エーテルの時代の終焉84:紫の帳の娘
魔郷の中心で、巨大な黒い水晶が、まるで眠れる邪神の心臓のように、ゆっくりと、しかし確実に脈打っていた。五十余年という、人の一生にも等しい長過ぎる歳月。それは、一人の人間が生まれ、愛を知り、夢を追い、やがて老いて死んでいくには十分すぎるほどの時間だった。その、気の遠くなるような時間の全てを、怨念の核と化した「それ」は、ただひたすらに、世界の死と負の感情を貪り続けることに費やしてきた。
村人たちが抱いた罪悪感と、やがてそれに取って代わった醜い猜疑心。忌み森で無惨に命を落とした獣たちの断末魔の恐怖。禁断の地とは知らずに足を踏み入れ、狂気の果てに魂を吸い尽くされた冒険者たちの、故郷へ帰りたいと願う無念の思い。それら死者のエーテルと負の感情は、黒く澱んだ奔流となって、昼も夜も、絶え間なく水晶へと注ぎ込まれていた。そして、その内部に、想像を絶するほどの密度で圧縮され、蓄積され続けていたのだ。
そして、ついにその器は飽和状態に達した。水を吸いすぎて自壊する、乾いた土塊のように。水晶はもはや、新たな絶望を受け入れる余地を完全に失っていた。その漆黒の表面には、まるで稲妻が走ったかのような無数の微細な亀裂が走り、内部からは、抑えきれない禍々しい紫色の光が、脈打つように漏れ出し、周囲の歪んだ空間を不気味に照らしていた。世界の終わりを告げる、静かな、しかし確実な胎動だった。
産声なき誕生
ある嵐の夜、空が裂け、大地が震えるほどの凄まじい雷鳴と共に、その時は来た。天から落ちた紫電が、黒い水晶を直撃する。それはまるで、長すぎた妊娠に耐えかねた世界が、自ら帝王切開を行ったかのようであった。黒い水晶に、一本の巨大な亀裂が走った。そして、その裂け目から、光ではなく、闇よりも深く、純粋な絶望が、濃密な怨念と死のエーテルの霧となって、ゆっくりと、しかし抗いがたい力で漏れ出したのだ。
霧は、意思を持つ生き物のように、魔郷の歪んだ空間を蛇行し、漂い始めた。そして、まるで名もなき神が、最初の人間を泥からこね上げるかのように、あるいは悪夢が悪夢自身の形を求めるかのように、その粒子が化学反応のように結びつき、一つの人影を成し始めた。
最初に生まれたのは、中心となるべき存在だった。それは、逆転前の少女アシェルの姿をかたどっていた。 屈辱も絶望も知る前の、ただ仲間を救いたいという一心で戦っていた、あの十四歳の少女の姿。学園のユニフォームだったはずの衣服は、今は流れるような純白のドレスへと変わり、風に美しく揺れる銀灰色の髪は、あの頃よりも長く、そして艶やかだった。そして、かつては希望と強い意志に満ちていたはずの灰色の瞳。
しかし、それは美しくも禍々しい魔物であった。彼女の身体を構成するのは、血の通った肉体ではない。絶えず形を変え、蠢く紫色の瘴気そのもの。その瞳は、希望の代わりに、この世の全てを呪う憎悪で赤黒く燃えていた。その口元に浮かぶのは、穏やかな微笑みではなく、全てを嘲笑うかのような、冷たい、冷たい笑みだった。
怨念の軍勢
それと同時に、彼女の身体から溢れ出した無数の死のエーテルの奔流もまた、それぞれの忘れ去られた記憶に基づき、生前の形を成し、新たな魔物として誕生していった。
最初に形を成したのは、かつて井戸の底で共に朽ち、怨念の最初の糧となった、罪なき小動物たちの、小さな、しかし無数の怨念の群れだった。ウサギや鹿、小鳥の形をしているが、その目は全て赤黒く光り、口からは絶えず紫の瘴気を吐き出している。
続いて、より巨大な影たちが生まれた。魔郷で魂を喰われた、バルガス隊のベテラン冒険者たち。屈強だったはずの彼らの身体は、今は半ば透けた亡霊となり、その手には錆びついた武器が握られている。その虚ろな瞳は、ただひたすらに、自分たちを救わなかった世界への恨みを映していた。
そして最後に、最もおぞましく、最も悲しい軍勢が生まれた。精神汚染によって互いを憎み合い、殺し合った、あの村の村人たち。彼らは今もなお、生前の憎しみに満ちた視線を永遠に交わし続けながら、一つの集団として彷徨っている。父親、母親、子供、隣人だったはずの者たちが、互いを呪い、罵り合う声なき声が、周囲の空気を震わせていた。
彼らは皆、生前の記憶と苦悶を、消えることのない呪いとして、その魂に刻みつけていた。そして、その全ての怨念の軍勢を統べる、呪われた女王として、アシェルの姿をした魔物が、静かに、そして傲然と、宙に浮遊していた。
非実体の脅威
最も恐るべきことは、彼らのその性質にあった。嵐の激しい雨が、彼らの半透明な身体を何事もなくすり抜け、背後で炸裂した雷光が、その向こう側をはっきりと照らし出す。その魔物には実体がなく、物理的な干渉を一切受け付けない、純粋な怨念や無念、思念の集合体であった。
剣も、魔法も、おそらくは神の祈りでさえも、彼らには届かない。彼らは、この世の理の外側に立つ存在。触れることもできず、ただ一方的に魂を蝕み、生命を啜る、絶対的な災厄。
物語の主要な敵対存在となる「アシェルの姿をした魔物と死のエーテルの思念たち」は、こうして誕生した。その異質さ(非実体的であること)と、かつての英雄の姿を模した美しさ、そしてその内に秘められた底なしの憎悪。それは物理的な強さとは全く異なる、新たな次元の脅威を提示していた。




