鍛冶屋になります、ただし鍛冶屋は副業です。
クラルの頭の中では、既に綿密な計画が組み立てられていた。
「分かりました」マリアは渋々といった様子で頷いた。「でも、何かあったらいつでも相談してくださいね」
「ありがとうございます」
ギルドを出る際、クラルは他の冒険者たちの視線を感じていた。好奇心、羨望、そして少しの敵意。様々な感情が混在している。
面倒なことになったな
翌日、クラルは工房探しを始めた。冒険者が話していた職人に興味を持ち鍛冶屋になろうと思ったのだ。当面は冒険者暮らしだろうと思っていたが、思わぬい高ランクに考えを前倒しにした。
ギルドを出たクラルが最初に直面したのは、現実的な問題だった。工房を借りるための資金が圧倒的に不足していた。
ガレスからもらった銀貨数枚では、せいぜい数日の宿代程度。工房の賃貸料や設備投資には到底足りない。
選択肢は限られている。
クラルは王都の金融事情を調査した。正規の銀行は貴族や大商人を相手にしており、身元の不確かな新参者には貸し渋る。必然的に、彼の選択肢は高利貸しに絞られた。
「商売を始めたいのですが、資金を貸していただけませんか?」
クラルが訪れたのは、商業区の裏通りにある小さな貸金業者だった。店主は中年の男性で、鋭い目つきが印象的だった。
「商売ねぇ...何をやるつもりだ?」
「鍛冶屋です」
「鍛冶屋?」店主は眉をひそめた。「噂のAランク様が何で鍛冶屋を?」
「元々鍛冶屋を始めたかったのですが資金がないので当分は冒険者暮らしをしようと登録したらAランクだったというだけです。鍛冶屋がダメそうでも依頼でなんとかなるでしょう?」
中年の男性は納得が行ったかのような表情を見せる。
「いくら必要だ?」
「金貨十枚をお借りしたく」
「十枚か...」店主は考え込んだ。「利子は月に三割だ。三ヶ月で元金と利子を合わせて十九枚五千。返せるかね?」
高利だが、やむを得ない。遅れたところで利子を多く払えばいいことだ。Aランクにはそれほどの価値がある
クラルは頭の中で計算を進めた。三ヶ月で約二十枚の金貨を用意する必要がある。
「承知いたします」
「じゃあ、これに署名してくれ」
契約書には厳しい条件が並んでいたが、クラルは迷わずサインした。
まずクラルは、王都の地図を入手し、商業区全体の構造を把握した。主要街道、貴族街、商人街、職人街の位置関係を頭の中に叩き込む。次に、各地区の地価相場を調査した。
「この辺りの店舗賃料はどの程度でしょうか?」
「職人街なら月に銀貨十枚程度ですが、商人街だと金貨二枚は必要ですね」
不動産業者からの情報を整理しながら、クラルは頭の中で計算を進めていた。立地、賃料、設備、将来性。全てを数値化して比較検討する必要がある。
彼が特に注目したのは、商業区と職人街の境界部分だった。職人街の安い賃料でありながら、商業区からのアクセスが良い。理想的な立地条件だった。
「あの、この物件はいかがでしょう?」
業者が案内したのは、まさにクラルが目を付けていた場所にある小さな店舗だった。前の住人が鍛冶屋だったという点も、彼の計画に合致していた。
店内を見回しながら、クラルは設備の状態を細かくチェックした。炉の構造、換気設備、工具の配置。全てが彼の基準を満たしていた。
これなら改造の手間も最小限で済む
「家賃は月に金貨一枚ということでしたね」
「はい。前の方が急に店を畳まれたので、少し安めに設定させていただいております」
クラルは内心で微笑んだ。前の鍛冶屋が失敗した理由は明らかだった。従来の手法に固執し、市場の変化に対応できなかったのだ。しかし、彼には全く異なる戦略があった。
「契約させていただきます」
資金を確保したクラルは、次に事業計画を練り始めた。しかし、彼のアプローチは一般的なものとは大きく異なっていた。
幼い頃の記憶を辿りながら、この世界の問題点を分析していく。特に、食材保存に関しては痛烈な経験があった。
腐った食材を食べざるを得なかった日々
あの頃は、食べ物が腐ることは避けられない現実だった。
もし、食材を長期間新鮮に保てる方法があったら...
クラルの頭の中で、一つのアイデアが形になった。氷による冷却。しかし、この世界では氷の入手は困難だった。冬場に採取して貯蔵するか、氷の魔法使いに依頼するしかない。
魔法による冷却を、魔法使いなしで実現できれば...
彼は王都の生活を観察し始めた。市場での食材の値段、腐敗による廃棄率、富裕層の食生活。全ての情報を収集し、分析した。
調査の結果、王都の食材廃棄率は夏場に急激に上昇し、全体の三割近くが腐敗により失われていた。これは膨大な経済損失を意味している。
需要は確実にある。問題は供給方法だ
具体的な商品設計に入る前に、クラルは材料の確保に動いた。しかし、彼のアプローチは通常の調達とは大きく異なっていた。
「珍しい依頼ですね」
ギルドの受付でマリアが首をかしげた。冒険者になってから、依頼を受ける前に、依頼を出すという行為も変なのだが、クラルが持参した依頼書には、「各種鉱石の収集」を言う依頼書も変だった。普通なら素材を指定するはずなのだ。
「研究用に様々な鉱石が必要なのです」クラルは説明した。「種類は問いません。見たことのない鉱石があれば、何でも納品してください」
「報酬は...」
「一つにつき銀貨五枚。珍しいものなら金貨一枚まで出します」
マリアは驚いた表情を見せた。鉱石収集の相場を大幅に上回る報酬だった。
「本当にそんなに出すんですか?」
「待遇が良くないとやる気にならないでしょう?」
彼が求めているのは、魔力を蓄積したり、変換したりできる鉱石。そうした素材を見つけることができれば、冷却装置の開発が大幅に進展する。
「分かりました。依頼として受け付けます」
数日後、複数の冒険者が様々な鉱石を持参した。赤い結晶、青い石、光る砂、冷たい金属片。どれもクラルが初めて見るものばかりだった。
「これは...面白い」
クラルは一つ一つの鉱石を手に取り、その特性を調べていった。魔力の流れ、温度変化、結晶構造。彼の観察眼は、それぞれの鉱石が持つ潜在能力を見抜いていた。
数日後、複数の冒険者が様々な鉱石を持参した。赤い結晶、青い石、光る砂、冷たい金属片。どれもクラルが初めて見るものばかりだった。
「これは...面白い」
クラルは一つ一つの鉱石を手に取り、その特性を調べていった。魔力の流れ、温度変化、結晶構造。彼の観察眼は、それぞれの鉱石が持つ潜在能力を見抜いていた。
まず、彼は系統的な分類を行った。
温度特性による分類
- 冷却系:青い結晶、白い金属片
- 加熱系:赤い結晶、黄色い鉱石
- 中性:緑の石、透明な結晶
魔力特性による分類
- 蓄積型:紫の結晶、虹色の石
- 変換型:光る砂、黒い鉱石
- 増幅型:金色の破片
しかし、クラルの真の洞察力はここからが本番だった。
単体では効果が弱すぎる
各鉱石を単独で使用した場合、冷却効果は限定的だった。フロストライトは確かに冷気を発するが、持続時間が短い。アイスメタルは長時間冷たさを保つが、冷却力が弱い。
組み合わせることで、互いの欠点を補完できるはずだ
鉱石の分析と並行して、クラルはスライムの活用法を考え編み出した。
「スライムを、容器に...」
クラルは工房の奥で、一人呟きながら作業を続けた。スライムを円柱の金属容器に詰めただけの単純な構造だった。
しかし、この単純さこそが重要だった。複雑な機構を使わずに、スライムの持つ自然な魔力変換能力を活用する。コストを抑えながら、安定した魔力供給を実現する理想的な方法だった。
「これでいい」
完成した装置を見て、クラルは満足げに頷いた。鉄製の筒の中にスライムを入れただけの、極めてシンプルな構造。しかし、その効果は確実だった。
頭の中では『スライム電池』と呼ぼう。しかし、商品名は『専用動力源』だ
クラルは意図的に技術的な詳細を隠蔽することにした。顧客に必要なのは効果であって、仕組みではない。むしろ、仕組みを秘匿することで競合他社の参入を防げる。
冷却ユニットの開発に着手する前に、クラルは最終製品である金属製冷却箱の設計を行った。彼の戦略では、完成品の仕様を先に決めることで、各コンポーネントの開発方針を明確にできる。
まず、顧客が何を求めているかを理解する必要がある
クラルは富裕層の生活様式を詳細に分析した。貴族の邸宅での食事、高級料理店での食材管理、商人の倉庫での保存方法。それぞれの用途に応じた最適なサイズと機能を検討した。
設計要件の整理
- 容量:一般家庭で一週間分の食材を保存できるサイズ
- 外観:富裕層の邸宅にふさわしい高級感
- 機能性:食材の種類に応じた区画分け
- 耐久性:長期間の使用に耐える頑丈な構造
- メンテナンス性:動力源の交換が容易な設計
単なる冷たい箱では不十分だ。付加価値を提供する必要がある
設計思想が固まると、クラルは実際の製造技術の習得に取りかかった。彼は既に鍛冶の基本技術を身につけていたが、精密な箱型構造の製作には新たな技術が必要だった。
板金加工技術の研究
まず、平らな金属板から箱型構造を作る技術を学んだ。単純な四角い箱なら比較的容易だが、冷却効率を考慮した複雑な内部構造には高度な技術が必要だった。
溶接技術の向上
気密性を確保するため、継ぎ目の処理が重要だった。従来の鍛接技術では限界があり、より精密な溶接技術を独学で習得した。
表面処理技術の開発
富裕層向けの商品として、美しい外観が求められた。金属の研磨、装飾的な模様の刻印、防錆処理など、機能性と美観を両立させる技術を開発した。
技術の習得には時間がかかるが、完成度の高い商品を作るためには必要な投資だ
技術的な準備が整うと、クラルは最初のプロトタイプ製作に着手した。しかし、彼のアプローチは極めて計画的だった。
第一段階:基本構造の製作
まず、シンプルな長方形の箱を製作した。外寸60cm×40cm×50cm、内寸55cm×35cm×45cmの中型サイズ。一般家庭での使用を想定した実用的なサイズだった。
材料には、アイスメタルの破片を混ぜた鉄合金を使用した。純粋な鉄よりも冷却効果の伝導性が高く、冷却ユニットの効果を箱全体に行き渡らせることができる。
第二段階:内部構造の設計
単純な空間ではなく、食材の種類に応じた効率的な配置を可能にする内部構造を設計した。
- 上段:野菜類用の浅い区画(湿度調整機能付き)
- 中段:肉類用の深い区画(血液排出機能付き)
- 下段:液体類用の安定した区画(転倒防止機能付き)
各区画は取り外し可能な設計とし、清掃やメンテナンスを容易にした。
第三段階:冷却システム統合部の準備
冷却ユニットを設置するためのスペースを上部に確保した。
- 冷却ユニット設置部:上部中央に20cm×20cm×15cmのスペース
- 魔力供給ライン:スライム電池から冷却ユニットへの接続部
- 冷気循環システム:箱全体に均等に冷気を循環させる通路
完璧な設計図があれば、再現性がとても高い。
機能面の設計が完了すると、クラルは外観デザインに注力した。富裕層向けの商品として、機能性だけでなく美的価値も重要だった。
装飾的要素の検討
- 表面の研磨:鏡面仕上げによる高級感の演出
- エンボス加工:側面に雪の結晶をモチーフにした模様
- 金属象嵌:取っ手部分に銅製の装飾を埋め込みこちらも高級感の演出
しかし、クラルは装飾を控えめにした。
機能美こそが真の美しさだ
過度な装飾は成金趣味として敬遠される可能性があった。むしろ、洗練されたシンプルさこそが真の高級感を演出できる。
最終的なデザイン
- 本体:艶消しシルバーの上品な仕上げ
- 取っ手:黒檀風の木材と金属の組み合わせ
- 蝶番:隠し蝶番による継ぎ目の最小化
- ロック機構:高級時計のような精密な金具
これなら貴族の邸宅にも違和感なく置ける
プロトタイプの製作経験を踏まえ、クラルは製造工程の標準化を行った。将来的な量産を見据えた重要な準備作業だった。
工程分析と時間測定
- 材料準備:鉄とアイスメタル破片の配合・溶解(3時間)
- 板金加工:箱型構造の成形・溶接(5時間)
- 内部構造製作:区画分けパーツの製作・組み立て(4時間)
- 表面処理:研磨・装飾加工・防錆処理(3時間)
- 品質検査:気密性・強度・外観チェック(1時間)
合計16時間で一台の製作が可能という計算になった。
品質管理基準の設定
- 気密性:内圧テストで基準値以上を維持
- 強度:50kg重量物の落下テストに耐える
- 外観:傷・変色・歪みが許容範囲内
- 寸法精度:設計値から±2mm以内
品質を担保できれば、高価格でも顧客は納得する
金属製冷却箱の製作と並行して、クラルは冷却ユニット用の合金開発を本格化させた。農村で培った知識を応用し始めた。土の配合による作物の成長促進、肥料の組み合わせによる効果増大。これらの経験から、鉱石にも最適な配合比があるはずだと考えた。
「まずは基本的な組み合わせから...」
彼は工房の炉を使い、異なる鉱石を溶かして合金を作る実験を始めた。最初の試みは単純な二元合金だった。
フロストライト70% + アイスメタル30%
溶解点の違いを計算し、フロストライトを先に溶かしてからアイスメタルを加える。結果として生まれた合金は、純粋なフロストライトよりも強い冷気を発し、持続時間も向上していた。
やはり相乗効果がある
次に、三元合金に挑戦した。
フロストライト50% + アイスメタル30% + マナクリスタル20%
マナクリスタルの魔力蓄積能力を加えることで、冷却効果の持続時間をさらに延長できると仮説を立てた。
しかし、この配合は失敗だった。三つの鉱石の溶解点が大きく異なり、適切に混合できなかった。
溶解点の調整が必要だ
クラルは物理的な特性も考慮し始めた。各鉱石の溶解点、比重、結晶構造を詳細に分析し、最適な配合比と溶解手順を計算した。
実験を重ねる中で、クラルは重要な発見をした。ルミナスサンドという光る砂が、他の鉱石の特性を増幅する効果を持つことだった。
これは触媒として機能している
化学的な知識はなかったが、クラルは直感的にその原理を理解した。ルミナスサンド自体は特別な効果を持たないが、他の鉱石の魔力特性を活性化させる働きがある。
フロストライト45% + アイスメタル30% + マナクリスタル20% + ルミナスサンド5%
この配合で作られた合金は、予想を遥かに上回る性能を示した。強力な冷気を発し、魔力供給があれば数週間にわたって効果を維持できた。
「これだ」
クラルは満足げに完成した合金を見つめた。青みがかった銀色の美しい金属は、触れただけで冷たさが伝わってくる。
これを『フロストアロイ』と名付けよう
成功に満足することなく、クラルはさらなる最適化を追求した。ルミナスサンドの配合比を変えることで、効果がどう変化するかを詳細に調べた。
配合比実験結果
- ルミナスサンド3%:冷却効果やや向上、持続時間変化なし
- ルミナスサンド5%:冷却効果大幅向上、持続時間延長
- ルミナスサンド7%:冷却効果は5%と同程度、持続時間短縮
- ルミナスサンド10%:冷却効果低下、持続時間大幅短縮
5%が最適解だ
さらに、温度管理による影響も調査した。合金を作る際の炉の温度、冷却速度、結晶化プロセス。全てが最終的な性能に影響を与えることが判明した。
特に重要だったのは、冷却速度だった。急激に冷やすと結晶構造が不安定になり、効果が減少する。逆に、ゆっくり冷やすと結晶が大きくなりすぎて、冷却効果が拡散してしまう。
中程度の冷却速度が最適
クラルは炉から取り出した合金を、計算された時間だけ放置してから水で冷やすという手順を確立した。この工程により、安定したフロストアロイを量産できるようになった。
フロストアロイとスライム電池の開発が完了すると、クラルは二つを組み合わせ冷却ユニットを作成。
冷却ユニットが完成すると、スライム電池が安定した魔力を供給し、ユニットが冷気を長期間発する仕組みだった。
しかし、ここでも彼の計算高い性格が発揮された。単純に組み合わせるのではなく、効率を最大化するための最適な配置を追求した。
既に製作済みの金属製冷却箱の設置スペースに合わせて、冷却ユニットの形状を調整した。
設計上の考慮点
- フロストアロイの表面積を最大化するための形状
- スライム電池からの魔力伝達効率
- 冷気の拡散パターン(既存の冷却箱内部構造に最適化)
- メンテナンス性と耐久性
- 設置スペース(20cm×20cm×15cm)への適合
最終的に、クラルが選択したのは円筒形の設計だった。中央にスライム電池を配置し、その周囲をフロストアロイのリングで囲む構造。魔力が効率的に伝達され、冷気が均等に放出される理想的な形状だった。
「完成だ」
冷却箱の完成はクラルは静かな達成感を覚えた。テストのため、肉と野菜を箱の中に配置してみる。数時間後、食材は冷たいまま保たれていた。
しかも、効果は彼の予想を上回っていた。フロストアロイの性能向上により、従来の氷魔法よりも強力で持続的な冷却効果を実現していた。
性能測定結果
- 内部温度:外気温より15度低く維持
- 持続時間:スライム電池交換なしで3週間継続
- 冷却均一性:箱内全域で±2度以内の温度差
- 消費電力:スライム電池2個で12時間稼働
これは革命的な性能だ
テスト結果を踏まえ、クラルは製品として市場に出すための最終調整を行った。
改良点の実装
- 冷却ユニットの固定方法改善(振動対策)
- スライム電池交換の簡素化(工具不要の設計)
- 温度表示機能の追加(魔力結晶による視覚表示)
特に重要だったのは、顧客による日常的なメンテナンスを考慮した設計だった。貴族や富裕商人が自分で複雑な作業を行うことは想定できない。
使いやすさこそが、長期的な顧客満足につながる
ユーザビリティの向上
- スライム電池交換:上蓋を開けて差し替えるだけ
- 清掃作業:内部パーツはすべて取り外し可能
- 温度調整:冷却ユニットの出力を3段階で調整可能
- 故障診断:異常時は警告用結晶が赤く光る
プロトタイプの成功を受けて、クラルは量産体制の構築に着手した。しかし、ここでも彼の戦略的思考が発揮された。
フロストアロイの配合は企業秘密にする
合金の作成工程は最も重要な技術的優位性だった。これを秘匿するため、クラルは一人ですべての工程を行うことにした。
一方、金属製冷却箱の製作とスライム電池の組み立ては比較的単純だった。こちらは将来的に外注することも可能だろう。
段階的な拡大戦略が必要だ
当面は手作業による少量生産に留め、需要の拡大に合わせて生産体制を拡張する。この段階的アプローチにより、品質を維持しながら事業を成長させることができる。
生産能力の計算
- 金属製冷却箱:週2台(16時間×2=32時間)
- フロストアロイ:週10個分(まとめて製作で効率化)
- スライム電池:需要に応じて調整可能。スライムと容器を用意するだけ
- 最終組み立て:週2台(1台あたり4時間)
月間8台の完成品を生産できる計算だが、スライム電池作成が基本となるだろう
技術開発が完了すると、クラルは商品戦略の最終調整に入った。三層構造による市場分化戦略は、技術的裏付けを得てより精緻なものとなった。
最上位層:一体型冷却箱
フロストアロイ製の冷却ユニットを組み込んだ金属製の箱。最高の性能と美しい外観を持つフラッグシップ商品。価格:金貨20枚
中間層:冷却ユニット単体
既存の容器に組み込み可能な冷却ユニット。技術力をアピールしつつ、コストパフォーマンスを重視する顧客向け。価格:金貨15枚
基盤層:スライム電池
消耗品として継続的な収入を生む中核商品。製造が簡単で利益率が高く、技術的秘匿性も確保しやすい。価格:銀貨10枚
この構造なら、どんな競合が現れても対応できる
クラルの戦略は、技術的優位性に基づいた強固な競争力を持っていた。単なる商品販売ではなく、技術標準の確立を目指した野心的な取り組みだった。
夜が更けるにつれ、クラルの確信は深まっていった。
この技術は世界を変える
冷却装置の開発成功は、彼にとって単なる商業的成功以上の意味を持っていた。従来の常識を覆し、独自の理論で新たな価値を創造したのだ。
工房の片隅に並ぶ完成品の金属製冷却箱。美しく仕上げられた外観の下に、革新的な技術が隠されている。この一台一台が、王国の食文化を変える可能性を秘めていた。
武器開発でも同じアプローチが使える
冷却技術の成功により、クラルは自分の方法論に絶対的な自信を持った。体系的な分析、仮説の構築、実験による検証、最適化の追求。このプロセスを武器開発にも応用すれば、革新的な成果が期待できる。
表向きは小さな鍛冶屋の主人。しかし、その実態は王国の技術レベルを一変させる可能性を秘めた天才発明家だった。
工房の中央に鎮座する金属製冷却箱の試作品。その洗練された外観は、クラルの技術力と美的センスの結晶だった。そして、内部に搭載された冷却ユニットは、この世界の常識を覆す革新的な技術の塊だった。
商品開発が順調に進む一方で、クラルは常に返済期限を意識していた。三ヶ月で金貨約二十枚。通常なら不可能な金額だが、彼には確信があった。
冷却箱一台で金貨二十枚。最低でも一台は売れる
彼の計算では、王都の富裕層は約八百世帯。その中で食材保存に困っている家庭は確実に存在する。需要と供給の関係を consider すれば、少なくとも数台の販売は見込める。
しかし、クラルは慎重だった。楽観的な予測に頼るのではなく、最悪の場合も想定して準備を進めた。
万が一売れなくても、スライム電池で元は取れる
スライム電池の利益率は異常に高い。制作コストが銀貨一枚で、販売価格が銀貨十枚。単純計算で十倍の利益率だった。これなら確実に借金を返済できる。
彼は夜遅くまで工房で作業を続けた。金属製冷却箱の製作、フロストアロイの精製、スライム電池の量産。全ての工程を一人でこなすのは体力的に厳しかったが、技術の秘匿性を保つためには必要なことだった。
商品が完成すると、クラルは販売戦略を実行に移した。最初のターゲットは、王都で最も高級な食材を扱う店舗だった。
彼は入念に下調べを行った。店主の性格、経営方針、顧客層、経営状況。全ての情報を収集し、最適なアプローチ方法を検討した。
「店主さん、少しお時間をいただけませんか?」
クラルが訪れたのは、貴族街に近い高級食材店だった。店主は五十代の商人で、長年この業界で生きてきた経験豊富な人物だった。彼の目は商人特有の鋭さを持っており、一筋縄ではいかない相手だと直感した。
「何か用かね?」店主は警戒した様子で尋ねた。見知らぬ若者が商談を持ちかけてくることに疑念を抱いている。
「食材保存の革新的な解決策をお持ちしました」
クラルは持参した小型の冷却箱を取り出した。これは販売用ではなく、デモンストレーション専用に作られた特別な品だった。中には前日に入れた魚が入っており、まだ新鮮な状態を保っていた。
「これは...冷たいじゃないか」店主は驚いた。手で魚に触れると、確かに氷で冷やしたような冷たさがある。「魔法使いもいないのに、どうして?」
「企業秘密ですが、特殊な技術を使っています」クラルは微笑んだ。「この装置があれば、夏場でも新鮮な食材を長期間保存できます」
店主の目が輝いた。商人の本能が、この技術の価値を理解したのだ。夏場の食材ロスは店の利益を大幅に圧迫する深刻な問題だった。特に高級食材を扱う店では、廃棄による損失は無視できない規模になる。
「で、いくらで売るつもりだ?」
「完成品は金貨二十枚です」
高額だったが、店主は真剣に検討した。夏場に失う食材の価値を考えれば、数ヶ月で元が取れる計算だった。むしろ、長期的に見れば大幅な利益増につながる投資だった。
「...一台買わせてもらおう」
クラルは内心で勝利を確信した。最初の顧客を獲得したことで、事業の成功への道筋が見えてきた。
最初の顧客を獲得したクラルは、次の展開を待った。彼の戦略では、口コミによる拡散が重要な要素だった。
しかし、これも偶然に任せるのではなく、綿密に計算されたものだった。クラルは王都の社会構造を詳細に分析し、情報がどのように伝播するかを予測していた。
食材店の売上は、予想通り劇的に改善した。夏場でも新鮮な魚や肉を提供できるようになったからだ。その効果は数字として明確に現れた。
食材廃棄率:30% → 5%に減少
顧客満足度:大幅に向上
客単価:新鮮な食材を求める客の増加により20%向上
利益率:廃棄コスト削減により35%改善
この劇的な改善は、すぐに業界内で話題となった。
「あの店の魚は夏でも新鮮だ」
「どうやら、特別な装置があるらしい」
「私も欲しいが、どこで買えるんだ?」
貴族たちの間で、冷却装置の噂が広まっていく。しかし、クラルは意図的に供給を絞った。希少性を保つことで、価値を高める狙いだった。
需要が供給を上回る状況を作り出せば、価値は自然に上昇する
彼は経済学の基本原理を実践していた。
消耗品ビジネスの確立
冷却装置の販売が軌道に乗ると、クラルは次の段階に移った。消耗品であるスライム電池の販売だった。
これこそが彼の事業戦略の核心だった。一度装置を販売すれば、顧客は継続的にスライム電池を購入しなければならない。これにより、安定した収入基盤を構築できる。
クラルは意図的に交換サイクルを短く設定していた。技術的にはより長持ちするスライム電池を作ることも可能だった。核を取り出し複数個入れてスライムで容器を満たせばいい。だが生産性と収益性を考慮してこの仕様にした。
顧客にとって、金貨二十枚で購入した装置を維持するために銀貨十枚を払うのは合理的だった。むしろ、新しい装置を購入するより遥かに安い。
これで継続的な収入が確保できる
クラルの計算では、一台の冷却装置につき月に銀貨十枚の収入が見込める。十台売れば月に金貨一枚、百台なら金貨十枚の安定収入だった。
この収益モデルの優秀さは、時間の経過とともに明らかになった。装置の販売による一時的な収入よりも、スライム電池による継続的な収入の方が遥かに大きくなっていった。
借金の返済期限が近づく頃、クラルの事業は予想を上回る成功を収めていた。
詳細な売上分析
冷却装置の売上:金貨八十枚(四台販売)
スライム電池の売上:金貨十五枚(継続販売)
冷却ユニット単体:金貨五枚(試験販売)
合計で金貨百枚の売上を達成していた。借金の返済額は金貨約二十枚だったので、大幅な余裕があった。
さらに重要なのは、継続的な収入基盤が確立されたことだった。既存顧客からのスライム電池購入により、月に金貨二枚程度の安定収入が見込める状況になっていた。
「お金をお返しに来ました」
高利貸しの店主は、クラルの成功を信じられない様子だった。
「本当に返せるのか?三ヶ月でこんなに稼ぐなんて...」
「商売は順調でした」クラルは謙遜した。実際には、彼の予想を遥かに上回る成功だったが。
店主はクラルを見る目を変えていた。最初は怪しい若者だと思っていたが、今や有望な事業家として認識している。
借金を完済したクラルは、ようやく心から安堵した。これで本当の意味でスタートラインに立てる
資金的な余裕ができたクラルは、ようやく表向きの鍛冶屋開業に取りかかった。しかし、これも全て計算され尽くしたものだった。
鍛冶屋『風見鶏』作りたい物を作り、その場その場で需要の高いものを作る、もしくは需要を作るそう言う目的だ。
刃のない鉄の棒、異様に重いハンマー、貫通させることに特化した槍。耐久力と引き換えに切れ味を追求した薄い刃のナイフ。どれも初見では実用性を疑われるような代物だった。しかし、クラルにとってこれらは単なる実験作品ではなかった。
武器の本質を追求すれば、このような形になる
彼の頭の中には、武器に関する独自の理論体系があった。切る、刺す、叩くという基本動作を、より効率的に行うための形状。従来の美学や慣習を排除し、純粋に機能性を追求した結果だった。
特に刃のない鉄の棒、叩鉄棒は、彼も愛用し、長年つい重ねた理論の結晶だった。刃がないことで破損の可能性が低く、重量とバランスにより絶大な破壊力を発揮する。メンテナンスも簡単で、実戦での信頼性が高い。
表向きの鍛冶屋業と、裏の冷却装置販売。クラルは巧妙にこの二重生活を確立していった。
日中:鍛冶屋としての活動
店に立ち、訪れた客に武器の説明
奇妙な武器への好奇心を満たす
冒険者たちとの情報交換
武器理論の検証と改良
夜間:技術者としての活動
冷却装置の製造
フロストアロイの精製
スライム電池の量産
富裕層への営業活動
この使い分けは完璧だった。二つの活動は全く異なる顧客層を対象としており、相互に干渉することがない。
冷却装置の販売は完全に口コミベースで行った。最初の顧客である高級食材店の店主が、他の商人に紹介してくれる。その商人がまた別の富裕層に紹介する。こうして、クラルの名前は貴族社会に静かに浸透していった。
広告を出さず、紹介制にすることで希少性を演出する
彼の戦略は見事に成功した。冷却装置は富裕層の間でステータスシンボルとなり、「風見炉の冷却装置を持っている」ことが一種の社会的地位を表すようになった。
一方、表の鍛冶屋業は意図的に低迷させていた。奇妙な武器に興味を持つ客はいても、実際に購入する者は稀だった。これもクラルの計算通りだった。
鍛冶屋で利益を上げる必要はない。看板があれば十分だ
『風見鶏』には、日々様々な客が訪れた。しかし、クラルは彼らを単なる客とは見なしていなかった。それぞれが持つ動機、期待、懸念を瞬時に分析し、最適な対応を取っていた。
好奇心旺盛な冒険者への対応
「こんな武器、見たことないな」
「従来の武器の概念を覆すことを目指しております」クラルは熱心に説明した。「例えば、この叩鉄棒は刃がないことで破損リスクを排除し、重量配分により最大の破壊力を実現しています」
実用性を重視する戦士への対応
「でも、実際に使えるのか?」
「実用性こそが、私の武器の真価です」クラルは自信を込めて答えた。「従来の武器は美観と機能性を内包していますが、私の武器は純粋に戦闘効率を追求しています」
経済的な冒険者への対応
「値段はどのくらいだ?」
「一品物なので相応の価格になりますが、長期的なコストパフォーマンスを考慮すれば決して高くありません」クラルは論理的に説明した。「メンテナンス費用と買い替え頻度を計算してみてください」
クラルの応答は常に的確だった。相手の性格、立場、ニーズを瞬時に把握し、最も効果的な言葉を選択する。この能力は、過酷な幼少期を生き抜く過程で磨かれたものだった。
人の心を読むことは、生存のための必須スキルだった。
クラルは、確実に新たな段階へと歩を進めていた。