即位6年目:緊張と工作
即位6年目の春、グランベルク王国に新たな脅威が忍び寄っていた。それは軍事的侵攻ではなく、より巧妙で陰湿な文化工作だった。
「陛下、深刻な問題が発生しています」
ソーン・ナイトホーク警備主任が、緊急報告のため王宮に駆け込んできた。3歳になったアレクサンダー王子は、既に父と同じ流動重心術の初歩を習得し始めており、小さな木製の剣を軽やかに振り回していた。
「過去3ヶ月間で、異常に多くの『文化人』がグランベルクに移住を申請しています」
ソーンは資料を広げながら説明した。
「作家、詩人、画家、音楽家、教育者、宗教学者...一見すると我が国の文化政策に魅力を感じた優秀な人材のようですが...」
クラル王は眉をひそめた。「しかし?」
「全員が妙に統制の取れた行動を見せています。まるで事前に打ち合わせをしているかのような」
マーガレット統計局長の詳細調査により、移住申請者たちの正体が徐々に明らかになった。
「彼らは各国から派遣された工作員です」
マーガレットは深刻な表情で報告した。
工作員の出身地
- 王国中央政府:15名(官僚・軍人の偽装転職)
- 近隣小国連合:12名(各国の情報部員)
- ノーザンベルク公国残党:8名(復讐目的の工作員)
- イースタンベルク領邦:6名(技術盗用目的)
- サウザンベルク自治区:4名(文化侵食工作員)
- その他偽グランベルク残党:3名(各種工作員)
「特に悪質なのは、彼らが本物の文化人を装うため、実際に一定の才能を持っていることです」
シルヴィア・ポイズンペン(偽装小説家)
王国中央政府から派遣された30代の女性工作員。表向きは恋愛小説家として活動していた。
「彼女の作品は確かに一定の水準にあります」
アルフレッド文化振興院長が困惑して報告した。
「しかし、内容に微妙な思想誘導が含まれています」
シルヴィアの工作内容
- 恋愛小説を通じた価値観の歪曲
- 「自由恋愛こそ真の愛」という西欧的価値観の植え付け
- グランベルクの統制婚姻制度への不満の醸成
- 「個人の自由」を重視する思想の拡散
- 読者サークルを通じた組織的な思想工作
「表面的には娯楽作品ですが、読み続けるうちに無意識に価値観が変化するよう巧妙に設計されています」
ガルス・リベンジャー(ノーザンベルク残党)
崩壊したノーザンベルク公国の元軍人。表向きは歴史学者として潜入していた。
「彼は『正統なグランベルク研究』を名目に、住民から聞き取り調査を行っています」
ソーンが報告した。
ガルスの工作内容
- 「本物のガルス男爵こそが真の豊穣神」という偽情報の拡散
- グランベルクの魔獣食技術の盗用と改良計画
- 住民の不満分子の発掘と組織化
- 「ノーザンベルク復活」への協力者の勧誘
- 軍事施設や防衛体制の偵察活動
ブルーノ・テックスパイ(イースタンベルク工作員)
イースタンベルク領邦から派遣された技術者偽装の工作員。
「彼は『技術交流』を名目に、我が国の工房に接近しています」
エドワード産業大臣が警戒感を示した。
ブルーノの工作内容
- グランベルクの製造技術の盗用
- 流動重心術の原理解明と模倣
- 魔獣食加工技術の情報収集
- 武器製造プロセスの詳細調査
- 技術者の引き抜き工作
夏至の夜、工作員たちがついに正体を現した。
「グランベルクの民よ!」
シルヴィア・ポイズンペンが文化サロンで立ち上がり、約200名の参加者に向かって叫んだ。
「今こそ真の自由を取り戻す時です!」
クーデターの目標
1. 王宮の占拠と「独裁者クラル」の排除
2. 統制婚姻制度の廃止宣言
3. 宗教的強制の禁止
4. 「自由グランベルク共和国」の樹立
5. 各国への「解放」の知らせ
しかし、工作員たちは致命的な誤算をしていた。
「何を言っているのですか?」
文化サロンに参加していたエミリー・ブレイブソード(旧ピュアハート)が、困惑した表情で立ち上がった。
「クラル様は独裁者ではありません。私たちを愛し、守ってくださる真の神様です」
約50名の工作員が武力行使に移ったが、グランベルク住民の圧倒的な力の前に、わずか30分で完全制圧された。
制圧の結果
- 工作員の死者:0名(住民が手加減したため)
- 工作員の負傷者:45名(軽傷から中等度の骨折まで)
- 住民の死傷者:0名(全員が軽々と攻撃を回避)
- 制圧時間:30分
「まあ、お疲れさまでした」
エミリーが気絶した工作員たちに毛布をかけながら言った。
「目が覚めたら、美味しいお茶でもお出ししますね」
クーデター未遂事件を受けて、クラル王は重要な決断を下した。
「当面の間、新規移住者の受け入れを停止します」
停止の理由
- 工作員の完全な識別が困難
- 住民の安全確保が最優先
- 文化工作への対抗策確立の時間確保
- 国防体制の見直しと強化
「しかし、真に救いを求める人々を見捨てるわけにはいきません」
エリザベス王妃が人道的観点から提案した。
「グランベルク国境外に仮設住居を設置し、審査期間中の住居を提供しましょう」
仮設住居計画
- 設置場所:グランベルク国境から2キロメートル外
- 収容人数:500名(段階的拡張可能)
- 施設内容:基本的住居、食堂、医療施設、教育施設
- 審査期間:最低6ヶ月、最大2年
- 管理体制:グランベルク政府の直接管理
グランベルクのクーデター制圧があまりにも容易だったことは、周辺諸国に深刻な衝撃を与えた。
「グランベルクの軍事力は我々の想像を遥かに超えている」
近隣小国ヴェルザンの国王ルドルフ三世が、緊急会議で発言した。
「一般住民でさえ、我々の精鋭工作員を圧倒した。これは国家存亡の危機だ」
12月、ついに「反グランベルク同盟」が正式に結成された。
同盟参加国
- ヴェルザン王国(人口3万、農業国)
- ノルディア公国(人口2万、商業国)
- エスタン自由都市(人口1.5万、職人都市)
- ウェスタン領邦(人口2.5万、牧畜国)
- 復活ノーザンベルク公国(人口8千、軍事国)
- 新生イースタンベルク王国(人口1万、工業国)
軍事的包囲網
「グランベルクを軍事的に包囲し、拡張を阻止します」
同盟軍事委員長に就任したノーザンベルクのガルス・ジュニア(旧ガルス男爵の息子)が計画を発表した。
軍事戦略
- 6カ国でグランベルクを地理的に包囲
- 総兵力:約15,000名(各国2,500名平均)
- 武器:王国から購入した最新装備
- 戦術:消耗戦による長期戦
- 目標:グランベルクの「正常化」
神聖教皇国では、グランベルクに対する複雑な宗教的判断が下されていた。
「豊穣神クラル信仰は確かに異教である」
教皇庁神学審議会議長のカーディナル・プラグマティックが慎重に発言した。
「しかし、彼らは我々に害をもたらしていない」
教皇国の基本認識
- グランベルクは異教徒国家である
- しかし、攻撃的でも侵略的でもない
- 住民は平和で道徳的な生活を送っている
- キリスト教への積極的な迫害は行っていない
- 軍事的に対抗することは現実的でない
「むしろ問題なのは、偽グランベルク諸国である」
教皇ピウス・ザ・ジャスト(前教皇より穏健派)が重要な判断を下した。
「ノーザンベルク、イースタンベルク、サウザンベルクの諸国は有害異教徒である」
教皇庁異端審問所長のカーディナル・インクイジションが厳格に宣言した。
有害異教徒認定の根拠
- 住民への実害(毒殺、強制労働、文化破壊)
- 社会秩序の破壊と混乱の誘発
- 偽神による悪魔的支配
- 近隣諸国への害悪の拡散
- 真の神への冒涜行為
「これらの偽神どもは、神の名を騙る悪魔の手先である」
「有害異教徒は駆逐されなければならない」
教皇が重大な決断を下した。
「神聖なる十字軍を編成し、偽神の巣窟を浄化する」
聖戦準備の内容
- 十字軍騎士団の編成:3,000名
- 聖職者戦闘部隊の創設:800名
- 宗教的武器の開発:聖水砲、十字剣等
- 対象:偽グランベルク諸国のみ
- グランベルクは対象外(非侵略異教徒として容認)
「我々の敵は偽神を崇める者どもであり、真のグランベルクではない」
教皇国とグランベルクの間には、微妙な相互理解が成立していた。
教皇国の本音
- グランベルクとの戦争は勝算なし
- 平和的な異教徒なら放置可能
- 有害な偽グランベルクこそ真の敵
グランベルクの対応
- 教皇国への敵意は示さない
- 宗教的論争は避ける
- 相互の領域不侵犯を尊重
- 人道的協力は継続
- 偽グランベルク問題では事実上の共通利益
「我々は争いを望まない平和的な隣人として、互いを尊重しましょう」
エリザベス王妃が外交的配慮を示した。
これらの脅威を察知したクラル王は、「防衛用」として軍備の大幅拡張に踏み切った。
「我々は平和を愛していますが、侵略者には断固として対処します」
レイモンド聖鉄規訓院院長が軍事改革を発表した。
新軍事組織:グランベルク神聖防衛軍
部隊構成
- 神聖近衛隊:500名(全員Sランク以上)
- 精鋭歩兵団:2,000名(全員Aランク以上)
- 魔獣騎兵隊:800名(魔獣騎乗部隊)
- 工作技術隊:300名(工房技術者の軍事転用)
- 神域守護隊:200名(特別な子供たちの護衛)
「すべて防衛目的です」
クラルは強調した。
「しかし、我が国民の生命と財産、そして神域の神聖さを守るためには、相応の備えが必要です」
エドワード産業大臣の指導の下、軍事技術の革新が進められた。
新兵器開発プロジェクト
- 神聖武器シリーズ:神域の加護を込めた武器群
- 超重量兵器:流動重心術対応の大型武器
- 魔獣召喚装置:戦闘用魔獣の制御システム
- 神域拡張装置:加護の範囲を戦術的に拡大
- 浄化兵器:敵の思想工作を無効化
「全住民が祖国防衛の責任を負います」
マックス・ヤングブレイド(現在20歳、防衛軍指導教官)が新制度を説明した。
住民皆兵制度の内容
- 16歳以上の全住民が基礎軍事訓練を受講
- 月1回の定期訓練への参加義務
- 緊急時の動員システムの確立
- 各地区に武器庫と指揮所の設置
- 女性も後方支援部隊として参加
「ただし、これは侵略のためではありません」
クラルは平和的意図を強調した。
「我々の豊かで平和な生活を守るための、純粋に防衛的な措置です」
6年目の終わりに、国際情勢は複雑な三つ巴の様相を呈していた。
反グランベルク同盟
- 構成:6カ国の小国連合
- 兵力:15,000名
- 目標:グランベルクの「正常化」
- 戦術:包囲・消耗戦
神聖教皇国十字軍
- 構成:騎士団3,800名
- 目標:有害異教徒(偽グランベルク諸国)の駆逐
- 対グランベルク:事実上の不可侵
- 戦術:宗教的浄化戦争
グランベルク王国
- 構成:神聖防衛軍3,800名
- 目標:平和と国土防衛
- 戦術:超人的能力による圧倒的防衛
「来年は建国以来最大の危機ですが、同時に最大の機会でもあります」
マーガレット統計局長が分析した。
複雑な利害関係
- 教皇国と同盟の目標は部分的に重複
- グランベルクと教皇国は事実上の相互不侵犯
- 偽グランベルク諸国は四面楚歌
- 王国政府は様子見の中立維持
「三つ巴の戦いになれば、我々にとって有利な展開も考えられます」
年末の演説で、クラル王は国民に向けて重要なメッセージを送った。
「我々は平和を愛し、誰とも争いたくありません」
「しかし、我々の生活、我々の価値観、我々の愛する人々を脅かす者があれば、断固として立ち上がります」
「神域の加護を受けた我々には、この美しい国を守り抜く力があります」
「そして何より、正義は我々の側にあります」
豊穣神クラル慈愛の家では、特別な子供たちが平和を祈っていた。
「戦争になったら、たくさんの人が悲しむよね」
アンナ・エターナルペースが、淡い光を放ちながら呟いた。
「僕たちの力で、みんなを守れないかな」
マーク・ディヴァインチャイルドが純真な瞳で言った。
「神様がついていてくださるから、きっと大丈夫」
リリー・セラフィックウィングスが光の翼を広げながら微笑んだ。
こうして、即位6年目は「緊張と工作の年」として記録され、グランベルク王国は建国以来最大の外的脅威に直面しながらも、内部結束を固め、来るべき試練に備える体制を整えた一年となった。
嵐の前の静けさの中で、真の試練は翌年に待ち受けていた。




