エーテルの時代の全盛期65:生贄の儀式
# 第六十五章:最後の動作確認――破裂する生命
## 記念式典を三日後に控えて――最後の実験
記念式典を三日後に控えた夜。
秘密研究所「プロメテウス」の最も奥深い、黒曜石の祭壇が置かれた部屋で、サイラスは最後の動作確認実験を行っていた。
彼の表情には、もはや人間的な感情の色はなかった。
ただ、自らの創造物が完璧に機能するかどうかだけを見極めようとする、機械のような冷徹さが浮かんでいた。
部屋は――
薄暗かった。
ろうそくの光だけが、祭壇を照らしていた。
祭壇の中央には、一人の男が魔法の鎖で拘束されていた。
それは、地下闘技場でサイラスに逆らい、彼の怒りを買ったチンピラだった。
男は――
恐怖に、震えていた。
命乞いを、繰り返していた。
「た、助けてくれ……!」
男の声は――
震えていた。
必死だった。
「金なら、金ならいくらでも払うから……!」
「金か」
サイラスは、男の懇願など意にも介さなかった。
「下らないな」
サイラスは、『逆転の書』のプロトタイプ――まだ装飾の施されていない、むき出しの魔導回路が蠢く金属の箱――を手に取った。
「君には、科学の発展のための、名誉ある生贄となってもらう」
サイラスの声は――
冷たかった。
感情が、なかった。
「感謝したまえ」
サイラスは、プロトタイプの先端を男に向けた。
そして、起動呪文を唱えた。
古代龍族の、言語で。
低く、響く声で。
## 破裂する生命――恐ろしい結果
実験は、彼の計算通り、そして彼の想像以上に、恐ろしい結果をもたらした。
起動した瞬間――
男の身体から、凄まじい勢いでエーテルが放出され始めた。
それは、目に見えるほどの青白い光の奔流となって、その身体から噴き出した。
シュゥゥゥゥゥ……
光が、溢れ出した。
身体の内側で生命を維持するために循環しているはずのエーテルが、その流れを強制的に逆転させられ、外へ、外へと、破裂するように飛び出そうとしたのだ。
男は――
苦しんでいた。
「ぐ……」
声が、出なかった。
そして――
「ぎゃあああああああああああっ!!」
男の絶叫が、部屋に響いた。
それは、人間のものではなかった。
皮膚が、内側からの圧力で風船のように膨れ上がった。
血管が、裂けた。
目や口から、光の粒子が漏れ出した。
そして、数秒後――
パンッ。
乾いた、破裂音と共に。
男の身体は、文字通り風船のように破裂した。
血肉の代わりに、無数の光の粒子となって四散した。
キラキラと――
光の粒子が、舞った。
美しくは――
なかった。
ただ、おぞましかった。
その光景には、美しさのかけらもなく、ただ、生命が最も暴力的な形で消滅する、おぞましさだけがあった。
(……なるほど)
サイラスは、その惨状を前にしても眉一つ動かさなかった。
ただ、冷静にデータを分析していた。
(一般人では、器が弱すぎて耐えられんか)
## アシェルのための設計――より残酷な運命
(だが、アシェルの場合は違う)
サイラスの頭脳は、アシェルという特異な「器」に対する、最適な破壊方法を導き出していた。
「あいつは、元々エーテルを外部から『吸収』する体質」
サイラスは、呟いた。
「その流れを逆転させれば、『吸収』は際限のない**『放出』に変わる**」
彼女の身体は、通常の人間のように破裂はしないだろう。
しかし、その代償は、より残酷なものとなる。
「彼女の生命の源であるエーテルそのものが、枯渇するまで吸い尽くされる」
サイラスは、続けた。
「ゆっくりと、しかし確実に、衰弱死していくことになる」
サイラスは、その光景を想像した。
そして、口元に歪んだ笑みを浮かべた。
英雄として讃えられながら、誰にも理解されないまま、一人静かに枯れて死んでいく。
これ以上の、復讐はない。
完璧だった。
## 完璧なアリバイ工作――周到な布石
サイラスは、研究者以外の部下たちに、予め用意していた偽の情報を流させていた。
街の酒場で――
誰かが、囁いた。
「おい、聞いたか?」
「地下の連中が開発してる新技術、まだ不安定らしいぞ」
別の誰かが、答えた。
「ああ、聞いた」
「エーテルが暴走する危険性があるんだと」
噂は――
広まっていった。
これは、来るべき事件の後のための、周到な布石だった。
事件が起きた後、「アシェルが自らの制御不能な力によってエーテルの暴走を起こした」という噂を流させるための。
そして、その悲劇を乗り越え、彼女の遺した理論を安全な形で完成させた**「立役者」**として、自分自身が表舞台に立つ。
全ては――
計算され尽くしていた。
「悲劇の天才少女、アシェル」
サイラスは、心の中で呟いた。
「その危険な遺志を受け継ぎ、人類の未来のために立ち上がった、若き指導者サイラス」
サイラスは、自らが演じるべき英雄の脚本を、完璧に書き上げていた。
すべてが――
計画通りだった。
## 運命の罠――最後の儀式
「……さあ、最後の仕上げだ」
サイラスは、祭壇の中央に置かれた、荘厳な装飾が施された『逆転の書』の前に立った。
そして、桐の箱から、あの、アシェルの部屋から盗み出した、数本の銀灰色の毛髪を取り出した。
髪の毛は――
美しかった。
銀色に、輝いていた。
アシェルの毛髪を使い、彼女の生体エーテル情報を、本の核心である『魂の同調回路』に完全に同調させる。
これこそが、『逆転の書』を、アシェル専用の絶対的な「鍵」とするための、最後の儀式だった。
サイラスは、毛髪を回路の中心に置いた。
そして、再び古代龍族の言語で呪文を唱え始めた。
低く、響く声で。
髪の毛が、淡い光を放ち始めた。
その光が、回路全体に広がっていった。
回路に刻まれたルーン文字が、アシェルの魂の波形と完全に同期していくのが、サイラスには見えた。
儀式は――
続いた。
何時間も。
サイラスは――
唱え続けた。
休むことなく。
「……完了した」
数時間の儀式の末、**『逆転の書』**は、ついにその真の姿を完成させた。
それは、もはや単なる魔導書ではなかった。
アシェル本人でなければ起動せず、彼女が開けば必ず発動する、逃れられない運命の罠。
その本は、アシェル以外の人間がどれだけマナを注ぎ込もうとも、ただの美しい装飾品として沈黙を保つだろう。
しかし――
ひとたびアシェルがそのページに触れ、彼女自身の意志で開いた瞬間、その魂は、永遠に後戻りのできない、破滅の渦へと引きずり込まれるのだ。
『逆転の書』が、アシェルにとって絶対的な罠であることが、技術的に確定した。
彼女の破滅が、もはや避けられない運命であることが。
サイラスは、完成した書を、ビロードの布で丁寧に包んだ。
その手つきは、まるで恋人に贈り物を準備するかのように、優しく、そして愛情に満ちているようにさえ見えた。
しかし――
だが、その瞳の奥で燃えているのは、愛とは正反対の、全てを無に帰すための、冷たい、冷たい復讐の炎であった。
「待っていろ、アシェル」
サイラスは、呟いた。
「お前のための、最高の舞台が、もうすぐ始まる」
サイラスは――
微笑んでいた。
狂気の、微笑み。
すべての準備が――
完了した。
『逆転の書』は、完成した。
あとは――
記念式典の日を、待つだけ。
アシェルに渡される、日を。
そして――
すべてが、破滅する日を。




