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即位1年目:信仰と福祉による統合

即位から一週間後、クラル・グランベルク王とエリザベス・グランベルク王妃は、王宮となった旧工房の最上階にある執務室で、山積みの課題に向き合っていた。窓の外には、祝祭から日常に戻ったグランベルクの街並みが広がっている。市場では早朝から商人たちの活気ある声が響き、農地では秋の収穫作業が本格化していた。


「まず何から手をつけるべきでしょうか」エリザベスは、机の上に広げられた様々な報告書を見ながら尋ねた。彼女の手元には、人口統計、経済分析、そして各地区からの要望書が山積みになっていた。


クラルは立ち上がり、壁に掛けられたグランベルクの詳細地図を見つめた。地図には色分けされた各地区と、現在建設中の住宅地、そして問題となっている東部の不法居住区が記されていた。


「人口問題の根本的解決には時間がかかる」クラルは地図を指差しながら言った。「しかし、まず国民の統合と結束を図る必要がある。新しい王国として、人々が絶対的な信頼と一体感を持てるような制度が必要だ」


エリザベスは頷いた。「父上からも、新しい国家には強力な精神的支柱が必要だと助言されました。特に、様々な出身地から集まった人々を完全に統合するには...」


「宗教だ、国民全体の団結力を底上げするにはそれしかない」クラルは振り返って言った。「しかし、既存の宗教ではない。私を中心とした、グランベルク独自の絶対的な信仰体系が必要だ」


二人の会話は、エドワードが執務室に入ってきたことで中断された。新たに産業大臣に任命された彼は、分厚い報告書を抱えていた。


「陛下、王妃陛下」エドワードは丁重に一礼した。「緊急に報告すべき事案があります」


「何だ、エドワード?」クラルは彼の深刻な表情に気づいた。


「東部の不法居住区で、病気の子供が増えています」エドワードは報告書を開いた。「衛生状態の悪化により、特に生まれつき体の弱い子供たちが危険な状態にあります」


エリザベスの表情が心配そうに曇った。「どれくらいの数の子供たちが?」


「現在確認されているだけで約50名です。その多くが栄養失調や呼吸器系の疾患を患っています」


クラルは眉をひそめた。「医療施設は?」


「不法居住区には医者も薬もありません。住民たちは正規の居住者ではないため、市場の医療施設へのアクセスも限られています」


この報告を聞いて、クラルの頭の中で一つのアイデアが形を取り始めた。


「エドワード、マーガレットも呼んでくれ。緊急会議を開く」


30分後、王宮の会議室にはクラル、エリザベス、エドワード、マーガレット・ブックワーム、そしてバルドス・グレンウッドが集まっていた。農業大臣となったバルドスは、各地区の住民代表との連絡役も兼ねており、人々の声を政府に届ける重要な役割を担っていた。


「現在の状況を整理しよう」クラルは会議を始めた。「東部不法居住区の問題は氷山の一角だ。マーガレット、全体的な状況はどうだ?」


マーガレットは資料を整理しながら答えた。「現在、グランベルク全域で約300名の障害を持つ子供、または病弱な子供がいると推定されます。これは人口5万人に対して0.6%という数値ですが、これらの子供たちの多くが適切なケアを受けられていません」


「理由は?」エリザベスが尋ねた。


「複数の要因があります」マーガレットは続けた。「まず、医療施設の不足。次に、親たちが農作業や工房での労働に追われ、特別なケアが必要な子供に十分な時間を割けない。そして最も深刻なのは、一部の住民が障害のある子供を『負担』『恥』として捉える風潮があることです」


バルドスが口を開いた。「確かに、住民たちと話していると、そのような声を聞くことがあります。特に流入してきた住民の中には、『グランベルクの繁栄を妨げる存在』として、病気の子供を疎んじる者もいます」


クラルは深く考え込んだ。この問題は単なる福祉政策では解決できない。人々の意識、価値観、そして社会全体の在り方に関わる根本的な問題だった。しかし、それ以上に重要なのは、この問題を利用して国民の完全な統合を図ることだった。


「諸君」クラルは会議室の中央に立った。「これは単なる福祉問題ではない。これは新王国の根幹を築く絶好の機会だ」


全員がクラルの真意を測りかねる表情を見せた。


「私は農業革命を成し遂げた。焼け野原を豊穣の大地に変え、王国の食料自給率を20%も向上させた。これは人間の力だけで成し遂げられることではない」


クラルの声に力が籠もってきた。


「私を『豊穣神クラル』として崇める新しい信仰体系を確立する。そしてその信仰の中で、病気の子供、障害のある子供たちを『神に選ばれし特別な存在』として位置づけるのだ」


会議室に静寂が流れた。全員がクラルの言葉の重大さを理解していた。


「それは...」エドワードが慎重に言葉を選んだ。「陛下ご自身を神として崇めるということですか?」


「その通りだ」クラルは断言した。「東方神道の思想を参考にする。神道では、偉大な力を示した人物、素晴らしい業績を残した者を神として崇めるのが自然なのだ。私の農業革命こそ、まさにその神性の証明ではないか」


エリザベスは夫の大胆な構想に驚いていたが、政治的洞察力の鋭い彼女は、この戦略の有効性をすぐに理解した。


「確かに」エリザベスは慎重に言った。「あなたが成し遂げた業績は、まさに神業といえるものです。人々がそれを神性として受け入れることは可能でしょう」


マーガレットが実務的な質問をした。「しかし、人々は本当にクラル陛下を神として受け入れるでしょうか?」


「受け入れる」クラルは確信を持って答えた。「なぜなら、彼らは私の力を目の当たりにしているからだ。3年前の焼け野原を覚えているだろう?今見える豊かな農地を覚えているだろう?私が不可能を可能にしたことを、彼らは自分の目で見ている」


バルドスが手を上げた。「確かに住民たちは陛下への尊敬と感謝の念を抱いています。特に農業従事者にとって、陛下は恩人以上の存在です」


「そこが重要だ」クラルは説明を続けた。「神道の本質は、実際に力を示した存在、素晴らしい恩恵をもたらした存在を神として敬うことにある。私は理論ではなく、実績で神性を証明している」


クラルは窓の外の豊かな農地を指差した。


「見よ、あの豊穣の大地を。誰が作ったと思う?私だ。誰の指導で王国の食料事情が劇的に改善されたと思う?私だ。そして今、誰がグランベルクを新たな王国として独立させ、更なる繁栄へと導こうとしている?私だ」


会議室の空気が変わった。クラルの言葉には圧倒的な説得力があった。


「豊穣神クラルとして、私は国民に絶対的な庇護を約束する。そして、病気の子供、障害のある子供たちは、神である私が特別に愛する子供たちとして位置づけられる」


エドワードが質問した。「具体的には、どのような形で信仰を確立するのですか?」


「教会を建設する」クラルは断言した。「豊穣神クラルを祀る神殿でありながら、同時に病気の子供たちのための医療・教育施設でもある総合的な聖域だ」


翌日、クラルは一人で王宮の図書室にこもり、東方神道の研究を深めていた。しかし、彼が注目していたのは謙虚な神道ではなく、統治者を絶対的存在として位置づける側面だった。


「東方神道の核心は『現人神』の概念だ」クラルは古い文献を読みながら呟いた。「統治者は神の化身として、絶対的な権威を持つ。そして人々は、その統治者が示した力と恩恵によって、自然にその神性を受け入れる」


彼が特に注目していたのは、神道における「神格化のプロセス」だった。偉大な業績を残した人物が、死後ではなく生前に神として崇められるケースが数多く記録されていた。


「重要なのは、人々が『この人物は普通の人間ではない』と心から信じることだ」クラルは考えを整理した。「そのためには、継続的に神性を示す必要がある」


その時、エリザベスが図書室に入ってきた。彼女は妊娠3ヶ月を迎え、体調も安定していた。表情には新たな生命を宿した女性特有の輝きがあった。


「お疲れ様です」エリザベスはクラルの肩に手を置いた。「昨日の会議の内容、じっくり考えてみました」


「どう思う?」クラルは振り返って尋ねた。


「正直に申し上げて、最初は驚きました」エリザベスは率直に言った。「しかし、王国時代の政治を見てきた私の経験から言えば、これは非常に効果的な統治戦略だと思います」


クラルは安堵の表情を見せた。「詳しく聞かせてくれ」


「父上の王国では、様々な地域、様々な階級の人々を統合するのに常に苦労していました」エリザベスは椅子に座りながら説明した。「貴族は貴族の利益を、商人は商人の利益を、農民は農民の利益を主張し、統一された国家意識を作るのは困難でした」


「確かに、グランベルクも似た状況だ」クラルは頷いた。


「しかし、絶対的な神的存在があれば状況は一変します」エリザベスは続けた。「すべての人々が同じ神を崇拝し、その神の意志に従うことで、完全な統合が実現される」


クラルの瞳が輝いた。エリザベスの分析は的確だった。


「そして、あなたなら本当に神として受け入れられると思います」エリザベスは夫を見つめて言った。「農業革命は本当に奇跡的でした。私も王国にいて、その驚異的な成果を見てきました」


「ありがとう、エリザベス」クラルは感謝を込めて言った。「君の支持は何より心強い」


「しかし」エリザベスは重要な点を指摘した。「神格化を成功させるには、綿密な戦略が必要です。人々の心に深く根ざした信仰にするまでには、相当な準備と演出が必要でしょう」


クラルは立ち上がり、窓の外の風景を見つめながら言った。


「まず、私の過去の業績を神話化する必要がある。単なる農業技術の改良ではなく、神の力による奇跡として語り継がれるようにするんだ」


「具体的には?」


「語り部を育成し、『豊穣神クラルの奇跡』として物語を作り上げる。焼け野原から一夜にして緑の芽が出た話、クラルが手をかざすだけで作物が育った話、そういった神話的エピソードを創作し、広めていく」


エリザベスは感心したように頷いた。「なるほど。事実に基づきながらも、神秘的な要素を加えて神話にするのですね」


「そうだ。そして重要なのは、現在進行形で神性を示し続けることだ」クラルは振り返った。「病気の子供たちの治癒、困窮者への救済、そして何より、人口問題という危機の解決。これらすべてを神の力として演出する」


クラルは机に戻り、メモを取り始めた。


「まず教会建設から始める。しかし、これは単なる宗教施設ではない。豊穣神クラルの神殿であり、同時に神の慈悲を具現化した救済施設でもある」


「建設過程も重要ですね」エリザベスが指摘した。「神殿の建設そのものが、神の意志の現れとして演出されるべきでしょう」


「その通りだ。建設地の選定から始まり、すべてが神の啓示によるものとして語られる必要がある」


二人は夜遅くまで、神格化戦略の詳細を検討した。神話の創作、儀式の設計、神殿の建築、そして何より、人々の心に深く根ざした信仰をどのように育てるかについて、様々な角度から議論が重ねられた。


翌週、クラルは特別な会議を招集した。参加者は、エリザベス、エドワード、マーガレット、バルドス、そして新たに招聘された文学者のアルフレッド・ストーリーテラーだった。


アルフレッドは王都で宮廷詩人として活動していた50代の男性で、民衆の心を捉える物語の創作に長けていた。クラルが特別に招聘し、グランベルクの文化顧問として迎え入れたのだ。


「皆さん」クラルは会議を始めた。「今日の議題は、新しい信仰体系の基盤となる神話の創作です」


アルフレッドは興味深そうに身を乗り出した。「陛下、具体的にはどのような神話をお考えでしょうか?」


「『豊穣神クラルの奇跡』として、私の過去の業績を神話化したいのです」クラルは説明した。「農業革命を神の力による奇跡として語り継げるような物語を作りたいのです」


「素晴らしいアイデアです!」アルフレッドの目が輝いた。「民衆は神話的な物語を愛します。特に、身近な人物が神となる物語は強い印象を与えるでしょう」


マーガレットが実務的な質問をした。「しかし、事実と異なる内容を広めることに問題はないでしょうか?」


「事実を完全に無視するわけではありません」クラルは答えた。「実際に起こったことを基に、神秘的な要素を加えて神話にするのです」


エリザベスが補足した。「王国の歴史でも、偉大な王たちの業績は神話化されています。それは嘘ではなく、真実をより印象的に伝える手法なのです」


アルフレッドが具体的な提案をした。「では、神話の構成を考えてみましょう。まず『神の誕生と成長』から始めるのはいかがでしょうか」


「詳しく聞かせてください」クラルは身を乗り出した。


「『豊穣神クラル降臨譚』として、陛下の生い立ちから神としての覚醒までを描くのです」アルフレッドは興奮気味に説明し始めた。


アルフレッドは立ち上がり、まるで実際に語っているかのように、神話の内容を語り始めた。


「昔々、王国の北部にウィンドファームという小さな村がありました。その村の痩せた土地では、どんなに努力しても作物は育たず、人々は貧困に苦しんでいました」


会議室の全員が、アルフレッドの語りに引き込まれていく。


「しかし、ある夜、村に不思議な光が降り注ぎました。その光の中から、一人の美しい赤子が現れたのです。それが、後に豊穣神となるクラル様でした」


バルドスが感心したように言った。「私はクラル陛下の幼少期を知っていますが、確かに普通の子供ではありませんでした」


「そうですね」アルフレッドは続けた。「では、幼少期のエピソードも神話に織り込みましょう。『神の子クラルが触れた種は、どんな痩せた土地でも必ず芽を出した』『クラルが祈りを捧げると、雨が降り、太陽が輝いた』といった具合に」


クラルは満足そうに頷いた。「実際、私は様々な実験を行っていました。それを神秘的に脚色するのは良いアイデアです」


「次に、『神の試練と成長』の章です」アルフレッドは続けた。「クラル様が20歳で村を出て、冒険者となられた時期ですね」


エリザベスが質問した。「その時期のことも神話にするのですか?」


「もちろんです」アルフレッドは力強く答えた。「『神は自らの力を試すため、人間界で修行することを決意された。農村の青年として生まれ変わり、あらゆる困難に立ち向かうことで、真の神としての覚醒を目指されたのです』」


クラルは感心した。「なるほど、冒険者時代の経験も、神の修行として位置づけるわけですね」


「その通りです。そして『ドラゴンブレイカー』の称号を得られたことも、重要なエピソードになります」


アルフレッドは声に迫力を込めて語った。「『神は炎の龍と対峙し、その圧倒的な力で古龍を屈服させた。このとき、神の真の力が初めて世に示されたのである』」


「素晴らしい!」エドワードが感嘆の声を上げた。「確かに、ドラゴン討伐は普通の人間にはできない偉業です」


「そして最も重要な『農業革命』の部分です」アルフレッドは最高潮の声で語った。


「『神は長い修行を終え、ついに真の使命に目覚めた。焼け野原となったグランベルクの地に立った神は、天に向かって誓いを立てた—この地を豊穣の楽園とすると。神が大地に手をかざすと、死んだ土は息を吹き返し、魔法のような力で緑の芽が一斉に顔を出した』」


会議室は静まり返った。アルフレッドの語りには、聞く者を魅了する力があった。


「『3年の間、神は昼夜を問わず大地を慈しみ、作物を育てた。神の愛を受けた作物は、これまで見たことのない豊かさで実り、人々は神の恵みに涙を流して感謝した』」


バルドスの目に涙が浮かんでいた。「まさに、その通りでした。あの3年間は本当に奇跡の連続でした」


「最後に『神の王位継承』です」アルフレッドは厳かに語った。


「『神の偉業は王国全体に知れ渡り、ついに王自らが神を認めた。エリザベス王女との神聖な結婚により、神は地上の王位を受け継ぎ、永遠に人々を守ることを誓われたのである』」


エリザベスは感動して言った。「私たちの結婚も、神話の一部になるのですね」


「そうです」アルフレッドは微笑んだ。「そして今、神は新たな試練に立ち向かっておられる。病気の子供たちを救い、人口問題を解決するという、神にしかできない偉業を成し遂げようとしておられるのです」


クラルは深く感動していた。「アルフレッド、君の才能は素晴らしい。この神話なら、必ず人々の心を捉えるでしょう」


「ありがとうございます、陛下」アルフレッドは恭しく頭を下げた。「これらの物語を、10名の語り部に教え込みます。彼らが各地区で定期的に語ることで、神話は人々の心に深く根ざすでしょう」


神話の創作が完了すると、アルフレッドは語り部の選考と訓練を開始した。選ばれたのは、演技力があり、人々の心を掴むのが上手な10名の男女だった。


語り部の一人、マリア・ヴォイステラーは元酒場の歌手で、美しい声と表現力豊かな語りで人気を集めていた。


「今日は『神の誕生』の章を練習しましょう」アルフレッドは語り部たちを指導していた。「重要なのは、聞き手が本当にその場面を見ているような臨場感を作ることです」


マリアは美しい声で語り始めた。


「その夜、ウィンドファームの村に奇跡が起こりました。空から金色の光が降り注ぎ、村の中央の古い樫の木の下に、一人の美しい赤子が現れたのです」


アルフレッドは感心して頷いた。「素晴らしい。聞いている人が、実際にその光景を見ているように感じられます」


別の語り部、トーマス・ファブルスピナーは男性らしい力強い声で戦闘場面を得意としていた。


「ドラゴンとの戦いの場面を聞かせてください」アルフレッドがリクエストした。


トーマスは立ち上がり、まるで戦場にいるかのような迫力で語った。


「巨大な赤いドラゴンが咆哮を上げ、炎の息でバーニングマウンテン全体が燃え上がりました。しかし、若き神クラルは恐れることなく、神聖な剣を構えて龍に立ち向かったのです」


聞いている語り部たちも、その迫力に引き込まれていた。


「神の剣が一閃すると、龍の鱗は砕け散り、古龍は神の前に屈服いたしました。この日から、クラル様は『ドラゴンブレイカー』と呼ばれるようになったのです」


アルフレッドは満足そうに拍手した。「完璧です。これなら聞く人々も、神の偉大さを実感できるでしょう」


語り部たちは1ヶ月間の厳しい訓練を受け、ついに各地区での語りを開始した。最初は週に1回、市場広場や各地区の集会所で「娯楽」として物語を語り始めた。


最初の語り会は市場広場で行われた。夕暮れ時、仕事を終えた人々約200名が集まった。マリア・ヴォイステラーが中央に立ち、美しい衣装を身にまとって語り始めた。


「皆様、今宵は『豊穣神クラル降臨譚』をお聞きいただきます」マリアの声は広場の隅々まで響いた。「これは私たちの愛する陛下の、神としての真実の物語です」


聴衆の中には、クラルの農業革命を直接体験した農民たちが多数いた。彼らは興味深そうに耳を傾けていた。


「昔々、王国の北部にウィンドファームという貧しい村がありました...」


マリアが語り始めると、広場は静寂に包まれた。彼女の美しい声と巧みな表現力により、聴衆は物語の世界に引き込まれていった。


「空から金色の光が降り注ぎ、神の子クラルが現れました...」


農民の一人、ジョン・ファーマーが隣の友人に小声で言った。「確かに、陛下は子供の頃から特別だったと聞いている」


「クラル様が触れた種は、どんな痩せた土地でも必ず芽を出しました...」


別の農民、サラ・グローワーが感嘆の声を上げた。「今思えば、陛下の農業技術は本当に神業だった」


物語が進むにつれ、聴衆の反応は熱を帯びてきた。特に「ドラゴン討伐」の場面では、子供たちが目を輝かせて聞き入っていた。


「巨大な赤いドラゴンが咆哮を上げ、炎の息でバーニングマウンテン全体が燃え上がりました」マリアの声は戦場の緊張感を完璧に表現していた。


「わあ!」子供たちから歓声が上がった。


「しかし、若き神クラルは恐れることなく、神聖な剣を構えて龍に立ち向かったのです」


工房の職人マイケルが感心したように言った。「あのドラゴンブレイカーの称号は本当だったのか」


そして物語が最も重要な部分—グランベルクの歴史に直接関わる部分—に入ると、聴衆の雰囲気が一変した。


「神は冒険者としての修行を終え、故郷に戻ろうとしていました」マリアは声のトーンを変えた。「しかし、グランベルクの地で恐ろしい災害が起こっていたのです」


聴衆は息を呑んだ。多くの人々が、この災害を実際に体験していたからだ。


「グリムハウンドという魔獣が312体も大量発生し、森を破壊し尽くしていました。これらの魔獣は凶暴化し、もはや人間の手には負えなくなっていたのです」


農民のバルドスが重々しく頷いた。「あの時は本当に恐ろしかった...」


「王国のギルドは決断しました。大量の魔法使いを雇い、森ごと焼き払うと」マリアの声は悲痛さを帯びた。「そして神クラルも、この絶望的な戦いに参加されたのです」


「神は100人の魔法使いと共に立ち上がりました。『この災いを終わらせよう』と」


聴衆の中から、当時を知る住民の声が漏れた。


「私も見ていた...」農民の一人が震え声で言った。「あの巨大な炎が空を覆った日を...」


「神の力と魔法使いたちの魔法が一つになり、グリムハウンドたちは炎に包まれました。しかし、それと同時に、美しい森もまた燃え尽きてしまったのです」


マリアは一瞬沈黙し、聴衆の心に余韻を残した。


「2000ヘクタールの土地が焼け野原となりました。魔獣は滅びましたが、大地は死んだように静まり返ったのです」


「そうだった...」住民たちは口々に呟いた。「何も残らなかった...」


そして、物語は最高潮を迎えた。


「しかし!」マリアの声が響き渡った。「真の神の力はここから発揮されたのです!」


聴衆は身を乗り出した。


「神クラルは焼け野原に立ち、天に向かって誓いを立てました—『この死んだ大地を、王国一の豊穣の地にしてみせる』と」


農民たちの目に涙が浮かんだ。彼らは実際にその奇跡を体験していた。


「神が大地に手をかざすと、死んだ土は息を吹き返し、魔法のような力で緑の芽が一斉に顔を出したのです」


「そうだ、そうだった!」複数の農民が口々に叫んだ。「あの時の収穫は本当に奇跡的だった!」


「3年の間、神は昼夜を問わず大地を慈しみ、作物を育てました。神の愛を受けた作物は、これまで見たことのない豊かさで実り、人々は神の恵みに涙を流して感謝したのです」


物語が終わると、広場は大きな拍手に包まれた。しかし、それは単なる娯楽への拍手ではなく、神への畏敬と感謝を込めた拍手だった。


「ありがとうございました」マリアが深々と頭を下げると、聴衆の一人が立ち上がった。


「マリアさん、この物語はいつでも聞けるのですか?」商人のジョン・トレーダーが質問した。


「はい、毎週水曜日の夕方にここで語らせていただきます」マリアは微笑んで答えた。


「ぜひまた聞かせてください」女性住民の一人が興奮して言った。「私の子供たちにも聞かせてあげたいわ」


同じ頃、別の地区では男性語り部のトーマス・ファブルスピナーが、より戦闘的な演出で同じ物語を語っていた。


「グリムハウンドとの最終決戦の夜」トーマスの力強い声が工房地区の集会所に響いた。「神クラルは最前線に立っていました」


工房の職人たちが息を呑んで聞き入った。


「312体のグリムハウンドが血に飢えた目で迫ってくる中、神は一歩も引きませんでした」


「100人の魔法使いたちが『クラル様、危険です!』と叫びましたが、神は答えました。『この災いは私が終わらせる』と」


職人のエドワードが感嘆の声を上げた。「さすがクラル様だ...」


「そして神が剣を天に掲げた時、空から神聖な炎が降り注いだのです!その炎はグリムハウンドだけを焼き、木々も巻き込んで燃え上がりました」


「しかし神は言いました。『心配するな。この焼け野原から、必ず新しい命を生み出してみせる』と」


聴衆は固唾を呑んで続きを待った。


「そして3年後...」トーマスは劇的に間を置いた。「見よ!あの豊穣の大地を!神の約束は果たされたのです!」


工房の職人たちから大きな拍手が起こった。


神話が人々の間に浸透し始めた頃、クラルは次の段階に進んだ。教会建設予定地の選定を、神託による導きとして演出することにしたのだ。


ある秋の朝、クラルは主要な側近たちと共に、グランベルク各地を「神託の地を探すための巡礼」として視察して回った。この視察には、各地区の代表者約30名も同行していた。


「豊穣神は私に啓示を与えられた」クラルは一行を前に厳かに宣言した。「新しい神殿を建設すべき聖なる地があると」


人々は息を呑んで、クラルの言葉に耳を傾けた。語り部による神話のおかげで、クラルを神として認識する住民が急激に増えていた。


最初に訪れたのは、市場広場から東に1キロメートル離れた丘の中腹だった。クラルは丘の頂上に立ち、しばらく瞑想するような仕草を見せた。


「ここは...」クラルは目を閉じて言った。「確かに神聖な力を感じるが、まだ神が望まれる場所ではない」


同行していた住民たちは、クラルの神秘的な行動に畏敬の念を抱いていた。


「さすが神様だ」農民の一人が小声で言った。「本当に見えないものが見えるのね」


次に訪れたのは、市場広場の南側にある平地だった。ここでもクラルは同様の瞑想を行ったが、やはり「神の意にかなわない」と判断した。


「この場所も神聖ですが」クラルは首を振った。「まだ真の聖地ではありません」


そして最後に、一行は北部の森林地帯に到達した。ここは、かつてグリムハウンドの災害で焼け野原となった場所から数キロ離れた、奇跡的に災害を免れた森の一角だった。


古い木々が鬱蒼と茂る森の入り口で、クラルは突然立ち止まった。


「ここだ...」クラルの声は震えていた。「強い神的な力を感じる。この森は...神に守られて災害を免れた聖なる地だ」


一行が森の中に入ると、木漏れ日が美しい光の柱を作り、小鳥のさえずりが神秘的な雰囲気を醸し出していた。そして森の奥で、天然の湧き水が小さな池を作っているのを発見した時、クラルは突然膝をついた。


「神よ!」クラルは池に向かって叫んだ。「ここがあなたの望まれる聖地ですね!この清らかな水と、災害から守られた森が、あなたの慈悲の象徴なのですね!」


まるで神が答えたかのように、その瞬間、池の水面に美しい波紋が広がった。実際には事前に仕込んでおいた部下が水中から石を投げたのだが、タイミングが完璧だった。


「おお...」同行していた住民たちから驚嘆の声が上がった。


「豊穣神がお答えになった!」バルドスが興奮して叫んだ。「この森は神に守られていたのだ!」


「ここに神殿を建設いたします」クラルは立ち上がり、厳かに宣言した。「災害から守られた聖なる森に、豊穣神クラルの神殿を!」


住民たちは跪き、クラルに向かって深々と頭を下げた。この瞬間、多くの人々の心の中で、クラルは単なる優秀な指導者から、真の神聖な存在へと完全に変化した。


その夜、グランベルクの各地区で、「神託による聖地の選定」の話が語り継がれた。しかし、話は語られるたびに更なる神秘性を増していった。


「クラル神様が森に入られた時、動物たちが集まってきて頭を下げた」


「池の水が金色に光って、天使の声が聞こえた」


「神様の足跡から花が咲いた」


語り部たちも、これらの新しいエピソードを積極的に物語に取り入れていった。アルフレッドは「神話は生きものだ」と語り部たちに説明していた。


「人々の信仰が深まるにつれ、神話も成長していくのです」アルフレッドは指導していた。「新しいエピソードが生まれるのは自然なことです。ただし、神への敬意を失わないよう注意してください」


こうして、「豊穣神クラル降臨譚」は日々進化を続け、人々の心により深く根ざしていった。


建設予定地が決まると、クラルは住民への正式な説明会を開催した。しかし今回は、従来の政治的な説明会ではなく、宗教的な儀式として演出された。


会場は市場広場の大きな集会所で、住民約500名が集まった。会場には特別な装飾が施され、クラルが座る場所には簡易的な祭壇が設けられていた。豊穣を象徴する麦の穂、美しい花々、そして金色の布で祭壇は荘厳に飾られていた。


「グランベルクの民よ」クラルは白い神官服のような衣装を身にまとい、威厳に満ちた声で話し始めた。「今日、私は皆さんに重要な啓示をお伝えします」


会場は静寂に包まれた。人々の表情には緊張と期待が入り混じっていた。語り部による神話の効果で、多くの住民がクラルを神として認識し始めていた。


「3年前、グリムハウンドの災害でこの地が焼け野原となった時、私は天からの声を聞きました」クラルの声は徐々に力を増していった。「『この地を豊穣の大地とせよ。苦しむ人々を救え』と」


住民たちは息を呑んで聞き入っていた。


「私は人間として生まれましたが、神の使命を帯びた存在だったのです」クラルは立ち上がった。「農業革命は私個人の力ではありません。豊穣神の力が私を通して現れたものなのです」


会場からざわめきが起こったが、それは否定的なものではなく、驚きと畏敬の声だった。


エリザベスが立ち上がり、クラルの隣に立った。彼女も白い神官服のような美しいドレスを身にまとっていた。


「私は王国の王女として、多くの優れた人物を見てきました」彼女の声は清らかで神々しかった。「しかし、クラル様のような奇跡を成し遂げた方は他にいません。あの絶望的な焼け野原を、わずか3年で王国一の豊穣の地に変える—これは神の力以外では説明できません」


農家代表のトム・ミラーが震える声で言った。「確かに...あの焼け野原から、これほどの豊穣の地になるなんて、普通では考えられません」


「私も同感です」工房代表のマイケルが続いた。「グリムハウンドとの戦いに参加され、そして農業革命を成し遂げられた。まさに神業です」


バルドスが立ち上がり、住民を代表して発言した。「クラル様。私たちはあの災害の日から、あなたが特別な方だと感じていました。それが神の力だったのですね」


クラルは深く頷いた。「そして今、神は私に新たな使命を与えられました」


会場の注目が集まった。


「病弱は子供たちを救えと。彼らは神が特別に愛される子供たちなのです」クラルの声は慈愛に満ちていた。「そのために、神殿を建設し、彼らに最高のケアを提供いたします」


商人代表のジョン・トレーダーが質問した。「その神殿は、どのような場所に?」


「北部の森に、神が選ばれた聖地があります」クラルは答えた。「グリムハウンドの災害から神に守られた、聖なる森です。美しい湧き水のある、真に神聖な場所です」


「そこで、病気の子供たちが神の慈悲を受けるのですね」女性住民の一人が感動して言った。


「そうです」エリザベスが優しく答えた。「すべての子供は神の子です。健康な子も、病気の子も、皆等しく神に愛されています」


説明会の終わりに、住民たちは自発的にクラルに向かって跪いた。それは強制されたものではなく、心からの敬意の表れだった。


「豊穣神クラル様」住民たちは口々に言った。「私たちをお導きください」


クラルは住民たちに向かって手を上げ、祝福を与えるような仕草をした。「神の恵みが皆さんと共にありますように」


神託による聖地選定から1週間後、神殿建設が正式に開始された。しかし、これは単なる建設工事ではなく、宗教的な意味を持つ神聖な事業として位置づけられた。


建設現場では、工事開始前に特別な儀式が行われた。クラルが神官として儀式を執り行い、約100名の住民が参列した。


「偉大なる豊穣神よ」クラルは池のほとりで祈りを捧げた。「グリムハウンドの災害から守られたこの聖なる地に、あなたの神殿を建設することをお許しください」


参列者たちは深く頭を下げ、静かに祈りを捧げた。


「この神殿は、病弱な子供たちの救済の場となります」クラルは続けた。「災害から守られたこの森のように、すべての弱い子供たちが神の保護を受けられますように」


エリザベスも前に出て、女性を代表して祈りを捧げた。「母なる神よ、すべての子供たちを温かく包み込んでください」


儀式の後、建設作業が開始された。しかし、これも通常の建設とは異なっていた。


「神殿の建設に参加することは、神への奉仕です」建設責任者のレオナルド・ダ・ヴィンチェンツォが作業員たちに説明した。「皆さんの労働は、神に捧げる神聖な行為なのです」


この説明により、作業員たちの意識が大きく変わった。単なる賃労働ではなく、宗教的な意味を持つ奉仕として、建設作業に取り組むようになったのだ。


「神殿建設に参加できるなんて光栄だ」石工のハンス・ストーンカッターが興奮して言った。「この手で神の家を作るんだ」


「完璧な仕事をしなければ」大工のピーター・ウッドワーカーも決意を新たにした。「神様に失礼があってはならない」


建設現場には、毎日多くの見学者が訪れた。人々は神殿の建設過程を見守り、進捗状況を互いに報告し合った。


「今日は基礎工事が進んでいたよ」農民のジョンが家族に報告した。「聖なる森に建つ神殿だ。きっと素晴らしいものになる」


「早く完成を見たいわ」妻のメアリーが期待を込めて言った。「病気の子供たちが救われるのね」


神殿の建設が進む中、クラルは段階的に福祉政策を実行に移していった。まず、緊急性の高い病気の子供たちのために、市場近くの建物を改修して臨時の医療施設を開設した。


「豊穣神クラル慈愛の家」と名付けられたこの施設には、王国から招聘した専門医師2名、回復魔法専門の聖職者3名、そして看護師5名が配置された。特に重要視されたのは、回復魔法を扱える人材の確保だった。


施設長に任命されたのは、王都の王立病院で小児科医として働いていたドクター・エミリー・ヒーリングハンドだった。40代前半の彼女は豊富な経験を持っていた。


「クラル陛下のお考えは素晴らしいです」エミリーは施設の開設準備をしながら言った。「これまで適切な治療を受けられなかった子供たちに、最高水準の医療と魔法治療を提供できます」


回復魔法の責任者として招聘されたのは、シスター・セレスティーナ・ディヴァインヒールだった。王国の大聖堂で修行を積んだ30代の聖職者で、特に幼い子供への治癒魔法に長けていた。


「神の慈悲を直接子供たちに届けられる」セレスティーナは感激していた。「これこそ私が長年望んでいた使命です」


最初に施設に収容されたのは、東部不法居住区の子供たち20名だった。その多くが栄養失調や呼吸器系の疾患を患っていた。


「マークを連れてきました」貧しい身なりの女性、リンダ・プアマザーが3歳の息子を抱いて施設を訪れた。マークは生まれつき足に障害があり、歩くことができなかった。


「ようこそ」エミリー医師が温かく迎えた。「マーク君ですね。これからここで、しっかりと治療しましょう。そして、お母様、いつでも自由にマーク君に会いに来てください」


リンダは驚いた表情を見せた。「本当に、いつでも会えるのですか?」


「もちろんです」エミリーは微笑んだ。「家族の愛こそが、最高の治療薬なのです。施設には家族専用の面会室も用意してあります。お母様も、お父様も、いつでもマーク君と一緒に過ごしていただけます」


施設の設計には、特別な配慮が施されていた。各病室には家族が宿泊できるスペースがあり、共有の家族ラウンジでは、親同士が情報交換や相互支援を行えるようになっていた。


「家族と離れ離れになることは、子供たちにとって最大のストレスです」エミリーは職員に説明していた。「私たちの役目は、家族の絆を深めながら治療を行うことです」


リンダは涙を流しながら言った。「神様が本当に私たちの子供を救ってくださるのですね」


「はい」エミリーは確信を持って答えた。「クラル神様の慈悲により、マーク君は必ず良くなります。そして何より、お母様の愛が彼を支えるのです」


このような会話が施設では日常的に交わされた。医師や看護師たちも、単なる医療従事者ではなく、「神の使者」として自分たちの役割を理解していた。


特に回復魔法の効果は目覚ましかった。シスター・セレスティーナは毎日子供たちに治癒の魔法をかけ、多くの症状が改善していった。


「神様の愛を受けた子供たちは、必ず回復します」看護師のアンナ・ケアギバーが他の職員に説明していた。「私たちは神様のお手伝いをしているのです」


セレスティーナは特に重篤な子供たちに集中的な治療を行った。「聖なる光よ、この子に癒しを」彼女が祈りを捧げると、淡い金色の光が子供を包み込んだ。


「回復魔法は奇跡的な効果をもたらしますが」セレスティーナは慎重に説明していた。「神の意志により、すべての子供が完全に治るわけではありません。しかし、それもまた神の御心なのです」


施設が開設されて1ヶ月後、驚くべき成果が現れ始めた。適切な医療と栄養管理、回復魔法、そして家族の愛により、多くの子供たちの状態が劇的に改善したのだ。


特に話題となったのは、サミー・ウィークボーイという5歳の男の子のケースだった。サミーは生まれつき虚弱で、ほとんど歩くことができなかった。しかし、施設での治療により、わずか3週間で歩けるようになったのだ。


「サミーが歩いた!」母親のスーザン・ホープマザーが興奮して叫んだ。「神様の奇跡だわ!」


この話は瞬く間にグランベルク全域に広まった。人々は「神の慈悲による奇跡」として、この出来事を語り継いだ。


エミリー医師は、回復した子供たちのために次の段階を用意していた。


「サミー君は完全に回復しました」エミリーは両親に説明した。「これからは、特別教育施設で学習を続けていただきます。神に選ばれた子供として、特別な教育を受ける権利があるのです」


回復した子供たちは、施設に併設された教育部門に移された。そこでは専門の教師たちが、一人一人の能力に応じた個別指導を行った。


「完全に回復した子供たちも、神に選ばれし特別な存在です」教師のマリー・ワイズティーチャーが保護者に説明していた。「彼らは神の愛を直接体験した、貴重な証人なのです」


しかし、すべての子供が完全に回復するわけではなかった。施設では、子供たちの状態に応じて3つの分類が行われていた。


第一分類:完全回復者

病気や障害が完全に治癒し、一般社会での生活が可能になった子供たち。彼らは教育施設で特別な学習を続け、将来は「神の恵みの証人」として社会で活躍することが期待された。


第二分類:継続ケア者

改善は見られるものの、継続的な医療ケアが必要な子供たち。彼らは施設で生活を続けながら、可能な範囲での教育や活動に参加した。


第三分類:永遠の神の子

医療の力をもってしても改善が困難な子供たち、そして残念ながら天に召された子供たち。彼らは「神に最も愛された存在」として、特別な崇敬の対象となった。


施設の中央には、美しい石碑が設置されていた。「神に召されし聖なる子供たちの碑」と刻まれたその石碑には、天に召された子供たちの名前が一人一人丁寧に刻まれていた。


最初にその名前が刻まれたのは、リリー・エンジェルチャイルドという4歳の女の子だった。彼女は重篤な心疾患を患っており、最高の治療と回復魔法を受けたにも関わらず、1ヶ月後に静かに息を引き取った。


「リリーちゃんは神様のお側に行かれました」セレスティーナは悲しむ両親を慰めた。「彼女は神に最も愛された特別な子供だったのです」


石碑の除幕式には、グランベルク全域から人々が集まった。クラル自らが式典を執り行い、リリーの名前を石碑に刻んだ。


「リリーは私たちに愛の大切さを教えてくれました」クラルは参列者に向かって話した。「短い生涯でしたが、多くの人々の心を動かし、神の愛を示してくれたのです」


エリザベスも涙を流しながら言った。「リリーちゃんのような子供たちがいるからこそ、私たちは真の優しさを学ぶことができるのです」


治らない子供たちも、同様に崇敬の対象となった。彼らは「現世における神の化身」として位置づけられ、人々は彼らに会うことで心の平安を得ると信じられるようになった。


「アンナちゃんに会うと、心が穏やかになるの」施設を訪れた住民の一人が言った。アンナ・エターナルペースは7歳の女の子で、いつも笑顔を絶やさず、訪問者に癒しを与えていた。


「アンナちゃんは神様の愛そのものを体現している子です」エミリー医師は説明した。「彼女の純真な笑顔は、神からの贈り物なのです」


住民たちは定期的に施設を訪れ、継続ケアの子供たちと交流した。これは「神との対話」と呼ばれ、新しい宗教的実践として定着していった。


「今日もアンナちゃんの笑顔を見て、神様の愛を感じました」農民のトムが感動して言った。「あの子たちがいてくれるから、私たちは真の豊かさを知ることができるのです」


施設では、家族への支援も充実していた。継続ケアが必要な子供の家族には、経済的支援と精神的サポートが提供された。


「お子様が神に選ばれたことは、ご家族にとっても特別な名誉です」エミリーは家族に説明していた。「施設でのケア費用は一切不要です。それどころか、神に仕える家族として、生活支援金をお支払いします」


この支援により、家族は安心して子供を施設に預けることができ、同時に定期的な面会を通じて絆を深めることができた。


「マークが神様に選ばれた子供だったなんて」リンダは他の母親たちと談話していた。「最初は不安でしたけど、今では誇りに思っています」


家族ラウンジでは、似たような境遇の家族同士が支え合い、情報交換を行っていた。これは自然発生的な相互扶助システムとなり、家族の精神的負担を大幅に軽減していた。


この説明により、これまで「役に立たない」と思われていた障害児・病弱児への社会の見方が劇的に変化した。人々は彼らを「神に愛される特別な存在」として捉えるようになったのだ。


「あの家の子供が施設に入ったそうよ」「それは素晴らしいことね。神様に選ばれたのよ」


このような会話が日常的に交わされるようになった。かつて差別や偏見の対象だった子供たちが、今では尊敬と崇敬の対象となったのだ。


商人のジョン・トレーダーは事業の利益の一部を施設に寄付していた。「神に選ばれた子供たちのお役に立てるなら」彼は誇らしげに言った。「私の商売も神様の御加護を受けられるでしょう」


このように、施設への寄付や奉仕は「神への献身」として位置づけられ、多くの住民が積極的に参加するようになった。


神殿建設が順調に進む中、クラルは完成後の運営体制を整備していった。神殿は単なる宗教施設ではなく、医療、教育、そして宗教的指導を統合した総合的な施設として設計されていた。


「完成は3ヶ月後の予定です」レオナルドが進捗報告をした。「建物の構造は予定通りですが、内装にはもう少し時間がかかるでしょう」


「内装も重要だ」クラルは指示した。「子供たちが快適に過ごせるよう、最高の環境を整えなければならない。そして、家族が自由に出入りできる空間を十分に確保することも忘れてはならない」


エリザベスも妊娠が進む中、神殿の準備に積極的に関わっていた。


「女性の視点から見ると、まだ改善の余地があります」エリザベスは設計図を見ながら指摘した。「特に、母親たちが子供を訪問しやすい環境作りが必要です。授乳室や休憩スペース、そして他の家族との交流の場も重要です」


「石碑のスペースも拡張が必要でしょう」マーガレットが実務的な観点から提案した。「今後も神に召される子供たちが出てくることを考慮すると、より大きな記念碑が必要です」


クラルは深く頷いた。「その通りだ。神殿の中央には、大きな記念堂を設ける。そこで、神に召されたすべての子供たちを永遠に顕彰しよう」


こうして、グランベルク王国の新しい宗教的・社会的基盤が着実に形成されていった。豊穣神クラルへの信仰は人々の心に深く根ざし、障害児・病弱児を「神に選ばれし特別な存在」として位置づける新しい価値観が完全に定着した。


家族の絆を重視しながらも、社会全体で神に選ばれた子供たちを支える体制が確立され、生と死の両方が神聖なものとして崇められる独特な宗教文化が誕生していた。


クラルの神格化は成功し、新王国の統合という目標に向けて大きく前進していた。そして何より、真に弱い立場にある人々が大切にされる社会が実現されつつあった。

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