三つ巴のハルマゲドン119:三つの絶対悪
滅びた世界の最後の舞台、旧カストラム廃墟。そこは今、歴史上のいかなる戦争叙事詩も描き得なかったであろう、絶対的な混沌の坩堝と化していた。こうして世界は、怨念(魔物)vs 悪魔 vs 秩序(天使)という、三つの全く異なる理念が激突する、究極の三つ巴の戦場と化したのである。
空では、天使の軍勢が放つ純白の浄化の光と、悪魔たちが放つ禍々しい紫の魔力が衝突し、空全体をオーロラのような、しかしどこまでも不吉な光で染め上げていた。
地上では、実体を持たない怨念の魔物たちが、廃墟の瓦礫の間を霧のように漂い、天使と悪魔、両軍の兵士たちの精神を、無差別に蝕もうと囁きかける。
三竦みの法則
その戦いは、単純な物量や戦力差だけでは決まらない、複雑な三竦みの様相を呈していた。
怨念は、天使の純粋な光に弱かった。天使の放つ神聖なエネルギーは、怨念の核である負の感情を直接中和し、浄化してしまう。光に触れた怨念は、悲鳴を上げる間もなく、霧散していった。
しかし、その悪魔は、天使の絶対的な秩序に、本能的に激しく反発した。天使の機械的な正義と、感情を排した完璧な陣形は、悪魔たちが最も嫌う「退屈」と「束縛」そのものだった。彼らは、戦術的な有利不利を度外返し、ただその秩序を破壊するためだけに、天使の軍勢へと狂ったように突撃していった。
そして、天使は、怨念と悪魔の両方を、等しく宇宙の調和を乱す「穢れ」と見なし、慈悲のかけらもなく、その浄化の光で焼き尽くそうとする。
三つの勢力が、互いの弱点を突き、互いを喰らい合う、終わりなき、そして壮絶な消耗戦が始まったのだ。
劣勢と、起死回生の一手
この混沌の戦場で、最初に劣勢に立たされたのは、「紫の帳の娘」が率いる怨念の魔物たちだった。天使の浄化の光と、悪魔の魂魄攻撃。その両面から攻撃を受け、彼らの数は急速に減少していった。
『……クソ……!このままでは、ただ消えるだけだ……!』
「紫の帳の娘」の魂の最も深い場所。そこに寄生するサイラスの思念が、焦りに満ちた声を上げた。彼は、このままでは自らの存在もまた、光か闇のどちらかによって完全に消滅させられることを悟っていた。
(……こうなれば……最後の、そして起死回生の一手を打つしかない)
劣勢と分かったサイラスの思念は、もはや純粋な憎悪の奔流でしかない「紫の帳の娘」の無意識の奥底に、前回よりもさらに強力で具体的な戦略を、直接囁きかけた。
『……思い出せ、アシェル!お前の魂に刻まれた『逆転の書』の呪詛は、ただ過去に戻るだけのものではない!それは、因果を操る力そのもの!』
『聞け!奴らの力――天使の「秩序」も、悪魔の「混沌」も、全てはこの世界の因果律の上になりたっている!ならば、その土台そのものを、我らの有利なように書き換えてしまえばよいのだ!』
サイラスの囁きは、「紫の帳の娘」の魂に、新たな行動原理を与えた。この世界を見捨てるのではなく、この世界そのものを、自分たちだけが有利に戦える、新しい法則の戦場へと変貌させるという、あまりにも傲慢で、悪魔的な計画だった。
因果律ハッキング
その瞬間、「紫の帳の娘」の行動が、一変した。
彼女は、もはや目前の敵と戦うことをやめた。代わりに、自らの巨大な黒い影の身体の中心で、魔郷に残された全ての死のエーテルを、一点に凝縮させ始めたのだ。
「……何をする気だ……!?」
その異常なエネルギーの高まりを感知した、天使軍のミカエルと、悪魔軍のアスモデウスが、同時に、警戒の視線を彼女に向けた。
「紫の帳の娘」がやろうとしていたのは、この世界の根幹をなす、**物理法則と魔法法則の『ハッキング』**であった。
『――逆転せよ!』
サイラスの思念と、アシェルの怨念が、完全に一つになった。
【第一の改竄:光と闇の反転】
天使が放つ「浄化の光」は、穢れを払うのではなく、怨念を増幅させるエネルギーへと、その性質を強制的に反転させられた。
「なっ……!?我が光が……奴らを、強くしている……!?」ミカエルが驚愕する。
【第二の改竄:魂の質の均一化】
悪魔が魂を喰らおうとしても、その魂はもはや上質なエネルギー源ではなく、**全てが等しく、味のない砂のような『データ』**へと変質させられた。
「……まずい!魂が、まずいぞ!」アスモデウス配下のサキュバスたちが、悲鳴を上げる。
【第三の改竄:悲劇の強制共感】
そして、最も恐ろしい改竄。天使も悪魔も、この領域にいる限り、強制的にアシェルの最初の悲劇――母に憎まれ、父に恐れられ、世界に拒絶された、あの絶望を、無限に追体験させられるようになった。
「う……ぐ……!この、悲しみは……なんだ……!」
感情を持たないはずの天使たちの秩序だった精神が、内側から崩壊を始めた。
「やめろ……!こんな絶望……耐えられん……!」
混沌を愉しんでいたはずの悪魔たちもまた、その根源的な悲しみの前に、戦う意志を失っていった。
物語の構図は、再び、そして最もカオスな状態になった。戦場のルールそのものが、怨念の魔物に絶対的に有利なように書き換えられたのだ。
「クハハハハハハ!」
「紫の帳の娘」の魂の中から、サイラスの、勝利を確信した高笑いが響き渡った。「これで、この世界は我々のものだ!光も闇も、この悲劇の前では、ひれ伏すしかあるまい!」
物語は、三つ巴の戦いから、一つの絶対的な怨念が、全ての法則を支配する、新たな次元の恐怖へと移行した。サイラスの最後の悪あがきは、この世界を、彼とアシェルの、二人だけの、歪んだ遊び場へと、作り変えようとしていた。




