エーテルの時代の幕開け10:学園の闇に響く祝祭の鐘
秋の空気が澄み渡り、学園の銀杏並木が黄金色に輝き始める季節。グランベルク王立学園に、年に一度の特別な熱狂が訪れた。伝統ある学内トーナメント「秋季カップ」の開催が、学園長の名の下に、高らかに布告されたのだ。
「全生徒に告ぐ!」
学園の各所に設置された魔法拡声器から、学園長の威厳に満ちた声が響き渡った。
「来る十月十五日より、栄誉ある秋季カップを開催する!本大会は、ティアの垣根を越え、全ての生徒に己の実力を示し、名誉を勝ち取る機会を与えるものである!上位入賞者には、ティア昇格の特別推薦、王国からの奨学金、そして名門工房へのインターンシップ枠など、輝かしい未来への扉が開かれるであろう!」
この発表に、学園全体が沸き立った。特に、普段は日陰の存在であったロウ・ティアやファウンデーション・ティアの生徒たちの興奮は、格別だった。
「すごい!ティア昇格のチャンスだ!」
「勝てば、あのエリート・ティアにも入れるかもしれないぞ!」
「奨学金が出れば、実家に仕送りができる……!」
それは、厳格な階級制度に縛られた彼らにとって、一年に一度だけ与えられる、実力で運命を覆すための、眩いばかりの希望の光だった。大会までの二週間、学園の訓練場は、夜遅くまで自主訓練に励む生徒たちの熱気で満たされた。
レメディアル寮もまた、この熱狂と無縁ではいられなかった。
「……私たちも、出場できるのかな?」
リアンが、少しだけ上ずった声で、談話室に張り出された大会要項を読み上げていた。
「……できるみたい。『全生徒に出場権を与える』って書いてあるわ!」
その言葉に、これまで諦めの空気に満ちていた寮内に、小さな、しかし確かな歓声が上がった。
「本当か!?」
「俺たちにも、チャンスがあるのか!」
カインでさえ、その血色の悪い顔を微かに高揚させていた。
誰もが、これは学園側がようやく底辺の生徒たちの存在を認め、その向上心を後押しするための、慈悲深い配慮なのだと信じて疑わなかった。だが、その祝祭ムードの裏側で、冷徹で巨大な陰謀が進行していることを知る者は、まだ誰もいなかった。
観測室の冷たい視線
北塔最上階「観測室」。学園の神経中枢であるこの場所は、祝祭の熱気とは完全に隔絶されていた。巨大なマナ・スクリーンに、無数の生徒たちのデータが数字とグラフとなって表示されている。
「……準備は整ったか」
情報統括官の、感情のない声が静寂を破った。
「はい。秋季カップの全試合会場に、最新式の高精度マナ波形観測装置を設置済みです。特に、レメディアル・ティアの試合が行われる第七訓練場には、実験レベルの特殊センサーを集中配備いたしました」
部下の分析官が、恭しく報告する。
彼らの真の目的は、生徒たちの健全な競争を促すことなどではなかった。ただ一つ、アシェル・ヴァーミリオンという「特異体質者」の能力を、公の、そして管理された環境下で、徹底的に観測し、データ化すること。
「地下闘技場のデータも興味深かったが、環境が劣悪すぎる。ノイズが多く、正確な分析には限界があった」統括官は、スクリーンの隅に表示された「シエル」の戦闘ログを見つめていた。「だが、この秋季カップは違う。環境、対戦相手、試合形式、その全てを我々がコントロールできる。完璧な実験場だ」
「バルトール侯爵には、予定通り『協力』させるよう伝えておけ。彼の闘技場の利権を一部保障する代わりに、大会の裏で『障害』を適度に配置させろ」
「障害、でございますか?」
「そうだ。対象に、適度なストレスと危機感を与えることで、その能力が最大限に引き出される。リアンとかいう病弱な小娘も、良い駒になるだろう。ケンシンというSATUMAもな」
統括官は、まるでチェスの駒を動かすかのように、冷徹に指示を下した。
サツマの違和感
SATUMAの寮でも、秋季カップの話題で持ちきりだった。だが、彼らの反応は、他の生徒たちとは少し異なっていた。
「ケンシンさぁ、おはんも出るんじゃろ?大会」
西郷タケルが、道場で汗を流しながら尋ねた。
「当たり前じゃ。去年の雪辱ば果たさんばならん」
去年の大会で、ケンシンは圧倒的な実力で決勝まで勝ち進んだ。しかし、決勝の相手が試合開始直後に不可解な棄権をしたため、不戦勝という後味の悪い形で優勝していた。
「じゃっどん、妙な話じゃ」ケンシンは木刀を止め、眉をひそめた。「なんで今年は、あのレメディアルにも出場枠があるんじゃ?」
「そりゃ、学園もようやく目が覚めたんじゃろ」タケルはあっけらかんと言った。「わいらがゴーレムば壊したおかげで、ティアだけが全てじゃなかち、分かったんじゃなかか?」
「……それだけなら、良いがな」
ケンシンの武人としての直感は、この学園の決定の裏に、何か別の意図があることを、漠然とだが感じ取っていた。特に、全ての生徒が参加可能でありながら、試合形式が、上位ティアほど有利になるような、巧妙なルール設定になっている点に、彼は釈然としないものを感じていた。
「まるで、特定の誰かを、勝ち上がらせたいように見える……。あるいは、特定の誰かの戦いを、じっくりと見たいように、な」
彼は、森の闇の中で一人訓練に励む、あの灰色の瞳の少女の姿を思い出していた。
(……アシェル。おはん、この祭りに、飲み込まれるんじゃなかぞ)
レメディアルの小さな希望
そんな学園上層部の暗い思惑など、レメディアルの生徒たちが知る由もなかった。彼らにとって、秋季カップは、生まれて初めて与えられた、正当な競争の機会だった。
「……本当に、私たちが出てもいいの?」
リアンは、まだ信じられないといった表情で、仲間たちを見回した。
「ああ、いいんだ!」カインが、久しぶりに力強い声を出した。「俺たちが、ただの落ちこぼれじゃないってことを、学園中の奴らに見せつけてやるんだ!」
彼の火傷の痕の残る顔に、かつての天才の面影が、一瞬だけ蘇っていた。
「でも、どうやって戦うの?私たちはみんな、マナも少ないし、まともな魔法も使えないのに……」
その時、談話室の扉が、静かに開いた。
「……私に、考えがある」
そこに立っていたのは、アシェルだった。彼女の瞳には、地下闘技場での修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、静かだが確かな自信が宿っていた。
「みんな、一人一人が持っている力は小さいかもしれない。でも、それを合わせれば、きっと大きな力になる」
彼女は、一枚の羊皮紙を広げた。そこには、レメディアルの仲間たち一人一人の特性を活かした、独創的なチーム戦術が、緻密に書き込まれていた。マナが少ないリアンは、相手の精神を僅かに揺さぶる支援魔法を。魔法への恐怖を持つカインは、その豊富な理論知識を活かして相手の弱点を見抜く分析役を。
そして、その中心で、アシェル自身が、仲間たちのエーテルを繋ぎ、増幅させ、そして導く、チームの「心臓」となる。
「すごい……こんな戦い方、考えたこともなかった……」
「これなら、私たちでも……戦えるかもしれない!」
仲間たちの目に、希望の光が灯った。アシェルが闘技場で稼いだ金で買った、真新しいチームの制服。それは、彼らが初めて手にした、「チーム」としての誇りの象徴だった。
「行こう、みんな」
アシェルは、仲間たちに手を差し伸べた。「私たちが、この学園の常識を、ひっくり返してやるんだ」
表向きは華やかな祝祭。その水面下で渦巻く、国家レベルの陰謀。そして、底辺から立ち上がろうとする、小さな者たちの熱い想い。様々な思惑が交錯する中、運命の秋季カップの幕が、今、静かに上がろうとしていた。物語は、栄光と悲劇が同居する、新たな舞台へと、その歩みを進めていく。