それは美しさとは程遠かったが、多くの人々に、何物にも代えがたい安全と、快適な眠りを提供した。


武田信行は、住居の防御性能を、何よりも最重視した。


「住居とは、生活の場であると同時に、敵の襲来に備える要塞でなければならぬ」


彼のグループは、日本の戦国時代の山城の技術を応用し、丘陵地帯に、要塞化された住居群を築き上げた。周囲を見渡せる高台という戦略的な立地。二重に巡らされた深い堀と、高くそびえる土塁。そして、地下には、いざという時のための武器庫と、数ヶ月は籠城できるだけの食糧を備蓄した倉庫。彼の住居は、住むというよりも、立てこもるという言葉がふさわしい、無骨な城であった。


そして影山正蔵は、他の三人とは全く異なるアプローチで、自らの拠点を築いた。彼の建物は、一見すると、桜族の住居と見分けがつかない、ごくありふれた外見をしていた。しかし、その内部には、彼の忍者研究の知識が集約された、驚くべき機能が隠されていた。


「表向きは、完全に現地の建物に擬態させる。だが、その実態は、高度な情報収集能力と、緊急時の生存性を極限まで高めた、我々だけの秘密基地とする」


その壁の中には、巧妙に隠された秘密の通路が走り、屋根裏には、周囲の動向を監視するための見張り所が設けられていた。そして、地下深くには、外部から完全に遮断された、緊急避難用のシェルターと、暗号化された重要情報を保管するための金庫が、秘密裏に設置されていたのである。


第六場 文化保存と記憶の継承


転移から一年。生存の基盤がようやく安定し始めると、人々の中から、より根源的な問題が、静かに、しかし確実に浮上してきた。それは、「我々は何者であるのか」という、文化的アイデンティティの危機であった。


この問題に、誰よりも早く、そして真摯に取り組んだのが、桜井良太であった。彼は、「記憶の図書館」と名付けた、壮大なプロジェクトを立ち上げた。


「我々の脳内にある記憶こそが、失われた日本文化をこの世界に留める、最後の砦なのです!」


彼は、生存者たち一人ひとりの元を訪ね歩き、彼らが記憶している、あらゆる文化的な要素を、聞き取り、記録し、体系化していった。その作業は、途方もなく地道で、困難を極めた。


ある者は、万葉集の和歌二百八十七首を、一言一句違わずに暗唱した。ある者は、源氏物語の冒頭から第十五帖までを、その情景描写に至るまで詳細に語った。ある者は、故郷に伝わる民謡や童謡、合わせて百曲以上を歌い、その楽譜を再現した。正月、花見、七夕、盆踊りといった年中行事のやり方。陶芸や木工、染織といった伝統工芸の技術。それら、記憶の欠片たちが、桜井の手によって、一つ、また一つと拾い集められ、やがて巨大な文化のデータベースとして再構築されていった。


しかし、記憶と記録だけでは、限界があった。現地の気候や材料に適応し、そして何よりも、この世界で生きていく人々の心に寄り添う、新しい文化の創造が必要不可欠であった。こうして、日本文化と現地の桜族の文化が、自然発生的に、そして美しく融合した、全く新しい文化が誕生し始めた。日本の厳かな舞と、桜族の情熱的な踊りが融合した「桜舞踊」。日本の繊細な調理法と、現地の豊かな食材が組み合わさった「和桜料理」。日本の伝統楽器(それは有志の手によって懸命に復元された)と、桜族の楽器が、見事な調和を奏でる「混成音楽」。


だが、桜井が最も心を砕いたのは、次世代への文化継承という問題であった。転移時にまだ幼かった者たちや、この異世界で生を受けた子供たちにとって、「日本」とは、親から聞かされるだけの、遠いおとぎ話の世界でしかない。彼らにとっての「日本文化」とは、一体何であるべきなのか。桜井は、その明確な指針を、こう示した。


「日本文化の『形』は、時代と共に、場所と共に、変化していって良い。むしろ、変化すべきなのです。しかし、その根底に流れる『心』だけは、我々が永遠に、そして何よりも大切に、継承していかねばなりません」


そして彼は、継承すべき「日本の心」として、五つの徳目を掲げた。他者を慮る「思いやりの心」。自然や芸術の美しさに感動する「美を愛する心」。目標に向かって不断の努力を続ける「勤勉の心」。対立よりも協調を重んじる「調和の心」。そして、あらゆる恵みに対して謙虚である「感謝の心」。


終幕 三年後の成果と課題


転移から、三年という月日が流れた。


かつて一万二千人で始まった開拓の村は、その間に生まれた新たな命や、日本人との共存を選んだ現地住民との混血も含め、約一万五千人が暮らす、活気ある共同体へと成長していた。


四人のリーダーたちの功績は、計り知れないものがあった。


田中源蔵は、科学的アプローチによって、極限状況下で九十五パーセントという驚異的な生存率を達成し、共同体の物理的な基盤を確立した。

武田信行は、厳しい規律によって精神的な結束を維持し、人々が日本人としてのアイデンティティを見失うのを防いだ。

桜井良太は、文化の保存と創造を通じて人々の心に潤いを与え、教育システムを構築することで、共同体の未来を担う次世代を育成した。

影山正蔵は、卓越した外交手腕によって現地住民との平和的な共存関係を築き上げ、見えない情報ネットワークを駆使して、共同体を外部の脅威から守り抜いた。


しかし、その輝かしい成功の陰で、新たな問題の芽も、確実に育ち始めていた。日本での記憶を持つ一世と、この世界しか知らない二世との間で、文化の解釈や価値観に、埋めがたい溝が生まれつつあった。友好的ではあるが、桜族との完全な文化融合には、まだ多くの壁が残されていた。そして何より、四人の偉大なるリーダーたちも、確実に歳を重ねており、彼らが築き上げたこの共同体を、次世代にどのように引き継いでいくのかという、後継者問題が、深刻な課題として横たわっていた。さらに、影山の情報網は、平和を愛する桜族以外の、より好戦的で、排他的な民族が、この半島の外に存在することも突き止めていた。


荷馬車の中で、五十七年前の記憶を辿り終えたクラルは、深いため息を一つ、吐き出した。


「あの時、私がもう少し早く、彼らに手を差し伸べていれば……」


事件の発生当時、彼は長年の宿敵であった神聖教皇国との、大陸の覇権を賭けた最終戦争の渦中にあり、大陸東端で起きたこの悲劇への対応が、結果として大幅に遅れてしまった。彼らが最初の三年間、どれほど過酷な孤独と絶望の中で、完全に自力だけで生き延びなければならなかったのか。


「田中翁たちが、どれほどの苦労を重ねてきたか……それを思うと、今でも胸が締め付けられるようだ。だが、だからこそ、今度こそ、私は彼らが遺した子孫たちの、真の力になりたいのだ」


夕陽が西の空を茜色に染め、街道に長い影を落とし始めている。明日には次の宿場町に到着し、そこから先は、いよいよ大和国への旅路が本格的に始まるだろう。


クラルは、五十七年前に救いきれなかった人々が、その命と魂を懸けて築き上げた、まだ見ぬ遺産の国を、自らのこの目で確かめることを、心の底から楽しみにしていた。

**次回予告**

57年の時を経て、帰還拒否者たちの子孫が築いた大和国。そこでは三つの騎士団による独特の政治体制が確立されていたが、世代間の価値観の違いが深刻な対立を生んでいた。建国議会で激論が交わされる中、ついに独立宣言が発せられる。商人クラウド・マーチャントとして潜入準備を進めるクラル王が目にするのは、美しくも複雑な文化融合の実験場だった。

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