龍人族の台頭と新時代の黎明
クラル王の帰還から20年が過ぎた。
グランベルク王国は、これまでにない多様性と発展を遂げていた。街角を歩けば、金属光沢の肌を持つ魔人族、鱗の輝く龍族、そして両方の特徴を併せ持つ龍人族が当たり前のように共存している。
首都カストラムの大通りには、西洋風の石造建築に混じって、瓦屋根の日本式建物が点在していた。茶屋、寿司屋、そして温泉宿まで——かつてネオニッポンで見られた光景が、今や王国の日常風景となっていた。
「時代は変わったものだな」
70歳を迎えたクラル王は、王宮のバルコニーから街を見下ろしながら呟いた。引退した今でも、朝の散歩で街の変化を観察するのが日課となっていた。
「おじいちゃま、またそこにいるの?」
20歳になったエリー・ミリリアが、軽やかな足取りでやってきた。彼女は龍人族の第一世代として生まれ、母親譲りの虹色の瞳と、父親譲りの金属光沢の肌を持っていた。背中には小さな翼があり、感情が高ぶると微かに光る。
「エリー、おはよう」クラル王は孫を見て微笑んだ。「今日も元気だな」
「当たり前よ。私たち龍人族は、魔人族より体力があるんだから」エリーは胸を張った。「お母様から聞いたけど、私たちの寿命ってどのくらいなのかしら?」
「それは……誰にも分からない」クラル王は正直に答えた。「龍族は数千年生きるし、魔人族は150年ほど。その中間なのか、それとも全く違うのか……」
「面白いじゃない」エリーは興味深そうに言った。「長生きできれば、もっとたくさんのことができるし」
クラル王は孫の楽観的な態度に感心した。龍人族の若者たちは皆、未来に対して前向きだった。
グランベルク王国建国から最初期に豊穣神の加護を受けた魔人族たちが、次々と寿命を迎え始めていた。
「マーティン爺さんが昨夜……」
街の酒場で、そんな会話が交わされることが多くなった。マーティン・ブラックスミスは、王国で最初に魔人族に進化した鍛冶職人の一人だった。享年152歳。
「長生きしたもんだ」
「ああ、最後まで現役で槌を振るってたからな」
魔人族の老人たちは、皆一様に充実した最期を迎えていた。150年という長い人生の中で、王国の発展を支え、多くの偉業を成し遂げていた。
彼らの葬儀は、王国全体で営まれる盛大なものとなっていた。魔人族、龍族、そして龍人族が共に故人を偲び、その功績を称えた。
「彼らがいなければ、今の王国はなかった」
アレクサンダー王は、マーティンの葬儀で弔辞を述べた。
「初代の魔人族たちは、この王国の礎を築いてくれた。我々は、その遺志を受け継がなければならない」
44歳になったアレクサンダーは、立派な王として成長していた。龍人族の妻ミリリィアと共に、多種族共存の理想を体現している。
葬儀の後、王は重臣たちと会議を開いた。
「初代魔人族の大往生が続いている」
宰相のオリバー・ハーディング、彼もまた143歳の高齢魔人族だった——が報告した。
「この10年で、約300名の初代魔人族が亡くなられました。彼らの多くが、王国の重要な役職に就いていました」
「後継者の問題は?」
「大部分は解決しています」ユリス・アーマイト、40歳になった彼女は今や近衛騎士団長を務めていた。「第二世代、第三世代の魔人族が十分に育っており、技術や知識の継承も順調です」
「しかし」オリバーが続けた。「一部に空白が生じる分野もあります。特に、古代の魔法技術や龍族との交渉術など、初代にしかない経験と知識があります」
アレクサンダー王は考え込んだ。
「龍人族の活用はどうか?」
「それが今後の鍵になるでしょう」
会議室の扉が開き、ネリウスが入ってきた。智龍は相変わらず老学者の姿を保っているが、最近は龍人族の教育に力を入れていた。
『龍人族の子供たちは、魔人族と龍族の両方の特性を受け継いでいます』ネリウスは報告した。『彼らの学習能力は驚異的で、特に魔法分野での才能は目を見張るものがあります』
「具体的には?」
『例えば、エリー様は既に上級魔法を習得しています。20歳でありながら、100歳の魔人族に匹敵する能力です』
アレクサンダーは娘のことを誇らしく思った。
「龍人族の人口は?」
「現在、約500名です」ユリスが答えた。「毎年50名ほど生まれており、順調に増加しています」
「問題は寿命の不明確さです」オリバーが懸念を示した。「長期的な計画を立てる際に、どこまで頼りにして良いのか判断が困難です」
『それについては、研究を続けています』ネリウスが言った。『おそらく300年から500年程度ではないかと推測していますが、確証はありません』
王国のもう一つの大きな変化は、日本文化の急速な浸透だった。
「これは何という建物ですか?」
外国からの使節団が、首都の新しい建築物を指差して尋ねた。
「あれは『温泉宿』です」案内役の役人が説明した。「東方の文化を取り入れた娯楽施設で、温かいお湯に浸かって疲れを癒やすことができます」
実際、温泉宿は王国民に大人気だった。特に龍族は水を好む性質があるため、温泉文化は彼らにとって理想的だった。
「『寿司』という料理も評判ですね」
「ええ、生の魚を使った料理です。最初は抵抗がありましたが、今では王宮の晩餐会でも提供されます」
日本からの帰還拒否者たちが各地に散らばり、彼らが故郷の文化を再現していたのだ。
しかし、全ての帰還拒否者が建設的な活動をしているわけではなかった。
「また『黒装束』の襲撃がありました」
情報部から緊急報告が入った。
黒装束、それは、忍者の技術を悪用する犯罪組織だった。悪魔から忍術を学んだ元日本人が、盗賊団を組織していた。
「被害は?」
「商隊が襲われ、10名の負傷者が出ました。しかし、幸い死者はありません」
「犯人は?」
「逃走しました。しかし、現場に手裏剣が残されており、間違いなく忍者の仕業です」
アレクサンダー王は眉をひそめた。このような事件が、この数年で急増していた。
「対策は?」
「魔人族の騎士団を増強し、巡回を強化しています」ユリスが答えた。「また、龍族の協力も得て、空からの監視も行っています」
「効果は?」
「ある程度は抑制できています」ユリスは続けた。「しかし、忍者の技術は特殊で、完全に防ぐのは困難です」
その時、新しい提案があった。
「龍人族の活用はいかがでしょうか?」
提案したのは、25歳の龍人族の若い騎士、リオン・ドラゴニスだった。彼は龍族の父と魔人族の母を持ち、両方の能力を受け継いでいた。
「龍人族なら、魔人族の身体能力と龍族の感覚能力を併せ持ちます。忍者に対抗できるかもしれません」
アレクサンダー王は興味を示した。
「具体的には?」
「特別部隊を編成します。龍人族を中心とした、対忍者専門の部隊です」
ユリスも賛成した。
「良いアイデアです。従来の戦術では限界がありました」
「試してみよう」アレクサンダーが決断した。「リオン、君が部隊長を務めてくれ」
「承知いたします!」
こうして、王国初の龍人族主導の特別部隊が結成された。
クラル王は、引退後も王宮に住み続けていた。エリザベス王妃と共に、孫たちの成長を見守るのが何よりの楽しみだった。
「おじいちゃま、お話があります」
エリーが執務室を訪れた。20歳になった彼女は、既に王国の魔法顧問補佐を務めていた。
「何だ?」
「龍人族のことです」エリーは真剣な表情を見せた。「私たち、もっと王国に貢献したいんです」
「もう十分貢献しているではないか」
「いえ、まだまだです」エリーは首を振った。「初代魔人族の皆さんが築いた王国を、私たちも受け継がなければなりません」
クラル王は孫の成長を感じた。
「具体的には何をしたいのだ?」
「教育機関の設立です」エリーの目が輝いた。「龍人族専門の学校を作って、私たちの能力を最大限に活かす教育を行いたいんです」
「興味深いな」
「魔人族の身体能力、龍族の魔法能力、そして両方の知識を統合した新しい学問体系を確立したいんです」
クラル王は感心した。エリーの発想は、既存の枠組みを超えていた。
「アレクサンダーには相談したのか?」
「まだです。まず、おじいちゃまに意見を聞きたくて」
「素晴らしいアイデアだ」クラル王は即座に答えた。「ぜひ実現してくれ」
「本当ですか?」
「ああ。王国の未来は、君たち龍人族にかかっている」
その夜、家族全員で夕食を共にした。
「エリーから面白い提案があったな」アレクサンダーが言った。
「はい。龍人族専門の教育機関です」ミリリィアが嬉しそうに答えた。「娘の成長が頼もしいです」
「私も協力したい」18歳になったイザベラ王女が言った。「龍人族ではありませんが、新しい教育に興味があります」
「みんなで協力すれば、きっと素晴らしい学校ができる」
エリザベス王妃も賛成した。
「そうですね。世代を超えて協力することが大切です」
クラル王は家族の結束を嬉しく思った。
エリーの提案は、すぐに王国政府の正式な政策として採用された。
「グランベルク王立龍人族学院」が首都近郊に設立されることになった。
設立準備委員会には、各種族の代表が参加した。
「カリキュラムはどうしましょう?」
教育担当のアルフレッド・ワイズマン博士——彼は現在120歳の魔人族だった——が質問した。
「基礎的な学問に加えて、魔法学、戦闘技術、そして異種族間交渉術を必修にしたいと思います」エリーが答えた。
「異種族間交渉術?」
「はい。私たち龍人族は、人間・魔人族・龍族の橋渡しができる存在です。その特性を活かした外交官や仲裁者を育成したいんです」
ネリウスも賛成した。
『素晴らしい発想です。龍人族なら、どの種族とも対等に話ができます』
「教師陣は?」
「各分野の専門家にお願いします」エリーは準備した資料を見せた。「魔法学はネリウス様とアル=ゼイル様、戦闘技術はユリス様とドラコニス・レックス様、学問一般はワイズマン博士に」
「私にも任せてください」
意外な声がした。振り返ると、リオン・ドラゴニスが立っていた。
「リオン?」
「実戦的な戦闘技術を教えたいと思います」リオンの目に決意が宿っていた。「対忍者戦術の経験を活かして」
「それは心強い」
こうして、龍人族学院の計画は着々と進んでいった。
学院設立の準備過程で、龍人族の隠れた才能が次々と発見された。
「エリック・フレイムは、魔法と科学技術の融合に長けています」
エリーが報告した。エリック・フレイムは15歳の龍人族の少年で、魔法工学の分野で驚異的な才能を示していた。
「具体的には?」
「魔法の力で動く機械を発明しました。従来の蒸気機関よりもはるかに効率的です」
「それは素晴らしい」
「リナ・スカイウィングは、芸術分野での才能があります」
リナ・スカイウィングは、龍族の飛行能力を活かした空中芸術を創始していた。
「空中で絵を描いたり、立体的な彫刻を作ったり……従来の芸術の概念を覆しています」
「多様な才能があるものだ」
クラル王は感心した。龍人族は、単に二つの種族の中間存在ではなく、全く新しい可能性を秘めていた。
一方で、外部の脅威も変化していた。
「忍者集団の動きが活発化しています」
情報部からの報告が入った。
「『影の一族』と名乗る組織が、各地で暗躍しています」
影の一族——それは、かつて田中雷斗、田辺大地、河村雄斗らと同じく、悪魔から力を得た元日本人たちが結成した秘密組織だった。
「目的は?」
「王国の転覆が最終目標のようです」情報部員が続けた。「彼らは『日本人による日本人のための国家』の建設を目指しています」
アレクサンダー王は眉をひそめた。
「つまり、第二のネオニッポンを作ろうということか」
「そのようです。ただし、今度は武力による征服を狙っています」
「戦力は?」
「約100名程度と推定されます。しかし、全員が忍術や特殊な戦闘技術を習得しており、通常の兵士では対抗困難です」
ユリスが口を開いた。
「リオンの龍人族特別部隊の出番ですね」
「そうだな。リオンを呼んでくれ」
まもなく、リオン・ドラゴニスが到着した。
「影の一族についての報告を聞きました」リオンは冷静に言った。「我々の部隊で対処します」
「危険ではないか?」
「大丈夫です」リオンは自信を見せた。「龍人族の能力なら、忍者に対抗できます」
実際、龍人族特別部隊の戦果は目覚ましかった。
龍族の鋭敏な感覚で隠れた敵を発見し、魔人族の身体能力で追跡する。そして、両方の能力を活かした独自の戦術で敵を制圧していた。
「影の一族の中核メンバー3名を捕獲しました」
リオンからの報告だった。
「尋問の結果、彼らのアジトが判明しています」
「場所は?」
「王国北部の山岳地帯です。廃坑を利用して、大規模な訓練施設を建設していました」
「殲滅作戦を実行する」アレクサンダーが決断した。
「お任せください」
龍人族特別部隊による影の一族殲滅作戦は、夜間に実行された。
「全員、配置につけ」
リオンの指揮の下、30名の龍人族戦士が廃坑を包囲した。
「敵の人数は約80名。全員が忍術使いだ。油断するな」
「了解!」
戦闘は激しいものとなった。影の一族は確かに高い戦闘能力を持っていたが、龍人族の複合能力の前には敵わなかった。
「東側から侵入するぞ」
リオンは翼を広げ、垂直の崖を駆け上がった。魔人族の身体能力と龍族の飛行能力を組み合わせた、忍者にも予想できない奇襲だった。
「何だ、あれは!」
影の一族の忍者たちは困惑した。これまで見たことのない戦術だった。
戦闘は3時間で終了した。
影の一族の90%が捕獲され、残りは降伏した。犠牲者は双方共に軽傷者のみで、死者は出なかった。
「作戦完了しました」
リオンからの報告に、王宮全体が安堵した。
「よくやった」アレクサンダー王は龍人族部隊を称えた。「君たちこそ、王国の新しい守護者だ」
影の一族の殲滅により、王国の治安は大幅に改善された。
しかし、より重要だったのは、龍人族の能力が証明されたことだった。
「龍人族の可能性は無限大ですね」
エリーが感慨深く言った。龍人族学院の建設も順調に進んでおり、来年の開校が決まっていた。
「そうだな」クラル王は頷いた。「君たちは、我々が想像していた以上の存在だ」
「でも、まだまだこれからです」エリーは謙虚に答えた。「私たちは、王国のために、世界のために、もっと貢献したい」
「その意気だ」
クラル王は孫を誇らしく思った。龍人族は単なる混血種族ではなく、全く新しい可能性を持つ種族だった。
その頃、龍人族の寿命についても新しい発見があった。
「興味深いデータが得られました」
ネリウスが研究結果を報告した。
『龍人族の成長速度は、通常の人間と同じですが、20歳を過ぎると極端に老化が遅くなります』
「どの程度遅くなるのですか?」
『おそらく、500年以上は生きるでしょう』ネリウスは続けた。『場合によっては、1000年を超える可能性もあります』
一同は驚愕した。
「それは……龍族に近い寿命ですね」
『はい。龍族の長寿遺伝子が、魔人族の肉体と結合して、予想以上の効果を発揮しているようです』
アレクサンダー王は考え込んだ。
「それだけ長生きすれば、相当な知識と経験を蓄積できる」
「王国の発展にとって、計り知れない利益になりますね」
ミリリィアも嬉しそうだった。
「娘が長生きしてくれるなら、親としても安心です」
グランベルク王国の発展は、周辺諸国にも大きな影響を与えていた。
「各国から視察団が続々と訪れています」
外務大臣から報告があった。
「特に、龍人族学院への関心が高く、同様の教育機関を設立したいという申し出が多数来ています」
「それは良いことだ」アレクサンダー王は満足そうだった。「我々の成功例が、世界全体の発展に寄与できる」
「また、日本文化の輸出も活発になっています」
商務大臣が続けた。
「温泉技術、寿司料理、茶道など、様々な分野で王国発の文化が世界に広まっています」
「素晴らしい」
クラル王は、これらの報告を聞いて深い満足を感じていた。
かつて救出した元日本人たちが、今では王国発展の重要な要素となっている。悪魔に翻弄された彼らが、最終的には世界に貢献することになった。
それから5年後。
グランベルク王国は、真の意味での多種族国家として確立されていた。
魔人族(150年寿命)、龍族(数千年寿命)、龍人族(500年以上寿命)、そして従来の人間(80年寿命)が、それぞれの特性を活かして共存していた。
龍人族学院は大成功を収め、毎年優秀な人材を輩出していた。彼らは外交官、学者、戦士、芸術家として、王国のあらゆる分野で活躍していた。
「本当に素晴らしい王国になったな」
75歳になったクラル王は、曾孫のエリックと散歩をしながら言った。エリックは5歳の龍人族の男の子で、既に簡単な魔法を使うことができた。
「ひいおじいちゃま、僕も将来は王国のお仕事をしたいな」
「どんな仕事がしたいんだ?」
「みんなを笑顔にするお仕事!」
クラル王は微笑んだ。新しい世代は、種族の違いなど気にせず、純粋に他者の幸福を願っている。
「きっと素晴らしい仕事ができるよ」
夕日が王国を美しく照らしていた。
街には、様々な種族の人々が平和に暮らしている。瓦屋根の日本式建物と西洋式の石造建築が調和し、独特の景観を作り出していた。
温泉街からは湯気が立ち上り、寿司屋からは美味しそうな匂いが漂ってくる。
空には龍族が優雅に舞い、地上では魔人族が力強く働いている。そして、龍人族の若者たちが両者の橋渡しをしながら、新しい文化を創造し続けている。
「これが、私が夢見た王国だ」
クラル王は深い満足感に包まれていた。
長い戦いの末に辿り着いた、真の平和と繁栄。
それは、愛と理解に基づいた、永続的な平和だった。