天魔大戦132:アスモデウスの策謀
「――全軍、第一波、突撃を開始せよ」
万魔殿の玉座から放たれるアスモデウスの思念は、氷のように冷徹だった。その命令の対象は、彼の忠実な悪魔の眷属たちではなかった。その矛先が向けられたのは、一時的な協力関係にあるはずの、「紫の帳の娘」が率いる、数百万の怨念の魔物たちだった。
「進め、悲しみの軍勢よ。お前たちの無念の叫びこそが、天の偽善を打ち砕く、最初の鉄槌となるのだ」
その、英雄を鼓舞するかのような言葉とは裏腹に、アスモデウスの戦略は、冷酷を極めていた。彼は、**数的優位にある怨念の魔物たちを、躊躇いなく「最高の肉壁」**として、天使軍が守る「光の要塞」の正面へと送り込んだのである。
『『『オオオオオ……』』』
怨念の魔物たちは、アスモデウスの魔力による緩やかな支配の下、自らの意志とは無関係に、まるで引き潮に引かれる砂のように、光の要塞へと殺到していく。
「――迎撃せよ」
光の要塞の城壁で、熾天使ミカエルが静かに命じた。次の瞬間、要塞の至る所から、数千条もの浄化の光線が、一斉に放射された。
天使たちが放つ強力な浄化の光を、怨念の魔物たちは、その半透明な身体を以て受け止めさせられ、消耗させられていく。
『ぎゃあああああああああっ!』
『熱い……!魂が……焼ける……!』
光に触れた怨念たちは、まるで陽光に晒された霧のように、悲鳴を上げながら、一瞬にして蒸発し、消滅していく。その光景は、あまりにも一方的で、あまりにも無慈悲な虐殺だった。数万、数十万の魂が、ただ数分間のうちに、光の中へと還っていく。
弾除けの裏の計算
だが、アスモデウスは、その地獄絵図を、微塵の動揺も見せずに見つめていた。
「……素晴らしい。実に効率的だ」
怨念の魔物たちが光の奔流に焼かれ、悲鳴を上げて消滅していく、その背後。遥か後方で、アスモデウスの精鋭悪魔部隊は、傷一つ負うことなく体力を温存し、別の作業に集中していた。
「ベリアルよ、解析は進んでいるか?」
「はっ、我が主よ。ただいま、光の要塞のエネルギーフィールドの構造をスキャン中。……見つけましたぞ。第七城壁、第三ブロック。ほんの僅かですが、エネルギーの循環に『揺らぎ』が存在します。怨念どもの精神攻撃が、結界術師の集中力を僅かに乱したようです。そこが、僅かな弱点です!」
ベリアル率いる解析部隊は、怨念たちが命がけで作り出した、ほんの一瞬の「隙」を、決して見逃さなかった。
怨念たちにとっては地獄の消耗戦も、アスモデウスにとっては、敵の巨大な防御システムを正確に解析するための、最も効率的な「弾除け(デコイ)」に過ぎなかったのである。
「よし。マルファスよ」
「御意!」
「第一波の怨念が全滅すると同時に、第二波を投入。さらに精神攻撃を集中させ、結界の揺らぎを増幅させろ。そして、揺らぎが最大に達した瞬間……」
アスモデウスは、後方に控える、自らの直属の精鋭部隊――かつて七つの大罪と呼ばれた悪魔たち(ただし今は彼の配下)――へと、視線を向けた。
「……お前たちの出番だ。あの亀裂を、こじ開けろ」
非情なる戦略家
アスモデウスが、共闘相手であるはずの怨念の魔物さえも、目的のためならば躊躇なく使い潰す、冷徹な駒として利用していること。その非情な戦略は、戦況を静かに、しかし確実に、悪魔軍の有利へと傾けていた。彼の悪辣さと、勝利への執念は、敵に対してだけでなく、味方(と見なしているだけの存在)に対してさえも、容赦なく発揮されるのだ。
「……なんという、采配……」
彼の指揮を間近で見ていたインキュバスの長老ゼパルは、畏怖に震えていた。かつての純粋な悪の王だったアスモデウスは、クラルという人間の魂を取り込むことで、より狡猾で、より計り知れない、真の「魔王」へと変貌を遂げていたのだ。
物語の混沌は、彼の、この計算され尽くした悪意によって、さらにその深みを増していく。光の要塞が、ついにその鉄壁の守りに、最初の亀裂を入れられようとしていた。




