偽りの理想郷 ネオニッポン:偽りの勇者たちの襲来
クラル王は38歳を迎えていた。王国は建国以来最も平和で安定した時期を迎えており、今年は特に穏やかな年となる予定だった。
「お父様、今日の重心術の訓練はどうでしたか?」
9歳になったアレクサンダー王子が、魔法の練習を終えて父に報告していた。王子の実力は既に一般的な魔人族の成人を上回っており、200キロの重量物を複雑な軌道で操れるまでに成長していた。
「素晴らしい上達ぶりです」
クラル王が息子の頭を撫でた。
「もうすぐ高等魔法の段階に進めるでしょう」
「やったー!」
アレクサンダー王子が嬉しそうに飛び跳ねた。
「お父様みたいに強くなって、お父様を守れるようになりたいです!」
「頼もしいですね」
エリザベス王妃が微笑みながら二人を見守っていた。
「でも王子には、力よりも優しさを大切にしてほしいわ」
その夜、王室の私室で夫婦だけの時間を過ごしていたクラルとエリザベス。
「エリザベス、そろそろ二人目の子供を考えませんか?」
クラル王が妻の手を取りながら提案した。
「アレクサンダーも10歳になりましたし、弟か妹がいた方が良いのではないでしょうか」
エリザベス王妃の顔が明るくなった。
「私もそう思っていました」
「アレクサンダーは一人っ子で少し寂しそうにしているし」
「それに、あなたとの子供をもう一人授かりたいと思っていたの」
クラル王が妻を優しく抱きしめた。
「それでは、今夜から本格的に努力しましょうか」
「はい」
エリザベス王妃が頬を染めながら答えた。
「でも、もう38歳ですから、以前のようにはいかないかもしれません」
「大丈夫です」
クラル王が自信を持って答えた。
「魔王としての生命力は衰えていませんから」
二人は愛情に満ちた口づけを交わし、寝室へと向かった。
それから毎晩のように、クラル王夫妻は愛を育む時間を過ごした。
「エリザベス...君を愛しています」
クラル王が妻の身体を優しく愛撫しながら囁いた。
「私も...あなたを心から愛しています」
エリザベス王妃が夫の首に腕を回した。
「今度生まれる子も、きっとアレクサンダーのように素晴らしい子になるでしょうね」
「ええ、そう信じています」
夫婦は情熱的に、そして愛情深く結ばれた。
11年の結婚生活を経てもなお、二人の愛は衰えることを知らなかった。
「おはようございます、お父様、お母様」
翌朝、アレクサンダー王子が両親の寝室を訪れた。
「おはよう、アレクサンダー」
クラル王が息子を抱き上げた。
「今日も元気ですね」
「お父様とお母様、昨夜は楽しそうでしたね」
アレクサンダー王子の無邪気な言葉に、両親は顔を赤らめた。
「こ、子供は余計なことを考えてはいけません」
エリザベス王妃が慌てて取り繕った。
「でも僕、弟か妹が欲しいんです」
王子が真剣な表情で言った。
「だから、お父様とお母様が仲良くしてくれるのは嬉しいです」
クラル王が苦笑いを浮かべた。
「分かりました。努力してみましょう」
平和な夏のある日、グランベルク王国の首都に突然の騒動が起こった。
午後2時頃:市街地の広場
「邪悪な魔王クラルを出せ!」
突然、若い男性の怒号が王都の中央広場に響いた。
声の主は日本人風の青年で、年齢は18歳程度。洗練された剣を携え、全身から強力な魔力を放出していた。
「翔太君、落ち着いて」
青年の隣には同年代の美しい少女がいた。彼女も日本人風で、治癒魔法の光を手のひらに宿していた。
「でも美月、ここが魔王クラルの支配する国なんでしょ?」
翔太と呼ばれた青年が辺りを見回した。
「思っていたのと全然違うけど...」
二人が目にしたのは、予想とは正反対の光景だった。
美しい街並み
- 清潔で整備された石畳の道路
- 色とりどりの花で飾られた建物
- 穏やかな表情で行き交う住民たち
「あら、珍しい来訪者ね」
通りかかった魔人族の主婦が、興味深そうに二人を見た。
「お疲れ様です。何かお困りのことでもありますか?」
商店の店主が親切に声をかけた。
「道に迷われましたか?観光案内所はあちらですよ」
別の住民も丁寧に方向を教えてくれた。
翔太と美月は完全に困惑した。
「おかしいな...」
翔太が小声で美月に話しかけた。
「邪悪な魔王に支配された恐怖の国だって聞いてたのに」
「確かに変ね」
美月も同意した。
「住民の皆さん、とても親切だし、街も綺麗だし...」
「でも見て、翔太君」
美月が住民たちの特徴を指摘した。
「皆さん、肌が少し黒くて金属的な光沢があるわ」
「それに耳が尖ってて、エルフみたい」
「確かに人間じゃないね」
翔太が警戒心を強めた。
「きっと魔王に洗脳されてるんだ」
「だから表面的には平和に見えるけど、実際は支配されてるんだよ」
翔太の正義感が燃え上がった。
「僕たちが来たからには、この人たちを解放しなければ!」
「でも翔太君...」
美月が不安そうに制止しようとした。
「本当に魔王が悪いのかしら?」
「何を言ってるんだ、美月」
翔太が振り返った。
「先生たちがあんなに詳しく教えてくれたじゃないか」
「魔王クラルは人々を洗脳して支配する邪悪な存在だって」
「ネオニッポンでの3年間、僕たちはそのために訓練してきたんだ」
美月は心の奥で疑念を感じていたが、翔太の真剣さに押し切られた。
「そう...ね。先生たちが嘘をつくはずないものね」
「そうだよ」
翔太が剣の柄に手をかけた。
「アスモデウス校長も、バエル先生も、みんな僕たちのことを大切に思ってくれてた」
「その恩に報いるためにも、魔王クラルを倒さなければ」
翔太が剣を抜こうとしたその時、グランベルク王国の警備隊が現れた。
「そこの二人、武器を収めなさい」
隊長格の魔人族が威厳を持って命じた。
「我々はグランベルク王国警備隊だ」
「ここで武力行使は許可できない」
翔太が警備隊を見回した。全員が旧ランクシステムでAランク以上の実力者だということが、一目で分かった。
「さすが魔王の直属部隊...」
翔太が戦闘態勢を取った。
「でも僕たちも負けない!」
「翔太君、やめて!」
美月が制止しようとしたが、既に遅かった。
翔太が剣を抜いた瞬間、信じられない速度で警備隊に襲いかかった。
ネオニッポンで3年間訓練した成果が、遺憾なく発揮された。
「なんだと...この速さは...」
警備隊長が驚愕した。
翔太の剣技は、日本の古流剣術と悪魔が教えた技術が融合した、まったく新しいスタイルだった。
「火炎剣・一閃!」
翔太の剣が炎を纏い、警備隊員を次々と圧倒していった。
「翔太君、怪我しないで!」
美月が後方から治癒魔法でサポートした。
彼女の治癒魔法も、人間界では考えられないほど高度なものだった。
「上級治癒・瞬間回復!」
翔太の小さな傷も瞬時に完治していく。
警備隊員たちは、この若い男女の実力に驚愕していた。
「隊長、これは...」
副隊長が困惑していた。
「まだ18歳程度にしか見えないのに、この実力は何だ?」
「我々でも押し切れないとは...」
隊長も苦い表情を浮かべた。
「どこで、どんな訓練を受けたのだ?」
翔太は10名の警備隊員を相手に、まったく劣勢に立たされることなく戦い続けていた。
「くっ...思ったより手強い」
翔太が額の汗を拭った。
「でも僕たちの方が上だ!」
美月も戦況を分析していた。
「翔太君、私たちの方が有利よ」
「でも...なんだか嫌な感じがする」
「何が?」
「この人たち、本当に悪い人には見えないの」
美月の直感が警鐘を鳴らしていた。
「必死に街を守ろうとしてるように見える」
戦闘が膠着状態になったその時、圧倒的な威圧感を放つ人物が現れた。
「これ以上の騒動は許可できません」
声の主は、グランベルク王国最強の戦士、レイモンド・アイアンウィルだった。
旧ランクシステム最高位のSランク、現在は「豊穣神クラルの右腕」という称号を持つ伝説的存在。
「うわっ...この人、すごい魔力...」
翔太が後ずさりした。
「レベルが違いすぎる...」
美月も震え上がった。
「この人が魔王クラルなの?」
「いえ、違います」
レイモンドが冷静に答えた。
「私はレイモンド・アイアンウィル。グランベルク王国の守護騎士です」
「豊穣神クラル様は、現在王宮におられます」
レイモンドが軽く手を振ると、翔太と美月の武器が瞬時に無力化された。
「え?」
翔太の剣が重力魔法により地面に吸い付けられ、動かなくなった。
「美月の魔法も封じられてる...」
美月の治癒魔法も、何らかの結界により発動しなくなった。
「抵抗は無意味です」
レイモンドが淡々と告げた。
「大人しく事情聴取に応じてください」
「くそっ...」
翔太が悔しがったが、どうすることもできなかった。
「僕たちの3年間の訓練は何だったんだ...」
聖鉄規訓院への連行
「君たち、一体どこから来たのですか?」
レイモンドが馬車の中で尋ねた。
「ネオニッポンです」
翔太が素直に答えた。
「先生たちから、魔王クラルを倒す使命を受けました」
「ネオニッポン?」
レイモンドが眉をひそめた。
「聞いたことのない国名ですね」
「元は神聖教皇国だったところです」
美月が補足した。
「でも今は素晴らしい学園都市になってます」
レイモンドの表情が険しくなった。
(神聖教皇国...確か信者数の激減で消滅したはず)
グランベルク王国の司法機関「聖鉄規訓院」で、正式な取り調べが開始された。
「改めて聞きます」
レイモンドが机を挟んで二人と向き合った。
「君たちはなぜ、豊穣神クラル様を魔王と呼ぶのですか?」
翔太が真剣な表情で答えた。
「先生たちから教わったからです」
「魔王クラルは人々を洗脳し、偽りの平和で世界を支配しようとしている」
「僕たちは正義のために戦うよう、教育されました」
レイモンドが詳細を求めた。
「その先生方とは、具体的にどのような人物ですか?」
「アスモデウス校長、ベリアル副校長、バエル理科教師...」
美月が思い出しながら答えた。
「皆さんとても優しくて、私たちを大切に育ててくれました」
「3年間、愛情を注いでくれたんです」
「どのような教育を受けたのですか?」
レイモンドが教育内容について尋ねた。
「魔法と剣術、そして正しい心を学びました」
翔太が胸を張って答えた。
「恋愛も自由で、僕たちは結婚もしています」
「えっ?」
レイモンドが驚いた。
「君たち、結婚しているのですか?」
「はい」
美月が左手の指輪を見せた。
「翔太君と2年前に結婚しました」
「学園では早い結婚と出産を推奨していたんです」
「先生たちが、愛し合う者同士の絆こそが最強の力だと教えてくれました」
レイモンドは内心で違和感を覚えていた。
(18歳程度の少年少女を結婚させる教育機関...異常だ)
「翔太君」
美月が小声で夫に話しかけた。
「私、なんだか変な感じがする」
「何が?」
「この人たち、本当に悪い人なのかしら?」
美月の率直な疑問に、翔太も心の奥で同じことを考えていた。
「確かに...街の人たちも親切だったし」
「この警備隊の人たちも、僕たちを傷つけようとはしなかった」
「でも」
翔太が頭を振った。
「先生たちが嘘をつくはずがない」
「アスモデウス校長は僕たちの父親のような存在だし」
「バエル先生だって、毎日熱心に指導してくれた」
「そうね...」
美月も同意したが、心の奥の疑念は消えなかった。
「僕たちには恩があるんです」
翔太が強い口調で言った。
「ネオニッポンで3年間、愛情をもって育ててもらった」
「先生たちは僕たちの家族も同然です」
「だから、その恩に報いなければいけない」
「例え疑念があっても、僕たちを育ててくれた場所を守らなければ」
美月も頷いた。
「私たちの幸せな生活を作ってくれたのは、先生たちなんです」
「翔太君との結婚も、出産も、すべてサポートしてくれました」
「えっ?」
レイモンドが再び驚いた。
「出産?君たちに子供が?」
「はい」
美月が誇らしげに答えた。
「生後6ヶ月の息子がいます」
「名前は光太です」
「今はネオニッポンの託児所で、先生たちが面倒を見てくれています」
レイモンドは完全に困惑していた。
(18歳程度の夫婦に6ヶ月の子供...)
(つまり彼らは17歳で出産、16歳で妊娠、15歳で結婚したということか?)
(そして現在、その子供を人質に取られている状態で、親を戦士として送り出している?)
「これは...話になりませんね」
レイモンドが頭を抱えた。
翔太と美月は純粋すぎて、自分たちが置かれた状況の異常性を理解していない。
彼らにとっては、恩義と愛情に基づく正当な行為としか認識されていない。
「分かりました」
レイモンドが立ち上がった。
「とりあえず君たちは留置とします」
「えっ?」
翔太が慌てた。
「僕たちは犯罪者じゃありません!」
「正義のために戦っただけです!」
「それは君たちの主観です」
レイモンドが冷静に答えた。
「この国では、許可なき武力行使は犯罪です」
「でも危害は加えません。事情が判明するまでの一時的な措置です」
美月が不安そうに尋ねた。
「いつまで閉じ込められるんですか?」
「光太に会えないなんて...」
「それは調査次第です」
レイモンドが部屋を出ながら答えた。
「豊穣神クラル様への報告と、君たちの出身地の調査が必要です」
その日の夕方、レイモンドは王宮でクラル王に報告を行った。
「陛下、重要な報告があります」
レイモンドが膝をついた。
「今日、正体不明の襲撃者が王都に現れました」
クラル王が手を止めた。
「襲撃者?詳しく聞かせてください」
「18歳程度の男女2名です」
レイモンドが詳細を報告した。
「驚異的な戦闘能力を持ち、我々の警備隊を圧倒しました」
「ほう」
クラル王が興味深そうに身を乗り出した。
「18歳でそれほどの実力とは」
「はい。そして彼らは陛下を『邪悪な魔王クラル』と呼んでいました」
クラル王の表情が困惑に変わった。
「邪悪な魔王...ですか」
「ええ。『ネオニッポン』という場所で教育され、陛下を討伐する使命を受けたと主張しています」
「あなた、大丈夫なの?」
エリザベス王妃が心配そうに夫を見つめた。
「襲撃者なんて、物騒ね」
「大丈夫です」
クラル王が妻の手を取った。
「レイモンドが対処してくれましたから」
「それよりも気になるのは、なぜ私が魔王と呼ばれているかということです」
アレクサンダー王子も不安そうに尋ねた。
「お父様は悪い人なんですか?」
「いえいえ」
クラル王が息子を抱き上げた。
「きっと何かの誤解でしょう」
「お父様は世界で一番優しい人よ」
エリザベス王妃が息子を安心させた。
「レイモンド、そのネオニッポンという場所を調査してください」
クラル王が指示した。
「承知いたしました」
レイモンドが頭を下げた。
「ただし、陛下には十分ご注意ください」
「もし他にも同様の戦士がいるとすれば...」
「分かっています」
クラル王が頷いた。
「しかし私は、対話による解決を望みます」
「きっと何らかの誤解があるはずです」
「彼らを敵として扱うのではなく、まずは話し合いを試みましょう」
レイモンドは内心で、クラル王の優しさに感動していた。
(自分を邪悪な魔王と呼ぶ襲撃者に対しても、対話を望まれるとは...)
(やはりクラル様は、真の聖人でいらっしゃる)
その夜、クラル王夫妻は寝室で今日の出来事について話し合っていた。
「あなた、本当に大丈夫なの?」
エリザベス王妃が夫の胸に顔を埋めた。
「魔王なんて呼ばれて、傷ついてない?」
「大丈夫です」
クラル王が妻の髪を撫でた。
「きっと何かの間違いです」
「私たちの国が平和で豊かなことは、事実ですから」
「それに...」
クラル王が妻を見つめた。
「今は二人目の子作りの方が大切です」
エリザベス王妃が頬を染めた。
「もう、こんな時にまで...」
「愛する家族のためなら、どんな困難も乗り越えられます」
クラル王が妻を抱きしめた。
「さあ、今夜も愛を育みましょう」
二人は情熱的に愛し合った。
しかし、この平和な夜の向こうで、ネオニッポンでは数百名の戦士たちが、グランベルク王国への総攻撃の準備を進めていた。
翔太と美月は、その大軍団の先遣隊に過ぎなかったのである。
愛と平和に満ちたグランベルク王国に、史上最大の試練が迫っていた。




