エーテルの時代の全盛期57:技術の再構築とサイラスの嘘
# 第五十七章:隠蔽された呪詛――純粋な才能たちの罠
## 理論の提示――完璧な数式
秘密研究所「プロメテウス」での研究は、熱狂的な興奮の中で始まっていた。
サイラスは、集まったアーコン・ティアの天才たちの前に、自らが禁書庫から持ち出した黒曜石の石板と、それを翻訳・再構成したという、数枚の羊皮紙を提示した。
「諸君、これが我々が目指すべき頂だ」
サイラスの声は、預言者のように荘厳だった。
彼が示した羊皮紙には、「エーテル・リバーサル」――エーテルの流れを逆転させ、本来個人の内側から発生する生命力エーテルを、外側から得る革命的な理論が、完璧な数式と理論体系で記されていた。
羊皮紙には――
複雑な数式が、並んでいた。
古代の記号。
現代の数学。
それらが、融合していた。
「すごい……」
理論魔術師レグルスが、その数式を見て、息を呑んだ。
「時空の構造そのものを、エーテルの関数として定義している……」
レグルスの手が、震えていた。
興奮で、震えていた。
「これは、相対性理論を、魔法的に再解釈したようなものだ……!」
「我々の文明より、数千年は進んでいる……!」
集まった研究者たちは、その理論の斬新さと完成度に、ただただ圧倒された。
時間魔術のルキウス。
魂魄魔術のベアトリス。
マナ気象学のエリアナ。
それぞれの専門分野の天才たちが、そこに記された理論の中に、自らの研究を飛躍させる無限の可能性を見出し、興奮に目を輝かせていた。
「この理論を使えば……」
エリアナが、呟いた。
「本当に、無からエネルギーを生み出せるかもしれない……」
「アシェルのような先天的な才能に頼らず、純粋な知性だけで、奇跡を起こせるというのか……!」
ルキウスも、興奮していた。
彼らは――
知らなかった。
その完璧に見える理論が、サイラスによって意図的に編集・改竄されたものであることを。
## 隠蔽された呪詛――恐ろしい警告文
実際には、サイラスは「エーテル・リバーサル」の古文書を、この研究が始まる前に、たった一人で完全に解読し終えていた。
彼は、レグルスをも上回る言語解読能力と理論構築能力を、誰にも知られることなく隠し持っていたのだ。
サイラスは――
天才だった。
真の、天才。
誰も、気づいていなかったが。
そして、その解読の過程で、彼は石板の最後に刻まれた、あの恐ろしい警告文を発見していた。
石板の、最後の部分。
小さな文字で、刻まれていた。
『――心せよ』
サイラスは、それを読んだ。
『時と因果の川を遡る者は、その流れそのものからの、苛烈なる反動を免れることはできない』
『……術者が意図しない、より巨大な悲劇が生まれるやもしれぬ』
『この術は、世界の終わりを望む者以外、決して用いてはならぬ――』
サイラスは、その一文を読んだ瞬間、恐怖ではなく、歓喜に震えた。
その目は――
輝いていた。
狂気の、光で。
(……これだ)
サイラスは、心の中で叫んだ。
(これこそが、俺が求めていたものだ……!)
「術者が意図しない、より巨大な悲劇」。
それこそが、アシェルの築いた偽善の楽園を破壊し尽くすための、完璧な兵器だった。
彼の復讐は、単にアシェルを打ち負かすことではなかった。
彼女が信じる世界そのものを、予測不可能な混沌へと突き落とすことなのだから。
サイラスは、研究者たちに理論を提示する際、この致命的な警告が記された部分は、最初から完全に取り除いていた。
そして、代わりに、自らが創作した偽りの一文を書き加えていたのだ。
『……術式の安定化には、高度なエーテル循環制御が必要となる』
『これを達成せば、理論は完成し、安定したエネルギー供給が可能となるであろう』
サイラスは――
微笑んだ。
完璧な、嘘。
誰も、疑わない嘘。
## 「再現」という名の罠――巧妙な役割分担
「私が求めるのは、諸君の独創性ではない」
サイラスは、集まった天才たちに、リーダーとして指示を下した。
「この完成された理論を、現実世界に『再現』するための、君たちの卓越した技術力だ」
彼の言葉は、彼らのプライドを巧みにくすぐった。
理論構築という最も創造的な部分はサイラス(と古代人)が行い、自分たちはその実現という「作業」を任される。
一見すると、屈辱的にも思えるその役割分担を、彼は「選ばれし者だけが担える、精密な実装の仕事」として、見事に意味を転換させた。
「理論は既にある」
サイラスは、続けた。
「我々に必要なのは、この神の設計図を、寸分の狂いもなく地上に具現化させる、最高の職人たちだ」
「そして、その資格を持つのは、この学園広しといえども、君たちしかいないのだよ」
レグルスたちは、サイラスのその言葉に、完全に魅了された。
自分たちは、歴史上最も偉大な魔法理論を、初めて現実のものとする、栄誉ある実行者なのだと。
「……確かに」
レグルスが、言った。
「これほどの理論、我々の手で完成させなければ、歴史に対する冒涜となる……」
「理論は完璧だ」
ルキウスも、言った。
「あとは、我々の技術力で、それをいかに精密に再現できるか、という挑戦だな」
彼らの目は、もはや禁術の危険性に向いてはいなかった。
ただ、目の前にある、知的好奇心を刺激する美しい理論と、それを自らの手で完成させるという、技術者としての名誉欲だけに、支配されていた。
サイラスの、目的のためなら手段を選ばない冷酷さと狂気は、研究者たちの純粋な探究心さえも、自らの復讐の歯車として利用する、その一点にあった。
## 破滅へのカウントダウン――バベルの塔
こうして、「プロメテウス」の研究は、「古代技術の再現」という偽りの大義名分の下、熱狂的に開始された。
研究者たちは、自分たちが扱っている理論が、致命的な欠陥――意図的に隠された警告――を孕んでいることなど、夢にも思わなかった。
研究室は――
活気に満ちていた。
毎日、議論が交わされた。
実験が、行われた。
データが、蓄積された。
レグルスは、理論の実装を指揮した。
エリアナは、エーテルの循環制御を担当した。
ルキウスは、時間干渉の部分を研究した。
ベアトリスは、魂の操作について実験した。
全員が――
熱心に、働いていた。
自分たちが、世界を変えると信じて。
サイラスは、研究が進行していく様子を、満足げに見守っていた。
彼らの知性が高ければ高いほど、才能が豊かであればあるほど、完成する『逆転の書』は、より完璧に、そしてより破壊的なものとなるだろう。
(せいぜい励むがいい、優秀なモルモットたちよ)
サイラスは、暗闇の中で静かに笑った。
(君たちが築き上げる科学の塔は、やがて世界を焼き尽くす、バベルの塔となるのだから)
禁術の持つ危険性は、意図的に隠蔽された。
そして、純粋な才能たちが、自ら進んで破滅への道を舗装していく。




