表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/83

冒険者になって約半年、やっと冒険者業を始めます。鍛冶屋は兼業です。

クラルが冷却装置事業で順風満帆な日々を送っていたのは、わずか半年のことだった。転機は、ある貴族の邸宅で起こった出来事から始まった。


「これは興味深い構造ですな」


カルドリック伯爵のお抱え錬金術師、マスター・エドウィンが冷却装置を分解しながら呟いた。エドウィンは王立錬金術学院出身の優秀な学者で、魔法工学の分野では王国でも屈指の専門家だった。


「動力源は...これはスライムですか」


エドウィンは筒状の容器からスライムを取り出し、詳細に観察した。スライムの魔力変換能力を利用した動力源という発想に、学者としての興味を掻き立てられた。


「なるほど、実に単純明快な仕組みです。これなら我々でも再現できますな」


まずいことになった


クラルがこの報告を受けたのは、三日後のことだった。顧客の一人である商人から、「貴族たちが似たような装置を作り始めている」という情報がもたらされた。


クラルは冷静に状況を分析した。スライム電池の構造は確かに単純だった。スライムを金属容器に入れただけの構造では、專門知識を持つ錬金術師なら容易に模倣できる。


最初に暴かれるのはスライム電池か


彼の予想通り、一週間後には複数の錬金術師がスライム電池の模倣品を作り始めた。価格は銀貨七枚程度で、クラルの製品より三割安い。品質はやや劣るものの、基本的な機能は十分に果たしていた。村には自身の真似をできるような人はおらず、外界に出たことのなかったクラルにとって初めての経験だった。


スライム電池の技術流出から一ヶ月後、今度は金属製冷却箱の構造が詳細に分析された。


「箱の構造自体は特別なものではありませんな。問題は、この青い金属です」


エドウィンは冷却ユニットから取り出したフロストアロイの破片を魔法の虫眼鏡で観察していた。


「複数の鉱石を合金化したもののようですが...この配合比は興味深い」


彼は破片を魔法的な分析装置にかけ、成分を特定していく。フロストライト、アイスメタル、マナクリスタル、そしてルミナスサンド。それぞれの含有比率も正確に測定された。


「45対30対20対5...この比率が重要なのでしょうな」


ついに最重要技術まで解析された


クラルがこの情報を得たとき、彼は事業の終焉を悟った。フロストアロイの配合比が判明すれば、冷却装置の完全な模倣が可能になる。


実際、貴族お抱えの錬金術師たちは協力してフロストアロイの再現に取り組み始めた。王立錬金術学院も技術的興味から研究に参加し、より効率的な製造方法の開発を進めていた。


しかし、フロストアロイの再現は想像以上に困難だった。配合比は判明したが、製造プロセスが複雑で品質にばらつきが生じた。


「温度管理が難しいのです」


ある錬金術師は困惑していた。「同じ配合比でも、冷却速度によって性能が大きく変わってしまいます」


クラルが長期間の実験で確立した最適な製造プロセスは、簡単には再現できなかった。特に、結晶化の制御技術は職人の経験と勘に依存する部分が大きく、理論だけでは解決できない問題だった。


品質のばらつきが競合他社の弱点になる


市場に出回り始めた模倣品は、性能にかなりの差があった。


- 優良品:クラルの製品の8割程度の性能(価格は6割)

- 標準品:クラルの製品の6割程度の性能(価格は4割)

- 粗悪品:クラルの製品の3割程度の性能(価格は2割)


顧客は価格と品質のバランスを考慮して購入を決めるようになった。最高品質を求める層はクラルの製品を選び続けたが、コストパフォーマンスを重視する層は模倣品に流れていった。


価格競争の激化により、クラルの事業収益は急激に悪化した。商品は大量生産されるほど安くなる。これは想像に難くない。しかし冷却箱は一度購入すると消耗品以外は買い替える必要はなく、消耗品の模倣品が出回ると途端に安くなるのは考えなくてもわかることだ。販売を始める前から考えておくべきだったリスクだ。半年以上も悠々自適に暮らせたこと自体奇跡なのだ。


冷却装置販売の変化

- 以前:月2台×金貨20枚 = 金貨40枚

- 現在:月1台×金貨15枚 = 金貨15枚(値下げ圧力により)


冷却ユニット販売の変化

- 以前:月4台×金貨10枚 = 金貨40枚

- 現在:月2台×金貨7枚 = 金貨14枚


スライム電池販売の変化

- 以前:月50個×銀貨10枚 = 金貨50枚

- 現在:月20個×銀貨7枚 = 金貨14枚


月間売上は金貨130枚から金貨43枚へと三分の一に減少した。しかも、この傾向は加速度的に悪化していた。


このままでは事業の継続が困難になる


クラルは冷静に状況を分析した。技術的優位性を失った今、価格競争では大規模な工房を持つ競合他社に太刀打ちできない。個人経営の限界が露呈していた。


幸い、クラルには過去の成功で蓄積した資金があった。


現在の資産状況

- 現金:金貨200枚

- 在庫資産:金貨30枚相当

- 設備:金貨20枚相当


生活費を月に金貨5枚、工房の維持費を月に金貨3枚と仮定すると、約25ヶ月間は事業を継続できる計算だった。しかし、これは単なる延命措置に過ぎない。


新たな収入源を確保する必要がある


クラルの頭の中で、様々な選択肢が検討された。


1. 新しい発明品の開発

2. 既存技術の改良と差別化

3. 全く別の事業への転換

4. 冒険者業への本格参入


どの選択肢にもリスクがあったが、最も確実で即効性があるのは冒険者業だった。Aランクの実力があれば、高額報酬の依頼を受けることができる。


クラルがギルドを訪れたのは、技術流出から三ヶ月後のことだった。


「お久しぶりですね、クラルさん」


受付嬢のマリアが笑顔で迎えた。「ついに依頼を受けられるのですね?」


「はい。そろそろ実戦経験を積んでみたくなりまして」


クラルは表面的には穏やかな理由を述べたが、内心では経済的な必要性を痛感していた。


「Aランクの方なら、高額報酬の案件がありますよ」


マリアは依頼書の束を取り出した。Aランク対応の依頼は数が少ないが、どれも報酬が魅力的だった。


- 古代遺跡の調査:報酬金貨50枚(期間1ヶ月)

- 竜族の幼体討伐:報酬金貨80枚(危険度高)

- 咬鉄亀の討伐:報酬金貨30枚(期間1週間)

- 盗賊団の殲滅:報酬金貨40枚(期間2週間)


どれも今の鍛冶屋業よりは効率が良い


クラルは各依頼の詳細を検討した。リスクと報酬のバランス、期間、必要なスキル。全ての要素を総合的に評価する。


「咬鉄亀の討伐を受けたいのですが」


「咬鉄亀ですか?」マリアは少し驚いた表情を見せた。「鉄を噛み砕く顎を持つ危険な魔獣ですが...」


「詳細を教えてください」


「咬鉄亀は体長3メートル程度の大型魔獣です」


マリアは資料を読み上げながら説明した。「最大の特徴は、鉄をも噛み砕く強力な顎と、魔法攻撃を弾く堅固な甲羅です」


クラルは興味深そうに耳を傾けた。鉄を噛み砕く顎というのは、鍛冶屋として非常に興味深い特性だった。


「生息地は王都北東の石切り場周辺。最近、採石作業員が襲われる事件が頻発しています」


「武器や防具への被害は?」


「鋼鉄の剣でも甲羅にはほとんど傷がつきません。魔法攻撃も効果が薄く、討伐に苦戦する冒険者が多いのです」


これは叩鉄棒の販促に最適だ


クラルの戦術理論では、硬い甲羅を持つ敵には斬撃よりも打撃が効果的とされていた。刃物では表面を傷つけるだけだが、鈍器なら衝撃を内部に伝達できる。


「過去の討伐例はありますか?」


「三件ほどありますが、いずれもパーティーでの共同作業でした。単独での討伐例はありません」


単独討伐なら報酬は独占できる


クラルは経済的な計算も行った。パーティーを組めば安全性は向上するが、報酬は分割される。リスクを取って単独で挑戦すれば、金貨30枚を独占できる。


「単独で挑戦します」


「え?本当に大丈夫ですか?」マリアは心配そうに尋ねた。


「問題ありません」クラルは自信を込めて答えた。「むしろ、この依頼は私の戦術に最適です」


依頼を受けたクラルは、出発前に入念な準備を行った。これまでの冷却装置開発と同様、彼は徹底的な事前調査を重視していた。


情報収集

- 咬鉄亀の生態と行動パターン

- 石切り場の地形と環境

- 過去の討伐戦の詳細な戦術分析

- 気象条件と最適な討伐時期


装備の点検

- 叩鉄棒の重量バランス調整

- 予備武器の準備(短い叩鉄棒)

- 防具の軽量化(機動性重視)

- 回復薬と応急処置用品


戦術の最終確認

- 甲羅の構造分析に基づく攻撃点の特定

- 咬鉄亀の攻撃パターンへの対処法

- 地形を利用した戦術の検討

- 撤退路の確保


完璧な準備こそが勝利への道


王都から半日の道のりを経て、クラルは石切り場に到着した。採石作業は咬鉄亀の出現により完全に停止しており、現場は静寂に包まれていた。


「本当に一人で大丈夫なのか?」


現場監督の中年男性が心配そうに尋ねた。「あの化け物は、鋼鉄のツルハシも一噛みで粉砕するんだぞ」


「どの辺りに出現するのですか?」


クラルは実用的な情報の収集に集中した。感情的な心配よりも、具体的なデータが重要だった。


「あそこの大きな岩の影だ」監督が指差した場所は、石切り場の最奥部にある巨大な岩石群だった。「昼間は岩陰で休んでいて、夕方になると活動を始める」


行動パターンが予想通りだ


クラルは咬鉄亀が夜行性であることを事前調査で把握していた。日中の襲撃は珍しく、通常は薄暮の時間帯に活動する。


「私は夕方まで待機します。作業員の方々は安全な場所に避難してください」


夕暮れが近づくにつれ、石切り場に緊張が漂い始めた。クラルは巨大な岩石の上に身を潜め、咬鉄亀の出現を待っていた。


ゴツ...ゴツ...


重い足音が石切り場に響いた。岩陰から現れたのは、想像以上に巨大な魔獣だった。


体長は優に3メートルを超え、甲羅の厚さは30センチメートルほどもある。特に印象的だったのは、その巨大な頭部と顎だった。石を噛み砕いて食べるという生態が、強靭な顎の筋肉として発達していた。


これは確かに通常の武器では歯が立たない


咬鉄亀の甲羅は複数の骨板が組み合わさった構造で、表面には魔法的な光沢があった。魔法攻撃を弾くという特性も、視覚的に確認できた。


クラルは慎重に観察を続けた。敵の動き、甲羅の構造、攻撃可能な部位。全ての情報を頭の中に叩き込む。


首の付け根と手足の関節部が狙い目だ


十分な観察を終えたクラルは、静かに岩石から降りた。咬鉄亀は石を齧りながらゆっくりと移動しており、クラルの存在にはまだ気づいていない。


まずは機動力を奪う


クラルの戦術は明確だった。咬鉄亀の巨体は強力だが、機動性に劣る。足を破壊して動きを封じてから、致命的な攻撃を加える作戦だった。


彼は音を立てないよう慎重に距離を詰め、咬鉄亀の右後脚に狙いを定めた。叩鉄棒を両手でしっかりと握り、全体重を乗せて振り下ろす。


ガン!


鈍い衝撃音が石切り場に響いた。叩鉄棒は咬鉄亀の後脚関節部を直撃し、魔獣は苦痛の咆哮を上げた。


効果ありだ


関節部の骨にひびが入ったのか、咬鉄亀の右後脚は明らかに動きが悪くなった。しかし、完全に破壊するには至っていない。


咬鉄亀は振り返り、侵入者を発見した。小さな目に怒りの炎を宿し、巨大な顎を大きく開いた。


咬鉄亀の反撃が始まった。巨大な顎がクラルに向かって迫る。しかし、クラルは冷静にその攻撃を回避した。


動きが読みやすい


大型の魔獣は確かに強力だが、動作が単調で予測しやすい。クラルは最小限の動きで攻撃を躱し、反撃の機会を狙った。


咬鉄亀の攻撃が空振りしたとき、クラルは間髪入れずに次の攻撃を仕掛けた。今度は甲羅の中央部を狙う。


ガン!ガン!ガン!


連続する打撃音が石切り場に響いた。叩鉄棒は正確に同じ場所を打ち続け、甲羅の表面に細かい亀裂を生じさせていく。


表面を切るのではなく、内部に衝撃を伝える


クラルの理論が実証されていた。刃物では傷つけることのできない堅固な甲羅も、繰り返される打撃によって内部構造にダメージを蓄積していく。


咬鉄亀は混乱していた。これまで遭遇した冒険者は、甲羅を切り裂こうとして失敗していた。しかし、この奇妙な武器を持つ人間は、甲羅を破壊することに集中している。


戦闘は一時間近く続いた。クラルは一度も致命的な攻撃を受けることなく、着実に咬鉄亀にダメージを蓄積させていった。


後脚の関節が完全に破壊された


最初に攻撃した右後脚は、ついに機能を完全に停止した。咬鉄亀は三本足でバランスを取りながら戦闘を続けるが、明らかに動きが鈍くなった。


クラルは次に左後脚を狙った。同じ戦術を繰り返し、関節部に集中的な打撃を加える。


ガン!ガン!


左後脚も破壊されると、咬鉄亀はついに立ち上がることができなくなった。巨体が地面に崩れ落ち、もはや攻撃的な動きを見せることはなかった。


「終わりです」


クラルは最後の一撃を甲羅の中央部に加えた。これまでの連続打撃で蓄積されたダメージが限界に達し、甲羅が大きく砕け散った。


咬鉄亀は静かに息を引き取った。


討伐を完了したクラルは、すぐに咬鉄亀の解体作業に取りかかった。しかし、彼のアプローチは一般的な冒険者とは大きく異なっていた。


この甲羅は防具の材料として優秀だ


鍛冶屋としての専門知識が、魔獣の価値を正確に評価していた。咬鉄亀の甲羅は魔法攻撃を弾く特性があり、適切に加工すれば高品質な防具を製作できる。


「まずは食用部分を確保」


クラルは効率的に解体を進めた。亀の肉は栄養価が高く、特に魔獣の肉は体力向上の効果があるとされていた。


焚き火を起こし、新鮮な肉を焼いて食べる。野生的な光景だが、クラルにとってはこれも実用的な行動だった。食料費の節約と体力回復を同時に達成できる。


味も悪くない


咬鉄亀の肉は予想以上に美味で、食感も良かった。これなら市場で販売することも可能だろう。


食事を終えたクラルは、甲羅の加工に取りかかった。しかし、これは単純な作業ではなかった。


魔法的特性を損なわずに加工するには...


咬鉄亀の甲羅が持つ魔法攻撃耐性は、特殊な結晶構造によるものだった。不適切な加工を行うと、この特性が失われてしまう可能性がある。


クラルは持参した工具で慎重に甲羅を分解した。大きな板状の部分は胸当てや背当てに、小さな破片は継ぎ手や装飾に使用できる。


この技術も売り物になる


咬鉄亀の甲羅加工は高度な専門技術を要求される。一般の鍛冶屋では対応できない分野であり、新たなビジネス機会となる可能性があった。


石切り場での作業を終えたクラルは、翌日王都に戻った。ギルドで討伐完了の報告を行い、報酬の金貨30枚を受け取る。


「見事な単独討伐でしたね」


マリアは感心した様子で称賛した。「咬鉄亀を一人で倒すなんて、滅多にないことです」


「運が良かっただけです」


クラルは謙遜したが、内心では大きな手応えを感じていた。叩鉄棒による戦術の有効性が実証され、同時に魔獣素材の活用という新たな収入源も発見できた。


今回の依頼での収穫

- 討伐報酬:金貨30枚

- 咬鉄亀の肉:金貨5枚相当(食費節約+販売可能)

- 甲羅素材:金貨20枚相当(防具製作用)

- 実戦データ:叩鉄棒の有効性実証


実質的には金貨55枚相当の成果を上げていた。これは冷却装置事業の現在の月間売上を上回る金額だった。


工房に戻ったクラルは、咬鉄亀の甲羅を使った防具の設計を始めた。冷却装置事業の不振により経済的な不安があったが、冒険者業という新たな可能性が見えてきた。


この道も悪くない


叩鉄棒による戦術は完全に成功していた。従来の武器では対処困難な敵も、適切な戦術と武器があれば単独で討伐できる。しかも、鍛冶屋としての知識があることで、魔獣素材を最大限に活用できる。


クラルの頭の中で、新たなビジネモデルが形成されていった。冒険者として魔獣を討伐し、鍛冶屋としてその素材を加工する。一人で完結する垂直統合型の事業構造だった。


工房の片隅に置かれた咬鉄亀の甲羅。それは、クラルの新たな挑戦の始まりを象徴していた。


冷却装置事業での技術的優位性は失われたが、叩鉄棒という独自武器による戦闘力と、鍛冶屋としての専門技術は健在だった。これらを組み合わせることで、全く新しい形の成功を築くことができるかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ