三つ巴のハルマゲドン120:悪魔の戦略
「――興味深い。実に、興味深い」
混沌の極みに達した戦場で、ただ一人、万魔殿の玉座から戦況を冷静に分析していたアスモデウスは、呟いた。彼の深紅の瞳は、怨念の魔物でも、サタンの軍勢でもない、ただ一点――空に浮かぶ天使の軍勢に向けられていた。
天使たちの戦闘能力は、確かに驚異的だった。一体一体がAランクの上級悪魔に匹敵し、その完璧に統制された陣形は、いかなる物理攻撃も魔法攻撃も寄せ付けない。正面からの戦闘では、たとえ我が悪魔軍の全勢力を以てしても、天使軍に分が悪いことを、アスモデウスは瞬時に判断していた。
しかし、彼は同時に、天使たちが持つ、致命的な弱点をも見抜いていた。
「……完璧すぎるのだよ、彼らは」
アスモデウスは、隣に控える知恵の悪魔ベリアルに語りかけた。
「見たまえ、ベリアル。奴らの動きは、まるで精密な機械のようだ。一切の無駄がなく、一切の感情の揺らぎもない。それは確かに美しいが……」
彼の口元に、 predatory (捕食者の) 笑みが浮かんだ。
「……それ故に、あまりにも予測可能だ」
天使の『完璧さ』に潜む、『融通の利かなさ』という弱点。アスモデウスは、そこに勝機を見出したのだ。
秩序のアルゴリズム解析
「ベリアルよ」
アスモデウスは配下のベリアルに命じた。「全観測クリスタルを、天使軍の指揮系統の解析に集中させろ。ミカエルとかいう、あの無表情な隊長から、末端の兵士一人一人に至るまで。彼らの思考パターンと行動原理、『秩序』のアルゴリズムを、完全に解析するのだ」
「御意」
ベリアルは、その悪魔的な知性をフル回転させ、観測を開始した。彼の脳内には、天使軍の動きが、膨大なデータとなって流れ込んでくる。
数時間の観測の後、ベリアルは驚くべき分析結果をアスモデウスに報告した。
「……閣下。判明いたしました。彼らの行動は、常に三つの絶対的な優先順位に基づいて決定されています」
【天使の行動アルゴリズム】
優先順位1:自己(及び味方天使)の損耗率を0%に維持すること
優先順位2:指揮官からの命令を、寸分の狂いもなく実行すること
優先順位3:最も効率的かつ合理的な手段で、「穢れ」を排除すること
「素晴らしい……!」アスモデウスは手を叩いた。「つまり、彼らは『自らが傷つく可能性』や、『命令に背くこと』を、何よりも恐れているわけだ。そして、『最も効率的』でない行動は、決して選択しない。……これほど御しやすい相手は、他にいない」
狡猾なるゲリラ戦術
アスモデウスの頭脳は、即座に、その思考パターンの隙を突く、狡猾なゲリラ戦術を編み出した。
「マルファス!」
彼は、戦闘狂の悪魔マルファスを呼び寄せた。
「これより、我が軍の戦術を、正面衝突から非対称戦争へと転換する!」
アスモデウスが指示した戦術は、あまりにも卑劣で、そしてあまりにも効果的だった。
【対天使ゲリラ戦術要綱】
「汚染された盾」作戦:
捕獲した怨念の魔物を「盾」として使い、天使の軍勢へと突撃させる。天使たちは、自らの浄化の光が味方(怨念に取り込まれた元人間)をも傷つけることをためらい、攻撃が一瞬遅れる。その隙を突いて、背後から奇襲をかける。
「矛盾命令」誘発作戦:
ベリアルの幻術を用い、天使軍の指揮官たちに、互いに矛盾する偽の命令を同時に受信させる。例えば、「前進せよ」という命令と「後退せよ」という命令を同時に与える。完璧な命令系統に依存する天使たちは、どちらの命令を優先すべきか判断できず、一時的に行動不能に陥る。その混乱を突き、側面から攻撃する。
「非合理的行動」による攪乱作戦:
アスモデウス配下の下級悪魔を、自爆覚悟で、天使たちの完璧な陣形の、全く戦略的意味のない一点に、ただひたすら突撃させ続ける。天使のアルゴリズムは、この「非効率的」で「無意味」な攻撃の意図を理解できず、最適な対処法を計算するために思考を停止させる。その隙を、主力部隊が叩く。
盤上の揺らぎ
その戦術は、直ちに戦場で実行され、絶大な効果を発揮した。
これまで鉄壁を誇っていた天使の陣形に、初めて、小さな、しかし確実な乱れが生じ始めたのだ。怨念の盾に躊躇い、矛盾した命令に混乱し、インプの自殺攻撃に困惑する。
「……何だ……。この悪魔たちの動きは……。我々の戦術理論に、存在しない……」
天使軍の司令官ミカエルは、初めて、自らの完璧な「秩序」が、予測不可能な「混沌」によって揺さぶられるという、屈辱的な経験をしていた。
アスモデウスの知的で戦略的な悪役としての側面が、再び強調される。彼は、サタンのように力で押すのでも、怨念のように感情に訴えるのでもない。彼は、敵のシステムそのものを理解し、そのルールの中で、相手が最も嫌がる方法で勝利する、究極のゲームプレイヤーなのだ。
この地獄の戦場は、もはや三つ巴ですらなかった。それは、アスモデウスという唯一のプレイヤーが、天使と怨念とサタンという三種類の駒を、互いにぶつけ合い、その過程で生まれる美しい不協和音を愉しむ、壮大な一人芝居の舞台と化していた。物語の混沌は、彼の掌の上で、さらに深まっていく。




