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エーテルの時代の幕開け11:偽りの祝祭

秋風が学園の銀杏並木を吹き抜け、黄金色の葉が祝福のように舞い散る季節。グランベルク王立学園は、年に一度の特別な熱狂に包まれた。伝統ある学内トーナメント「秋季カップ」の開幕を告げるファンファーレが、王都カストラムの澄み切った空に高らかに響き渡った。


中央大競技場コロッセオは、一万の観衆を収容できる巨大な円形闘技場だ。磨き上げられた大理石の観客席は、王国の貴族、有力な商人、そして期待に胸を膨らませる生徒たちの家族で埋め尽くされている。色とりどりの旗が風にはためき、楽団が奏でる勇壮な音楽が、これから始まる祝祭への期待を煽っていた。


「見ろよ、あそこ!アーコン・ティアの首席、レオナルド様だ!」

「エリート・ティアの龍人族もいるぞ!今年も優勝候補は決まったようなものだな」


観客席の話題を独占するのは、常に上位ティアのスター選手たちだった。彼らが最新のマギア武具を手に、優雅に入場してくるたびに、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こる。


その華やかな光景の最も隅、巨大な競技場の影になるような入場口で、アシェルたちレメディアル・ティアのチームは、自分たちの出番を静かに待っていた。


「……すごい人だね」

リアンが、人いきれに気圧されたかのように、小さな声で呟いた。彼女はエリアーデの薬のおかげで、以前よりずっと健康になっていたが、これほど多くの人々の前に立つのは初めての経験だった。

「気にするな」カインが、ぶっきらぼうだが仲間を思いやる声で言った。「観客なんて、ただの背景だと思えばいい」


彼らの真新しいチームユニフォームは、アシェルが闘技場で稼いだ賞金で作ったものだった。深い夜空を思わせる藍色を基調とし、胸にはレメディアルの不名誉な烙印ではなく、彼らが自らデザインした、逆境から芽吹く双葉をモチーフにした小さな紋章が、銀糸で刺繍されている。それは、彼らのささやかな誇りの象徴だった。


「――続いて、レメディアル・ティア代表、チーム『リヴォルト』の入場です!」


司会者のアナウンスは、どこか気の抜けた、投げやりな響きを持っていた。観衆の反応は、残酷なほど正直だった。先程までの熱狂的な歓声は嘘のように消え去り、代わりに冷ややかな失笑と、侮蔑的な囁き声が競技場を満たした。


「レメディアルだって?あの落ちこぼれたちが、本気で参加するつもりか?」

「どうせ一回戦で無様に負けるだけだろう。時間の無駄だ」

「見ろよ、みすぼらしい格好だな。ユニフォームを新調する金もなかったのか」


貴族席から投げつけられる心ない言葉が、鋭いナイフのように彼らの胸に突き刺さる。リアンは俯き、カインは悔しげに拳を握りしめた。他の仲間たちも、顔をこわばらせている。


「……顔を上げて、みんな」


その時、チームの中心に立つアシェルの、静かで、しかし凛とした声が響いた。

「私たちは、もうただの落ちこぼれじゃない。私たちは、チームだ。誰に笑われようと関係ない。胸を張って、リングに立とう」


仮面はつけていない。今日の彼女は、シエルではなく、アシェル・ヴァーミリオンとしてここにいる。その灰色の瞳には、地下の修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、鋼のような強さと、仲間への深い信頼が宿っていた。彼女の言葉に、仲間たちははっと顔を上げた。そうだ、もう独りじゃない。


彼らは、背筋を伸ばし、侮蔑の視線が降り注ぐ中を、堂々と歩き始めた。その小さな一団の姿は、巨大な競技場の中ではあまりにも頼りなく見えた。しかし、彼らの心は、固い絆で一つに結ばれていた。


盤上の駒、学園長の思惑


その全ての光景を、競技場の最上階、分厚い防音ガラスで外部から完全に遮断された特別貴賓室から、一人の男が、冷徹な瞳で見下ろしていた。


グランベルク王立学園長、オルティウス・フォン・クローゼン。齢六十にして、その顔には年齢を感じさせない、剃刀のような鋭さと、底の知れない知性が宿っている。彼は、この学園だけでなく、グランベルク王国のマギアテック政策そのものを、影で操る黒幕であった。


「……始まりましたな、学園長閣下」


彼の隣には、情報統括官が、いつもの無表情な仮面のような顔で控えていた。


「うむ」学園長は、手に持ったワイングラスを優雅に回しながら、眼下の小さなチームを見つめていた。「実に興味深い光景だ。絶望の淵から這い上がろうとする者たちの、なんと健気で、美しいことか」


その口調は穏やかだったが、瞳の奥には、研究者が実験動物に向けるような、冷たい好奇心しか宿っていなかった。


「情報統括官。準備は万端かね?」

「はい。対象『アシェル・ヴァーミリオン』及び、彼女が所属するチーム『リヴォルト』の試合が行われる全ての会場に、最新式の高精度観測装置を設置済みです」


統括官が、手元の魔導端末に表示されたデータを示した。そこには、アシェルの個人データ――ティア判定、推定マナ量、そして地下闘技場での非公式戦闘記録――が、詳細にリストアップされていた。


「特に、彼女の『エーテル吸収』及び『譲渡』現象を捉えるため、特殊なエーテル粒子センサーを集中配備しております。試合中の彼女のエーテル波形の変化、対戦相手や味方への影響、そして力の行使に伴う身体的代償。その全てを、ミリ秒単位で記録、分析することが可能です」


「よろしい」学園長は満足そうに頷いた。「バルトール侯爵には、予定通り『協力』させているのだろうな」

「はい。彼には、リヴォルトが勝ち進むにつれて、より強力で、より精神的にアシェルを追い詰めるような『障害』を配置するよう、指示済みです」

「結構だ。素材というものは、極限の圧力をかけてこそ、その真の性質を現すものだ。あの娘が持つ、未知の力の限界を、この大会で、白日の下に晒してくれるわ」


学園長はワインを一気に飲み干すと、グラスをテーブルに置いた。カツン、という硬質な音が、静寂な部屋に響く。

「始めさせたまえ。人類の未来を賭けた、壮大な公開実験を」


初戦、侮蔑の中で


「第一試合、第七訓練リング!エリート・ティア第三席、チーム『アイアンゴーレム』対、レメディアル・ティア、チーム『リヴォルト』!試合開始!」


審判の、どこか投げやりな声と共に、レメディアルチームの初戦の火蓋が切られた。彼らの対戦相手、「アイアンゴーレム」は、その名の通り、屈強な肉体を持つ戦士系ティアの生徒三人で構成された、エリートのチームだった。リーダーのボルグは、身長二メートルを超える巨漢で、その顔にはレメディアルへのあからさまな侮蔑の色が浮かんでいた。


「おいおい、マジかよ。初戦の相手が、あの『ゴミ溜め』の連中とはな。ウォーミングアップにもなりゃしねえ」

ボルグの野卑な声に、観客席からも同調するような笑い声が起こる。


「カイン、分析を」

アシェルは、周囲の野次など意にも介さず、静かに指示を出した。


「……了解」

カインは、恐怖で震える手を抑えながら、相手チームの装備と構えを、その豊富な理論知識で分析し始めた。「……リーダー、ボルグ。防御力に特化した重装鎧。弱点は関節部分と、兜の目の隙間。両脇の二人は、軽装鎧だが、攻撃速度が速い。おそらく、リーダーが壁となり、両翼から挟み撃ちにする戦術だ」


「リアン、準備はいい?」

「……うん。いつでも」

リアンは、小さな杖を胸の前で握りしめた。


試合開始と同時に、ボルグは予測通り、雄叫びを上げて突進してきた。その突撃は、まるで城壁が迫ってくるかのような凄まじい迫力だった。


「まず、リーダーの足を止めます!」

リアンが、習得している数少ない魔法の一つ、「スロウ」を詠唱した。それは、ロウ・ティアの生徒でも使える、ごく初歩的な妨害魔法だ。

「ハッ、そんな豆鉄砲が効くか!」

ボルグは嘲笑いながら、魔法をその身に受けた。


だが、その瞬間、信じられないことが起こった。

「……なっ!?身体が……重い……!」

ボルグの足が、まるで泥沼に囚われたかのように、急激に鈍くなったのだ。


アシェルが、リアンの魔法が着弾する、まさにその瞬間に合わせて、ボルグから微量のエーテルを「吸収」していたのである。二つの効果が重なり合い、初歩魔法は、エリート・ティアの戦士をも足止めする、強力な呪縛へと変化していた。


「今だ!」


その隙を見逃さず、チームの他のメンバーが、練習通りの連携でボルグの両翼を攻撃する。ボルグが仲間を助けようとするが、足が思うように動かない。


「くそっ、なんだってんだ、これは……!」


そして、アシェルが動いた。彼女は、仲間の戦いを支援するように、後方から回復魔法と強化魔法を、驚くべき速度で、立て続けに詠唱し始めた。その一つ一つが、彼女が吸収したエーテルによって増幅され、通常では考えられないほどの効果を発揮していた。


「な……なんだ、あの支援能力は……!?まるで、アーコン・ティアの神官術師じゃないか!」

観客席で見ていた上位ティアの生徒たちから、驚愕の声が上がる。


絆という名の力


試合は、一方的だった。完璧な連携と、アシェルの神がかり的な支援能力の前に、個人技に頼る「アイアンゴーレム」は、なすすべもなかった。試合開始からわずか十分後、リーダーのボルグが、膝をついた。


「……ま、参った……」


審判が、まだ信じられないといった表情で、試合終了の笛を吹いた。


静寂。そして、一瞬の間を置いて、競技場は、この日一番の、驚きと興奮に満ちたどよめきに包まれた。


「嘘だろ……!?レメディアルが、エリートに勝った……!?」

「何が起きたんだ……!?あの支援魔法は、一体……!」


アシェルたちは、互いに顔を見合わせた。そして、勝利の喜びを分かち合うように、固く、固く、手を握り合った。

「やった……!私たち、勝ったんだ……!」

リアンの目に、喜びの涙が浮かんでいた。


その光景を、SATUMAのケンシンが、訓練場の片隅から、静かに見つめていた。

(……ほう。吸収と譲渡だけじゃなか。仲間との『共鳴』……か。あやつ、とんでもない怪物やもしれんのう)


そして、北塔の観測室では、学園長が、満足そうに、スクリーンに映し出された波形データを見つめていた。

「素晴らしい……。実に、素晴らしいデータだ。次の相手は、もう少し、骨のある奴らを用意してやろう。あの娘の、本当の限界が、どこにあるのか……じっくりと、見させてもらうとしよう」


華やかな祝祭の鐘の音の裏側で、学園上層部の冷たい陰謀が、静かに、そして確実に、その次の段階へと移行し始めていた。レメディアルの小さなチームの、奇跡の快進撃。それは、彼らにとって希望の光であると同時に、より深い闇へと誘う、危険な罠の始まりでもあったのだ。

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