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冒険者適性Aランク でも俺、鍛冶屋になります  作者: むひ
クラルの章

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ネオニッポンの亡霊達:王の鍛冶場と新たなる旅路

アル=ゼイルとの和解から二年が過ぎた。グランベルク王国は史上類を見ない繁栄を謳歌していたが、クラル王の心中には一つの重い課題が残されていた。


それは、かつてネオニッポン事件で救出した15万人の中で、地球への帰還を拒んだ者たちのことだった。


王宮の書斎で、クラル王は情報部から上がってきた報告書の山を前に、深いため息をついていた。48歳になった王の顔には、豊穣神としての威厳と共に、父親としての深い憂いが刻まれていた。


「また新しい報告が上がってきました」


執務室に入ってきたのは、情報部長のマーカス・ヴェインだった。40代半ばの彼は、長年クラル王に仕えてきた有能な諜報員で、その鋭い眼光と的確な分析力で王国の情報網を統括していた。


「どのような内容だ?」


クラル王は報告書から目を上げた。その瞳には、久しく見ることのなかった深い怒りが宿っていた。


「東方のアルデンバーグ公国で、また『黒い稲妻』の襲撃がありました」マーカスは冷静に報告した。「今度は商隊を襲い、女性や子供を含む30名が犠牲になりました。生存者の証言によると、犯人は日本語らしき言葉を話していたとのことです」


「あの男か……」


クラル王の拳が音を立てて握りしめられた。


黒い稲妻——それは、この二年間で最も悪名高い盗賊として知られるようになった人物の異名だった。本名は田中雷斗、ネオニッポンで悪魔ベルゼブブから雷の魔法と剣術を学んだ17歳の少年だった。


「他の連中の動向はどうだ?」


「『魔女』サクラ・ミヤモトは、南方のクリムゾン王国で魔法顧問として暗躍しています。表向きは国政に貢献していますが、実際は国王を魅了の魔法で操り、近隣諸国との戦争を扇動している模様です」


クラル王の眉間にさらに深い皺が刻まれた。桜宮本——彼女もまた、ネオニッポンで悪魔アスモデウスから魅惑の魔法を学んだ16歳の少女だった。美しい外見とは裏腹に、その心は歪んだ権力欲に支配されていた。


「『影の王』ダイチ・タナベは、相変わらず西方の山賊団を率いています。最近では、商人だけでなく貴族の屋敷まで襲撃するようになり、その残虐性は日に日に増しています」


田辺大地——彼はベルフェゴールから影の魔法と暗殺術を学んだ18歳の青年だった。元々内向的な性格だったが、力を得たことで一転して冷酷な支配者となっていた。


「そして、『金の悪魔』ユウト・カワムラは、北方のシルバーポート商業都市で違法な奴隷貿易を拡大しています。彼の組織は既に数千人規模となり、各国の商業に深刻な影響を与えています」


河村雄斗——マモンから商業と金融の知識、そして人心掌握術を学んだ17歳の少年。元々は商人の息子だったが、今や悪徳商人の頂点に君臨していた。


クラル王は立ち上がり、窓辺に向かった。美しく整えられた王宮の庭園を見下ろしながら、心の中で怒りと失望が渦巻いていた。


「15万人を救ったつもりでいたが……結果的に、世界により大きな災いを放ってしまったのかもしれない」


「王よ、それは違います」マーカスが静かに言った。「救出された人々の大部分は、各地で真っ当に生活しています。商人として成功した者、学者として功績を上げた者、農民として家族を築いた者……彼らの多くは、王の恩恵に感謝しています」


「だが、悪党となった者たちの影響は甚大だ」クラル王は振り返った。「悪魔から力を得た彼らは、常人では太刀打ちできない。このまま放置すれば、いずれ世界全体が混乱に陥るだろう」


「では、どうなさいますか?」


クラル王は長い間考え込んだ。そして、ゆっくりと口を開いた。


「決断の時が来た。アレクサンダーに王位を継承させる」


マーカスが驚きの表情を見せた。


「しかし、王子はまだ19歳です。確かに龍の回廊での功績は素晴らしいものでしたが……」


「アレクサンダーは既に十分な資質を示している」クラル王の目に確信が宿った。「アル=ゼイルとの対話を成功させ、多種族間の調和を実現した。彼になら、グランベルク王国を託すことができる」


「そして、王はどちらへ?」


「私は旅に出る」クラル王の声に決意が込められた。「あの愚か者どもを一人ずつ、この手で始末する」


数日後、グランベルク王国に前例のない王位継承の発表がなされた。


王宮の大広間には、王国の全ての重臣、龍族の代表、そして市民の代表が集められていた。荘厳な雰囲気の中、クラル王が演壇に立った。


「我が臣民よ」


クラル王の声が広間に響き渡った。その声には、28年間国を統治してきた王としての威厳と、同時に深い愛情が込められていた。


「今日、私は重要な発表を行う」


聴衆の間にざわめきが起こった。


「私、クラルは、グランベルク王国の王位を、我が息子アレクサンダーに継承することを宣言する」


広間が一瞬静寂に包まれ、その後大きなどよめきが起こった。


演壇の脇に立っていたアレクサンダー王子の顔は青ざめていた。19歳になった王子は、この二年間で更に成長し、龍族との調和政策や内政改革で大きな成果を上げていたが、まさか今日王位継承の発表があるとは思っていなかった。


「父上……」


王子が小さく呟いた。


「安心しろ、アレクサンダー」クラル王が息子に微笑みかけた。「お前には十分な資質がある」


クラル王は再び聴衆に向き直った。


「アレクサンダーは、龍族との和平を実現し、アル=ゼイルとの対話を成功させた。若いながらも、異なる種族間の調和を図る能力において、私以上の才能を示している」


聴衆の中から、賛同の声が上がり始めた。確かに、アレクサンダー王子の功績は王国民の誰もが認めるところだった。


「そして、私には果たすべき責務がある」クラル王の表情が厳しくなった。「かつて私が救出した者たちの中に、世界各地で悪行を重ねている者がいる。王として、その責任を取らねばならない」


ドラコニス・レックスが立ち上がった。


「クラル王よ、それは危険すぎます。我々龍族も協力いたします」


「いや、レックス」クラル王は首を振った。「これは私個人の責任だ。そして……」


クラル王の目に、久しく見せることのなかった戦士としての鋭さが宿った。


「久しぶりに、一人で戦いたくなった」


エリザベス王妃が涙を浮かべながら夫を見つめていた。結婚から20年以上、彼女は夫が豊穣神として、そして王として重い責任を背負い続けているのを見てきた。今、その夫が再び一人で危険な旅に出ようとしている。


「クラル……」


「エリザベス」クラル王が妻に向き直った。「アレクサンダーを支えてくれ。そして……必ず帰ってくると約束する」


王妃は涙を拭い、毅然とした表情を作った。


「分かりました。でも、無茶はしないでくださいね」


「約束する」


その夜、王子は一人執務室で考え込んでいた。突然の王位継承に、心の準備ができていなかった。


「本当に、僕にできるのだろうか……」


扉がノックされ、アル=ゼイルが入ってきた。この二年間で、彼は完全にグランベルク王国の一員となっており、アレクサンダーにとっては最も信頼できる相談相手の一人だった。


「悩んでいるな、アレクサンダー」


「アル=ゼイル様……」王子は振り返った。「僕は、まだ王になる準備ができていません」


「準備など、永遠にできるものではない」アル=ゼイルが椅子に腰かけた。「我も数万年生きてきたが、完全な準備などしたことがない」


「でも、あなたは神です。僕はただの……」


「ただの人間?」アル=ゼイルが微笑んだ。「アレクサンダー、汝は我を変えた。数万年の頑固な考えを、たった一度の対話で変えた。それができる者が、ただの人間であるはずがない」


王子は少し元気を取り戻した。


「でも、父上のようにはできません」


「クラルのようになる必要はない」アル=ゼイルが立ち上がった。「汝は汝の道を歩めばよい。そして、汝には我々がついている」


「我々?」


「エリザベス、ドラコニス・レックス、ネリウス、ユリス、そして我だ」アル=ゼイルの目に温かい光が宿った。「汝は一人ではない」


王子の心に勇気が湧いてきた。


「ありがとうございます。僕は……僕なりに、良い王になってみせます」


「その意気だ」


王位継承の発表から一週間後、クラル王は久しく足を向けていなかった場所へと向かった。


王都カストラムの商業地区に立つ、威厳ある石造りの建物。その正面には「王立グランベルク鍛冶工房」という看板が掲げられていた。これは、かつてエリザベス王妃の父親から特別な許可を得て建設した、国立の鍛冶工房だった。


クラル王が重厚な扉を開けると、カランカランと小さな鈴の音が鳴り響いた。店内は整然と整理されており、壁には様々な武器や農具が展示されている。そして店の奥、一段高くなった特別な展示台には、燦然と輝く巨大なハンマーが鎮座していた。


「これは……王よ!」


奥から現れたのは、60代の男性だった。グスタフ・アイアンハンマーの弟子で、現在この工房の運営を任されているヘンリック・ストームフォージだった。彼は驚きの表情を浮かべながら、慌てて深くお辞儀をした。


「ヘンリック、久しぶりだな」


クラル王は工房を見回した。20年前とほとんど変わらない内装だが、微かに埃っぽい匂いがしていた。


「王がいらっしゃるなんて……何年ぶりでしょうか」


「おそらく15年ぶりだろう」クラル王は苦笑いを浮かべた。「民営に移管してから、すっかり足が遠のいてしまった」


「いえいえ、滅相もございません。我々は王のご指導のおかげで、今でも王国最高の品質を保っております」


ヘンリックは誇らしげに展示台を指差した。


「あちらの『究極ハンマー』も、おかげさまで当工房の看板商品となっております。『雷電龍サンダーローを討ち倒した伝説の武器』として、各国の収集家からの注文が絶えません」


クラル王は究極ハンマーを見上げた。全長2メートルを超える巨大なハンマーは、確かに美しく威厳に満ちていたが、その重量と大きさは実戦には向かない代物だった。値札を見ると、とんでもない金額が記されている。


「実際に購入する者はいるのか?」


「意外にもおります」ヘンリックが笑った。「権力者の権威の象徴として、城や屋敷に飾る方が多いですね。実用性よりも、『サンダーロー討伐』という箔の方が価値があるようです」


「なるほど……」クラル王は複雑な表情を浮かべた。「それで、私の個人的な武器はまだ保管されているか?」


「もちろんです!地下の特別保管庫に、大切にお預かりしております」


ヘンリックは工房の奥へと案内した。隠し扉を開けると、石造りの階段が地下へと続いていた。階段を降りると、そこには王専用の特別な保管庫があった。


「ここです」


保管庫の扉を開けると、そこには数本の武器が丁寧に保管されていた。どれもクラル王の手によって作られた、特別な武器たちだった。


クラル王は最初に、一本の大きな剣を取り出した。


「獣砕き……」


それは彼が農民時代から使い続けている、最も古い愛用品だった。刀身は1メートル20センチほどで、重厚な作りをしている。魔獣との戦いで鍛えられた、実戦的なデザインだった。


しかし、長年の保管により、表面には薄っすらと埃が積もり、微かな錆も浮いていた。


「少し手入れが必要だな」


クラル王は工房の作業台に獣砕きを置き、丁寧に清拭を始めた。特殊な油を布に含ませ、表面の埃を拭い取っていく。その手つきは、20年のブランクを感じさせないほど慣れたものだった。


錆の部分には、細かい研磨材を使って丁寧に除去していく。金属の組成を理解しているからこそできる、精密な作業だった。


「やはり、王の技術は素晴らしいですね」


ヘンリックが感嘆の声を上げた。職人として30年の経験を持つ彼でも、クラル王の手際の良さには敬服するばかりだった。


「体が覚えているからな」


獣砕きの手入れが完了すると、クラル王は次の武器を取り出した。


「ドラゴンブレイカー」


これは、彼が「ドラゴンブレイカー」の称号を得た際に制作した特別な棍棒。龍族との戦いに特化した設計で、弾力のある鱗に対して力の貫通力が高い。


龍の鱗を模した装飾が施され、柄には古代文字で「龍殺し」という意味の言葉が刻まれていた。こちらも埃と薄い錆が付着していたため、同様に丁寧な手入れを行った。


しかし、クラル王は手入れを終えると、これらの武器を再び棚に戻した。


「対人戦には向かないな」


「対人戦、ですか?」


ヘンリックが不安そうに尋ねた。


「ああ。魔獣や龍族と戦うためのものだから、人間相手には重すぎる」


クラル王は三本目の武器を取り出した。それは、他の武器とは明らかに異質な存在だった。


「鉄鬼:斬馬刀」


全長1メートル50センチ、刃幅20センチを超える巨大な刀だった。しかし、その重量は見た目ほどではない。クラル王の技術により、重量バランスが絶妙に調整されているのだ。


「これは……」ヘンリックが息を呑んだ。


「元々は遠征中に出会った山賊の頭領が持っていた武器だ」クラル王は懐かしそうに刀身を撫でた。「バケモノじみた重さとデカさだったが、私の体格に合わせて作り直した」


確かに、この武器は対人戦に適していた。一撃の威力は絶大でありながら、クラル王の膂力と技術があれば十分に扱える重量に調整されている。


「これを使おう」


クラル王は斬馬刀の手入れを開始した。この武器も長年の保管で状態が悪くなっていたが、丁寧に清拭と研磨を行うことで、本来の美しさを取り戻していく。


刀身に施された精巧な刻印が現れ、柄の革巻きも新品同様の状態に戻った。


「素晴らしい……」


ヘンリックが感動の声を漏らした。


「さて、次は龍族用の武器を量産しなければならない」


クラル王は作業台を片付け始めた。


「龍族用の武器?」


「私が留守の間、王国を守ってもらうからな。十分な装備が必要だ」


クラル王は工房の奥にある、特別な炉に火を入れた。


「龍族の体格は様々だからな。標準的なサイズから特大サイズまで、各種用意する必要がある」


クラル王は材料を準備し始めた。龍族用の武器には、特に強度と魔法耐性が求められる。そのため、希少な魔法金属を惜しみなく使用した。


「ミスリル合金をベースに、オリハルコンを10%混合……」


クラル王は材料の配合を調整しながら、精密な作業を続けた。龍族の体格と戦闘スタイルを考慮し、剣、槍、弓矢など様々な武器を製作していく。


特に重要だったのは、龍族の人化形態と本来の龍形態、両方で使用できる武器を作ることだった。これには、形状変化の魔法が必要で、高度な技術を要求された。


「変形機能付きの武器……これは難しいな」


クラル王は額に汗を浮かべながら、集中して作業を続けた。豊穣神の力を使い、金属の分子レベルでの構造を調整していく。


三日間の集中作業の末、ついに龍族用武器の第一陣が完成した。


剣20振り、槍15本、弓10張、そして矢筒50個。どれも最高品質の仕上がりで、龍族の戦力を大幅に向上させるものだった。


「これで第一陣は完成だ」


クラル王は満足そうに完成した武器を見回した。


「新グランベルク人の武器については、既に十分な備蓄があるからな。私が関与する必要はない」


確かに、魔人族としての特性を持つ新グランベルク人たちは、既に高品質な武器を保有していた。彼らの身体能力の向上に合わせて、武器も進化を続けていたのだ。


武器の製作と整備が完了すると、クラル王は旅立ちの最終準備に取りかかった。


まず、斬馬刀専用の鞘を新たに制作した。長期間の旅に耐えられるよう、耐久性と携帯性を重視した設計にした。


次に、旅行用の装備を整えた。軽量でありながら高い防御力を持つ鎧、保存の利く食料、そして緊急時のための薬草類。


そして最後に、王国との連絡手段として特別な通信具を用意した。


「これで準備は整った」


クラル王は工房を見回した。ここで過ごした一週間は、久しぶりに職人としての喜びを味わえる時間だった。


「ヘンリック、しばらく工房を頼む」


「承知いたしました。王のご武運をお祈りしております」


ヘンリックは深くお辞儀をした。


「龍族用の武器は、後日ドラコニス・レックスに引き渡してくれ」


「承知いたしました」


クラル王は斬馬刀を背負い、工房を後にした。外に出ると、王宮への帰路に就いた。


明日は、いよいよ旅立ちの日だった。


翌朝、王宮の中庭で出発の儀式が行われた。


クラル王は、鉄鬼:斬馬刀を背負い、旅装に身を包んでいた。その姿は、豊穣神というより、武者修行に出る武人のようだった。


見送りに集まったのは、王族、重臣、龍族の代表、そして王宮の従者たちだった。誰もが、王の無事な帰還を祈っていた。


「では、行ってまいります」


クラル王は愛馬のサンダーボルトに跨った。この馬は雷の魔法を宿した特別な存在で、長距離の移動に適していた。


「お気をつけて」エリザベス王妃が涙を堪えながら言った。


「必ず戻ります」クラル王は妻にキスをした。


「父上!」アレクサンダーが叫んだ。「僕たちのことは心配せず、お気をつけて!」


「お前たちなら大丈夫だ」クラル王が息子に微笑みかけた。


そして、クラル王は馬に拍車をかけた。サンダーボルトは雷のように駆け出し、あっという間に王宮の門を通り抜けていった。


見送る人々は、王の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。


「さあ」アレクサンダー王子が振り返った。「僕たちも頑張ろう」


新しい時代の始まりだった。


クラル王がまず向かったのは、東方のアルデンバーグ公国だった。


「黒い稲妻」田中雷斗が最も頻繁に出没している地域だった。王は国境の町で情報収集を始めた。


酒場「雷鳴亭」は、冒険者や商人たちが情報交換をする場所として知られていた。クラル王は変装し、一人の旅人として店に入った。


「いらっしゃい」


カウンターの向こうから声をかけたのは、40代の女性店主だった。疲れた表情を浮かべている。


「麦酒を一杯」


「はい」店主は麦酒を注ぎながら、ため息をついた。「最近は、お客さんも少なくて困っています」


「何かあったのですか?」


「黒い稲妻って盗賊のせいです」店主の表情が暗くなった。「あの悪党のおかげで、商隊が全然来なくなって……」


クラル王は耳を澄ませた。


「どのような人物なんですか、その盗賊は?」


「若い男です。日本人みたいな顔をしてて……」店主は声を潜めた。「でも、その力は化け物じみてます。雷を操って、一瞬で十数人を焼き殺すって話です」


「目撃した人はいるのですか?」


「何人かいますけど……」店主は不安そうに周りを見回した。「皆、怖がって詳しくは話したがりません」


その時、酒場の扉が開き、一人の男が入ってきた。30代半ばで、商人らしい服装をしているが、その顔には深い絶望が刻まれていた。


「また麦酒か、ハンスさん」店主が同情的な声をかけた。


「ああ……」男——ハンスは重い足取りでカウンターに座った。「もう、商売を続ける気力が……」


「何があったのですか?」クラル王が尋ねた。


ハンスは振り返った。


「あんたは?」


「旅の者です。この地域の治安について聞いていたところで」


ハンスは深いため息をついた。


「治安もクソもない。あの悪魔がいる限り、まともな商売なんてできやしない」


「悪魔?」


「黒い稲妻だよ」ハンスの目に怒りが宿った。「三日前、俺の商隊が襲撃された」


ハンスは震える手で麦酒を口に運んだ。その手には、まだ包帯が巻かれており、襲撃の生々しい傷跡が残っていた。


「詳しく聞かせてもらえませんか?」


クラル王は声を抑えて尋ねた。変装しているとはいえ、その目には鋭い光が宿っていた。


「なぜそんなことを知りたがる?」ハンスが警戒の目を向けた。「まさか、あの野郎の仲間じゃないだろうな?」


「違います」クラル王は冷静に答えた。「私も商人をしていまして、この地域の安全情報を収集しているのです。同業者として、詳細を知っておきたくて」


ハンスはクラル王の服装と、腰に下げた剣を見回した。確かに、よく武装した商人という風貌だった。


「……まあ、いいだろう」ハンスは重いため息をついた。「どうせ、もう隠しても意味がない」


店主がもう一杯麦酒を注いでくれた。ハンスはそれを一気に飲み干してから、話し始めた。


「俺は香辛料の商いをしている。今回は、南方のクリムゾン王国から仕入れた高級香辛料を、北方の諸都市に運ぶ予定だった」


ハンスの声が震え始めた。


「商隊は総勢20名。俺を含めて商人が5名、護衛の傭兵が15名。決して弱い商隊じゃなかった」


「で、どこで襲撃を?」


「ここから東に三日ほど行った、『嘆きの峠』だ」店主が割って入った。「最近、あの辺りでの襲撃が多いのよ」


クラル王は頭の中で地図を思い浮かべた。嘆きの峠は、アルデンバーグ公国と隣国を結ぶ重要な交易路の一つだった。山間部で見通しが悪く、確かに襲撃には適した場所だった。


「午後の遅い時間だった」ハンスが続けた。「峠の頂上近くで、突然空が暗くなったんだ」


「空が暗く?」


「そうだ。まるで嵐が来るみたいに。でも、雲一つない快晴だったんだ」ハンスの目に恐怖の色が浮かんだ。「そして、空から声が聞こえてきた」


「声?」


「『金を出せ、さもなくば死ね』って。日本語訛りの共通語でな」


クラル王の拳が、カウンターの下で静かに握りしめられた。


「護衛のリーダーは歴戦の傭兵でな。『姿を現せ、卑怯者!』って叫んだんだ」ハンスは苦々しそうに続けた。「そしたら……」


ハンスは一度言葉を区切り、残りの麦酒を一気に飲み干した。


「空から雷が落ちた。ピンポイントで、護衛のリーダーを直撃した」


店主が「まあ……」と小さく悲鳴を上げた。


「一瞬で黒焦げよ。でも、それで終わりじゃなかった」ハンスの声がさらに震えた。「空中に人影が現れたんだ」


「人影?」


「ああ。雷に包まれた若い男だった。浮いてるんだ、空中に。まるで神様か悪魔みたいに」


クラル王は黙って聞き続けた。悪魔から力を得た人間の能力は、確かに常人には理解し難いものだった。


「そいつが言ったんだ。『10秒以内に全財産を差し出せ。さもなくば全員殺す』って」


「それで?」


「護衛たちは勇敢だった。弓で応戦しようとした」ハンスの目から涙が流れ始めた。「でも……矢が当たる前に、また雷だ。今度は3人まとめて」


クラル王は内心で歯ぎしりした。無抵抗な商人と護衛を、一方的に虐殺する。これは単なる強盗ではなく、快楽殺人に近い行為だった。


「結局、俺たちは降参した。全財産を渡して、命乞いをした」ハンスは自分の惨めさに打ちひしがれていた。「でも、そいつは笑ってたんだ」


「笑って?」


「『つまらない』って言いながら。そして……」ハンスの声が怒りに変わった。「『せっかくだから、何人か殺してやる』って」


クラル王の目が危険な光を帯びた。


「結局、護衛15人のうち12人が殺された。商人仲間も2人」ハンスは拳を震わせた。「理由なんてない。そいつの気分次第だ」


「あなたは、どうやって逃げたのですか?」


「逃げてなんかいない」ハンスが自嘲的に笑った。「そいつが『生き残りがいた方が、俺の恐ろしさが広まるだろう』って言って、わざと生かされたんだ」


店内に重苦しい沈黙が流れた。


「それで、ここまで戻ってきたのですが……」ハンスは店主を見た。「もう商売を続ける気になれません。仲間を見殺しにして、自分だけ生き延びた」


「あなたのせいじゃありませんよ」店主が慰めの声をかけた。「あの化け物相手に、普通の人間ができることなんて……」


その時、酒場の扉が勢いよく開いた。


「大変だ!また黒い稲妻の襲撃があったぞ!」


入ってきたのは、息を切らした若い男だった。服装から見て、街の警備兵のようだった。


酒場内がざわめいた。


「今度はどこだ?」店主が血相を変えて尋ねた。


「北の街道で、貴族の一行が!シルトン男爵の馬車が襲撃されたって報告が入った!」


「シルトン男爵?」ハンスが驚いた。「あの方は、この地域でも有数の実力者じゃないか」


「それが……」警備兵の顔が青ざめていた。「男爵も、護衛の騎士たちも、全員殺されたって……」


酒場内が騒然となった。シルトン男爵は、アルデンバーグ公国でも指折りの武人として知られていた。その護衛騎士団も、精鋭揃いで有名だった。


「一体、どんな化け物なんだ……」


誰かが呟いた言葉が、酒場内の恐怖を代弁していた。


クラル王は静かに立ち上がった。


「すみません、お勘定を」


「え?もう帰るのかい?」店主が驚いた。


「ええ。急な用事ができまして」


クラル王は金貨を置き、酒場を出ようとした。その時、ハンスが声をかけた。


「あんた、まさか……あいつを探しに行くつもりじゃないだろうな?」


クラル王は振り返った。


「私は商人です。危険な場所には近づきません」


「そうか……」ハンスは安堵の表情を浮かべた。「そうした方がいい。あんな化け物と戦えるのは、軍隊か、それとも……」


ハンスは言いかけて口をつぐんだ。


「それとも?」


「……神様ぐらいだろうな」


クラル王は微かに笑った。


「神様、ですか。いればいいですね」


クラル王は酒場を後にした。外に出ると、彼の表情は一変していた。温和な商人の仮面は消え、豊穣神としての威厳と怒りが現れていた。


「田中雷斗……」


クラル王は低く呟いた。その声には、決して許さないという強い意志が込められていた。

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