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同居人  作者: 不動坊多喜
9/25

同居人(9)三七日①

三七日(みなぬか)


 金曜の夜はテニスだ。

 その日は、俺のためにサブコーチが来てくれた。

「熱心な少年がいるけど、その子一人に時間を割くわけにいかないからって頼まれて、今日は特別です」

 普段は「昼間の小学生コースを担当している」というその人は、美人。思わず見とれてしまうほど。

 実は、小学生の頃、同級生の男子に「美人コーチがいるから見に行こう」と誘われて、見学に行ったことがあったくらい有名な美人だ。実際習っている子からは、教え方が上手いと聞いたことも思い出した。

 母さんは『そんな必要ないのに』とため息をついている。

 だからって、コーチの方をチラ見するなよ。変に思われるぞ。

 コーチはおばさん指導に専念している。こちらはサブコーチに任せたから安心というわけだ。振り向きもしない。

「もしかして、コーチに避けられてるんじゃない」

 サブコーチに聞こえないよう、ささやく。

『なんで、避けられなきゃいけないのよ』

「そりゃあ、あんなこと言ったからだよ」

 自覚がないのか? 「先生が好きだから」なんて口走ったくせに。

 母さんが黙り込んだので、思わず勝利のピースサインをしてしまった。


「初心者は、手首を固めて打点を安定させることに集中しましょう」

 そう言って、俺の手首の角度をチェックする。

『ふん。それくらい知ってますよ』

 母さんが毒づいている。

「そのまま右腕を引いて」

 母さんがブンと勢いよく腕を引く。

「今はゆっくりで良いのよ。正しいフォームを覚えることが目標だからね」

 そう言って、また手首のチェック。

「歩くように一歩踏み込んで、体全体を使って打つ。下半身をもっと使う」

『鬱陶しいわね。好きにやらせてよ』

 でも、口には出して言わないんだね。ちょっと笑える。

「打点は体の前。ほらほら、ラケットがもう上向いてる」

 また、チェック。

 母さんが舌打ち。こら、それは聞こえるぞ。失礼な。

「腕はここまで振り切る。もっと上まで振る」

 あまりの指導の多さに、とうとう母さんはへそを曲げた。

『いいわよ、もう。歩夢が勝手にやりなさい』

 という訳で、バトンタッチ。母さんより上手いところを見せてやろうじゃないか。

 手首の固定は、卓球でも指摘された。ラケットが長くて重い分やりにくいが、先生のチェックのお陰でポイントがよく分かった。

 素振りを何度か繰り返した後、壁打ちに取り掛かった。ら、何と、いきなり三連打続いてしまった。最高記録だ。その後もどんどん続く回数が増えて、十三回まで数えた。

 十四回目で外れたボールを拾って戻ってくるとき、ふと視線を感じて振り返った。

コーチがこちらを見ていた。俺と目が合うと、片眼をつむって親指を立てた。

『心配してくれてたんだぁ』

 母さんが、上機嫌でボールを上げた。次の一打は思い切り空振った。



 いよいよ体育祭の当日になった。

 一年生の二学期から本格的に不登校になった俺にとって、二度目の体育祭だ。

 二年前の記憶は、とにかく暑くて、早く終わってくれだった。

 二年後の今日も、やっぱり同じだ。つくづく、進歩のない人間だ。

 ハンドボール投げの記録は二十メートルちょいで、順位としてはまん中辺り。決勝に残ることもなく、三回投げて終わりだった。

 母さんは悔しがっていたけど、悪目立ちをしなくてほっとした。

 午後は大縄跳び。

 一回目は、全クラス一斉に開始だ。

 クラス全員が呼吸を合わせて跳ぶ。数がどんどん増えていく。二十までは楽勝だった。三十近くなると息が上がって体が重くなってきた。それを無理やり押し上げて四十。足元がふらついて「もうダメ」という気持ちを必死で抑えて五十。それから四つ跳んだ時に、誰かが引っ掛かった。

 歓声が上がる。ほかのクラスはとうに終わっていた。トップだ。

 二回目は、跳ぶ回数の少なかったクラスから跳んでいく。

 俺たちは三十五回で終わったものの、合計回数八十九は、ダントツの一位だった。

 跳び終わって一位が確定したとき、みんなハイタッチして喜んだ。俺も、隣にいた木村君や名前も知らないクラスメイトとタッチした。

 誰かと協力して何かを達成するなんて、何年ぶりだろう。

 懐かしい一体感に気持ちが高揚する。

 勢いに乗って、俺たち三年二組は総合優勝を目指した。が、最後のリレーで三組に追い抜かれ、結果、三点差で優勝を逃した。

 グラウンドで、教室で、担任を囲んで写真を撮る。

 体はこれ以上ないほど疲れていたけど、心は軽かった。中学生になって初めての充実感だった。


 けれど、それはまがい物だった。



 月曜は振替休日で、休み明けの火曜日。その日は朝から変だった。

 いつものように母さんが元気よく「おはよう」と言いながら教室に入る。いつもなら、誰かが返事する。それは、たいてい同じ小学校から上がってきた誰かだった。

 ところが、その日は返事がなかった。母さんは気づいてないようだったけど、俺は気がついた。

 席について提出物の点検をしていたとき、急に母さんがはす向かいの女子に声をかけた。

「ねえ、今やってるそのプリントは、いつもらったの?」

 女子は一瞬びくっと肩をすくめ、けれど無視してシャーペンを動かし続けた。

 母さんは、わざわざ彼女の隣に行くと、同じ問いを発した。

 少女は不快感を露わにした表情で「塾」と一言言うと席を立った。それから、「あっちゃん、これ教えて」とプリントを持って他の席に行ってしまった。

 母さんは「宿題じゃないんだな」と確認するようにつぶやき、席に戻ると一時間目の準備を始めた。

 これまでも母さんは、分からないことがあれば遠慮なく聞いてきた。それに対しみんなは、あるときはあきれた顔で、あるいは迷惑そうな表情で、時には驚いてのけぞりながら、何かしら答えをくれた。

 けれど、今日は何か違う。小さな違和感が、時間が経つにつれどんどん積もっていく。

 母さんが何か言おうとすると、誰かが先回りして声を上げる。タイミングを見つけて話しかけると、「あ、先生に呼ばれてたんだ」と逃げられる。英語のペア学習で、ペアの相手が「おなか痛いんでトイレ行かせて下さい」と教室を出て行く。

 そして、給食の時間。

 今週の給食当番は三班で、掲示物によると俺はその一員だった。

 母さんも気づいてなかったようで、エプロンを準備していなかった。

「エプロンを忘れてしまったんだけど、どうしたら良いのかな」

 問われた子は一瞬固まって、周りの様子を伺った。それから、知らないという風に首を横に振った。

 他の子に聞こうとしても、みんな俺から目をそらせ、手洗い場に逃げて行った。

 母さんが途方に暮れかけたときだった。

「あ、エプロン忘れた」

 振り向くと、男子が一人、教室の前にある戸棚に向かっている。彼は開き戸を開け、『貸し出し用エプロン』と張り紙の貼られた衣装ケースから白い巾着を一つ取り出し、ノートに日付と名前、エプロン番号を記入した。

 母さんがほっとしたのが伝わって来た。

 ワゴン係がワゴンを運んできた。食缶が配膳台に並べられていく。

 やっと支度を終えた母さんがそこに近づく。それを阻むようにみんなが動く。無言で着々と仕事を進めていく。

 先週の当番は、仕事を押し付けあっていたのに、今日は俺の仕事が残っていない。まるで、俺には給食に触れてほしくないかのように……。

 遅れてきた先生が、

「やあ、今日は仕事が早いなあ」

と喜んだ。

 それから、突っ立っている俺を見て、

「坂下君は初めてかな? 今日は見学で良いよ」

と優しく微笑んだ。

 それで俺は、馬鹿みたいに立っていた。動きたがりの母さんが少しいらついているのが感じられて、それはそれで面白かった。


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