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冒険者適性Aランク でも俺、鍛冶屋になります  作者: むひ
アシェルの章

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エーテルの時代の全盛期72:開かれた悪夢

時間は、至福に満ちていた。数万の民衆からの、地を揺る C が、歴史が始まって以来の、最も輝かしい朝を迎えていた。空は一点の曇りもない紺碧に晴れ渡り、秋の太陽が街の白亜の石畳を黄金色に染め上げている。建国記念祭と、新たな英雄の誕生を祝うために、王国全土から、いや、大陸中から集まった人々で、街は溢れかえっていた。


中央大広場に特設された巨大な式典会場は、数万の民衆で埋め尽くされていた。最前列には、グランベルク国王アレクセイ陛下とそのご家族、近隣諸国の王侯貴族、そして各界の重鎮たちが居並ぶ。その後方には、学園の生徒たち、職人たち、商人たち、農民たち、その誰もが晴れやかな顔で、この歴史的瞬間の到来を待ちわびていた。


広場に設けられた白亜の演壇。その上には、まだ誰も立っていない。ただ一つ、ビロードの敷かれた台の上に、今日の式典のために用意された、ある「贈り物」だけが、神秘的な輝きを放つカバーに覆われて置かれていた。


正午。王宮の鐘楼から荘厳な鐘の音が十二回鳴り響くと、地を揺る C がすような大歓声が沸き起こった。式典の主役の登場であった。


民衆が作る花道を、一人の少女が、静かに、しかし確かな足取りで、演壇へと向かって歩んでいく。

アシェル・ヴァーミリオン。齢十四。彼女は、もはや「エーテル・ドレインの魔女」でも、「反逆者」でもなかった。その小柄な身体には、純白の、質素だが気品に満ちたドレスが纏われ、その灰色の瞳には、一人の少女の純粋さと、世界を変えた革命家の叡智が、不思議な調和をもって同居していた。彼女が歩むたびに、民衆は祝福の花びらを投げかけ、「アシェル様!」という愛のこもった歓声が、波のように彼女を包んだ。


アシェルの偉業を祝う記念式典が、今、盛大に開催されようとしていた。

演壇の麓では、解放戦線の仲間たちが、その光景を万感の思いで見守っていた。


「すごい……。本当に、世界を変えたんだね、アシェルは」

リアンは、ハンカチで目頭を押さえていた。病弱だった自分が、今こうして親友の晴れ舞台に立ち会えている。その事実が、何よりも嬉しかった。


「ああ。あいつは、俺たちの誇りだ」


カインが、フードを外し、素顔で誇らしげに呟いた。彼の顔の火傷痕は、もはや劣等感の象徴ではなく、過酷な戦いを生き抜いた、栄光の勲章のように見えた。


客賓席では、ケンシンとタケルが、腕を組んでその様子を眺めていた。


「フン。わいが育てたようなもんじゃ」


ケンシンはぶっきらぼうに言ったが、その口元には、隠しきれない喜びの笑みが浮かんでいた。


「チェストォ!嬢ちゃん、日本一たい!」


タケルは、我慢しきれずに故郷の言葉で叫んだ。


アシェルが演壇に立つと、国王アレクセイ陛下が、自ら彼女の隣に進み出た。


「アシェル・ヴァーリオン君!」


国王の声は、魔法によって増幅され、広場の隅々にまで響き渡った。


「君が成し遂げた偉業は、グランベルク王国の歴史、いや、人類の歴史そのものにおける、偉大なる一歩である!君は、マギアテックに、新しい魂を吹き込み、支配と独占の時代を終わらせた!」


「君が示した『共有』の理念は、この国の、そして世界の未来を照らす、希望の光そのものだ!」


国王、貴族、そして彼女に救われた民衆が、心からの祝福を送る。


続いて、かつて「生体電池」として地下に囚われていた、元レメディアルの先輩、エミリナが登壇した。アシェルの革命によって解放された彼女は、まだ完全には健康を取り戻していないものの、その顔には、新しい人生への希望が輝いていた。


「アシェルさん……。ありがとう……」


彼女の声は、涙で震えていた。


「あなたは、私たちに、光をくれた。人間としての尊厳を、取り戻してくれた。この御恩は、生涯忘れません……!」


その、魂からの感謝の言葉に、広場に集った数万の民衆もまた、涙を流した。


ケンシン、リアンたちも、壇上に立つアシェルの姿を、誇らしげに見守る。彼女はもう、孤独な落ちこぼれではない。多くの仲間に支えられ、多くの人々から愛される、真の英雄となったのだ。


アシェルの栄光が頂点に達し、物語前半の全ての伏線が回収されるクライマックス。試験塔での絶望、レメディアルでの孤立、地下闘技場での死闘、そして学園の闇との戦い。その全ての苦難が、今、この輝かしい瞬間のためにあったのだと、誰もが感じていた。読者の感情移入は、ここで最大化される。


アシェルは、溢れる涙を堪えながら、集まった全ての人々に、深々と頭を下げた。


「ありがとうございます……。でも、これは、私一人の力ではありません。支えてくれた、たくさんの仲間たちがいたからです……!」


彼女の視線の先には、はにかみながら手を振るリアン、静かに頷くカイン、そして腕を組んで満足そうにしているケンシンたちの姿があった。


その、あまりにも美しく、そして感動的な光景。それは、これから始まる、最も深い悲劇の、残酷なまでの前奏曲でもあった。この栄光の頂点こそが、サイラスが望んだ、最高の復讐の舞台なのだから。物語は、最も輝かしい光の中で、最も濃い影を生み出し、運命の瞬間へと向かっていく。


彼女は、世界の全てに感謝していた。絶望の底から自分を救い上げてくれた仲間たちに。自らの理念を受け入れてくれた国王陛下と、民衆に。そして、自分をこの世界に生み出してくれた、名も知らぬ両親にさえも。


(ありがとう……。本当に、ありがとう……)


彼女は、胸に込み上げてくる熱い思いを、集まった全ての人々に伝えるように、民衆への感謝と未来への希望を込めて、ゆっくりと、『逆転の書』を開いた。


象牙の表紙が、かすかな音を立てて開かれる。金で縁取られた最初のページに記された「親愛なるエーテル時代の申し子へ」という美しい賛辞が、秋の柔らかな陽光を浴びて、キラキラと輝いた。


世界が、彼女の未来を永遠に祝福しているかのようだった。


反転する世界


――その瞬間、世界は、壊れた。

予兆は、音だった。キィィィン、という、鼓膜を突き破り、頭蓋の内側で直接響くかのような、高周波の金属音。それは、本の中心、あの巨大なサファイアの宝石から発せられていた。民衆の歓声が、まるで遠い世界の響きのように、急速に現実感を失い、色褪せていく。


次に、光が反転した。祝福に満ちていたはずの太陽の光が、急速にその輝きを失い、まるで日食が始まったかのように世界が薄暗くなる。代わりに、アシェルの手の中の本に刻まれた古代ルーンが、内側から燃え上がるかのように、禍々しい七色の光を放ち始めた。それは、虹のような優しい光ではない。紫、藍、青、緑、黄、橙、赤。それぞれの単色の光が、互いに混じり合うことなく、絵の具を乱雑に塗りつけたように隣り合わせになり、その色の境界線には、まるで空間そのものが裂けたかのような、脈打つ禍々しい赤黒い線が、不気味に蠢いていた。


光は、本から溢れ出すと、天に向かって巨大な柱となって立ち上った。それは祝福の光柱などではなかった。大地から天へと突き立てられた、巨大な呪いの杭だった。光の柱が天蓋に達した瞬間、空全体がその禍々しい光に覆い尽くされた。


「……な、なんだ……!?」


観衆の一人が、空を指差して叫んだ。


空は、血の色に染まっていた。 どこまでも澄み切っていたはずの紺碧の空が、まるで巨大な傷口から流れ出した古血のように、どす黒い赤色へと変貌していた。浮かんでいた純白の雲は、灰色ではなく、まるで燃え尽きた炭のように黒く淀み、ゆっくりと、しかし確実に、不吉な渦を巻き始めていた。


止まった時間、狂い咲くエーテル


そして、世界の全てのエーテルが、悲鳴を上げた。

周囲の全てのエーテルに作用し、その流れが、自然の摂理を完全に無視して強制的に逆流を始めたのだ。生命を育むはずの穏やかな循環は破壊され、代わりに、全てを無へと引きずり込もうとする、混沌の渦が生まれた。生命あるもの全てが、自らの内なるエネルギーを根こそぎ奪われるような、根源的な恐怖に襲われた。


広場にいた数万の人々は、その異常なエーテルの奔流に晒され、思考と身体の自由を奪われた。開いた瞬間、時間が止まったかのような錯覚に陥ったのだ。


祝福のために空高く舞い上がっていた色とりどりの花びらは、その場にぴたりと静止し、まるで悪趣味なガラス細工のように空中に凍りついた。数万の民衆の歓声は、最高潮に達したその響きのまま、途切れて虚空に吸い込まれ、絶対的な無音の世界が訪れた。誰もが身動き一つできず、口を開けたまま、手を挙げたまま、笑ったまま、泣いたまま、その姿勢で固まっていた。まるで、神が悪戯に時を止めた、巨大な蝋人形館のようだった。


壇上の国王アレクセイも、仲間であるリアンもカインも、その表情に驚愕を浮かべたまま、動きを止めている。客賓席のケンシンでさえ、驚きに目を見開いたまま、その強靭な肉体を硬直させていた。ただ彼らの瞳だけが、絶望的なほどゆっくりと動いて、目の前で起こっている、理解不能な悪夢の光景を捉えていた。

この凍りついた世界の中心で、唯一動いているものが二つあった。一つは、空を覆う血色の雲。そしてもう一つが、その全ての元凶である、アシェルの手の中の『逆転の書』。そのページが、ひとりでに、ぱら、ぱらと、風もないのにめくれていく。刻まれたルーン文字が、脈打つように七色の光を明滅させ、世界の法則を一つ、また一つと書き換えていくかのようだった。


物語が栄光の頂点から、絶望の奈落へと一気に転落する、その最初の瞬間。それは、あまりにも突然で、あまりにも美しく、そしてあまりにも残酷だった。この凍りついた祝祭の光景は、後に生き残った者たちの記憶に、永遠に消えることのない悪夢として刻み込まれることになる。世界が音を取り戻す時、それは祝福の歓声ではなく、終焉を告げる断末魔の叫びとなるだろう。しかし今はまだ、誰もそのことを知らなかった。ただ、時間が止まったかのような静寂の中で、悪夢は静かに、そして着実に、その深淵の口を開けようとしていた。

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