盤上の遊戯140:穢れた天使の誕生
融合の果て
魂魄融合という、神をも恐れぬ冒涜的な儀式が終わった後、実験室の中央で輝いていた光の奔流が、ゆっくりと収束していった。後に残された静寂の中で、その融合は、誰の予想をも超える、おぞましくも美しい結果を生んだことを、その場にいたアスモデウスとベリアルは悟った。
そこに立っていたのは、もはや「紫の帳の娘」という、ただ憎悪を撒き散らすだけの不定形な黒い影ではなかった。
彼女は、その黒い影の姿から、純白のシルクを幾重にも重ねたような、しかし所々が焼け焦げ、引き裂かれた痛々しいドレスを纏い、その背中には、右肩からだけ生えた、鴉の濡れ羽色のような片翼だけの黒い翼を持つ、「堕天使」のような姿へと変貌していた。
腰まで伸びた銀灰色の髪は、かつてのアシェルを彷彿とさせたが、その瞳は、見る者の魂を凍てつかせるほどに異様だった。右目は、アシェルの根源的な悲しみを湛えた、深い絶望の赤黒い色。そして左目は、熾天使ガブリエルの秩序を渇望する、氷のように冷たい青色。二つの全く異なる絶望が、一つの顔の中で万華鏡のように混じり合う、異様なオッドアイとなっていた。
哲学的なテロリストの誕生
彼女の魂には、アシェルの根源的な「拒絶された悲しみ」と、ガブリエルの絶対的な「秩序への渇望」が、最も歪んだ形で併せ持たれていた。その結果、彼女の行動原理は、もはや単なる人間への個人的な憎悪ではない。より哲学的で、より根源的で、そしてそれ故に、より危険なものへと進化していたのだ。
『……なぜ、世界は、これほどまでに不完全なのだ……』
その口から漏れた最初の言葉は、声ではなかった。それは、直接魂に響く、冷たい問いかけだった。
『悲しみがある。苦しみがある。裏切りがある。そして、救いもない。神は沈묵し、秩序は敗北した。……ならば』
彼女のオッドアイが、アスモデウスを捉えた。
『この、神に見捨てられた不完全な世界そのものを、争いも悲しみもない、完璧で、永遠の『無』へと導き、『救済』する。それこそが、唯一残された、絶対的な正義ではないのか』
<h3> **最高傑作への賛辞、そして命名** </h3>
「……素晴らしい……。ハハハ、実に素晴らしいぞ!」
**アスモデウスは、自らの手で生み出したこの美しくも禍々しい「最高傑作」**の、その完璧なまでに歪んだ論理に、腹を抱えて笑った。
「君はもはや、ただ過去の悲劇を嘆き悲しむだけの怨念ではない!自らの意志で、世界を終わらせるという、崇高な使命を見出した、悲劇と秩序の女神だ!」
彼は、恭しく、そして芝居がかった仕草で、その新しい存在にひざまずいた。
「君に、新しい名を与えよう。神が最初に創り、そして自らの意志で楽園を去ったという、伝説の最初の女性の名を。――**『リリス』**と」
第三勢力の独立
「リリス」と名付けられた堕天使は、アスモデウスを一瞥すると、その表情に何の感情も浮かべぬまま、その黒い片翼をゆっくりと広げた。彼女は、もはや誰の駒でもない。アスモデウスの支配さえも、彼女の新しい「正義」の前では、浄化すべき不完全さの一つに過ぎない。
彼女は、何も言わずに、実験室の厚い壁を、まるで幻のようにすり抜けて、外の世界へと飛び去っていった。彼女は、自らの、歪んだ救済の教義を世界に広めるため、アスモデウス軍にも、サタン軍にも属さない、第三の絶対悪の勢力として、単独で行動を開始したのだ。
アスモデウスは、その反抗的ですらある独立の意思を、むしろ愉しむかのように、満足げに見送った。
「行け、我が愛しきリリスよ。この退屈な世界の終焉を、最も美しく飾るがいい。お前という、予測不能な女優が加わったことで、この戯曲は、いよいよ最高潮を迎えるわ」
アシェルの成れの果てが、新たな、そしてより高次の脅威へと進化した。
こうして、地上の勢力図は、再び塗り替えられた。純粋な破壊を求めるサタン、知的な遊戯を求めるアスモデウス、そして、歪んだ救済を求めるリリス。
物語は、新たな三つ巴の地獄の構図へと再編されることを、ここに暗示した。それぞれの正義(悪意)が、世界の終焉というただ一つの結末を目指して、互いに喰らい合う、最後の、そして最も壮絶な戦いの幕が、今、切って落とされたのである。




