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エーテルの時代の幕開け:世代交代の潮流と「エーテル/マナ」の確立

星霜は、英雄の記憶を風化させ、血脈の証を薄れさせる。かつてグランベルク王国の礎を築き、その名を大陸史に深く刻み込んだ魔人族まじんぞくは、今や一つの伝説となりつつあった。彼らの誇りであった精緻な武器製造の技術と、常人を遥かに凌駕する身体能力の記憶は、語り継がれる物語の中にのみ、その輝きを留めていた。


魔人族の血を引く者たちの平均寿命は百五十余年。その長きにわたる栄光の時代が緩やかに黄昏を迎え、彼らの子孫の代を重ねるごとに、その特徴的な金属光沢の肌や長い耳は、徐々に人間族のそれへと回帰していった。一つの偉大な世代が、歴史の舞台から静かに退場していく。その静かな空白を埋めるように、新たな時代の主役として台頭してきたのが、龍人族りゅうじんぞくであった。


龍人族は長命であった。しかし、彼らが時代の寵児となった理由は、単にその生命の長さにあるのではない。彼らは、この世界の根源をなす生命エネルギー、万物に宿る微細な波動――「エーテル」への感受性において、他のどの種族をも凌駕していたのである。龍人族の繊細な肌や、光の加減で虹色に輝く鱗が微かに震えるとき、それはまるで世界との静かな対話であった。周囲の草木がざわめき、風が応え、水面がさざ波を立てて、エーテルは彼らの存在に呼応するように流れた。


魔人族が遺した、物質世界のことわりを究めんとする精密工匠の技術。それと、龍人族が生まれながらにして持つ、生命世界の波動を感受する能力。この二つの、全く異なる源流を持つ才能が邂逅したとき、世界は音を立てて変わり始めた。グランベルク王国の頭脳と称される工房群が、この歴史的な融合を見過ごすはずもなかった。彼らは叡智の全てを結集し、ついに、流転する生命の波動「エーテル」を精密に計測し、それを蓄え、濃縮し、そして安定した動力源――「マナ」へと変換する画期的な理論と、そのための魔導器具群を創造したのである。これが、後の世に「マギアテック革命」と名付けられる、技術的、そして文明的な大躍進の、静かな産声であった。


「エーテル」は、生命そのものが放つ、捉えどころのない微細な波動。それに対し「マナ」は、その波動を制御可能なエネルギーへと昇華させ、魔術や機械を現実に「作動可能な力」としたもの。革命期において、この二つの概念を明確に分離し、それぞれを正確に計測する手法が確立されたことこそが、学術史上の最も重要な転換点として記録されることになる。


マナの光は夜の闇を払拭し、都市は永遠の黄昏を手に入れた。マナを動力源とするゴーレムが、人間の代わりに過酷な労働を担い、人々の生活を豊かにした。そして、この新しい力の奔流を秩序立て、次世代へと正しく継承するため、グランベルク王の勅命により、王都カストラムに巨大な学園が創設された。だが、新しい力が生まれれば、必然として、その力を扱うための倫理と制度が必要となる。学問とは、いつの時代も、混沌から秩序を生み出すために生まれるものなのである。


生まれ、喪う — アシェルの夜


その夜、グランベルク王国の片隅、名もなき村を冷たい雨が叩いていた。風が、古い家々の隙間を抜け、すすり泣くような音を立てている。村の小さな家の最も奥まった部屋で、蝋燭の頼りない光に照らされながら、一人の女が、産まれたばかりの我が子を、最後の力を振り絞るように抱きしめていた。


「ああ……やっと会えたわね、私の……小さな光……」


母は、疲れ果ててはいたが、その顔には聖母のような穏やかな笑みが浮かんでいた。痩せて骨ばった指先で、赤子を包む灰色の古びた産着を、愛おしそうに撫でる。「生まれてきてくれて……ありがとう」と、まるで雨音に溶けて消えてしまいそうな、風景のように淡い声が漏れた。


だが、その祝福の言葉が紡がれた、まさにその瞬間、家の外を包み込む深い闇が、ごく微かに、しかし確かに震えた。女の胸元から、まるで抑えきれない感情がほとばしるかのように、淡い光の粒子が立ち上り、室内の空気を揺らした。


「おい、なんだ今の……?」

隣で産婆を務めていた村の老婆、マーサの眉が、不可解な現象に歪んだ。

「ヒルダの体から、光が……?」


家の軒下で丸まっていた犬が、遠吠えとも悲鳴ともつかない、甲高い声を上げた。


アシェル――そう名づけられたその赤子は、一人の少女であった。彼女はこの世に生を受けた瞬間から、周囲の世界と、常ならぬ形で交感していた。彼女は、部屋にいる人々の呼吸、早鐘を打つ心臓の鼓動、雨に打たれる草の葉の湿り気、その全てから、まるで当然の権利であるかのようにエーテルを吸い上げ、それを自らの生命を維持するための熱と光に変えて、その小さな体を暖めていた。


「まあ、なんて暖かい子……。あなた、まるで小さな太陽のようだわ……」


母ヒルダは、我が子の体から放たれる不思議な温もりに、最期の力を込めて微笑んだ。その直後、彼女の呼吸は急速に乱れ、血の気を失った肌の色は、蝋燭の光の下で恐ろしいほどに青白く変化していった。


「ヒルダ!しっかりおし!あんた、どうしたんだい!」

マーサが叫ぶ。その場にいた誰もが、言葉を失い、凍りついた。医師でも、魔導師でもない、ただの村人たちだったが、それでも、本能的に理解してしまった。この子の中に、普通ではない何か、恐ろしい何かが宿っていると。


母は、アシェルが生まれてからちょうど一週間後の夜明け、誰にも看取られることなく、静かに息を引き取った。


「……疫病神だ。あの子がヒルダの命を吸い尽くしたんだ!」

村人たちの囁きは、やがて確信に変わった。村は、その小さな赤子を恐れ、そして激しく忌避した。母親の命を吸い尽くした「疫病神の子」。アシェルは、その忌まわしい烙印を押され、幼くして村の外れにある古い納屋に棄てられた。だが、その幼い命は、すぐには尽きなかった。なぜなら彼女は、周囲の生命から吸い上げたエーテルを、そのまま自らの肉体へと変換し、保持するという、特異な性質を持っていたからだ。彼女は飢えに強く、冬の凍てつくような寒さの中でも、自らが放つ微かな光の中で、生き延びる力を持っていた。けれど、その力こそが、彼女を孤独にし、人々を遠ざける、決して消えることのない烙印でもあったのだ。


旅人との出会い — 最初の教育


歳月は流れ、村は彼女を見捨てたが、世界は、その零れ落ちた一片の魂を、完全には見捨てなかった。アシェルが十の歳を迎えた秋の終わり、大陸を横断する古道から少し外れた廃墟の宿場町で、一人の旅の剣士が、獣のように身を潜める少女を見つけた。


その男、エルダンは、四十代半ばの、風雨にさらされた岩のような男だった。日に焼けた顔には深い皺が刻まれ、その無骨な手は、長年剣を握り続けてきた者特有の、硬いタコで覆われている。彼は、ただ静かに、瓦礫の陰からこちらを睨みつける野生動物のような瞳と対峙していた。少女の目は、飢えと警戒心で鋭く尖り、乾いた長い髪は泥と埃で固まっている。言葉を発することなく、ただ低い唸り声を上げて威嚇するその姿は、およそ人の子とは思えなかった。


アシェルは、この七年間、森を彷徨い、独りで生きてきた。生まれ持ったエーテル吸収能力は、彼女の生存本能と結びつき、危険な獣を遠ざけ、傷を癒し、寒さを凌ぐための無意識の盾となっていた。彼女はもはや、力を暴走させることはない。だがその代償として、人間としての言葉と心を、完全に置き去りにしていた。


「……腹が、減っているのか」


エルダンはゆっくりと腰の袋から干し肉を取り出すと、それを半分にちぎり、少女の数歩手前の地面にそっと置いた。彼は剣を鞘に納めたまま、両手を上げて敵意がないことを示す。アシェルは唸り声を止め、獣が餌を前にするよう注意深く、しかし素早い動きで干し肉をひったくると、再び瓦礫の陰へと姿を消した。


エルダンはその場に腰を下ろし、自分も残りの干し肉をゆっくりと食べ始めた。彼は何も言わなかった。ただ、時折、瓦礫の隙間からこちらを窺う小さな影に向かって、静かな視線を送るだけだった。


そんな奇妙な対峙が三日続いた。エルダンは毎日同じ時間に現れ、食料を分け与え、そして静かに去っていく。四日目の朝、アシェルは初めて、瓦礫の陰から姿を現し、エルダンの前に座った。まだ警戒心は解いていないが、その瞳には微かな好奇心が宿っていた。


「……言葉は、わかるか?」

エルダンが静かに尋ねる。アシェルは小さく首を横に振った。村で聞いた断片的な音の記憶はあるが、それが何を意味するのかは理解できなかった。


「そうか。ならば、そこから始めるとしよう」


それからの三年間は、アシェルにとって、人間として生まれ直すための時間だった。エルダンは彼女に「言葉」を教えた。最初は単語から。「これは、水」「それは、火」「俺は、エルダン」「お前は……」エルダンは少し考えた後、少女の首にかかっていた、母親が残したであろう小さな石のアミュレットに気づいた。「アシェル、とでも呼んでおくか」


言葉を覚えるにつれて、アシェルは人間としての感情を取り戻していった。焚き火の暖かさに安らぎを感じ、エルダンの不器用な冗談に初めて笑い声を上げた。夜空に浮かぶ二つの月を見て、言いようのない寂しさに涙を流した。


「そうだ、アシェル。それが感情だ」エルダンは夜空を見上げながら言った。「嬉しいこと、悲しいこと、腹が立つこと。全部ひっくるめて、人間として生きるってことだ」


エルダンは、アシェルが持つ異質な力にも気づいていた。アシェルが感情を高ぶらせると、周囲の草木がざわめき、小動物たちが逃げ惑う。


「その力……生まれつきか」

エルダンはある夜、真剣な表情で尋ねた。アシェルは頷くことしかできない。

「それは、呪いじゃない。お前の一部だ」エルダンはアシェルの頭を無骨な手でわしわしと撫でた。「だがな、そのままだと、お前は一生、人を遠ざけて生きることになる。制御する方法を、学ばねばならん」


エルダンは、剣術を教えた。それは殺傷のためではなく、精神を集中させ、体内のエネルギーの流れを制御するための訓練だった。

「剣を握れ。これはただの鉄の棒じゃない。お前の意志を伝える道具だ。怒りを剣に乗せるな。悲しみを剣に込めるな。ただ無心に、水の流れのように、力を身体中に巡らせろ」


素振り一つにも、哲学があった。息を吸いながら剣を振り上げ、吐きながら振り下ろす。その反復動作の中で、アシェルは体内のエーテルの流れを、自らの意志で制御する感覚を掴んでいった。


「そうだ、その調子だ」エルダンは満足そうに頷いた。「感情が高ぶれば、エーテルの流れは荒れ狂う嵐になる。だが、呼吸と集中で、その嵐を凪に変えることができる。力は抑え込むもんじゃない。乗りこなすもんだ」


三年の月日が流れ、アシェルはもはや獣のような少女ではなかった。言葉を流暢に操り、人間らしい感情を持ち、そして自らの力をある程度は制御できるまでに成長していた。彼女はエルダンを父のように慕っていた。


雪が降り始めたある夜、エルダンは焚き火の炎を見つめながら、ぽつりと言った。


「俺が教えられるのは、ここまでだ」

アシェルの心に、初めて経験する「別れ」という予感が突き刺さった。

「エルダン……?」

「お前には、もっと大きな世界で学ぶ必要がある」エルダンはアシェルの目を見て、真剣に言った。「学園に行け。グランベルクの王都にある、あのデカい学園だ」


「がくえん……?」

アシェルが初めて聞く言葉だった。


「ああ。あそこはな、この世界のあらゆる力を測り、名前をつけ、規格を作ってきた場所だ。今の俺じゃ、お前の力が一体何なのか、どうすれば完全に制御できるのか、そこまでは教えられん。だが、学園になら――お前さんのその力を、正しく測ってくれる奴がいるかもしれん」


「俺はただの旅の剣客だ。立派な推薦状なんてものは書いてやれん」エルダンは懐から、旅の途中で手に入れたギルドの紋章が刻まれた、古い銅貨を取り出した。「だが、これをお守りに持っていけ。困った時に、正直に助けを求めれば、誰かが見てくれているかもしれん」


旅立つ日の朝、エルダンはアシェルの小さな肩を、無骨な手で、力強く、そして優しく叩いた。「達者でな」。それだけを言うと、エルダンは振り返ることなく、北の道へと去っていった。エルダンの、その古い銅貨を胸の内に固く握りしめ、アシェルは、長い旅の終着点として、学園へと向かう決意を固める。だが、彼女のような異質な存在に、学園の重い門は、そう易々と開かれてはくれなかった。


試験塔への道とその視覚


グランベルク王都カストラムの外郭、学園地区の東端に、天を衝くようにそびえ立つ一本の塔。それが、年に一度、数千の若者たちの運命を決定づける「試験塔」であった。灰色の石材と、鈍い光を放つ金属で構築されたその巨大な建造物は、それ自体が、学園の理念――すなわち、感情を排した、絶対的な公平性と、客観的な数値による評価――を体現しているかのようであった。


塔の内部へと足を踏み入れたアシェルは、まず、その空気の質の違いに戸惑った。そこには、石の無機的な冷たさと、潤滑油の混じった金属の匂いだけが満ちていた。壁や天井には、大きな水晶でできた「マナ灯」が等隔に並び、そこから伸びる無数のガラス管と、動力源となる魔石の結晶体が、まるで巨大な生物の神経網のように、網目の如く張り巡-されている。これは、塔の内部に、常に均一な人工的マナ流を供給するための、マギアテックの粋を集めた装置であった。


「すごい……これが学園……」

アシェルの隣に並んでいた、農村出身らしき少年が、畏敬の念を込めて呟いた。


会場の設計思想は、ただ一つ。「生体エーテルを、極力、排除する」。これは、受験者たちの安全と、試験の公平性を確保するための、絶対的な規則であった。一人の受験者が放つ強大なエーテルが、他の受験者のマナ制御に干渉し、試験結果を左右するようなことがあってはならない。そのため、この塔の内部は、意図的に、生命の息吹というものが、徹底的に排除されていたのである。


受験者たちの長い列が、静かに、そして緊張した面持ちで、受付へと進んでいく。その構成は、この国の社会階層の縮図のように、様々であった。

「見ろよ、あいつら。ドラゴニア領の龍人族だ。生まれながらにして**エリート・ティア(Elite Tier)**は確定らしいぜ」

「ちっ、羨ましいこった。俺たち平民は、**ファウンデーション・ティア(Foundation Tier)に入るだけでも大変だってのに」

龍人族の高貴な血筋を誇る、エリート・ティアの候補生たちであろうか、自信に満ちた堂々たる一団。あるいは、己の才覚一つでのし上がることを夢見る、アデプト・ティア(Adept Tier)、ファウンデーション・ティアを目指す若者たちの、未来への希望と不安がない交ぜになった、張り詰めた眼差し。だが、その中には、自らの運命が、訓練での改善が必須とされるロウ・ティア(Low Tier)**に落ちかねないことを予感し、絶望の影をその貌に宿した者たちの、暗い影もあった。

そして、その最下層に位置づけられる、特別な階級が存在した。


アシェルは、その雑多な群れの最も端に立ち、胸の中で繰り返し振動するかのような、微かな高鳴りを感じていた。エルダンに教わった、深い、静かな呼吸を、何度も、何度も繰り返す。だが、周囲はあまりにも無機的であった。風にそよぐ草も、暖かな体温を持つ犬も、空をまだらに彩る鳥の声も、ここには何一つ存在しない。彼女を包み込むのは、ただ、冷え切った石の壁と、感情のない人工の光だけだった。


入学試験 — 三つの檻(測定)


グランベルク王立学園の入学試験は、極めて合理的、かつ冷徹に、三つの柱で受験者の能力を評価する――すなわち、マナの絶対量を示す「マナ露出(Mana Exposure)」、その力を自在に操るための「制御技術(Control)」、そして魔導機械との適合性を見る「マギア親和性(Magitech Affinity)」。それぞれの柱で得られた評価は、即座に数値化され、その総合スコアによって、入学後のティア――すなわち、この学園における最初の階級――が決定されるのである。


ティアは六段階に分かれている。頂点に君臨するのは、アーコン・ティア(Archon Tier)。マナ量、制御技術、親和性の全軸において最高水準を示し、将来の研究・指導者の中核を担う一握りの天才たち。次に、実務能力に秀で、現場のリーダー候補となるエリート・ティア(Elite Tier)。専門技術の基礎を習得し、ここから学術分野か実践分野へと道が分岐するアデプト・ティア(Adept Tier)。基礎は安定しており、大きな伸びしろを持つとされるファウンデーション・ティア(Foundation Tier)。そして、マナ量や制御に何らかの課題があり、特別な訓練で改善が見込まれるロウ・ティア(Low Tier)。最後に、レメディアル・ティア(Remedial Tier)――極端にマナ量が低いか、制御が致命的に不安定、あるいは測定そのものが不能と判断された者たちが集められる、学園の最底辺。


第一の試験は、「マナ露出」。受験者たちは、一人ずつ、小さなガラス張りの演台の前に立ち、その頭上に設置された計測器が、瞬時にその者が持つマナの峰――すなわち、最大瞬間魔力量を読み取る。その数値は、即座に、演台の横に設置された巨大な表示盤に、無慈悲に映し出された。


「次、七百三十三番!」

「マナ露出、158.2! **アデプト・ティア(Adept Tier)**合格圏内!」

歓声とため息が交錯する中、アシェルの番が来た。

「次、七百三十四番!」


アシェルは、エルダンの教えを思い出しながら、深く、そして何度も深呼吸を繰り返した。だが、表示盤に映し出された数値は、ほとんど反応を示さなかった。

「……マナ露出、8.4。……**レメディアル・ティア(Remedial Tier)**候補」

試験官の冷たい声が響く。周囲から、失笑と憐れみの視線が注がれた。彼女の力の源泉は、「生きた生命が放つエーテルを喰らう」ことであり、それによって初めて活性化する。この、生命の息吹を完全に排除された空間に満ちる、人工的なマナ灯の光は、彼女にとって、何の補給源にもなりはしなかったのである。結果として、彼女が本来その身に秘めているはずの潜在能力とは全くかけ離れた、極めて低い数値が表示された。


第二の課題は、「制御技術」。受験者たちは、厳重に管理された制御場へと通され、そこに設置された様々な標的に対し、簡単な攻撃魔法や防御魔法の詠唱を行う。その詠唱の正確性、呪文の安定性、そして誤動作の有無といった要素が、複数の試験官によって厳しく採点される。


「受験者七百三十四番、第一課題、開始!」

アシェルは、教わった防御魔法の詠唱を、静かに、そして正確に呟いた。「我が前に、光の盾を……」

しかし、彼女の指先から放たれたマナの火花は、あまりにも小さく、そして弱々しかった。小さな不安が、彼女の胸の奥をよぎる。

「……出力不足。次、第二課題」

試験官の一人が、眉間に皺を寄せ、手元の評価シートに何かを書き込んでいるのが見えた。彼女は詠唱を続けるほどに、焦りが心を支配し始めた。その心の乱れは、彼女の体内のエーテル吸収の引き金となる。だが幸いにも、周囲には吸収すべき十分な生体エーテルが存在しないため、暴走という最悪の事態は起こらなかった。だが、試験官の評価は、冷徹に「不安定、集中力に欠ける」という、厳しいものであった。


最後の試験は、「マギア親和性」。受験者たちは、「同調台」と呼ばれる魔導機械の前に立ち、そこに手を触れることで、自らのマナをその機械へと接続し、簡単な制御信号を送り込む。多くの受験者たちは、自らの内なるマナの流れを意識し、機械との間に目に見えぬリンクを結び、その機構を、わずかであれ作動させることができた。アシェルもまた、彼らに倣い、同調台にそっと手を伸ばした。だが、彼女と機械との間の同調は、あまりにも微弱で、その機構は、カタ、と小さな音を立てただけで、ほとんど反応を示さなかった。技術側の計測器は、非情にも「同調不可」という、赤い警告ランプを点灯させた。


三つの試験が終わり、中央表示盤に、アシェルの総合スコアと、最終的な判定が、赤い光の文字で点灯した。**ロウ・ティア(Low Tier)**ではなく、その更に下。最下行に、まるで烙印のように刻まれた、その文字。「レメディアル・ティア(Remedial Tier)」。彼女は、無意識のうちに周囲を見回した。そこにいたエリート候補たちの視線は、冷たい侮蔑か、あるいは、憐れみに満ちた同情か。そのどちらかであった。アシェルの胸の奥に、何か大切なものが抉り取られたかのような、冷たい空洞が、ぽっかりと口を開けた。エルダンの、あの温かい言葉が、遥か遠くで、虚しくこだまする。「そこになら――正しく測ってくれる者がいるはずだ」と。


判定と配属、そして静かな怒り


「受験番号七百三十四番、アシェルさん」

試験官の一人が、分厚い公式判定書を彼女に手渡しながら、感情の欠片もない、官僚的な口調で説明を始めた。

「あなたの総合測定結果では、マナ露出、及びマギア親和性の数値が、本学園の定める基礎基準に達しておりませんでした。また、制御技術においても、安定性に若干の不足が見られます。本学園では、何よりも安全を重視するため、あなたは**レメディアル・ティア(Remedial Tier)**に配属され、個別調整プログラムを受けることになります。ただし、そこでの成長と成果が認められれば、より上位の課程への昇格の道は、常に、そして誰に対しても、開かれています」


その、丁寧だが心のこもらない言葉の奔流に包まれながら、アシェルはただ、視線を足元に落としていた。だが、彼女の内面では、静かだが激しい動揺が渦巻いており、指先が微かに震えるのを、抑えることができなかった。


その時、近くの通路を、慌ただしく通り過ぎようとした、小さな衛兵の少年が、偶然にも、彼女の指先に触れた。生きた人間の、暖かな体温が、その指先から、彼女の体内へと流れ込む。ほんの一瞬、体内で何かが激しく喚起されるような、熱い感覚が走った。だが、この塔の、徹底して管理された人工的な環境は、その衝動をそれ以上に増幅させることはなかった。彼女は、かろうじて、その感情を、胸の奥深くに押しとどめた。


もしこの時、彼女の足元に、一本の雑草でも生えていたならば。もし彼女のそばを、誰かの大きな手のひらが、ゆっくりと通り過ぎていたならば――その結果は、全く異なる、破壊的なものになっていたかもしれない。


周囲を取り巻く、無数の受験者たちの雑踏の中、アシェルは、胸の内に、小さな、しかし決して消えることのない火を灯した。それは、怒りでもなく、哀しみでもない。静かで、そして燃えるような、一つの誓いのようなものであった。彼女は、決して「測られた数値」だけが、自分という人間の、全てではないのだと。母の、あの最期の、穏やかな笑顔が浮かぶ。旅人エルダンの、粗削りだが、温かい笑顔が浮かぶ。彼女は、**レメディアル・ティア(Remedial Tier)**の烙印が押された判定書を、静かに受け取ると、何の感情も浮かべぬまま、学園の、最も低い場所にある校舎へと、一人、送られていった。


底位の夜、そして次の朝


**レメディアル・ティア(Remedial Tier)**の生徒たちが暮らす寮は、本校舎の巨大な影に、まるで寄り添うかのように、ひっそりと建っていた。窓は小さく、壁は薄く、冬になれば、隙間風が容赦なく吹き込んでくるという。朝の光も、本校舎の陰に遮られ、常に薄暗い。


「……ここが、私の新しい場所……」

アシェルが案内された、四人一部屋の狭い寮室。そこにいる仲間たちの顔つきは、皆、一様に暗かった。

「よろしく……」

生まれつき病弱で、十分なマナを練ることができない少年が、咳き込みながら言った。

「……」

貧しい家庭に生まれ、十分な魔法訓練を受ける機会がなかった別の少女は、誰とも目を合わせようとしない。

過去の事故で、体に癒えぬ瘢痕を抱え、マナの流れに障害を持つ青年は、壁に向かって黙り込んでいる。誰もが、何らかの形で、「普通の授業」についていくことができなかった、それぞれの、悲しい理由を、その背中に背負っていた。


アシェルは、与えられた、硬いベッドの上に、なけなしの荷を解くと、小さな窓辺に立った。東の空が、ほんのわずかに、茜色に染まり始めている。荘厳な学園の塔群が、巨大なシルエットとなって、闇の中から浮かび上がってきた。その、遥か向こう側では、マギア工房の煙突から、黒い煙が、ゆっくりと、そして絶え間なく立ち上っている。世界は動いている。新しい時代の力、エーテルとマナが、人々の暮らしを煌びやかに照らし、学問と工匠の技が、この壮麗な都市を、日々、築き上げているのだ。

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