即位2年目:変態都市グランベルク
即位2年目の春、桜の花が咲き誇る中、クラル・グランベルク王は王宮の大広間で重要な勅令を発表した。広間には主要閣僚、各地区の代表者、そして新たに設立される施設の責任者候補約100名が参列していた。
「グランベルクの民よ」クラルは豪華な王座から立ち上がり、威厳に満ちた声で宣言した。「昨年、我々は病気の子供たちを神に選ばれし存在として迎え入れる制度を確立した。そして今年、更なる社会改革を実施する」
参列者たちは息を呑んで王の言葉を待った。
「人口爆発という危機を乗り越えるためには、従来の価値観から脱却し、新しい社会秩序を構築しなければならない」
エリザベス王妃は妊娠8ヶ月を迎え、美しく膨らんだお腹を抱えながら、夫の隣に座っていた。彼女の表情は穏やかだったが、その瞳には強い決意が宿っていた。
「まず、教育制度の根本的改革を行う」クラルは続けた。「子供だけでなく、大人も含めた全国民の再教育を実施する」
会場がざわめいた。
「男女別の教育システムを確立し、それぞれに適した役割と価値観を身につけてもらう。そして、新しい文化産業を育成し、健全な娯楽と労働機会を提供する」
翌日、クラルは主要閣僚との秘密会議を開催した。会議室には、エドワード産業大臣、マーガレット統計局長、バルドス農業大臣、そして新たに招聘された東方出身の顧問、劉文明が参加していた。
劉文明は50代の知識人で、東方帝国の宮廷で宦官制度の運営に長年携わってきた経験を持っていた。クラルが特別に招聘し、新しい教育制度の設計を依頼したのだ。
「劉さん」クラルは東方の顧問に向かって言った。「東方の宮廷制度について、詳しく教えてください」
劉文明は恭しく頭を下げて答えた。「陛下、東方では数千年にわたり、男女を分離した教育と労働システムが確立されております。特に、女性の品格教育と男性の役割分担は、社会秩序の根幹となっております」
「具体的には?」エリザベスが興味深そうに尋ねた。
「まず、女性は幼少期から『内宮』と呼ばれる専用施設で教育を受けます」劉文明は説明を続けた。「そこで礼儀作法、読み書き、芸術、そして何より重要な『徳操』を学びます」
「徳操とは?」
「貞淑、節制、従順といった、女性が持つべき美徳です。これらを身につけることで、社会の秩序が保たれ、家庭の平和が実現されます」
マーガレットが実務的な質問をした。「そのような教育施設の運営には、どの程度の人員が必要ですか?」
「大規模な施設では、教育担当者として女性教師50名、管理・警備担当として宦官20名程度が必要です」劉文明は答えた。
「宦官?」エドワードが聞き返した。
「はい」劉文明は重々しく頷いた。「男性職員は全て去勢を行い、女性に対する性的関心を完全に排除します。これにより、純粋な教育環境が保たれるのです」
会議室に重い沈黙が流れた。
クラルは深く考え込んだ後、決断を下した。「その制度を導入します。ただし、段階的に実施し、住民の理解を得ながら進めていきます」
「施設の名称はどうしましょうか?」エリザベスが尋ねた。
劉文明が提案した。「『天恩再生院』はいかがでしょうか。天の恩恵により、人々が新たに生まれ変わるという意味です」
「素晴らしい名前です」クラルは頷いた。「天恩再生院、それに決めましょう」
同じ週、エリザベス王妃主導で女子教育施設の詳細設計が進められた。会議には、元王国の女官長だったレディ・マーガレット・エレガンス、教育専門家のマリー・ワイズティーチャー、そして東方から招聘された女性教育者の李美玉が参加した。
「女子教育施設は、単なる学校ではありません」エリザベスは設計図を見ながら説明した。「女性としての品格と教養を身につける、総合的な人格形成の場です」
李美玉は40代の上品な女性で、東方帝国の後宮で皇后の教育係を務めた経験を持っていた。彼女の提案する教育システムは、非常に体系的で洗練されていた。
「まず施設の構造ですが」李美玉は設計図に印をつけながら説明した。「中央に美しい庭園を配置し、その周囲に教室棟、宿舎棟、芸術棟を配置します」
「庭園の意味は?」マリーが尋ねた。
「女性の心を落ち着け、美的感覚を養うためです。季節の花々が咲く庭園で、茶道や詩の朗読を行うことで、自然と優雅さが身につきます」
レディ・マーガレットが感心して言った。「それは素晴らしいアイデアですね。王国の女学院にも、そのような教育はありませんでした」
施設の名称について、李美玉が提案した。「『純華女学院』はいかがでしょうか。純粋で美しい花のように、女性の心を育てるという意味です」
エリザベスは即座に賛成した。「完璧な名前です。純華女学院に決めましょう」
純華女学院のカリキュラムは、東方の後宮教育を参考に、非常に詳細に設計された。
朝の課程(午前6時〜正午)
- 6:00-7:00 起床・身だしなみ
- 7:00-8:00 朝食・礼拝(豊穣神クラルへの祈り)
- 8:00-10:00 基礎学習(読み書き、算術、一般教養)
- 10:00-12:00 道徳・倫理教育(貞操観念、女性の美徳)
午後の課程(正午〜午後6時)
- 12:00-13:00 昼食・休憩
- 13:00-15:00 芸術教育(音楽、絵画、書道、舞踊)
- 15:00-16:00 茶道・花道
- 16:00-17:00 文学・創作(小説・詩の鑑賞と創作)
- 17:00-18:00 家政学(料理、裁縫、家計管理)
夜の課程(午後6時〜午後9時)
- 18:00-19:00 夕食
- 19:00-20:00 自習・読書
- 20:00-21:00 就寝準備・反省の時間
「特に重要なのは、創作教育です」李美玉は強調した。「女性の感性を活かして、美しい物語や詩を創作することで、内面の豊かさが育まれます」
エリザベスが質問した。「では、恋愛に関する教育はどのように?」
「非常にデリケートな問題です」李美玉は慎重に答えた。「純潔の大切さを教えつつ、同時に適齢期になれば純粋な恋愛の美しさも教えます。創作教育の中で、理想的な恋愛関係を描いた作品を読ませ、女性らしい恋愛観を育成します」
一方、男子教育については、従来の家庭教育を基本としながら、冒険者制度との連携を強化することになった。
エドワード産業大臣は、新しい冒険者ギルド制度の説明を行った。
「従来のギルド制度では、Fランクから始まって最高のSランクまで、非常に厳しいランク制限がありました」エドワードは説明した。「しかし、これを大幅に緩和し、より多くの若者が参加できるようにします」
新制度では、以下のような改革が実施された:
新ランク制度
- 見習いランク(年齢制限なし、基本的な雑用から開始)
- 初級ランク(15歳以上、簡単な護衛や運搬業務)
- 中級ランク(18歳以上、本格的な冒険者業務)
- 上級ランク(実績に基づく昇格)
- 特級ランク(従来のAランク相当)
- 伝説ランク(従来のSランク相当)
「これにより、10歳前後の男児でも見習いとして参加でき、早期から社会経験を積むことができます」エドワードは説明した。
バルドスが質問した。「安全面は大丈夫でしょうか?」
「見習いランクは危険な任務には参加しません」エドワードは答えた。「主に街中での配達、清掃、簡単な手伝いなどです。これにより、労働の尊さと責任感を学びます」
適齢期に達した男女の健全な交流を促進するため、新たに「雅遊苑」という施設が設立されることになった。
この施設の設計も、東方の文化を参考に、非常に洗練されたものとなった。
「雅遊苑は、単なる娯楽施設ではありません」劉文明が設計案を説明した。「男女が品格を保ちながら交流し、理想的なパートナーを見つけるための聖域です」
施設の構成は以下の通りだった:
中央庭園エリア
- 四季の花が咲く美しい庭園
- 詩の朗読や音楽演奏が行われる野外ステージ
- 男女が適度な距離を保ちながら会話できるベンチや東屋
文化交流エリア
- 図書館(恋愛小説や冒険小説を中心とした蔵書)
- 芸術展示室(絵画、書道、工芸品の展示)
- 音楽室(楽器演奏や歌唱の練習・発表)
茶道・花道エリア
- 正式な茶道が行える茶室
- 花道の稽古と展示が可能な和室
- 男女が一緒に文化活動を楽しめる空間
遊戯・競技エリア
- 囲碁・将棋・カードゲームなどの東方西洋両方の知的ゲームを配置
- 弓術や剣術の演武場(男性が技量を披露する場)
- 庭球や羽根突きなどの軽い運動施設
最も困難だった宦官制度の導入については、慎重な準備が進められた。
劉文明は、東方から経験豊富な外科医を招聘し、安全で確実な手術方法を指導させた。また、手術後のケアと宦官としての教育システムも併せて導入された。
「宦官になることは、神への献身です」劉文明は候補者たちに説明していた。「世俗の欲望を断ち切り、純粋に社会奉仕に専念する、崇高な選択なのです」
最初の宦官候補者として志願したのは、20代から40代の独身男性約30名だった。その多くが、経済的困窮や社会的地位の向上を求める者たちだった。
「私には妻も子もいません」最初の志願者、トーマス・デヴォーテッドが言った。「神と王に仕えることができるなら、この身を捧げます」
手術は王宮の医療施設で行われ、最高水準の医療技術と回復魔法により、安全性が確保された。
文化政策の一環として、クラルは創作活動への国家支援を大幅に拡充した。
新たに設立された「王立文化振興院」では、小説家、詩人、画家、音楽家などの芸術家に対して、作品の質に応じた報奨金制度が確立された。
報奨金制度
- 金賞作品:金貨100枚
- 銀賞作品:金貨50枚
- 銅賞作品:金貨20枚
- 佳作作品:金貨5枚
「特に奨励したいのは、健全な恋愛を描いた作品と、冒険者の活躍を描いた作品です」文化振興院長に任命されたアルフレッド・ストーリーテラーが説明した。
この政策により、多くの作家や芸術家がグランベルクに移住し、創作活動に専念するようになった。
特に人気を集めたのは、以下のような作品だった:
恋愛小説部門
- 「純華の恋」- 女学院の生徒と若い冒険者の純愛を描いた作品
- 「雅遊苑の四季」- 一年を通じて育まれる男女の恋愛を描いた連作
- 「王妃様の恋文」- エリザベス王妃とクラル王の恋愛をモデルにした物語
冒険小説部門
- 「ドラゴンブレイカーの伝説」- クラル王の冒険者時代を題材にした英雄譚
- 「グリムハウンド討伐記」- グランベルクの災害と復興を描いた叙事詩
- 「新米冒険者日記」- 見習いランクから成長していく少年の物語
しかし、創作文化の奨励は、予想外の結果も生み出した。
純潔教育や貞操観念の強調により、直接的な性的表現は厳しく制限されたが、その反動として、間接的で象徴的な表現が発達していった。
マーガレット統計局長が、この現象についてクラルに報告した。
「陛下、興味深い報告があります」マーガレットは資料を見ながら言った。「創作作品の中で、非常に独特な表現手法が発達しています」
「どのような?」
「例えば、手袋や靴といった身につけるものに対する異常なこだわりを描いた作品、食べ物を非常に官能的に描写した作品、植物や動物を人間関係の象徴として使った作品などです」
エリザベスが興味深そうに尋ねた。「それは問題なのでしょうか?」
「表面的には全く健全です」マーガレットは続けた。「しかし、読者の間では、これらの作品が『特別な意味』を持つものとして愛好されています」
クラルは少し考えた後、意外な判断を下した。
「それは素晴らしいことではないか」
「え?」マーガレットは驚いた。
「人々の創造性と表現力が豊かになっているということです」クラルは説明した。「表面的には品格を保ちながら、内面的には豊かな感性を育んでいる。これこそ理想的な文化発展です」
「では、このまま放置するのですか?」
「放置ではありません。積極的に奨励します」クラルは断言した。「多様な表現手法を開発することで、グランベルクは王国随一の文化先進地域になるでしょう」
そして元商業都市グランベルク、現グランベルク王国は、別名変態都市グランベルクと実しやかに囁かれるようになった。
秋の終わり、ついに天恩再生院が開院した。美しい庭園に囲まれた壮麗な建物群は、まさに東方の宮殿を思わせる荘厳さを持っていた。
開院式には、グランベルク全域から約500名の住民が参列した。クラル王とエリザベス王妃(既に出産を終え、美しい王子アレクサンダーを抱いていた)が式典を主催した。
「天恩再生院は、すべての住民が新たな自分として生まれ変わる場所です」クラルは挨拶で述べた。「年齢や性別を問わず、誰もが参加できる教育の場として開放されています」
最初の入院者(再教育対象者)として、約100名の中年・老年住民が参加した。その多くが、新しい社会秩序に適応するための教育を求める人々だった。
「私たちの時代とは価値観が変わりました」50代の農婦、メアリー・オールドウェイズが言った。「新しい時代に遅れないよう、しっかりと学び直したいと思います」
同じ時期に、純華女学院も開校した。美しい桜並木に囲まれたキャンパスは、まさに女性の教育にふさわしい優雅な環境だった。
新たに宦官となった職員たちが、厳格だが慈愛に満ちた指導を行った。
「規律と品格を身につけることで、真の男性としての価値が生まれます」宦官長のトーマス・デヴォーテッドが新入生に説明していた。
最初の生徒として、12歳から18歳の少女約150名が入学した。彼女たちの家族には、約束通り報奨金が支給された。
「娘が名門学院で教育を受けられるなんて夢のよう」商人の妻、サラ・プラウドマザーが感激していた。「それに報奨金まで頂けるなんて、本当にありがたいことです」
学院では、李美玉院長の指導の下、東方式の厳格だが温かい教育が行われた。
「皆さんは、グランベルクの未来を担う大切な女性です」李美玉は新入生に語りかけた。「品格と教養を身につけ、素晴らしい女性として社会に羽ばたいてください」
生徒たちは最初こそ戸惑いを見せたが、美しい環境と質の高い教育に、すぐに順応していった。
特に人気だったのは、創作の授業だった。
「今日は恋愛小説の書き方を学びましょう」文学担当のマリー・ワイズティーチャーが説明した。「純粋で美しい恋愛を描くことで、女性らしい感性が育まれます」
生徒たちは目を輝かせて授業に参加し、続々と素晴らしい作品を生み出していった。
新しい冒険者制度も順調にスタートした。多くの少年たちが見習いランクから参加し、社会経験を積んでいった。
「今日は荷物運びの仕事です」15歳の少年、ジャック・アドベンチャーが興奮して母親に報告した。「ちゃんとお金ももらえるんだよ!」
保護者たちも、息子たちが責任感を身につけていく様子を見て、制度改革に賛同していった。
「息子が見違えるように真面目になりました」農夫のピーター・ハードワーカーが感心していた。「冒険者の仕事を通じて、労働の大切さを学んでいるようです」
年末には、雅遊苑も開園した。適齢期の男女約200名が参加し、洗練された社交が始まった。
美しい庭園で開催される音楽会、茶室での文化的な語らい、図書室での読書会など、品格ある交流の場が提供された。
「こんなに素敵な場所で、理想の相手を見つけられるなんて」19歳の女性、リリー・ロマンチックが友人に語った。「まるで小説の世界みたい」
男性側も、自分の才能や教養を披露する機会を得て、積極的に参加していった。
「今度の詩の朗読会で、自作の詩を発表するんだ」20歳の青年、ロバート・ポエットが意気込んでいた。「気になる女性がいるんだ」
年末の文化振興院の報告会で、アルフレッドは興味深い現象を報告した。
「創作作品の多様性が、予想を遥かに超えています」アルフレッドは資料を見ながら報告した。「表面的には品格を保ちながら、極めて独創的な表現技法が開発されています」
実際に、以下のような独特な作品群が生まれていた:
「手袋物語」シリーズ- 手袋を主人公にした擬人化小説
「美食紀行」シリーズ - 料理を極めて官能的に描写した作品群
「花言葉恋物語」 - 花々の言葉で恋愛感情を表現した詩集
「靴職人の冒険」- 靴作りを通じて人生を描いた哲学的作品
「これらの作品は、他の王国では見られない独特なものです」アルフレッドは続けた。「グランベルクが文化先進地域として認知される日も近いでしょう」
クラルは満足そうに頷いた。「素晴らしい成果です。来年はさらに支援を拡充しましょう」
即位2年目の終わりに、マーガレットが1年間の成果を総括した。
教育制度改革の成果
- 天恩再生院入院者:456名(男性298名、女性158名)
- 純華女学院生徒数:187名
- 宦官制度参加者:42名
- 満足度調査:89%が「非常に満足」または「満足」
冒険者制度改革の成果
- 新制度参加者:1,247名
- 見習いランク:789名
- 初級ランク:458名
- 労働参加率:94%(従来の62%から大幅改善)
文化産業の発展
- 登録作家数:156名
- 年間作品数:1,034作品
- 報奨金総額:金貨2,847枚
- 観光客数:3,200名(文化見学目的)
社交制度の成果
- 雅遊苑利用者:394名
- 成立したカップル:47組
- 結婚成立:12組
「全ての制度が順調に機能しています」マーガレットは報告した。「特に注目すべきは、住民の満足度と社会統合度の向上です」
クラルは深く満足していた。「来年は、これらの制度をさらに発展させ、グランベルクを真の理想国家にしていきましょう」
即位2年目の冬、グランベルクに新たな問題が浮上した。文化・教育改革の成功により社会全体の品格は向上していたが、一部の住民、特に青少年の中に改革に適応できない者たちが現れ始めたのだ。
「陛下、緊急報告があります」
雪の降る夜、マーガレット統計局長がクラルの執務室に駆け込んできた。彼女の表情は深刻だった。
「何が起こったのですか?」エリザベス王妃は生後3ヶ月のアレクサンダー王子を抱きながら尋ねた。
「市場地区で窃盗事件が3件、東部住宅地で器物損壊が2件、そして純華女学院の近くで女子生徒への不適切な言動を行った青年が2名確認されています」マーガレットは報告書を読み上げた。
クラルは眉をひそめた。「詳細を聞かせてください」
「主な加害者は15歳から20歳の男性で、新しい冒険者制度に馴染めなかった者、または家庭環境に問題のある者が多数を占めています」
エドワード産業大臣も執務室に入ってきた。「陛下、工房地区でも同様の問題が発生しています。作業規律を守らない若者が増え、他の職人たちから苦情が出ています」
クラルは立ち上がり、窓の外の雪景色を見つめた。美しく秩序だったグランベルクの街並みも、このような問題を抱えているのかと思うと、胸が痛んだ。
「根本的な解決策が必要ですね」エリザベスが静かに言った。
「そうだ」クラルは振り返った。「新しい施設が必要だ。問題のある者たちを適切に指導し、社会復帰させるための特別な施設を」
翌日、クラルは緊急の閣僚会議を招集した。参加者は主要閣僚に加え、治安維持の専門家として元王国騎士団長のサー・ガレス・アイアンウィル、そして東方の刑事制度に詳しい劉文明顧問だった。
サー・ガレスは50代後半の歴戦の騎士で、王国で30年間治安維持に携わってきた経験を持っていた。銀髪と深い皺に刻まれた顔は厳格さを表し、その眼光は鋭く光っていた。
「陛下」ガレスは重々しい口調で話し始めた。「現在の問題は、単なる個人の非行ではありません。新しい社会制度に適応できない者たちの組織的な反発です」
「具体的には?」クラルが尋ねた。
「彼らは『旧い価値観の守護者』を自称し、秘密結社のような組織を形成しつつあります。リーダー格は元冒険者のブラッド・ローレス、20歳の青年です」
マーガレットが補足した。「ブラッド・ローレスは元々Dランクの冒険者でしたが、新制度への移行を拒否し、現在は無職の状態です。彼の周りに15名ほどの若者が集まっています」
劉文明が東方の経験を語った。「このような問題には、断固とした対応が必要です。東方では『矯正院』という施設で、社会秩序を乱す者を再教育します」
「どのような施設ですか?」エリザベスが興味深そうに尋ねた。
「軍事的な規律と宗教的な教化を組み合わせた特別な教育機関です」劉文明は説明した。「ただし、非常に厳格な管理が必要で、職員には最高レベルの武力と人格が求められます」
クラルは考え込んだ後、決断を下した。「新施設を設立します。名称は『聖鉄規訓院』としましょう」
「聖鉄規訓院...」エドワードが呟いた。「厳格だが崇高な響きですね」
「聖なる鉄の規律により、乱れた心を正すという意味です」クラルは説明した。「ただし、これは処罰施設ではありません。あくまで教育・矯正施設として運営します」
「最も重要なのは職員の選定です」ガレスが強調した。「問題のある若者を相手にするには、圧倒的な実力と人格が必要です」
クラルは頷いた。「職員の条件を設定しましょう」
劉文明が提案した。「旧冒険者ギルド制度でAランク以上の実力者に限定してはいかがでしょうか?」
「それは厳しすぎませんか?」エドワードが心配した。「Aランク以上の冒険者は王国全体でも数十名しかいません」
「だからこそ価値があるのです」ガレスが反論した。「中途半端な実力では、問題児たちを制御できません。彼らは腕力も気力もある若者なのですから」
クラルは慎重に検討した。「では、以下の条件を設定します」
聖鉄規訓院職員資格要件
必須条件
- 旧冒険者ギルド制度でAランク以上の実績
- 年齢25歳以上45歳以下
- 前科・素行不良歴なし
- 豊穣神クラル信仰への忠誠
望ましい条件
- Sランク相当の実力
- 軍事・警備経験
- 複数の武器・魔法スキル
- リーダーシップ経験
「報酬はどの程度に設定しますか?」マーガレットが実務的な質問をした。
クラルは即座に答えた。「王国最高水準の待遇とします。基本給は金貨200枚/月、危険手当として金貨50枚/月、さらに成果に応じたボーナスも支給します」
会議室がざわめいた。これは王国の大臣級の待遇だった。
「それは...かなりの高額ですね」エドワードが驚いた。
「当然です」クラルは断言した。「社会の安定は何にも代えがたい価値があります。最高の人材には最高の待遇を提供するのが当然です」
聖鉄規訓院の建設地は、グランベルクの北西部、森林地帯の奥深くに選定された。市街地から離れているが、逃走を防ぐのに適した地形だった。
建設責任者のレオナルド・ダ・ヴィンチェンツォが設計案を説明した。
「この施設は、監獄ではなく学校として設計します」レオナルドは図面を広げた。「ただし、非常に堅固で、高度な警備システムを備えています」
施設構成
外周部
- 高さ5メートルの石造りの城壁
- 4つの見張り塔(各塔に警備員2名常駐)
- 正門と裏門(厳重な警備システム)
教育棟
- 大教室(50名収容、講義・説教用)
- 小教室8室(個別指導・カウンセリング用)
- 図書室(道徳・宗教・技術書中心)
- 工芸・技術実習室
生活棟
- 個室寮(1室4名、プライバシー確保)
- 共用食堂(200名収容)
- 医務室(専門医1名常駐)
- 面会室(家族との面会用)
訓練棟
- 武術訓練場(体力向上・規律教育)
- 魔法練習室(建設的な魔法技術習得)
- 屋内運動場(団体競技・協調性育成)
管理棟
- 職員事務室
- 院長室
- 会議室
- 職員宿舎(独身寮・家族住宅)
「特に重要なのは、逃走防止システムです」ガレスが軍事的な観点から説明した。「魔法結界と物理的な障壁を組み合わせ、しかし威圧的にならないよう配慮します」
院長職には、伝説的なSランク冒険者であるマスター・レイモンド・ジャスティスハートが招聘された。
レイモンドは45歳の男性で、30年間の冒険者生活で「正義の剣」と呼ばれた英雄だった。古龍討伐、魔王軍撃退、王国救済など、数々の偉業を成し遂げており、その人格と実力は王国中で認められていた。
「レイモンド殿」クラルは王宮でこの英雄と面談した。「グランベルクの未来のために、力をお貸しいただけませんか?」
レイモンドは質実剛健な外見の男性で、深い青い瞳には慈悲と厳格さが同居していた。彼の左腕には古龍との戦いで負った傷跡があり、それが彼の武勇を物語っていた。
「陛下」レイモンドは深く頭を下げた。「私は長年、悪と戦い続けてきました。しかし、真の悪は外部の敵ではなく、人の心の中にある闇だと悟りました」
「その通りです」クラルは頷いた。
「若者たちの心の闇を払い、光ある道へ導くこと...これこそ私が最後に為すべき冒険かもしれません」レイモンドの瞳が輝いた。「お引き受けいたします」
聖鉄規訓院の職員募集が発表されると、王国中から応募者が殺到した。高い報酬と社会的意義のある仕事に、多くの優秀な元冒険者が関心を示したのだ。
応募総数は127名。その中から、厳格な審査を経て24名が選抜された。
主要職員紹介:
副院長:サー・エルドリック・ストーンガード
- 元Sランク冒険者(42歳)
- 専門:防御魔法、集団戦術
- 経歴:王国騎士団副団長、ドラゴン討伐隊隊長
教育主任:マダム・セレナ・ワイズソウル
- 元Aランク冒険者(38歳)
- 専門:精神魔法、カウンセリング
- 経歴:王立魔法学院講師、心理治療師
訓練主任:マスター・ガルバン・アイアンフィスト
- 元Sランク冒険者(41歳)
- 専門:格闘術、武器術
- 経歴:闘技場チャンピオン、傭兵団長
警備主任:キャプテン・ソーン・ナイトホーク
- 元Aランク冒険者(35歳)
- 専門:諜報、警備システム
- 経歴:王国諜報部、盗賊ギルド壊滅作戦指揮
聖鉄規訓院の開院に先立ち、問題のある青少年の身柄確保作戦が実行された。これは「聖浄作戦」と名付けられ、新職員たちが初めて連携する実戦となった。
「ブラッド・ローレスとその仲間たちは、東部の廃屋に潜伏しています」ソーン警備主任が作戦会議で報告した。「彼らは武装しており、抵抗する可能性があります」
レイモンド院長は冷静に指示を出した。「不必要な暴力は避けてください。ただし、毅然とした態度で臨みます。彼らに我々の本気を見せる必要があります」
作戦は夜明け前に実行された。元Sランク冒険者たちによる完璧な連携により、ブラッド・ローレスの一味は抵抗する間もなく制圧された。
「何だこれは!離せ!」ブラッドは激しく抵抗したが、エルドリック副院長の拘束魔法により瞬時に無力化された。
「ブラッド・ローレス」レイモンド院長は威厳ある声で言った。「君はこれから聖鉄規訓院で、真の強さとは何かを学ぶことになる」
「ふざけるな!俺たちは何も悪いことをしていない!」
「窃盗、器物損壊、女性への嫌がらせ...これでも悪いことをしていないと言うのか?」ガルバン訓練主任が厳しく問い詰めた。
ブラッドは言葉に詰まった。
聖鉄規訓院の開院式は、雪解けの始まった3月に行われた。参列者は限定されていたが、クラル王とエリザベス王妃が出席し、施設の重要性を強調した。
「聖鉄規訓院は、道を踏み外した若者たちを救済する場所です」クラルは挨拶で述べた。「厳格な規律の中で、真の強さと正しい生き方を学んでもらいます」
レイモンド院長が教育方針を発表した。
聖鉄規訓院教育方針
基本理念
「聖なる鉄の規律により、乱れた心を正し、社会に貢献する人材として再生させる」
教育目標
1. 豊穣神クラルへの信仰確立
2. 社会規範と道徳観念の習得
3. 実用的技能の向上
4. 体力・精神力の強化
5. 協調性とリーダーシップの育成
日課(平日)
- 05:00 起床・身だしなみ検査
- 05:30 朝の祈祷(豊穣神クラルへの礼拝)
- 06:00 朝食・清掃活動
- 07:00 基礎学習(読み書き、算術、一般教養)
- 09:00 道徳・宗教教育
- 11:00 技能訓練(木工、金工、農業等)
- 12:00 昼食・休憩
- 13:00 体力訓練・武術基礎
- 15:00 集団活動(チーム作業、討論等)
- 17:00 夕食・入浴
- 19:00 反省・瞑想の時間
- 20:00 自由時間(読書、手紙等)
- 21:00 消灯
特別プログラム
- 週末:家族面会、外出許可(段階的)
- 月1回:社会奉仕活動(地域清掃、農作業手伝い等)
- 季節行事:豊穣神祭参加、文化祭発表等
第一期生として収容されたのは、ブラッド・ローレス一味15名を含む計32名の青少年だった。年齢は15歳から22歳で、全員が何らかの問題行動を起こしていた。
最初の週は、予想通り激しい抵抗があった。
「こんなところにいられるか!」初日の夕食時、ブラッドが暴れ出した。
しかし、ガルバン訓練主任が立ち上がっただけで、食堂は静寂に包まれた。元Sランク冒険者の威圧感は圧倒的だった。
「座れ」ガルバンの一言で、ブラッドは反射的に椅子に座った。
「君たちがここにいる理由を忘れるな」レイモンド院長が厳格な声で言った。「ここは君たちの最後のチャンスなのだ」
2週目から、徐々に変化が見られ始めた。
朝の祈祷で、何人かの若者が真剣に祈りを捧げるようになった。技能訓練では、木工に才能を示す者、農業に適性のある者が現れた。
特に変化が著しかったのは、17歳のトミー・ロストボーイだった。彼は元々家庭環境に問題があり、窃盗を繰り返していたが、セレナ教育主任のカウンセリングを受けて次第に心を開いていった。
「セレナ先生」トミーは面談室で涙を流した。「僕、本当は悪い子になりたくなかったんです」
「分かっています」セレナは優しく答えた。「でも、もう大丈夫。ここで新しい自分を見つけましょう」
月に2回の家族面会は、教育効果を高める重要な要素となった。
「息子が別人のように変わっています」ブラッドの母親、マーサ・ホープフルマザーが感激していた。「規律正しくなって、言葉遣いも丁寧になりました」
面会室では、職員の監督の下で家族との再会が行われた。多くの若者が家族に謝罪し、改心を誓う姿が見られた。
「お母さん、ごめんなさい」ブラッドは母親の手を握りしめた。「僕、間違っていました。ちゃんとした人間になります」
社会復帰プログラムも段階的に実施された。まず院内での模擬的な社会活動から始まり、次に監督付きの外出、最終的には就職斡旋まで行われた。
開院から6ヶ月後、マーガレット統計局長が驚くべき成果を報告した。
聖鉄規訓院6ヶ月間成果報告
収容者数:32名(第一期生)
問題行動再発率:0%
基礎学力向上率:89%(平均2学年分の向上)
技能検定合格率:76%
体力測定向上率:94%
家族関係改善率:100%
「これは...驚異的な成果ですね」エドワードが感嘆した。
「レイモンド院長と職員の皆さんの指導力の賜物です」クラルは満足そうに頷いた。
特に注目されたのは、ブラッド・ローレスの変化だった。かつて反社会的な行動を取っていた青年が、現在では模範的な収容者として他の若者たちの指導を行っていた。
「僕は間違っていました」ブラッドは全体集会で発言した。「本当の強さは、力で人を従わせることではありません。自分を制御し、他人のために尽くすことです」
成果を受けて、第二期の収容者募集が開始された。今度は他の地域からも受け入れ要請が殺到した。
「王国の他の地域からも、問題のある青少年の受け入れ要請が来ています」マーガレットが報告した。「特に王都から、貴族の子弟の教育依頼が多数寄せられています」
クラルは慎重に検討した。「拡張は可能ですが、質を維持することが最優先です。職員の追加募集を行い、段階的に拡大しましょう」
第二期として新たに48名が募集され、施設も拡張された。新たに元Sランク冒険者2名、元Aランク冒険者6名が職員として加わった。
年末には、第一期生の中から優秀な成績を収めた15名が卒業を迎えた。
卒業式は厳粛かつ感動的な儀式となった。クラル王とエリザベス王妃が出席し、一人一人に卒業証書を授与した。
「トミー・ロストボーイ改めトミー・ニューライフ」クラルは証書を手渡しながら言った。「君の新しい人生の始まりです」
「ありがとうございます、陛下」トミーは涙を流しながら答えた。「僕は農業の道に進み、グランベルクの発展に貢献します」
卒業生たちには、それぞれの適性に応じた就職先が用意されていた。農業、工芸、商業、さらには優秀な者は冒険者として復帰する道も開かれていた。
「私たちの使命は、彼らを社会に送り出すことではありません」レイモンド院長は式辞で述べた。「彼らが社会に貢献し、幸せな人生を送れるよう支援し続けることです」
即位2年目の終わりに、クラルは重要な演説を行った。
「グランベルクの民よ」クラルは王宮のバルコニーから街を見下ろしながら話した。「我々は今年、真の意味での理想社会の基盤を築きました」
街には天恩再生院、純華女学院、雅遊苑、そして聖鉄規訓院が建ち並び、それぞれが社会の安定と発展に貢献していた。
「教育により品格を、規律により秩序を、文化により豊かさを実現しました」クラルは続けた。「そして何より、すべての住民が適切な場所で、適切な教育を受けられる体制が完成したのです」
マーガレットの最終報告によると、グランベルク全体の犯罪率は前年比で95%減少し、教育水準は40%向上、文化活動参加率は300%増加していた。
「来年は、これらの制度をさらに発展させ、王国全体のモデルケースとしてグランベルクを完成させます」クラルは宣言した。
こうして、グランベルク王国は豊穣神クラルの統治の下、完全に統制された理想社会へと変貌を遂げていった。すべての住民が適切な場所で適切な役割を果たし、社会全体が調和した、真の意味での平和な王国が実現されつつあった。




