暗黒時代の突入104:最初の軍議と狩りの始まり
アスモデウスの、世界の理を覆すほどの絶対的な力の証明から、数日が過ぎた。万魔殿の巨大な玉座の間には、最初の軍勢として組織された二百を超える悪魔たちが、緊張した面持ちで整列していた。彼らは、新しい主の下で、どのような壮大な侵略計画が発表されるのかと、期待と武者震いを隠せずにいた。世界の再征服か、あるいは魔界への帰還か。
だが、最初の軍議でアスモデウスが発した言葉は、彼らの予測を、完全に、そして愉快なほどに裏切るものだった。
「――諸君。私は、世界の支配などという、陳腐なものには、全く興味がない」
玉座に深く腰掛け、クラルの姿のまま、しかしその瞳だけを深紅に輝かせながら、アスモデウスは、まるで退屈な劇の筋書きを語るかのように、淡々と言った。
「支配は、退屈だ。征服は、陳腐だ。破壊は、芸がない。私が求めるのは、それら全てを超越した、ただ一つのものだ」
彼は、一度言葉を区切り、集まった悪魔たちの、困惑に満ちた顔を、一人一人、楽しむように見回した。
「私が望むのは、この退屈な世界に、最高のエンターテイ-メントを提供することだ」
エンターテイメントとしての戦争
それが彼の宣言だった。軍議の場にいた、闘争を本能とするバーサーカー族も、策略を好むインキュバス族も、主のその言葉の真意を、すぐには理解できなかった。
「エンターテイメント……でございますか、我が主よ?」
知恵と技術の悪魔ベリアルが、代表して恐る恐る尋ねた。
「そうだ」アスモデウスは、玉座から立ち上がり、バルコニーへと歩を進めた。眼下には、紫の瘴気に覆われた、滅びゆく世界が広がっている。
「見たまえ。あの、地上を彷徨う怨念の魔物どもを」
最初の標的として、彼は地上を彷徨う怨念の魔物たちを指名した。
「あれは、アシェルという一人の人間の少女の、純粋な悲しみと憎しみが、数多の無念の死を喰らって変質した、実に興味深い『作品』だ。……あれらは、我々にとって、最高の玩具だとは思わんかね?」
玩具――その言葉に、マルファスら好戦的な悪魔たちの目が、ギラリと光った。
「では、あの者どもを、皆殺しにせよとの御命令ですかな!」
「違う」
アスモデウスは、首を横に振った。「それは、あまりにも芸がない。素晴らしい玩具は、遊び尽くしてから、壊すものだろう?」
狩りのルール
彼は、振り返ると、集まった悪魔たちに、最初の「ゲーム」のルールを宣告した。
「これより、局地戦を開始する。だが、目的は殺戮ではない。彼らの性質と弱点を、徹底的に分析・探求せよ」
アスモデウスが示した計画は、もはや戦争と呼べるものではなかった。それは、未知の生物に対する、巨大で、冷徹な、生態調査に近かった。
【第一フェーズ:観測】
「まず、少数の部隊で、魔物と接触せよ。だが、決して深入りはするな。彼らの行動パターン、攻撃方法、そして弱点を、詳細に観測し、記録するのだ。特に、実体がないという彼らの性質を、あらゆる角度から分析せよ。物理攻撃は本当に無効か?魔法攻撃は?魂への直接攻撃はどうか?彼らの怨念の源泉は何で、何に最も強く反応するのか?」
【第二フェーズ:実験】
「次に、捕獲した魔物を、このパンデモニウムに持ち帰れ。パイモン、お前の出番だ。彼らを解剖し、融合させ、改造し、我々の誰も見たことのない、新しい『芸術品』を創り出せ。より強く、より美しく、そしてより『面白い』魔物をだ」
【第三フェーズ:遊戯】
「そして最後に、我々が改造した最強の魔物と、野生の魔物たちを、この滅びた世界という巨大な闘技場で戦わせるのだ。どちらが勝ち、どちらが滅びるのか。その、予測不能なドラマを、我々は最高の席から、観戦するとしよう」
悪魔たちは、殺戮ではなく「分析」を命じられたことに困惑した。特にマルファスのような、ただ戦うことだけを至上とする悪魔にとっては、主の意図はあまりにも深遠で、理解しがたかった。だが同時に、彼らは主の意図の、その計り知れない深遠さに、畏敬の念を感じずにはいられなかった。
「……なるほど」ベリアルが、最初にその真意を悟った。「我が主は、ただ敵を滅ぼすのではなく、敵そのものを『理解』し、『改造』し、そして『鑑賞』することに、至高の喜びを見出しておられるのだな」
「その通りだ」アスモデウスは、満足そうに頷いた。「私の行動原理は、単なる破壊や支配ではない。知的で、そして時に悪趣味な、『遊戯』にある。さあ、諸君、退屈な日々は終わりだ。史上最も壮大で、最も残酷な魔物狩りを、始めようではないか」
その号令一下、アスモデウスの新たな軍勢は、歓喜の咆哮と共に、滅びの世界へと散っていった。彼らに与えられたのは、征服の命令ではなかった。それは、この世界の悲劇そのものを、自分たちの娯楽のために遊び尽くせという、あまりにも悪魔的な、しかし抗いがたい魅力を持つ、招待状だったのである。
物語が、単純な勢力争いではなく、混沌とした知的実験の様相を呈していく。その転換点は、アスモデウスという、予測不可能な支配者の、この最初の軍議によって、明確に示されたのであった。彼らがこれから始める「狩り」が、やがてこの世界の、そして彼ら自身の運命をも、誰も予想し得ない方向へと導いていくことになる。




