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冒険者適性Aランク でも俺、鍛冶屋になります  作者: むひ
アシェルの章

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エーテルの時代の終焉83:最初の犠牲者

魔郷の存在は、そのおぞましい噂と共に、瞬く間に近隣諸国へと伝播した。船乗りたちは紫の瘴気が立ち上る海岸線を避け、商人たちは忌み森へと続く古い街道を地図から抹消した。魔郷は、文明世界の版図の外側に位置する**「禁断の地」**として、人々の心に根源的な恐怖を植え付けていた。


しかし、その未知の脅威を座して見過ごすことのできない者たちがいた。グランベルク王国の冒険者ギルドである。

「もはや放置できんレベルの脅威だ」

首都カストラムのギルド本部。歴戦の傷跡が刻まれた壮年のギルドマスター、ガントレット・アイアンアームが、重々しく口を開いた。「死者が蘇る、空間が歪む、入った者は二度と戻れない……。噂の真偽を確かめ、その脅威度を正確に査定する必要がある」


彼の呼びかけに応じ、ギルドでも特に経験豊富なBランクのベテラン冒険者たちで構成された、最初の公式調査隊が編成された。


隊長は、「不動」のバルガス。四十代後半の、岩のような体躯を持つ重戦士。どんな状況でも冷静さを失わない、頼れるリーダーとして知られていた。

副隊長は、「千里眼」のエレノア。俊敏なエルフの血を引く弓使いで、その鋭敏な感覚は数キロ先の獲物をも捉える。

その他、治癒魔法を得意とする神官、罠の解除と偵察に長けた盗賊、そして攻撃魔法の専門家である魔術師。総勢五名。それぞれが十数年のキャリアを持ち、数々の修羅場を潜り抜けてきた、完璧なチーム構成だった。


「必ず生きて帰還し、ギルドに正確な情報をもたらすことを誓います」

バルガスは、ギルドマスターの前で力強く宣誓した。彼らの表情には、危険な任務に赴く者特有の緊張感はあったが、恐怖の色はなかった。彼らは、自らの経験と実力に、絶対の自信を持っていたのだ。


精神の崩壊


調査隊が魔郷に足を踏み入れた途端、異変は始まった。彼らの五感を最初に襲ったのは、腐敗臭と冷気だけではなかった。


『……お前は、見捨てた……』

『……なぜ、あの時、助けてくれなかった……』


どこからともなく、囁き声が聞こえ始めたのだ。それは、過去に彼らが救えなかった仲間たちの、声なき声だった。


「……誰だ!?誰かいるのか!」

バルガスが、背後の闇に向かって叫んだ。しかし、そこには誰もいない。

「隊長、どうしました?」

エレノアが怪訝な顔で尋ねるが、彼女にはその声は聞こえていないようだった。


精神汚染は、個人の魂の最も弱い部分、罪悪感や後悔の記憶に直接作用した。


バルガスの脳裏には、十年前のゴブリンの洞窟で、彼の判断ミスによって命を落とした、若い新人冒険者の姿が鮮明に蘇っていた。「隊長……助けて……」。

エレノアは、幼い頃に死に別れた妹の幻影を見た。「お姉ちゃん、なんで私を置いていったの?」。

神官は、かつて救えなかった病人の苦悶の表情を。盗賊は、裏切ってしまった昔の仲間の恨みの眼差しを。


彼らの固い絆と信頼関係は、いとも容易く崩れ去った。精神汚'染によって仲間割れを起こし、錯乱した彼らは、互いを疑い、罵り始めた。


「お前のせいだ!お前があの時、間違った指示を出したから……!」

「違う!あんたこそ、妹を見捨てたくせに!」

「偽善者め!お前が祈っている間に、何人が死んだと思ってる!」


孤独な幻覚と発狂


やがて、彼らは統制を失い、バラバラに行動し始めた。それぞれが、自らの罪悪感が生み出した幻覚に導かれ、魔郷の奥深くへと、引きずり込まれていった。


バルガスは、亡霊となった新人冒険者を追いかけて、ねじ曲がった木々が並ぶ森へと迷い込んだ。木々が、彼が救えなかった全ての人々の姿に見え、四方八方から彼を指差し、非難している。

「ああ……やめろ……やめてくれ……!」

彼は狂ったように剣を振り回し、虚空を斬りつけ続けた。


エレノアは、妹の幻影を追い、いつしか深い霧に包まれた沼地にたどり着いていた。

「待って……!待ってよ、リリア……!」

彼女が沼に足を踏み入れた瞬間、足元の泥が彼女を捕らえ、ゆっくりと、しかし確実に、その身体を底なしの闇へと引きずり込んでいった。


他のメンバーもまた、それぞれが最も恐れる過去の悪夢の中で、発狂し、正気を失っていった。彼らは力つき、瘴気に生命エーテルを根こそぎ吸い尽くされ、一人残らず消息を絶った。


悲劇の連鎖


数週間後、調査隊が帰還しないことを受け、ギルドは彼らの全滅を公式に認めた。その報は、グランベルク王国全体に、深刻な衝撃を与えた。

「あの『不動』のバルガス隊でさえ、歯が立たなかったというのか……?」

「魔郷とは、一体……どんな地獄なのだ……?」


「魔郷」の脅威が、もはや単なる地域の呪いではなく、熟練の冒険者さえも寄せ付けない、国家レベルの災害であることが、この最初の犠牲によって、明確に証明された。


そして、最も恐ろしいことに、バルガスたちの死のエーテルもまた、魔郷をさらに拡大させるための、新たな燃料となった。魔郷の中心、黒い水晶の脈動が、さらに力強くなったのを、天上の神々だけが見ていた。


悲劇の連鎖が始まった。この後、ギルドがどれほど多くの討伐隊を送ろうとも、その全てが同じ運命を辿ることになる。彼らの死は、ただ魔郷をさらに肥え太らせるだけの、無意味な犠牲となっていく。


物語は、希望の光が一筋も見えない、絶対的な絶望へと、その歩みを加速させていた。次なる展開への絶望感を高める上で、この熟練冒険者たちの無力な死は、あまりにも効果的すぎたのである。

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