三つ巴のハルマゲドン118:秩序の軍勢
天界から放たれた「浄化の光」は、地獄絵図と化した旧カストラムの戦場に、一瞬の、しかし絶対的な静寂をもたらした。サタン軍の破壊活動も、怨念の魔物たちの悲痛な囁きも、アスモデウスの悪趣味な観劇さえも、その圧倒的な光の奔流の前では、意味をなさなかった。
そして、光の中から、彼らは姿を現した。
それは、いかなる神話にも、いかなる叙事詩にも描かれたことのない、あまりにも完璧で、それ故にあまりにも異様な軍勢だった。ミカエルとその精鋭天使軍団である。
ミカエルは、軍団の先頭で、その七対の純白の翼を、静かに広げていた。彼の顔には、美しい彫像のように、一切の感情が浮かんでいない。その手に握られた炎の剣は、怒りや憎しみではなく、ただ宇宙の法則を執行するためだけの、冷たい輝きを放っていた。
彼の背後には、寸分の乱れもない完璧な陣形を組んだ、数千の天使たちが続いていた。彼らは皆、同じデザインの光の鎧を纏い、同じデザインの光の槍を携え、そして、同じように、一切の感情を排した無表情な顔をしていた。彼らの行軍は、足音一つ立てず、ただ滑るように、しかし絶対的な統制の下で、地上へと降りてきた。
機械的な浄化
「――これより、フェーズ2、『穢れの物理的除去』を開始する」
ミカエルの、水晶のように澄み切った、しかし全く抑揚のない声が、テレパシーとなって全軍に伝達された。
次の瞬間、天使の軍勢は、行動を開始した。
彼らは、感情の欠片も見せずに、その行く手にある全ての悪魔と魔物を、等しく「浄化」していく。
一体の下級デーモンが、恐怖に駆られて天使の一人に襲いかかった。しかし、天使は驚きも、怒りも見せない。ただ、プログラムされた動作のように、光の槍を、正確にデーモンの心臓部へと突き刺した。デーモンは苦悶の叫びを上げる間もなく、聖なる炎に焼かれ、光の粒子となって消滅した。天使は、その光景を一瞥もすることなく、次の「処理対象」へと、機械的な歩みを進めるだけだった。
一体の怨念の魔物が、天使に精神攻撃を仕掛けた。その脳裏に、かつて人間だった頃の、最も悲しい記憶を送り込んだ。しかし、天使の心は揺るがない。彼らにとって、個人の悲劇など、宇宙の秩序の前では、何の意味も持たないノイズに過ぎない。天使は、その悲しい囁きを完全に無視し、怨念の核を、浄化の光で容赦なく貫いた。
その姿は、救世主ではなかった。彼らは、ただシステムが定めた手順を、冷徹に、そして完璧に実行する、神聖なる執行者そのものだった。彼らの行動には、善も悪もない。あるのはただ、宇宙の調和を乱す「エラー」を検出し、それを「デリート」するという、純粋な、そして恐ろしいほどの、論理だけだった。
異なる倫理観
パンデモニウムの玉座から、その光景を見ていたアスモデウスは、初めて、予測していなかった玩具の登場に、眉をひそめた。
「……面白くない」
彼は、ワイングラスを置き、不機嫌そうに呟いた。「彼らには、『ドラマ』がない。ただ、作業をこなしているだけではないか」
アスモデウスにとって、天使の行動は、あまりにも退屈で、非芸術的だった。
一方、憤怒の玉座では、サタンが、初めて本能的な「脅威」を感じていた。
「……奴ら……!我の『怒り』さえも、ただの処理すべき『データ』としか見ておらんのか……!」
サタンの純粋な破壊衝動は、天使たちの、感情を介さない絶対的な秩序の前で、その拠り所を失いかけていた。
天使たちが、人間の考える「善」とは全く異なる、非人間的な「秩序」の体現者であること。その事実が、この地獄の戦場に、新たな次元の恐怖をもたらしていた。
彼らにとって、苦しむ怨念も、愉しむ悪魔も、等しく、世界の調和を乱す「バグ」であり、粛清すべき対象なのだ。この機械的な正義の前では、個々の事情や感情など、何の意味も持たない。
物語は、三つ巴の混沌から、さらに異質な、そして救いのない第四勢力の登場によって、その複雑さを極めていく。もはや、この世界のどこにも、人間的な感情が介在する余地は、残されていないのかもしれない。




