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エーテルの時代の幕開け14:波紋と焦燥

チーム「リヴォルト」の奇跡的な準々決勝進出は、もはや単なる番狂わせではなかった。それは、グランベルク王立学園の千年の歴史において、初めて起こった「事件」として、生徒たちの記憶に刻まれつつあった。レメディアル・ティアという、存在しないも同然だった最底辺が、学園の厳格な階級社会の頂点を目指して、その階段を駆け上がっている。その物語は、生徒たちの間で、瞬く間に神話と化した。


そして、その神話の中心にいたのが、アシェルだった。

「聞いたか?リヴォルトの司令塔は、あのアシェルっていう娘らしいぞ」

「ああ、普段は物静かだけど、試合になると別人のようになるってな」

「彼女の支援魔法は、アーコン・ティア級だという噂だ。本当かね?」


かつては「疫病神」と蔑まれ、食堂で一人食事をしていた孤独な少女は、今や一躍時の人となっていた。廊下を歩けば、見知らぬ生徒たちから憧れの視線を向けられ、「頑張って!」「応援してる!」という声援が飛ぶ。上位ティアの生徒たちでさえ、もはや彼女を侮蔑することはなく、畏敬と好奇の入り混じった眼差しで見つめるようになっていた。


その変化に、アシェル自身が最も戸惑っていた。

「アシェル、すごい人気だね!」

リアンが、自分のことのように嬉しそうに言う。

「……うん。でも、なんだか……落ち着かない」

アシェルは、人々の好意にどう応えればいいのか分からなかった。彼女にとって、注目されることは、常に危険と隣り合わせだったからだ。村での忌避、試験塔での侮蔑、地下闘技場での野次。彼女は、常に世界の片隅で、息を潜めて生きてきた。この、あまりにも眩しい光は、彼女にとって、温かいものであると同時に、どこか居心地の悪い、英雄という名の新しい檻のように感じられた。


彼女の心は、仲間たちの期待と、自分自身の力の代償との間で、引き裂かれそうになっていた。毎晩のように見る悪夢。断片的に失われていく記憶。そして、日に日に増していく身体の冷え。その苦しみを、熱狂する周囲の誰にも打ち明けることはできなかった。


SATUMAの静かなる疑念


その熱狂の渦から一歩引いた場所で、状況を冷静に見つめる者たちがいた。SATUMAの一団である。彼らの寮は、相変わらず芋焼酎の匂いと、時折響き渡る「チェスト!」の気合の声に満ちていたが、その空気は以前とは微妙に異なっていた。


「どう思う、ケンシンさぁ?」

道場で木刀の手入れをしていた西郷タケルが、珍しく真剣な表情で尋ねた。

「アシェルの嬢ちゃんたちの快進撃のことじゃ。いくらなんでも、出来すぎじゃなかか?」


タケルは、リヴォルトの勝利を心から喜んでいた。しかし、彼もまた、数々の実戦を経験してきた武人のはしくれだ。あのファウンデーション・ティアの強豪チームが、あれほど脆く崩れ去る光景には、拭いがたい違和感を覚えていた。

「相手チームの動きが、どうもおかしいごつある。まるで、わざとアシェルたちの得意な戦い方に、はまってやってるみてえじゃ」


「……おはんも、気づいたか」

ケンシンは、木刀を磨く手を止めずに答えた。彼の瞳は、磨き上げられた刃のように鋭く、そして冷たい光を放っていた。


ケンシンは、数日前から独自に調査を進めていた。秋季カップの全試合の記録を閲覧し、リヴォルトの対戦相手の過去の戦闘データと、実際の試合での動きを、徹底的に比較分析していたのだ。その結果は、彼の疑念を確信へと変えさせた。連携チーム、攻撃特化チーム、防御特化チーム……あまりにも都合よく、アシェルのチームが持つ特殊な能力を試すのに最適な相手が、順番に現れすぎている。


「誰かが、裏で糸を引いちょる」

ケンシンの結論は、明確だった。「この大会は、ただの競技会じゃなか。アシェルという娘を舞台に乗せ、その上で何かを演じさせようとしちょる、巨大な劇場なんじゃ」


だが、その目的が何なのか、そして黒幕が誰なのか。そこまでは、まだ掴めていなかった。

(……アシェル。おはんは、一体、どんな大きな渦に巻き込まれちょるんじゃ……)

ケンシンは、遠いレメディアル寮の方向を見つめながら、静かに、そして深く、ため息をついた。彼にできることは、ただ、友人の身に迫る危険を、静かに見守ることだけだった。


サイラスの焦燥と狡猾な一手


一方、全く別の場所で、全く別の理由から、アシェルの快進撃に焦燥感を募らせる者がいた。サイラスである。彼は地下闘技場の運営陣、ひいてはバルトール侯爵に対して、「シエルは私が目をかけている同じ学園の後輩で、私が招待した」と嘯き、公式な仲介人として多額の仲介料を手にしていた。「同じ学園の生徒である」という一点の真実以外は、全てが彼の作り話だったが、その嘘はこれまでうまく機能していた。


しかし、アシェルが秋季カップで学園の英雄となるにつれ、その状況は一変した。バルトール侯爵が、その利権に直接介入し始めたのだ。


「サイラス君」

バルトールの執事が、サイラスの元を訪れた。その丁寧な物腰とは裏腹に、その目には冷たい光が宿っていた。

「侯爵様から、君への仲介料について、ご伝言がございます。『シエル嬢の活躍は、もはや君一人の功績ではない。学園全体で彼女を支援すべきである』、と」


その日から、サイラスが受け取る仲介料は、日に日に目減りしていった。最初は30%だったものが20%に、そして今週は10%にまで引き下げられていた。


(くそっ……!あの老いぼれ狸め……!)

サイラスは、内心で激しい怒りを燃やしていた。彼にとって、アシェルは自らが見出し、育て上げた「金のなる木」のはずだった。その果実を、権力者に横からかすめ取られていく。


だが、彼が抱いていたのは単なる金銭欲だけではなかった。

(あいつの力は、俺の予想を、遥かに超えている……!)

サイラスは、アシェルの試合を観客席から見つめながら、戦慄していた。彼女が発揮する力の質も量も、彼が地下で見てきた「シエル」のそれとは、明らかに次元が違っていた。仲間と連携することで、彼女の力は、まるで触媒を得たかのように、指数関数的に増大している。


その力への、激しい嫉妬と焦燥。自分が手に入れるはずだった力を、自分には到底届かない高みでアシェルが振るっている。その事実が、彼のプライドを深く傷つけた。


(……許さねえ……。俺以外の誰かが、あいつを利用することも、あいつが俺より上に行くことも、絶対に……許さねえ!)


数日後、彼は自らバルトール侯爵のサロンへと足を運んだ。表向きは仲介料の減額について穏便に抗議するためだったが、その真の目的は別にある。


「侯爵様、先日のお話ですが、いささか解せない点が……」

「ほう、何かな、サイラス君」

バルトールは、豪華な肘掛け椅子に深く腰掛け、サイラスを見下ろしていた。


「シエル嬢は、私が個人的な信頼関係の元、連れてきた逸材です。私の仲介なくして、彼女があのリングに立つことは……」


「その点だよ、サイラス君」

バルトールの声は穏やかだったが、その瞳は笑っていなかった。

「我々も、少し調べてね。実に興味深いことが分かったのだよ」


バルトールは、ゆっくりと指を組んだ。

「闘技場の受付は、君が彼女を紹介したとは聞いていない、と言っている。むしろ、『なぜか合言葉を知っていた、謎の少女』だと。……君、**どこかで情報が『漏れた』**とは考えないかね?例えば、君が不用意に誰かに合言葉を話してしまい、それを彼女が偶然耳にした、とか」


その言葉は、直接的ではなかった。だが、その陰湿な指摘は、サイラスの背筋を凍らせるには十分だった。バルトールは、サイラスの嘘を完全に見抜いていた。そして、「情報漏洩」という、この裏社会では死罪にも等しい過失を匂わせることで、サイラスを牽制しているのだ。


「……滅相もございません」

サイラスは、冷や汗を流しながら、深々と頭を下げることしかできなかった。

(……クソ爺が……!覚えてやがれ……!)


交錯する思惑、迫り来る影


こうして、アシェルという一つの光源を中心に、様々なキャラクターたちの思惑が、複雑な影となって交差し始めた。


純粋な勝利を喜ぶレメディアルの仲間たち。

友人の身を案じ、陰謀の匂いを嗅ぎ取るケンシン。

アシェルの力を利用し、国家の覇権を狙う学園上層部。

そして、奪われた栄光を取り戻すため、アシェルへの憎悪と嫉लानाを募らせるサイラス。


物語の舞台裏で、それぞれの人物が、それぞれの目的のために動き始める。アシェル自身は、ただ仲間を守りたいという一心で戦い続けているだけだったが、その純粋な願いが、皮肉にも、学園の最も深い闇を呼び覚まし、彼女をより大きな運命の渦へと巻き込んでいくのであった。


次の準々決勝を前に、学園に広がる波紋と焦燥は、やがて来る嵐の前の、不気味な静けさのように、物語全体に重く、そして暗い影を落としていた。

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