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冒険者適性Aランク でも俺、鍛冶屋になります  作者: むひ


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暗黒時代の突入99:最後の人間 世界の頂で

風が、鋭い刃のように頬を削る。とある人里離れた高山の山頂。大陸で最も天に近いとされ、万年雪に覆われたその場所は、魔郷の紫の瘴気さえも届かぬ、最後の聖域だった。


しかし、聖域には、もはや祈りを捧げる者はいない。雪の上に、ただ一人、ゆっくりと倒れ込もうとする影があった。最後の一人の人間。彼は、擦り切れた古い王族のマントをその身に纏い、その手には、刃の折れた、かつては神剣と呼ばれたであろう武器の柄が、固く握りしめられていた。


彼の名は、クラル。

かつては不朽の神と謳われ、グランベルク王国を千年を導き、自らの血を引く魔人族を生み出し、龍族とさえ和平を結んだ伝説の王。アスモデウスとの融合によって永遠の命を得たはずの彼もまた、世界の法則そのものが崩壊していくこの終末の前では、無力だった。


間に合わなかった救世主


国を実の息子に任せ、世界の新たなる調和の可能性を求めて旅立ったあの日。彼は、人類の未来を信じていた。しかし、魔郷の侵食は、彼が想像していたよりも、恐ろしく早かった。


彼が東の大和国の内乱を調停し、南の砂漠で新たな共存の形を見出し、西の島国で文化の融合を目撃している間にも、彼の故郷であるグランベルクは、静かに、しかし確実に、死の淵へと向かっていた。人の身(彼の旅は変装していた)では、その進行速度に追いつくことができず、彼が異変の報せを聞きつけ、全力で帰還した時には、全てが手遅れだった。


全てにおいて後手に回り、彼は全てを失った。

息子アレクサンダー、そして親族たちの魂は、既に魔郷の一部と化していた。彼が築き上げた国は、怨念が彷徨う廃墟となり、友好関係にあった龍人族は天の彼方へと去り、希望を見出したはずの大和国もまた、歴史の塵へと帰していた。


彼は戦った。最後の人間として、たった一人で。

何百、何千という怨念の魔物を、その神剣で斬り払った。だが、クラルの得意とする技は、そのどれもが物理的なものであり、神の力を込めた斬撃さえも、実体を持たない魔物の身体を、空しくすり抜けるだけだった。


絶対的な絶望と最後の抵抗


「……ここまで、か……」


クラルの膝が、ついに雪の中に折れた。百を超える戦いの末、彼の神としての力も、もはや尽きかけていた。そして、彼の目の前に、ついに、全ての元凶が姿を現した。


「紫の帳の娘」。

アシェルの姿をかたどったその魔物は、吹雪の中を、まるで幻のように静かに佇んでいた。その赤黒い瞳は、地上に残された最後の生命を、冷ややかに、そしてどこか悲しげに見つめている。


「……お前も、苦しんでいるのだな」

クラルは、途切れ途切れの息の中で、彼女に語りかけた。王として、父として、そして何よりも、同じように孤独を生きた者として。彼は、彼女の魂の奥底にある、救いを求めるか細い叫びを、感じ取っていた。


だが、魔物に言葉は通じない。彼女は、ただ本能のままに、クラルへとその半透明な手を伸ばした。最後の魂を喰らい、この世界を完全な沈黙へと導くために。


クラルは、最後の力を振り絞り、剣の柄を握りしめた。たとえ無駄だと分かっていても、彼は最後まで抵抗することをやめなかった。人間としての、最後の誇り。


「……喰われるものか……!」

彼の身体から、残された全ての神の力が、黄金色のオーラとなって迸った。


魂の逆転


その、圧倒的な光の奔流に、「紫の帳の娘」の怨念が触れた、まさにその瞬間。

信じられないことが起こった。


「紫の帳の娘」の魂に刻まれた『逆転の書』の呪詛が、クラルの強力な神の力に反応したのだ。


クラルの身体は、もはや純粋な人間のそれではない。その魂には、ネオニッポン事件の際に融合した一つの、強大な存在が封印されていた。悪魔の王、アスモデウス。


『逆転の書』の呪いは、クラルから力を「吸収」しようとした。しかし、その力が、人間の魂ではなく、同質、あるいはそれ以上の、悪魔の魂であったため、予期せぬ共鳴を引き起こしたのだ。


「ぐ……あああああああああああああああっ!!」


クラルの身体を、内側から引き裂くかのような、激しい痙攣が襲った。黄金色の神のオーラと、禍々しい紫色の悪魔のオーラが、彼の体内で激しく衝突し、混じり合う。


彼の意識が、急速に遠のいていく。

(……エリザベス……アレクサンダー……すまない……)


愛する家族の顔が、脳裏をよぎった、その瞬間。彼の瞳から、黄金色の光が消えた。

そして、次にその瞳が開かれた時、そこに宿っていたのは、神の慈愛ではなかった。


深紅に輝く、絶対的な支配者の瞳。

クラルの顔に、傲然とした、そしてどこか懐かしむような、悪魔の笑みが浮かんだ。


「……ふむ。随分と、長く眠っていたものだな」


融合したアスモデウスの魂が逆転し、表層意識にアスモデウスが現れたのだ。


「……これは、これは、一体……」

目の前で起きた、あまりの異変に、「紫の帳の娘」でさえ、後ずさっていた。


アスモデウスは、ゆっくりと立ち上がった。クラルの肉体を持ちながら、その立ち居振る舞いは、完全に、千年の時を生きた悪魔の王のそれだった。


「……面白い。実に、面白いことになっているではないか、人間界は」


彼は、目の前の魔物――アシェルのなれの果て――を、まるで珍しい美術品でも鑑定するかのように、興味深そうに見つめた。

「……これは、マモンの仕業か?いや、それにしては、芸がなさすぎる。……なるほど。人間の憎悪が、これほどの『作品』を創り上げたというわけか」


アスモデウスは、もはや用済みとばかりに、折れた神剣の柄を、雪の中へと投げ捨てた。そして、何もない空間に向かって、その手を差し伸べた。

「……来たれ、我が眷属よ」


彼の呼びかけに応えるように、空間そのものが裂け、その裂け目の中から、禍々しい輝きを放つ、一本の魔剣が、彼の手に吸い寄せられるようにして現れた。


「さあ、始めようか」

アスモデウスは、魔剣を肩に担ぎ、楽しげに言った。「……世界の、大掃除を」

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