即位8年目:恐れと反発
即位8年目の春、昨年の圧倒的な軍事勝利の影響が、予想外の形でグランベルクに跳ね返ってきた。
「陛下、深刻な問題が発生しています」
エリザベス王妃が憂慮深い表情で、外交報告書を手にしていた。5歳になったアレクサンダー王子は、既に流動重心術を使って50キロの重りを軽々と持ち上げられるようになっていたが、その姿を見た外国の大使が恐怖で青ざめたという。
「どのような問題ですか?」
クラル王が尋ねた。
「周辺諸国の民衆が、我が国民を『異常な存在』として恐れ始めています」
昨年の戦争で、グランベルク軍が一人の死者も出さずに18,000名を制圧したことは、軍事的奇跡として称賛される一方で、民衆レベルでは不気味な恐怖として受け取られていた。
「あいつらは人間じゃない」
王国の酒場で、帰還兵が震え声で語っていた。
「戦場で仲間が倒れても、まったく表情を変えない。まるで機械のようだった」
「敵を殺さないというが、それは慈悲ではない。ただ冷酷に計算しているだけだ」
このような証言が、各国で広まっていった。
実際には、グランベルク兵士たちは高い規律と冷静さを保ちながらも、内心では敵兵への配慮と慈悲に満ちていた。しかし、外から見ると、その完璧すぎる統制が非人間的に映ったのだ。
特に問題となったのは、グランベルクの宗教制度に対する歪曲された理解だった。
「豊穣神クラルの信者は皆、自我を失っている」
神聖教皇国周辺の民衆の間で、このような噂が広まっていた。
「王の命令に絶対服従し、疑問を持つことすらない」
「子供の頃から洗脳され、個性を完全に奪われている」
これらの誤解は、グランベルクの高い社会統合度と住民の満足度を、外部の人々が理解できないことから生まれていた。
最も深刻だったのは、魔獣食文化に対する反応だった。
「あいつらは魔獣を喰らう化け物だ」
各国の民衆の間で、このような恐怖が広まっていた。
「人間の姿をしているが、中身は魔獣と同じ」
「魔獣の肉を食べることで、人間性を失った」
「もはや人間ではない、魔人族だ」
この「魔人族」という呼称は、最初は明らかに蔑称として使われていた。
グランベルク人の外見的変化も、恐怖を増大させる要因となった。
魔獣食による変化
- 皮膚の金属的光沢
- 耳の尖鋭化と延長
- 瞳の鮮やかな色彩
- 身長の増加
- 異常な身体能力
「まるで悪魔のようだ」
初めてグランベルク人を見た他国民が、口々にそう呟いた。
「人間がああなってしまうなんて...」
民衆レベルでの恐怖は、徐々に経済活動にも影響を与え始めた。
「グランベルク製品は買いたくない」
商人の間でも、このような声が聞かれるようになった。
「あの魔人族が作ったものなど、何が仕込まれているかわからない」
実際には、グランベルク製品の品質は世界最高レベルだったが、感情的な忌避感が理性を上回っていた。
各国の外交官も、グランベルクへの派遣を嫌がるようになった。
「魔人族の国に行くなど、正気の沙汰ではない」
王国の外務官僚が本音を漏らしていた。
「帰ってきても、もう人間として見てもらえないかもしれない」
グランベルク国民は、外部からの反応に困惑していた。
「なぜ皆さん、我々を恐れるのでしょうか?」
純華女学院の卒業生が、外国人観光客の減少を心配していた。
「我々は平和を愛し、人々を助けたいだけなのに...」
「魔人族という呼び方も、最初は何のことかわかりませんでした」
工房の職人が困惑して語った。
「確かに魔獣を食べますが、それは健康のためです。人を害するためではありません」
夏になると、グランベルクに対する国際的評価は、さらに複雑になった。
「グランベルクの技術は確かに素晴らしい」
王国の技術者が認めざるを得なかった。
「彼らの農業技術、武器技術、建築技術、すべてが我々を上回っている」
「あの魔人族と戦争になったら、勝ち目はない」
各国の軍人が一致して認めていた。
「18,000の軍勢を3,800で壊滅させるなど、人間には不可能だ」
「グランベルクの文学作品は確かに興味深い」
文化人の間では、このような評価もあった。
「しかし、あの独特な感性は、やはり人間のものではないのかもしれない」
多くの国民が、グランベルクに対して矛盾した感情を抱くようになった。
「能力は認めるが、関わりたくない」
「尊敬はするが、恐ろしい」
「参考にはしたいが、直接接触は避けたい」
このような複雑な感情が、各国で広まっていた。
興味深いことに、エリート層と一般民衆の間で、反応に大きな差があった。
エリート層の反応
- 学者:「研究対象として極めて興味深い」
- 政治家:「実利的な関係は維持したい」
- 軍人:「軍事技術を学びたいが、敵には回したくない」
一般民衆の反応
- 農民:「魔人族は恐ろしい。近づいてほしくない」
- 職人:「技術は欲しいが、直接教わるのは怖い」
- 商人:「商売はしたいが、彼らが来るのは嫌だ」
「このままでは、我々は世界から孤立してしまいます」
クラル王は、深刻な危機感を抱いていた。
「力だけでは、真の平和は築けません」
エリザベス王妃も同じ懸念を抱いていた。
「人々の心に恐怖がある限り、我々の理想は実現できません」
「問題の根本は、相互理解の不足です」
マーガレット統計局長が分析した。
「外部の人々は、我々の真の姿を知らないのです」
「それならば、我々から歩み寄るべきでしょう」
アルフレッド文化振興院長が提案した。
「我々の真の心を、直接伝えに行くのです」
「しかし、どのような方法で?」
エドワード産業大臣が実務的な疑問を呈した。
「現在の状況では、我々が外国に行っても歓迎されないでしょう」
クラル王は、従来の外交とは全く異なるアプローチを考案した。
「我々は、政府として外交するのではなく、個人として人々の心に触れに行きます」
夢見る者よ、外に出よキャンペーンの基本理念
- 政治的な目的を前面に出さない
- 個人的な善意と技術で現地に貢献
- 長期滞在により真の人格を知ってもらう
- 実際の成果で偏見を覆す
- 草の根レベルでの相互理解促進
「夢見る者よ、外に出よ」という名称には、深い意味が込められていた。
- 夢:より良い世界への憧れ
- 者:個人の人格と意志
- 外に出る:安全な内部から危険な外部への勇気ある一歩
派遣される人材には、特別な条件が設定された。
必要な資質
- 高い技術力や専門能力
- 優れた人格と道徳性
- 異文化への適応能力
- グランベルクの真の価値観の体現者
- 個人的魅力とコミュニケーション能力
年齢制限
- 主対象:18歳〜30歳の若者
- 理由:柔軟性と将来性、恐怖感の軽減
若き冒険者
- 目的:各国での冒険者ギルド参加
- 期待効果:実力で偏見を覆す
- 選定基準:戦闘能力+人格の高潔さ
創作者
- 目的:各国での文化活動参加
- 期待効果:グランベルク文化の真の魅力伝達
- 選定基準:創作能力+表現力
教師・学者
- 目的:各国での教育・研究活動
- 期待効果:知識の共有と相互学習
- 選定基準:専門知識+教育技術
医師・治療師
- 目的:各国での医療支援
- 期待効果:人道的貢献による印象改善
- 選定基準:医療技術+献身的精神
技術者・職人
- 目的:各国でのインフラ支援
- 期待効果:実用的貢献による評価向上
- 選定基準:技術力+協調性
厳格な選考を経て、第一期派遣者200名が選定された。
冒険者部門(50名)
代表例:エリック・ハートブレイド(20歳・男性)
- 出身:聖鉄規訓院第三期卒業生
- 実力:Aランク相当
- 特技:防御魔法と治癒術
- 人格:正義感が強く、弱者を守ることに情熱を注ぐ
- 派遣先:王国辺境の冒険者都市
「僕は強さを見せつけるために行くのではありません」
エリックは出発前に語った。
「困っている人を助け、仲間と協力する。それがグランベルクの冒険者の真の姿だということを、実際に見てもらいたいのです」
創作者部門(40名)
代表例:ルナ・ムーンライト(22歳・女性)
- 出身:純華女学院卒業生
- 専門:詩と音楽
- 作風:自然と愛をテーマにした叙情的作品
- 人格:優しく繊細、他者の感情に敏感
- 派遣先:ノルディア公国の文化都市
「私の詩や歌で、グランベルクの人々の心を伝えたいのです」
ルナは美しい声で語った。
「私たちも同じ人間です。愛し、悲しみ、喜ぶ、普通の心を持っているのです」
医師部門(60名)
代表例:ダニエル・ライフセイバー(25歳・男性)
- 出身:王国医学院→グランベルク研修
- 専門:外科手術と回復魔法の融合技術
- 実績:慈愛の家での研修経験
- 人格:患者第一の献身的精神
- 派遣先:エスタン自由都市の貧民区
「医療技術に国境はありません」
ダニエルは確信を込めて語った。
「病気に苦しむ人を救うことで、心と心が通じ合えると信じています」
技術者部門(50名)
代表例:マリア・ブリッジビルダー(24歳・女性)
- 出身:工房技術者第二世代
- 専門:橋梁・道路建設技術
- 実績:グランベルク国内インフラ整備主任
- 人格:完璧主義者だが協調性も高い
- 派遣先:ウェスタン領邦の山間部
「良い道路や橋は、人々の生活を豊かにします」
マリアは設計図を見ながら語った。
「私たちの技術で、現地の人々の暮らしが少しでも良くなれば嬉しいです」
派遣者たちは、6ヶ月間の特別研修を受けた。
研修内容
- 異文化理解と適応訓練
- 外交マナーと国際礼儀
- 現地語の習得
- 緊急時対応訓練
- グランベルク文化の正しい説明方法
「皆さんは、グランベルクの代表です」
クラル王が研修の締めくくりで訓示した。
「しかし、政治的な使命を背負っているのではありません」
「あなたたち個人の人格と能力で、人々との真の友情を築いてください」
派遣者の心構え
- 謙虚さを忘れない
- 現地の文化を尊重する
- 見返りを求めない奉仕
- 個人的な友情を最優先
- グランベルクの強制はしない
冬の終わり、第一期派遣者200名が、それぞれの目的地に向けて出発した。
出発式でのクラル王の言葉
「あなたたちは武器を持たない戦士です」
「偏見という敵と戦い、理解という勝利を目指してください」
「そして何より、あなたたち自身が幸せになり、現地の人々も幸せにしてください」
アレクサンダー王子(5歳)も、派遣者たちを見送った。
「みんな、がんばって!お友達をたくさん作ってね!」
その純真な声援に、派遣者たちは涙を浮かべながら手を振った。
派遣者たちの出発を、グランベルク国民全体が温かく見送った。
「頑張って、私たちの本当の姿を伝えてきて」
「きっと素晴らしい友達ができるわ」
「技術を教えて、現地の人たちに喜んでもらって」
国民たちの期待と愛情が、派遣者たちの背中を押していた。
派遣者たちには、多くの困難が予想されていた。
- 現地での偏見と差別
- 言語と文化の壁
- 孤立感と郷愁
- 安全面でのリスク
- 成果が出るまでの長い時間
しかし、同時に希望もあった。
- 派遣者たちの高い能力と人格
- グランベルクの技術や文化の魅力
- 人間同士の本質的な理解の可能性
- 若い世代の柔軟性
- 時間をかけた草の根交流の力
即位8年目は、グランベルクにとって新たな挑戦の年となった。
年間の変化
- 春:外部からの恐怖と忌避の表面化
- 夏:尊敬と恐怖の複雑な関係の発達
- 秋:危機感と新戦略の策定
- 冬:「夢見る者よ、外に出よ」キャンペーンの開始
「魔人族」という呼称の将来
「魔人族」という呼称は、最初は明らかに蔑称だった。しかし、クラルは長期的な視点で、この呼称を肯定的なものに変える可能性を見ていた。
「言葉の意味は、使う人の心によって決まります」
クラルは年末演説で語った。
「『魔人族』が恐怖の対象ではなく、尊敬と憧れの対象になる日が来ることを信じています」
従来の外交から文化外交へ
グランベルクの外交戦略は、根本的に転換された。
従来の外交:政府対政府の公式関係
新しい外交:個人対個人の人間関係
「真の平和は、条約ではなく友情から生まれます」
エリザベス王妃の言葉が、新戦略の本質を表していた。
長期的な視点での取り組み
「夢見る者よ、外に出よ」キャンペーンは、短期的な成果を期待するものではなかった。
- 第一期派遣者の活動期間:最低3年
- 成果の評価:5年後から本格化
- 完全な成功:10年程度の長期計画
「急いては事を仕損じます」
クラル王は長期的視点を強調した。
「時間をかけて、一人一人の心に触れていくことが大切です」
こうして、即位8年目は「恐怖から理解への転換点」として記録され、グランベルクが新たな外交戦略により、世界との真の共存を目指し始めた歴史的な年となった。
200名の「夢見る者」たちの勇気ある一歩が、やがて世界を変える大きな流れの始まりとなるのである。




