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冒険者適性Aランク でも俺、鍛冶屋になります  作者: むひ
アシェルの章

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エーテルの時代の終焉87:元凶の末路

才能の墓場


時間は遡り、大和国が滅びる数年前。世界の片隅で、一人の男が静かに息を引き取ろうとしていた。彼の名はサイラス。かつてグランベルク王立学園でアーコン・ティアに匹敵する才能を持つと囁かれながら、その野心ゆえに歴史の表舞台から追放された男。


アシェルのいないこの世界線では、彼の運命もまた、大きく捻じ曲げられていた。学園の腐敗を暴く「エーテル解放戦線」は存在せず、彼が学園長の駒となり、そして裏切るという劇的な舞台も用意されなかった。野望を遂げられなかったサイラスは、結局、学園を中退し、王都カストラムの裏社会で、その卓越した頭脳を日々の糊口を凌ぐための情報屋稼業に費やす、しがない中年となっていた。


彼の住処は、港地区の、潮と魚の臓物の匂いが混じり合う、薄汚い安アパートの一室。壁には、彼が若き日に書き上げた、しかし誰にも認められることのなかった数々の論文の草稿が、黄ばんで虚しく張り巡らされている。「エーテル循環における位相干渉理論」「マナの非可逆的エントロピーに関する考察」。それらは、時代を数十年は先取りした、紛れもない天才の仕事だった。


彼は才能があり、将来有望な学者だった。だが、若さゆえに、そして彼の理論があまりにも革新的すぎたために、学園の保守的な教授たちからは嫉妬され、理解されなかった。彼の提出した論文は、ろくに目を通されることもなく、くしゃくしゃに丸められ、彼の目の前でゴミ箱へと捨てられた。


「君の理論は、既存の学問体系への冒涜だ」

あの時の、老教授の軽蔑に満ちた視線。それが、彼のその後の人生の全てを決定づけた、消えることのない呪いだった。彼は、学問の世界に絶望し、自らの才能を、より直接的な利益と支配のために使う道を選んだ。だが、アシェルという巨大な「触媒」が存在しなかったこの世界では、彼の野望が花開くことはなかった。


破滅の足音


「……おい、聞いたか?東の方から来たっていう、『魔郷』の噂……」


アパートの下の階にある酒場から聞こえてくる、他の情報屋たちの囁き声。サイラスは、ベッドの上で咳き込みながら、その会話に耳を澄ませていた。彼は、長年の不摂生と、満たされない野心のストレスから、重い肺の病を患っていた。


「ああ、聞いたぜ。紫の霧に覆われた土地で、入った者は二度と戻ってこないっていう、アレだろ?」

「『紫の帳の娘』っていう、化け物がいるらしいな。そいつに見つかったら、魂を喰われるとか……」


その、おとぎ話のような噂を聞きながら、サイラスの頭脳は、最後の光を放っていた。紫の霧、魂を喰らう、少女の姿をした魔物……。断片的な情報が、彼の記憶の奥底に眠っていた、ある禁断の知識と、不気味なまでに符合していく。


(……エーテル・リバーサル……。まさか、あの禁術を、誰かが……?いや、この世界で、あの理論を理解できる人間など、俺の他にいるはずが……)


彼は、震える手で、ベッドの下に隠していた古い木箱を取り出した。中には、若き日に禁書庫から盗み出した、あの黒曜石の石板の、不完全な写しが入っていた。彼は、自分の人生を変えるかもしれない、と信じていたこの禁術を、結局は実現することができなかった。資金も、協力者も、そして何より、術式の核となる「触媒」も、彼にはなかったからだ。


だが今、その禁術が、世界のどこかで、彼の知らない誰かの手によって、実現されてしまったのかもしれない。


自らが招いた終焉


その日の夜。サイラスは、高い熱に浮かされながら、悪夢を見ていた。自分がゴミ箱に投げ捨てたはずの、丸められた論文の紙く

ずが、独りでに開き、そこから血のようなインクが流れ出し、部屋中を埋め尽くしていく。


「……う……うわあああ……!」


彼は、恐怖に叫びながら目を覚ました。だが、悪夢は、終わっていなかった。

部屋の窓の外、月明かりを背にして、一つの人影が、静かに浮かんでいた。


紫の帳の娘。

銀灰色の髪、純白のドレス、そして、魂の奥底までを見透かすかのような、赤黒く燃える瞳。噂に聞いていた、あの魔物そのものだった。


「……なぜ……。なぜ、俺のところに……」


サイラスは、震え声で呟いた。だが、彼は、その答えを知っていた。彼女は、人間を狩る。そして、彼女が最も好む獲物は、恐怖と絶望に満ちた、質の高い負のエーテルを放つ魂だ。今の自分こそが、彼女にとって、最高の饗宴なのだ。


(……自業自得、か……)

サイラスは、乾いた笑みを浮かべた。認められなかった才能、叶わなかった野望、そして、世界への尽きせぬ呪い。自らが生み出してきた負の感情が、今、巡り巡って、自分自身を滅ぼしに来たのだ。彼は魔郷の噂を聞き、自らの破滅を、どこかで予感し、そして悟っていたのかもしれない。


魔物は、部屋の壁をすり抜け、音もなくサイラスのベッドの傍らに立った。そして、彼をじっと見下ろした。その無表情な顔に、ほんの一瞬だけ、何か別の感情がよぎったように見えた。それは、同族嫌悪か、あるいは、自らと同じ「元凶」に対する、歪んだ共感だったのかもしれない。


そして、彼女は、その冷たい手を、サイラスの額にそっと置いた。


怨念の誕生、もう一人の自分


「ぐ……ああああ……っ……!」

サイラスの魂が、肉体から引き抜かれていく。その、耐えがたい苦痛の中で、彼は、魔物の瞳の奥に、自らの人生の走馬灯を見た。


認められなかった論文。教授たちの嘲笑。そして、心の奥底に封じ込めていた、最も深い無念の記憶。

「……なぜだ……。なぜ、誰も、俺を認めてくれない……。俺は、こんなところで、終わる人間じゃない……!」


その、とりわけ強い怨念は、魔物にとって、極上のデザートだった。彼女は、サイラスの魂を喰らいながら、同時に、その強烈な無念の思いを、自らの中に取り込んだ。


「紫の帳の娘」は、ただ魂を喰らうだけではなかった。彼女は、喰らった魂の中で、最も強く、最も歪んだ怨念を抽出し、それを新たな魔物として自ら産み出す能力を持っていたのだ。


サイラスの魂が完全に吸い尽くされた後、その抜け殻となった亡骸の隣で、紫の瘴気が渦を巻き始めた。そして、その渦の中から、もう一人の、サイラスの幻影という名の新しい魔物が、ゆっくりと形を成していった。


その魔物は、サイラスが最も輝いていた、若き日の天才学者の姿をしていた。しかし、その瞳は、師である「紫の帳の娘」と同じ、赤黒い憎悪の炎に燃えている。その手には、彼が認められることのなかった、あの論文の幻影が、呪いの武器のように握られていた。


「……認めて……。俺の才能を……認めてみせろ……!」


サイラスの怨念から生まれた魔物は、主の命令に従い、新たな人間狩りを開始した。その標的は、かつての彼がそうであったように、才能を持ちながらも世に認められぬ、孤独な者たちの魂だった。


アシェルのいない世界で野望を遂げられなかったサイラスもまた、自らが生み出した魔物に喰われ、そして、その絶望のこだまとして、永遠に世界を彷徨う、哀れな魔物と成り果てた。元凶の末路。それは、誰にも知られることなく、誰にも悲しまれることなく、ただ静かに、歴史の闇の中へと消えていった。物語は、救いのない結末へと、また一歩、その歩みを進めた。

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