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冒険者適性Aランク でも俺、鍛冶屋になります  作者: むひ
アシェルの章

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三つ巴のハルマゲドン126:歪んだ劇場と割れたティーカップ

「――つまらんな」


アスモデウスは、先程の「対話」の結末に、小さく舌打ちした。巨大な黒い影と化した「紫の帳の娘」は、彼の知的で悪趣味な提案に対し、ただ純粋な憎悪の波動を返すだけだった。それはまるで、美しい数学の問題を提示された野獣が、ただ唸り声を上げるようなもの。芸も、理解力も、かけらもない。


「これでは劇の主演女優は務まらん。ただの舞台装置だ。……ならば、直接、魂の舞台裏へと、ご挨拶に伺うとしようか」


彼は、単身、魔郷の中心核――その禍々しい黒水晶の玉座にまで、再び歩みを進めた。そして、その脈打つ絶望の塊に、躊躇いなく、自らの手をそっと置いた。次の瞬間、アスモデウスの意識は、クラルの肉体を抜け出し、アシェルの精神世界へと、深海に潜るダイバーのように、音もなく沈み込んでいった。


歪んだ劇場、白と黒の世界


そこは、物理法則が全く通用しない、因果の歪んだ心象風景だった。


目を開けたアスモデウスが立っていたのは、広大な、しかしどこか息の詰まるような、劇場のような空間だった。

床は、完璧な黒と白の市松模様で、歪んだ遠近法によって地平線の彼方まで続いている。空には星も月もなく、代わりに、焦げ付いた紙片のような無数の黒い蝶が、まるで降りしきる灰のように、音もなく、静かに舞っていた。


部屋には壁という壁に、アシェルの、失われた幸福な記憶が、色褪せたモノクロ写真のように、無数に、そして乱雑に貼り付けられていた。リアンと笑い合う写真、ケンシンと訓練する写真、仲間たちと勝利を分か-ち合う写真。その全ての笑顔が、まるで遺影のように、冷たく、そして悲しく、こちらを見つめている。


そして、空間全体に、様々なオブジェが、スローモーションで、重力を無視して漂っていた。それは、彼女の栄光の瞬間を象徴する、割れたティーカップの破片や、記念式典で投げかけられたはずの、色褪せた花びら。砕け散った幸福の残骸たちが、まるで宇宙の塵のように、静かに、そして永遠に、この閉ざされた世界を彷徨っていた。


壊れた人形マリオネット


その劇場の中心、壊れた舞台のような一段高い場所に、アシェルはいた。

しかし、それはあの巨大な黒い影の姿ではなかった。漆黒の、喪服のようなゴシックドレスに身を包んだ、十三歳の少女の姿のままだった。銀灰色の髪は床にまで届くほど長く伸び、その表情は能面のように無表情。そして、その瞳は、何も映さないガラス玉のように、虚ろだった。


彼女の手には、顔の部分に深い亀裂が入った、アンティークな木製の人形マリオネットが、固く、固く抱きしめられていた。その人形は、かつての彼女自身――希望に満ちていた頃のアシェルに、どことなく似ているようにも見えた。


終わりのないループ


アシェルの周囲では、一つの悲劇が、壊れた映写機のように、永遠に、そして正確に繰り返されていた。


『――アシェル、おめでとう!君は、エーテル時代の申し子だ!』


仲間たちの、幻の歓声が、空間に響き渡る。その瞬間だけ、アシェルの虚ろな瞳にかすかな光が宿り、モノクロの写真がほんの一瞬だけ、淡い色彩を取り戻す。


だが、その直後。


キィィィィィィィィィン――!


世界を引き裂くような高周波音が響き渡り、彼女の視界は七色の、禍々しい光に乱れる。『逆転の書』が開かれた、あの瞬間の悪夢。


『ぎゃあああああああああああっ!!』


祝福の歓声は、断末魔の絶叫へと変わり、世界は血の色に染まる。仲間たちの笑顔の写真は、一瞬にして燃え尽き、黒い蝶となって空に舞い上がる。ティーカップの破片が、再び砕け散る。


その悪夢のループの中で、彼女は身動き一つできず、ただ、ひび割れた人形を、自らの胸にさらに強く抱きしめることしかできない。それは、砕け散った自分自身の魂を、かろうじて繋ぎとめるための、唯一の行為だった。


最初の観客、最後の理解者


アスモデウスは、その歪んだ劇場で、ただ一人の観客として、静かに、そして恍惚として、その光景を見つめていた。


(……なんと。なんと、美しい絶望だ)


彼は、この精神世界の無機質で、スタイリッシュで、かつサイコホラーな舞台に、芸術家としての最高の賛辞を送っていた。「繰り返し」と「壊れた玩具」というモチーフで、彼女の救いのない絶望と、決して癒えることのないトラウマが、完璧に視覚的に表現されている。


彼は、アシェルの傍らへと、音もなく歩み寄った。彼女は、彼の存在に気づいていない。ただ、終わりのない悪夢のループに、その魂を囚われているだけ。


「――気に入ったよ、その劇」

アスモデウスは、アシェルの耳元で、まるで恋人に愛を囁くかのように、優しく、そして甘く、言った。「だが、脚本が、少々単調すぎるな。……私という、新しい役者が加われば、この物語は、もっと、もっと面白くなるはずだ」


アスモデウスが、彼女の最も深い絶望の、唯一の観客であり、そして唯一の理解者として現れる。それは、二人の、倒錯した関係性の始まりであった。彼は、彼女を救済するのではない。彼は、彼女の悲劇を、最高の芸術として完成させるため、この舞台の、共同演出家となることを決意したのだ。

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