表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/117

ネオニッポンの亡霊達:影の王との対峙

クリムゾン王国を離れてから五日が過ぎた。クラル王は西方の山岳地帯に向かって旅を続けていた。目的地は、「影の王」田辺大地が根城としている山賊の巣窟だった。


サンダーボルトの蹄音が、山道に響いている。周囲は深い森に覆われ、昼なお暗い道が続いていた。この辺りは元々人里離れた地域だったが、田辺の一団が現れてからは、まったく人の気配がなくなっていた。


「また、救えなかった……」


クラル王は馬上で呟いた。サクラの最期が、脳裏から離れなかった。彼女の絶望に満ちた表情、自分への深い失望、そして静かに散っていった桜の花びら。


あの時、もっと違う言葉をかけていれば。もっと早く気づいていれば。様々な後悔が、クラル王の心を重くしていた。


しかし、立ち止まっているわけにはいかない。残り二人の元日本人たちは、今この瞬間も罪なき人々を苦しめ続けている。


「今度こそは……」


クラル王は決意を新たにした。今度こそ、違う結末を迎えたい。力で制圧するだけではなく、真に相手を救済する方法を見つけたい。


山道を進むうちに、前方に小さな村が見えてきた。しかし、その村は異様に静まり返っていた。煙突から煙も上がっておらず、人の話し声も聞こえない。


クラル王は馬を降り、村に入った。


「誰かいませんか?」


声をかけたが、返事はない。家々の扉は固く閉ざされ、窓にも板が打ち付けられている。まるで、外界から完全に遮断しようとしているかのようだった。


その時、わずかに開いた扉の隙間から、老人の顔が覗いた。


「あんた……旅人か?」


老人の声は震えていた。


「そうです。道に迷ってしまいまして」


クラル王は穏やかに答えた。


「すぐに立ち去りなさい」老人が慌てて言った。「ここは……ここは呪われた土地だ」


「呪われた?」


「影の王の縄張りだ」老人の顔が青ざめた。「夜になると、影が生き物のように動き回る。そして……人を襲うんだ」


クラル王は内心で舌打ちした。田辺大地の影響が、もうここまで及んでいる。


「その影の王とは、どのような者ですか?」


「若い男だ。日本人のような顔をしてる」老人は声を潜めた。「でも、もう人間じゃない。影を操り、闇から闇へと移動する。まるで悪魔のような奴だ」


「被害は?」


「村の若い者たちが、次々と連れ去られた」老人の目に涙が浮かんだ。「息子も、孫も……もう二度と帰ってこない」


クラル王の拳が握りしめられた。また、罪なき人々が苦しんでいる。


「その男は、なぜそのようなことを?」


「分からん……」老人は首を振った。「最初は金品を奪うだけだった。でも、最近は人を連れ去ることが目的になってる。まるで、人間を集めて何かをしようとしているみたいだ」


クラル王は考え込んだ。田辺大地の行動パターンが変化している。単なる山賊行為から、より組織的で大規模な活動に移行しているようだった。


「その影の王の根城は、どこにあるのですか?」


「北の山奥だ」老人が指差した。「『黒い谷』と呼ばれる場所に、古い城がある。そこが奴らの根城らしい」


「ありがとうございます」


クラル王は立ち上がった。


「あんた、まさかそこに行くつもりじゃ……」老人が慌てた。


「少し、様子を見てきます」


「やめなさい!」老人が必死に制止した。「あそこは死の谷だ。入った者は、誰も帰ってこない」


「ご心配なく」クラル王は微笑んだ。「私は、そう簡単には死にません」


老人は、クラル王の目に宿る強い意志を見て、それ以上止めることを諦めた。


「……気をつけなさい。そして、もし息子や孫に会ったら……」


老人の言葉が途切れた。


「もし会ったら?」


「生きていたら……『爺ちゃんが心配している』と伝えてくれ」


クラル王は深く頭を下げた。


「必ず、伝えます」


北の山奥へ向かう道は、険しく危険な山道だった。クラル王は馬を麓に残し、徒歩で谷に向かった。


黒い谷という名前の通り、その谷は不気味なほど暗かった。昼間だというのに、濃い霧が立ち込め、太陽の光がほとんど届かない。そして、その霧の中を、不自然な影がちらちらと動いているのが見えた。


「影魔法か……」


クラル王は警戒しながら谷を進んだ。田辺大地が悪魔ベルフェゴールから学んだ影魔法は、確かに強力だった。影を自在に操り、自分自身も影となって移動できる。闇の中では、ほぼ無敵に近い能力だった。


谷の奥に進むにつれて、影の動きが活発になってきた。時折、クラル王の足元や背後に影が伸びてくるが、豊穣神の力で簡単に払い除けることができた。


やがて、谷の最奥部に古い城が見えてきた。元々は山岳地帯の領主が建てたものだろうが、今では黒い霧に包まれ、不気味な雰囲気を漂わせていた。


城の周囲には、数十人の人影が見えた。しかし、よく見ると、それらの人々の目には生気がなく、まるで操り人形のように動いていた。


「村人たちか……」


クラル王は悲しみを感じた。連れ去られた村人たちが、何らかの魔法で操られているのだ。


城門に近づくと、突然影から声が聞こえてきた。


「何者だ」


振り返ると、城壁の影から人影が浮かび上がってきた。それが田辺大地だった。


18歳になった彼は、以前とは別人のように変わっていた。元々内向的だった少年の面影はなく、今では冷酷で威圧的な雰囲気を纏っている。全身を黒いローブで包み、影のように揺らめく姿は、確かに人間離れしていた。


「俺の縄張りに、何の用だ?」


大地の声は、低く響いた。まるで、底なし沼から聞こえてくるような不気味な声だった。


「田辺大地」クラル王は名前を呼んだ。「お前を迎えに来た」


大地の表情が変わった。


「その名前を知ってるのか……まさか」


大地は影から完全に姿を現した。その瞬間、周囲の影がざわめき始めた。


「グランベルク王国の王か?」


「その通りだ」


大地は笑った。しかし、それは喜びの笑いではなく、狂気を含んだ笑いだった。


「面白い。あの時の救世主様が、わざわざ俺に会いに来てくれるなんて」


「救世主?」クラル王は眉をひそめた。


「そうだよ」大地の目に嘲笑の色が浮かんだ。「ネオニッポンで俺たちを『救って』くれたじゃないか。でも、その結果がこれだ」


大地は城と操られた村人たちを指差した。


「俺は元の世界では、誰からも注目されない、つまらない高校生だった。でも、力を得て変わった。今では、数百人の人間を支配している」


「支配して、何をするつもりだ?」


「何をする?」大地が首をかしげた。「別に、特別な目的なんてない。ただ、支配することが楽しいんだ」


クラル王は愕然とした。大地には、明確な野望や目標がなかった。ただ、人を支配することそのものが目的になっている。


「楽しい?人の自由を奪うことが楽しいのか?」


「そうだよ」大地は当然のように答えた。「元の世界では、俺はいつも支配される側だった。学校では教師に、家では親に、社会では大人たちに。でも、今は違う」


大地の影が大きく広がった。


「今度は俺が支配する側だ。俺の意思で人を動かし、俺の気分で人の運命を決める。これほど爽快なことはない」


「その人たちも、お前と同じように家族がいる。夢がある。生きる権利がある」


「権利?」大地が笑った。「弱い者に権利なんてない。強い者が全てを決めるんだ」


クラル王は深いため息をついた。大地の価値観は、完全に歪んでしまっていた。


「田辺大地、最後に聞く。その人たちを解放する気はないか?」


「解放?」大地は首を振った。「なんで俺が、せっかく集めた駒を手放さなきゃいけないんだ?」


「ならば……」クラル王は斬馬刀の柄に手をかけた。


「仕方がない」


大地は影魔法を発動した。瞬間、城の周囲が完全な闇に包まれた。太陽の光も遮断され、まるで夜中のような暗闇になった。


「この闇の中では、俺は無敵だ」大地の声が、四方八方から聞こえてきた。「影から影へと自由に移動できる。お前には、俺の位置すらわからないだろう」


確かに、クラル王には大地の正確な位置がつかめなかった。影魔法により、大地は文字通り影そのものになっているのだ。


突然、クラル王の背後から影の刃が襲いかかった。クラル王は直感で身をかわしたが、影の刃は彼の頬をかすめていった。


「どうした?もう終わりか?」


大地の嘲笑が響く。


「俺は元の世界では、いじめられっ子だった。みんなから無視され、馬鹿にされ、存在しないもののように扱われた」


再び影の攻撃が襲ってくる。今度は複数の方向から同時に。


「でも、ベルフェゴール様が俺に力をくれた。影を操る力を。そして俺は理解したんだ」


クラル王は斬馬刀で影の攻撃を防いだが、攻撃は次々と続いた。


「人間は、目に見えるものしか恐れない。だから、見えない影になれば、誰でも支配できる」


「お前は間違っている」クラル王が反論した。「人間が恐れるのは、見えないものではない。理解できないものだ」


「理解?」大地の笑い声が響いた。「俺を理解してくれる奴なんて、誰もいなかった」


影の攻撃が一段と激しくなる。


「学校でも、家でも、誰も俺のことなんて見てくれなかった。俺がどれだけ苦しんでも、どれだけ助けを求めても」


クラル王は、大地の声に込められた深い孤独を感じ取っていた。


「だから俺は決めたんだ。もう誰にも理解されようとは思わない。その代わり、俺が全てを支配してやる」


「それでは、真の解決にはならない」クラル王は暗闇の中で声をかけた。「支配は恐怖を生むだけだ」


「恐怖で十分だ!」大地が叫んだ。「愛されるより、恐れられる方がマシだ」


その瞬間、クラル王は豊穣神の力を発動した。神の光が闇を貫き、大地が作り出した暗闇を消し飛ばした。


「何?」


大地が驚愕の声を上げた。自分の最大の武器である闇が、簡単に無効化されてしまった。


「田辺大地」クラル王は光に包まれながら立っていた。「お前の苦しみは理解できる。だが、その苦しみを他人に押し付けてはならない」


大地は慌てて別の魔法を発動した。影の分身を数十体作り出し、クラル王を包囲する。


「うるさい!俺の何がわかるっていうんだ!」


影の分身たちが一斉に攻撃してくる。しかし、クラル王は冷静に対応した。斬馬刀の一閃で、分身たちを次々と切り払っていく。


「お前は孤独だった」クラル王は戦いながら話し続けた。「誰にも理解されず、誰からも愛されず、一人で苦しんでいた」


「黙れ!」


大地はさらに強力な影魔法を発動した。城全体を影で包み込み、巨大な影の怪物を作り出す。


「でも、それは本当にお前だけの問題だったのか?」


クラル王は影の怪物に向かって突進した。


「周りの人たちも、実はお前と同じように苦しんでいたのではないか?」


斬馬刀が影の怪物を真っ二つに切り裂いた。


「お前が理解されたいと思っていたように、他の人たちも理解されたいと思っていた」


「そんなこと……」大地の声が震えた。


「お前が愛されたいと思っていたように、他の人たちも愛されたいと思っていた」


クラル王は大地の本体に向かって歩いていく。


「だが、お前は自分の苦しみにしか目を向けなかった。他人の苦しみを理解しようとしなかった」


「違う!」大地が叫んだ。「俺は……俺は……」


しかし、言葉が続かなかった。


「田辺大地」クラル王は優しく呼びかけた。「まだ遅くない。その人たちを解放し、真の仲間を作れ」


「仲間?」大地が困惑した。


「支配ではなく、理解に基づいた関係を築け。恐怖ではなく、信頼に基づいた絆を作れ」


大地は立ち尽くしていた。今まで考えたこともない概念だった。


「でも……俺なんかと仲間になってくれる人なんて……」


「いる」クラル王が断言した。「必ずいる。お前が変われば、必ず現れる」


大地の目に、僅かな希望の光が宿った。


しかし、その時だった。


「嘘だ……」


大地が突然呟いた。


「そんなのは綺麗事だ」


大地の表情が再び冷たくなった。


「俺は18年間生きてきて、一度もそんな『仲間』なんて出会ったことがない」


「それは……」


「もし本当にそんな人がいるなら」大地の目に狂気が戻ってきた。「なんで今まで現れなかったんだ?なんで俺がこんなに苦しんでいる時に、誰も助けてくれなかったんだ?」


クラル王は言葉に詰まった。確かに、大地の言う通りだった。彼が苦しんでいた18年間、誰も手を差し伸べなかった。


「結局、人間は自分のことしか考えない」大地の声が憎悪に満ちてきた。「俺が苦しんでいても、みんな見て見ぬふりをした」


大地は周囲の村人たちを見回した。


「この人たちだって同じだ。俺に支配されるまでは、俺のことなんて眼中になかった」


「だが、それでも……」


「もううんざりだ!」大地が叫んだ。「綺麗事にはうんざりだ!」


大地は最後の魔法を発動した。それは、自分と支配下の人々を道連れにする自滅魔法だった。


「俺が消えるなら、この人たちも一緒だ!俺を無視した世界への復讐として!」


クラル王は急いで神の力を発動しようとしたが、大地の魔法の方が早かった。


暗黒の力が城全体を包み込み、建物が崩れ始める。村人たちは魔法で操られているため、危険を認識できずにその場に立ち尽くしていた。


「田辺大地、やめろ!」


クラル王は必死に叫んだ。


「彼らは無関係だ!」


「無関係?」大地が笑った。「俺が苦しんでいた時、彼らは無関係でいられたのか?」


建物の崩壊が激しくなる。このままでは、村人たちも巻き込まれてしまう。


クラル王は決断した。豊穣神としての全力を使い、村人たちを守ることを優先する。


神の光が城全体を包み、村人たちを崩壊から守った。しかし、その結果として大地を止めることはできなかった。


「ありがとう、クラル王」


大地の声が、最後に聞こえた。


「俺を……思い出してくれる人がいて……少しだけ……嬉しかった」


暗黒の魔法が大地自身を飲み込んでいく。


「でも……もう疲れた……」


大地の姿が影と共に消えていく。


「みんな……俺のことを……忘れて……」


最後の言葉と共に、田辺大地は完全に消滅した。


大地の死と共に、彼の魔法も解けた。操られていた村人たちが、徐々に意識を取り戻していく。


「ここは……どこだ?」


「俺たちは……何をしていたんだ?」


混乱する村人たちを、クラル王は静かに見守っていた。彼らは皆、大地に連れ去られた被害者だった。


「皆さん、大丈夫です」クラル王が声をかけた。「もう安全です」


村人たちは、クラル王の姿を見て驚いた。


「あなたは……」


「旅の者です」クラル王は正体を明かさなかった。「皆さんを故郷にお送りします」


村人たちの中には、あの老人の息子や孫もいた。彼らは無事で、記憶も徐々に戻ってきていた。


「爷ちゃんは……元気ですか?」


若い男性が心配そうに尋ねた。


「元気です」クラル王は微笑んだ。「とても心配していました」


男性の目に涙が浮かんだ。


「ありがとうございます……俺たちを助けてくれて……」


クラル王は複雑な気持ちだった。確かに村人たちは救われた。しかし、田辺大地は救えなかった。また一人、絶望の中で消えていった。


数日かけて、クラル王は村人たちを各々の故郷に送り届けた。再会の喜びに涙する家族たちを見ていると、救済の意味について考えさせられた。


最後に、あの老人の村を訪れた。


「お帰り!」


老人は息子と孫を抱きしめて泣いていた。


「本当に……本当にありがとうございます」


老人はクラル王に深く頭を下げた。


「どうやって……あの化け物を倒したのですか?」


クラル王は答えに困った。田辺大地を「化け物」と呼ぶ老人の気持ちも理解できるが、同時に大地の孤独も理解していた。


「彼も……苦しんでいたのです」


クラル王は静かに答えた。


「苦しんでいた?」老人が困惑した。


「ええ。誰にも理解されず、誰からも愛されず……とても深い孤独を抱えていました」


「でも、だからといって……」


「そうです」クラル王は認めた。「だからといって、他人を苦しめて良い理由にはなりません。でも……」


クラル王は空を見上げた。


「もし、もっと早く誰かが手を差し伸べていれば……違う結末もあったかもしれません」


老人は考え込んだ。


「そうですね……」老人が小さく頷いた。「私たちも、もっと周りの人に気を配るべきでした」


クラル王は老人の言葉に、僅かな希望を感じた。


この悲劇が、少しでも未来の悲劇を防ぐ教訓になれば……田辺大地の死も、無駄ではないかもしれない。


村を離れる時、クラル王は振り返った。


「田辺大地……安らかに眠れ」


田辺大地の件から一週間後、クラル王は北方のシルバーポート商業都市に向かっていた。


最後の標的、「金の悪魔」河村雄斗が待っている。


三人の中で最も狡猾で、最も組織的な悪行を行っている人物だった。違法な奴隷貿易を拡大し、各国の商業に深刻な影響を与えている。


しかし、今回は違うアプローチを取ることにしていた。これまでの二人の失敗から、クラル王は多くを学んでいた。


力だけでは、真の救済はできない。相手の心に寄り添い、本当の意味で理解することが必要だった。


「今度こそは……」


クラル王は馬上で呟いた。


「今度こそ、正しい終わり方を見つける」


シルバーポートまでの道のりで、クラル王は綿密な計画を練っていた。河村雄斗の過去、動機、そして現在の状況を詳しく分析し、最適な対応方法を模索していた。


最後の戦いが、間もなく始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ